第3話 星影の森で
ざくざくと雪を踏みしめ、森の奥へと進む。
「大丈夫? ユキトさん」
隣に並ぶアカリの視線に、彼が顎を撫でる。
「うん。痛みはもうないよ」
「驚いた?」
「うん」
「ジルには、あとでもう一度言い聞かせておくね」
アカリの言葉に、先を行くジルが振り返った。不満そうに、ガウと鳴く。
「だって、ジル。ユキトさんに怪我させたら、許さないからね」
「ガウガウ!」
「もう、ジル!」
「……何と言っているんだい?」
「噛まなかっただけ有難く思え、だって」
ははは、とユキトが笑う。その頬が若干引きつっている。
「すごいな、アカリは。ジルの言っていることがわかるんだね」
「なんとなく、ね」
ユキトに褒められた。その嬉しさを誤魔化すように、アカリは足元の雪を蹴り上げる。さらさらとした雪が宙に舞う。
ぴくりと、ジルが何かに気づいた。立ち止まる。
「ジル?」
不思議そうにアカリはジルに駆け寄った。鼻を鳴らし、ジルが空気を嗅ぐ。
「……ユキトさん」
緊張感を帯びたアカリの声に、ユキトは周囲を見渡す。銀世界、葉を落とした木々の向こう。
きらりと光る。
「アカリ!」
ユキトが叫ぶ。赤い星屑を額に抱いた、大鹿が姿を現した。
枝分かれした大角を振り、星獣はアカリへと突進する。
アカリが雪に足を取られ、転ぶ。
彼女目掛け、大鹿が迫る。
灰色の影が駆け出した。
「ジル!」
アカリとユキトの声が揃う。双尾を振り、ジルが跳んだ。
大鹿の首へと噛みつく。
その鋭い牙に、大鹿が首を振った。進路が変わる。ジルが振り落とされる。雪の上で受け身を取って、ジルは駆け出した。
「ガウ!」
ジルの威嚇に、大鹿は逃げ出した。雪をかけ分け、森の奥へと駆けていく。
しん、と辺りに静けさが満ちた。
「アカリ!」
血相を変えたユキトが、膝を折った。
「大丈夫かい!」
「えへへ。びっくりした……」
ユキトに支えられながら、アカリが立ち上がる。
「怪我は?」
「う、うーん」
アカリが首を傾げると、真剣な深い青が彼女を射た。
「どこか、痛むところがあるんだね?」
クウン、とジルが近寄ってくる。すり、と頭をアカリの足に擦りつけた。
「右の足首が痛い、かも」
「転んだ時に捻ったんだね」
ユキトが傍に落ちていたポシェットに気が付く。ポシェットの中身――青いリボンがかかった小さな紙箱が雪の上に転がっていた。
「あ!」
アカリが叫ぶ。慌てて紙箱を拾う。
「あー、箱が潰れちゃった……」
気まずそうに、アカリがユキトを見る。
「それは?」
「……あのね」
おずおずと、アカリが彼に差し出す。
「ユキトさんに、ショコラを、作ったの。聖バレンティアの日だから。今日、会えるって手紙にあったから……」
恥ずかしそうに、アカリが俯く。
彼女の手にある、潰れた紙箱をユキトは受け取った。青いリボンを解き、蓋を開ける。
中には、星の形をしたショコラが――二つに割れていた。
アカリが唇を噛む。肩が震える。せっかく作ったのに。包装も頑張ったのに。
ユキトの指が星の欠片を摘まむ。
口に運んだ。
「うん。美味しいよ」
微笑むユキトに、アカリは顔を上げた。
「本当?」
「本当だとも」
残った欠片も食べる。幸せそうに、彼の目が細められた。
「僕が嘘をついたこと、あったかい?」
アカリの表情が晴れる。
「ううん!」
「信じていただけて嬉しいよ、僕のバレンティア」
空になった紙箱を荷にしまい、ユキトが跪いた。左手を胸に当て、右手をアカリへ差し出す。
「手を取っていただけますか?」
「――うん!」
二人の手が重なった。
ガウ、とジルが吠える。
「ああ、そうだね。怪我の手当てをしなくちゃ」
ユキトがアカリを胸の前で抱き上げた。突然のお姫様抱っこに、アカリは目を瞬かせる。
「ユ、ユキトさん!」
「なんだい? アカリ?」
「あたし、歩けるから……!」
「だめだよ」
深い青の瞳がアカリの顔を覗き込む。距離が近い。
「それとも。僕にこうされるの、嫌かい?」
――その言葉はズルイ。
アカリは頬を赤に染めて、首を横に振った。彼の首へ腕を回す。
「あのね、ユキトさん」
「うん?」
「大好き!」
ガウ、とジルが鳴いた。