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TOKYO INVERSE -東京反転世界-(EP3)  作者: 高山 理図
1章 巨人の肩にのって
7/20

6話 折り畳み傘式神杖

 藤堂とファルマ少年は墨西病院小児科の個室に戻ってきた。

 ドアを閉めると二人きりになり、込み入った話もできる。


「水をかぶった子は大丈夫だったでしょうか」

「ええ、さっきお母さんと服の着替えをしていましたよ。フォローしておきました。あれ、真水なんですよね?」


 そうは言ったが、藤堂はすでに組成を確認している。起こりうる事象に対し、先手先手を打っていく。

 ついでに、形而立方体を用いて、ファルマ少年が引き起こした時空歪曲を均しておいた。空間のほころびがあると、そこからさらに悪霊を呼び込んでしまうのだろう。

 ファルマ少年が神術を使うたびに、毎回後始末が必要なのかもしれない。


「はい、悪霊に対しては聖水となりえますが、人体に対してはただの真水です。害はありません。あの子に謝ったほうがいいのでしょうか」


 ファルマ少年は彼女と廊下を水浸しにしてしまったことを気にしている。


「看護師さんと私がさっき拭いてきましたし、うやむやになってますから、知らないふりをしていていいと思います」

「この雨傘が、前に私のいた世界の神杖と同じように使えるとわかりました。ここについている晶石のおかげだと思います」

「詳しく伺っても?」

 

 藤堂は病院内では、子供に対しても敬語でやりとりをする。

 特にファルマ少年は自身を貴族だと思っていて、藤堂を平民だと思っているので、そのほうが彼の設定を守るためにも良いと判断する。

 ファルマ少年は神術のしくみや晶石について藤堂に説明する。

 晶石とは、神力を貯蔵するバッテリーのようなもので、神力を増幅させることができる。

 晶石には純度と等級があり、透明に近づくほど高品質だとされている。

 この青い晶石は中程度のランクの晶石だが、中に含まれている神力量はありえないほど膨大だということ。

 その説明の流暢な様子から、普段から神術を扱う学問を体系的なものとして叩き込まれているのだろうと察する。


 話を聞きながら、藤堂は不思議に思っていた。

 陽階神、もっと広くは旧神と呼ばれる遠未来人である藤堂は、現代人では持ちえない多くの技能を持っている。

 制限解除後はアトモスフィアの合成とともに以前と同じように使えるはずが、ファルマ少年にはまだ看破マインドブレイクという読心術をかけることができない。

 看破は脳活動電流と精神活動の複雑なクロストークを読み解くことで相手の思考を読む技術で、これを藤堂は今のファルマ少年と同じ、10歳のときに身につけた。

 藤堂を含む旧神は、ホモ・サピエンスの精神活動を丸裸にし、その行動の数手先を読むことで、圧倒的優位にたつことができた。のだが……ホモ・サピエンスである薬谷 完治に憑依しているファルマ少年の思考が読めない。

 まさに異世界人ともいえる特殊な脳の使い方をしているようで、これまでのデータが通用しない。脳の活動は読めるのに、地球人のそれとは反応が異なり、何を考えているのかわからない。

 だから、彼の言葉の端々に気を配り、根気よく会話から情報を拾ってゆくしかない。

 彼が普段、患者に対して行っている聴取と同じように。


「これを持たせてくれたのは誰で、なぜ杖ではなく傘なんでしょう」


 藤堂がそんなことを考えているとは知らないファルマ少年は、不思議そうに藤堂に尋ねる。


「ええと、これは単なる予想ですが、日本では杖を常時携行している人はあまりいないんです。歩行に問題がある場合や、視覚障害者などです。子供が手にしていてそう不自然ではない、手ごろな棒ということで傘なのではないでしょうか」

「私がこの世界に来るときに、わざわざ神術が使えるようにしてくれた人がいるということですか? 何のために」


 ファルマ少年が不自然な点に関して問い詰めてくるので、藤堂はうっと言葉に詰まる。

 藤堂が推測するに、現時空の管理者がファルマ少年が使いやすいよう、神力増幅装置を作り所持させているといったところだろう。


「いえ、えっと。すみません、勝手な予想です」


 あまりこちらの世界のことについては伝えないほうがいいと藤堂は判断する。

 藤堂の明かす情報が、ファルマ少年の世界観と異世界の守護神信仰に反してはいけない。

 自らが、かつて神と呼ばれ地球上の各宗教で信仰されていた存在の一端、陽階神に連なる者だとは、口が裂けても言うわけにはいかない。

 信仰というのは簡単には宗旨替えできないものだし、藤堂は人間社会をひっそりと生きてきて、信仰を欲していない。

 だから教えない。少しおせっかいな平民の医師、そんな設定でいい。


「この晶石に至っては、無限に近い神力が充填されているようです。皇帝陛下、いえ、世界最高の神術使いでも持ちえないものだと思います。こんな素晴らしいものを私が使ってよいものか」


 ただのビニール傘のようにしか見えないが、ファルマ少年にとっては有難いものなのだろう。


「でも、この世界ではあなたしか神術を使えないのなら、使っていいのではないでしょうか。あなたが信仰している薬神様が持たせてくださったものでは」

「……もし本当にそうなら、なんと感謝してよいか。確かにそうなのかもしれません、先ほどこの晶石を使うと、悪霊を消滅させることができました」


 さきほど知りえた情報だと、異世界Xで守護神化してしまったファルマ・ド・メディシスが異世界で執行している神力は、この空間の物理法則に沿わないものだ。

 東京異界では二つの世界が繋がっているのに、時空が連結したまま神力を行使されると、こちらの世界の論理破綻をまねく。

 時空管理者は、苦肉の策として神力に反する力をこの世界で使って打ち消し、二つの世界間のつり合いを取って論理的な整合性を図るようだ。


 異世界Xのファルマが神力を使えば、それと同じだけこちらの薬谷が反神力を使えばよく、逆もまた然り。

 神力を反転・相殺させるタイミングは、複雑な因果計算をもとに行われる。

 神力、東京異界でいうところの反神力は、異世界人たるファルマ少年にしか使えない。

 それだけの情報演算をなしえて時空間の安定化とバランスを調整する作業は大変だろうな、と藤堂は頭が痛くなるが、人智を凌駕する彼には可能なのだろう。

 この時空管理者は第四の創世者と呼ばれ、藤堂が斎藤医師に話した「恩人」その人であった。


「そうですよね。これは薬神様から頂戴したものかもしれません」


 ファルマ少年が薬神様とやらの恩恵に感動しているようなので、藤堂は日常生活における留意点を述べる。


「ああ、一つご注意を。そのタイプの傘、めちゃくちゃ盗難に遭います。管理に気をつけてください」

「そんなに治安が悪いのですか? 東京とは恐ろしい街なのですね」


 ビニール傘は傘置き場に置いておくと、すこぶる盗難に遭いやすい。

 盗られてしまう前に、忠告しておく。

 ファルマ少年のいたサン・フルーヴ帝国では皇帝の権限が強く、憲兵がいたるところで目を光らせているため、治安は悪くなかったという。


「凶悪犯罪はあまり起きない国なのですが、軽微な犯罪はありますのでね。目立つように名前を書くか、一部を壊しておくか、晶石だけでも別に持っていた方がいいかもしれませんね」

「ご忠告、参考にします。でも、薬神様からの贈り物は手放しません」


 ファルマ少年は傘を身に帯びようとしているが、院内着にはベルトのようなものがない。


「帝国貴族たるもの、杖はこうやって常に腰に佩くのですが、この世界では変ですか?」

「ま、まあ手に持っていたほうがいいでしょうね」


 ベルトを使って腰に傘をさしている小学生もいないわけではないだろうが、藤堂はやめたほうがいいと思う。

 身もふたもないが、大人に怒られる。


「ほかの傘や、傘でない棒状のものであれば、晶石のストラップをまけば杖になるのでしょうか」

「たしかに。ためしてみますか?」


 ストラップを傘の柄からとりはずす。

 藤堂は医局に戻ると、自分の長傘と折りたたみ傘を取って戻った。


「私の傘ですが、どうぞ」

「お借りします」


 ファルマ少年は藤堂の黒い長傘にストラップを巻き付けると、神力を通じた。

 何の変哲もない、駅前で買った藤堂の傘全体が晶石と同じ色に発光している。


「いけますね。さっきと変わらないです」

「いけるんですか。その晶石と、あとは杖状のものが必要ということですね。では折りたたみ傘はどうですか」


 ファルマ少年は折りたたみ傘を受け取って混乱しているので、藤堂は傘を伸ばして、傘地は中棒に巻いて手渡した。この傘は、少し値の張るものだが、折り畳み傘もまったく同じ状態になった。


「この折りたたみ傘、いいですね。神杖は持ち運びに便利な折りたたみ式もあるんですよ。神力の伝達にもまったく不自由しません」

「よかったらその折りたたみ傘を差し上げますよ。ギリ、ポケットにも入るでしょう」

「いいんですか? ありがとうございます! 藤堂先生はどうしてこんなによくしてくれるんですか?」


 ファルマ少年はぱっと顔を輝かせて嬉しそうだった。


「あーいや、まあ傘ぐらい気にしないでください」


 最初に意識が戻った時には、自信がなく萎縮しきったような顔をしていたファルマ少年にも、いい笑顔があったのだな、と藤堂は観察する。


「藤堂先生、神杖を握ったら、ちょっと思い出してきました。家族のこと」

「家族というのは、あなたの元の世界のブリュノさんやベアトリスさんたちのことですか?」

「この世界の家族のことです。薬谷 完治としての半生のこと、思い出してきました」

「おお、それはよかったです!」


 ファルマ少年は、薬谷 完治としての記憶を断片的に覚えているという。

 それは、脳に残った記憶の残渣なのか、晶石の働きなのか何なのかはわからないが。

 とにかく、薬谷 完治の記憶とアクセスでき、折り合いをつけられそうだというのだ。

 もし、記憶障害が改善されたということにできれば、彼を病院にとどめておく必要はなく、退院させ、帰宅させることができるな、と藤堂は考える。

 精神科を受診しても、少し様子をみましょうという話になりそうだ。

 このまま帰宅拒否をし続ける場合は児童相談所に行くことになるし、無実の薬谷 善治や母の智子にも虐待の嫌疑がかかる。


「いつまでもここにいると、藤堂先生にも迷惑かと思いました」

「いま入院中ですし、それは気にしなくても良いですよ」

「それに、善治さん、悲しそうでした。彼にとっては息子がいきなり変なことを言い始めたという感じなんですよね。にぃにだと言っていたちゆという女の子にも、悪いことをしました。心配していると思います」

「ま、まあ……ええ」


 息子に帰宅拒否までされてしまった家族の心痛は、察するに余りある。


「あんなふうに言わなければよかった」

 

 記憶を取り戻したファルマ少年は、この世界の家族に酷いことをいったと後悔しているようだ。


「精神科を受診した後、そちらの先生がもう退院していいと言えば、善治さんとお母さんの智子さんがお迎えにくると思います。ファルマさんの記憶はそのままなのかもしれませんが、薬谷さんの記憶も少しあるのなら、薬谷家に帰ってみますか?」

「はい……藤堂先生、本当にありがとうございました。神杖もありますし、薬谷さんの家でお世話になりながら、この世界でも生きて行けると思います。この傘、大事にしますね」


 ベッドに腰かけていたファルマ少年は傘を握りしめる。


「藤堂先生には悪霊は、見えないのですよね?」

「はい。霊感なんかはなくて、はは……どんなものか想像すらつきません」

「では、神術や悪霊のことは忘れて暮らした方がいいと思います。悪霊に当たると死んでしまいますが、それは運命でもありますから。この病院の近くに悪霊がいたら、滅ぼしておきますね。それが、せめてもの先生への御恩返しです。私のたわごとに付き合ってくださり、ありがとうございました。あなたの人生に幸多くあることを祈ります」

「ありがとうございます」


 しつけの行き届いた子だな、と藤堂は改めて感心する。

 ファルマ少年を守るつもりが、ひょっとすると悪霊なるものからは守られることになるのかもしれない。


「薬谷さんの家がこの病院から近いのかわかりませんが、時々病院には立ち寄りますね」

「お父さんがご自宅は墨田区と言ってましたよ。どこかで会えるかもしれませんね」


 藤堂はそんな言葉を交わして部屋から出ると、自分が依頼していた検査結果を閲覧するため小児科のナースステーションで電子カルテを確認する。



「は?」


 思わず藤堂の声が出た。

 素っ頓狂な声だったので、ナースステーションの知り合いの看護師が振り返る。


「どうしたんですか、内科の藤堂先生ですよね」

「あ、いや。なんでもないです」


 カルテには、患者の住所が書かれている。

 薬谷 完治は、藤堂の家の隣に住んでいた。

 しかし藤堂は覚えている。

 隣に住んでいたのは、藤堂も交流のあった老夫婦だった。

 昨日まではそうだった。


(事実が修飾された……)


 異界では、「事実の修飾」という現象がままある。

 知らなければ動揺しただろうが、藤堂は経験済みだ。

 昨日までの事実ですら、揺らぎの影響を受ける。

 時空間歪曲により異界に存在する人間全員の記憶や事実が書き換えられるため、常に空間解析を行い、空間変容を追っていくことは異界内では必須となる。

 病室に戻った藤堂は、ファルマ少年にそのままを伝える。


「あのー、さっき気付いたんですけど、薬谷さんの隣に住んでるみたいなんです、私」

「え? そんなことってあります?」


 ファルマ少年の反応ももっともだ。


「ですから、何かあったら隣の家のインターホンを押してもらっていいです」

「すごい偶然です! 嬉しいです、また藤堂先生に会えるかと思うと!」

「ですよねーすごい偶然ですねー。近所のよしみですので、改めて善治さんにご挨拶しましょうね」


 無邪気に喜ぶファルマ少年には悪いが、

 これはきっと、偶然ではない。

【謝辞】

・本項の医療描写部分は、医師・医学博士 村尾命先生にご監修いただきました。

誠にありがとうございました。

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