義母からの手紙
クロードの母が生前、まだ見ぬ将来の嫁に宛てて遺した手紙があると知り、
ジゼルは驚きながらもそれを受け取った。
『クロードのお嫁さんへ』
亡くなる前にわざわざ書き遺したとなると相当大切なことが書かれているに違いない。
ジゼルは緊張しながら封を切った。
そんなジゼルを残し、クロードは部屋を出ようとする。
「え?どこ行くん?一緒に見ぃひんの?」
ジゼルがそう言うとクロードは扉の所で肩を竦めた。
「お嫁さんが手紙を読んでる間はどこかへ行ってなさい、というのが遺言なんだよ。それもちゃんと守らないと怒られそうだからな。ジゼルが手紙を読んでる間、交代する騎士の申し送りを確認してくる」
「そう……」
亡き母の言いつけを守り部屋を出て行くクロードを見送ったジゼルは、開封した封筒から中身を取り出した。
淡い温かみのあるアイボリーの便箋を開くと……
「……えっ!?」
そこに書かれた文字にジゼルは驚いた。
前世、浪速花子であった時に散々目にして散々書いてきた文字、
日本語でその手紙は綴られていたのだ。
「に、日本語っ?花子の記憶のおかげで読めるけど、な、なんでっ?」
ジゼルは狼狽えながらも手紙に目を落とし、流れるような美しい文字を追った。
~ 拝啓 私の最愛の息子のお嫁さんになってくれたジゼルさん
「ちょっ!ちょっと待ってっ!?な、なんで十年も前に亡くなったクロードのお母さんがウチの名前を知ってんのっ!?」
読み始めて早々にもたらされた衝撃にジゼルは思わず大声を出していた。
そしてまたすぐに続きを読み始める。
~ 拝啓 私の最愛の息子のお嫁さんになってくれたジゼルさん、まずは驚かせてしまったことを先に謝っておきますね。本当にごめんさない。
「あぁいえ、はい、ご丁寧にどうも……」
冒頭の謝罪を受け、ジゼルもそれに応じて軽く会釈した。
~ 名前を知っていた事だけでなく、この手紙が日本語で書かれていたことにもさぞ驚かれたことでしょう。
「そりゃあもう!」
前世の大阪人の血がそうさせるのか、いちいち返事をしてしまうジゼルである。
~ 更に驚かせてしまうのが申し訳ないんだけど、じつはジゼルさんが前世持ちの転生者だということも知っているの。
「えっ!?」
~ だって、作中に明記していないけど私はそれをすでに知っていたんだもの。
もちろんジゼルという名前もね。これでわかった?そう、私がアイリスを主人公としたあのラノベを書いた原作者です。
「…………え?え、えーーーーーっ!?」
前世ぶりの日本語のため、一瞬読み違えたのではないかと思ったジゼルは何度も問題の部分を読み返すも、やはり書かれている言葉は同じ。
決して読み違えではなかった。
「え?え?どぅいうことっ?あのラノベの原作者っ!?岡田笑瑠先生っ!?え?でもなんでっ?なんで笑瑠先生も異世界にっ?先生も転生者っ?」
~ きっと“え?岡田笑瑠も転生者っ?”と思ったことでしょうが、私は転生者ではありません。
「え?違うん?」
~ 私は転移者なの。二つの世界の境界を渡って帰ってきた者。
「ど、どぉいうこと?」
~ あちらの世界、日本に転移した時は幼児だったので自分の本当の出自は一切記憶になくてわからないの。でも生まれつき桁外れの魔力を持って生まれたみたいだから、きっと自分で転移してしまったのね。それで日本の一般家庭に養子に迎えられて岡田笑瑠として成長したわけ。
「そ、そんなことって……」
前世の世界では有り得ないことだが、魔力を持つ人間が存在するこの世界では起こり得ることだ。
~ 当然私は自分に魔力があるとは知らずに育った。普通の人間だと思い込み、日本社会に適応して暮らしていた。でも魔力は無意識にもこちらの世界と繋がっていたのね、そして私には未来視の能力が備わっていた。夢の中で何度もこの世界のことを見たわ。アイリスという少女とその周りの人間たちのことを。そして私はそれを未来視とは知らずに、自分の中で生まれた物語と思い込んで小説にした。
「そ、それが、
●踏みつけられ、虐げられた私がじつは王女さま?え?ウソでしょ?
~今度こそ幸せになろうと頑張っていたら、いつの間にかみんなに愛されていました~ ●
というやたらと長いタイトルの小説なわけ!?」
~ わかってくれた?日本人の前世を持つあなたなら直ぐに理解してくれると思うのだけれど……。
でも一応要約すると、ジゼルさんが今住んでいるこの世界で起きていることを、私はあなたの前世の世界で未来視として見たの。そしてそれを小説として書き起こした……ということ、オッケー?
「お、オッケー、大丈夫、理解した」
~ だけど私は、あのラノベが書籍化され世に出回ってすぐ、階段から落ちたショックで無意識にまた転移をして本来生まれたこの世界に戻ってきたの。
「え?そうなん?ウチが笑瑠先生の作品を読んだのは書籍化されて何年も経ってたからなぁ。その時すでに笑瑠先生は日本にはおらんかった、ということやな……しかもクロードのお母さんなんやったら、時間軸もズレて転移したということか……」
~ 突然元の世界に戻り、何も分からず四苦八苦していたところを助けてくれた人がいたの。それがクロードの父親との出会いだったわ……。
「え、なんかロマンチック。それこそラノベの世界やん」
~ まぁ本当のことを話すとややこしくて面倒くさいから、彼には記憶喪失という設定にしたんだけど。
「面倒くさいて……設定て……まぁ説明のしようがないわな」
~ そして彼からこの異世界のことを一から学んでいるうちに、私たちは恋をして結婚したの。
「きゃー♡やっぱりラブロマンスですやん♡」
~ 結婚してすぐに子供を授かって……その時はまだ、確信はもてなかった。
夢で見た世界と転移した国の名前が同じだということも、結婚した彼の姓が“ギルマン”であることも、もの凄い偶然が重なっただけだと思っていたの。でも……
「……でも?」
~生まれた息子に、彼が“クロード”と名付けた時……私は自分が夢で見たのが未来視であったと確信したわ。
あの物語ではアイリスを主人公にしたけれど、私は自分の息子の未来を、息子に関わる人たちの分も含めて予言視していたということを理解した。
「そういうことか……。なるほど、他人であるアイリスではなく本当は息子の未来を見てたんやね……」
~ そのことに気付き、私はそれはダメだと思ったわ。
「ん?何がダメやと?」
~ アイリス王女を愛するあまり妻と離婚したあげく、プラトニックでも何でもいいと彼女の逆ハーの一人に成り下がってしまうなんて絶対にダメよ!と。
「あ、あーー……」
~ 側にいられるだけでいいなんて自分に酔いしれた人生を送って、挙句の果てに孤独死!愛する息子がそんな人生を送るなんて、親としてとてもじゃないけど容認できないわっ!と、思ったの。
「そりゃそうですよねぇウチかて自分の息子が報われない想いに縛られたまま寂しい老後迎えるなんて嫌やわ~……」
~ だからね、私はその未来を変えることにしたのよ。
「え?変えるって……どうやって?」
~ 生真面目で朴念仁で面白味のない男、そしてあまり人に関わろうとしない。そんな性格だから健気でいじらしく、素直に頼ってくれるアイリス王女に絆されるのよ!同情から始まって、簡単に庇護欲から恋愛に移行するようなチョロい男になってしまうのよ!
「なるほど」
~ だから私はクロードの性格改変に心血をそそいだわ。真面目だけど柔軟で温かくて妻に迎えた女性を死ぬまで大切にするような誠実な男になるように、自分の全てを懸けて育てたの。
「笑瑠先生……いえ、お義母さま……」
~ どう?ジゼルさん、あなたが今この手紙を読んでいる時のクロードはちゃんとあなたを、妻だけを愛する男になれているかしら?あの子の体内に私の魔力の残滓は存在しているけど、死後のことが全てわかるわけではないから……。
「はい、大丈夫ですよお義母さま。あなたの息子は、クロードは心変わりすることなく、妻である私を愛してくれてます……。すべて、お義母さまのおかげやったんですね」
不思議だと思っていた、物語とはあまりに違うクロードの性格。
性格が違うことにより様々なズレが生じ、クロードはアイリスではなくジゼルを愛した。
そしてアイリスと出会った後もそれは変わらず、一途に妻だけを思うクロード=ギルマンとなったのであった。
~ 私が未来視で見て、物語として書き起こしたのは王家の騒動が終わるまで。なぜかは分からないけどその後の世界の未来視は見なかったわ。未来視はとても膨大な魔力を要するらしいから、きっと魔力量のキャパを超えたのね。
さて、ジゼルさん。ここまで怒涛の真事実を語ってきたけれど、要するに私が言いたいのはただ一つ。それはクロードと末永く添い遂げてやってください、ということなの。
私が力ずくで変えた未来で、どうかあの子と……クロードと共に生きてやってください。お願いします。
「お義母さま……」
~ そして可愛い孫を二~三人産んで、家族でお墓参りしてください。うふ。
「お義母さま?」
~ ちなみに、これは未来視で見たわけではないのだけれど、なんとなく第一子は女の子だと思うのよね~。
「え?」
~ その子の名前は“エミル”なんてどうかしら?私の日本での養父母が付けてくれた名前。意図せずこちらに帰ってきてしまってなんの恩返しもできなかったけれど、せめてこの名前だけでも残したいなと思ったの。ダメかしら?厚かましいかしら?
「ふふ。いいえとんでもない。今の幸せがあるのはお義母さまのおかげです。はい、私もぜひ娘にその名前をつけたいです」
~ 長くなってしまったけれどジゼルさん、どうかクロードのことをよろしく頼みます。私は少ししかあの子の側にいてやれなかったけど、どうかあなたは……あなたは末永く、あの子の側にいてやってください。私は精一杯、心根の優しい良い子に育てたつもりです。だからどうか、どうか。
それを強く願うこととして筆を置きたいと思います。
可愛い息子の、可愛いお嫁さんへ。
同じく二つの世界を知る者としての信頼を寄せて。
岡田笑瑠改めクロードの母より~
手紙を読み終わり、ジゼルはそれをそっと胸に寄せた。
手紙に書かれた文字から溢れる息子への愛情。
その惜しみない愛に、ジゼルの胸が熱くなった。
クロードの母は息子の人生だけでなく、妻のジゼルの人生も救い守ってくれたのだ。
彼女がいなかったら恐らく未来視で見た通りの展開になっていたのだろう。
ジゼルは丁寧に便箋を封筒に戻した。
この手紙は生涯大切にしよう。
そしていつか、いつか時が流れたらクロードに話してあげるのもいいかもしれない。
でも今は、二つの世界を知る者同士、不思議な秘密の共有としたい。
手紙の余韻に浸りながらそんな事を考えていると、丁度クロードが部屋に戻ってきた。
「クロード……」
「ジゼル、手紙は読んだか?」
「うん。くれぐれも息子を頼むと書かれてたわ。ええお母さまやね」
「とても優しい母だったよ。怒ると怖かったけど」
「ふふふ。ますますええお母さんや」
手紙を通してでしか知らないクロードの母だが、その為人がよくわかる気がして、ジゼルは微笑んだ。
そんなジゼルをクロードがじっと見つめる。
「なに?」
「いや、なんか憑き物が落ちたような顔をしてるなと思って」
「……そうやね。憑き物、落ちたんかも」
「え?」
「ふふ。なんでもない。もう帰れるん?」
「ああ。帰れるよ」
「じゃあ……帰りましょう、我が家に」
ジゼルがそう言うとクロードは嬉しそうに小さく笑った。
「そうだな、帰ろう。我が家に」
どちらからともなく手を繋ぐ。
二人視線を絡め、微笑み合ったその時、
「失礼します。ギルマン卿、第二王子殿下がお召にございます。夫人を連れて直ちにサンルームへ来るようにと」
入室してきたジェラルミンの侍従がそう告げた。
「は?」「え」
ようやく帰れると思ったのも束の間、
ジェラルミンからギルマン夫妻への呼び出しが掛かったのであった。




