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TOKYO INVERSE -東京反転世界-(EP3)  作者: 高山 理図
2章 東京異界にて
20/20

2章8話 セッションと交差点

「ごめんねーお迎えが間に合わなくて。あの時私、すぐ近くにいたんだけど」


 横山と別れてすぐ、レイアがどこからともなく現れた。

 横山にはレイアの視覚郭清はバレているので、あまり幽霊のような怪しい行動はしないでもらいたいのだが、レイアが本気で落ち込んでいたのでそうも言えなかった。

 彼女は何かあれば出て行こうとわざわざ待機していたそうだ。現空間では近くにいたのに別空間では位置関係が異なるため、「Dimension ARK」の救難信号に呼ばれなかったという。


「で、でも。レイアさんに事前に対策をしておいてもらわなければ即死でした」


 ファルマ少年も彼女を責めるつもりは毛頭なく、いつも過保護にしてもらって申し訳なくなる。


「なんか嫌な予感がしたんだよ、対策しとくもんだね。そうだファルマ君、これから暇ならランドセル置いてうちにおいでよ。宿題も持ってきていいから」

「お昼があるので、食べてから来ますね」

「そうだね、お母さんに言ってからおいで」


 帰宅すると智子は仕事に出ていて、家族は不在だった。

 書き置きがあり、冷蔵庫に冷麺が用意されていたのでぱぱっと食べてしまう。

 食べてすぐ智子に行き先を書いて、藤堂家に上がらせてもらった。

 藤堂兄妹はこれから昼食というところだった。

 二人共、本業の仕事は分身にさせているのだそうだ。

 ファルマ少年の顔を見た藤堂が心配そうに声をかける。


「ファルマさん、先程は大変でしたね。至らずに申し訳ないです」

「謝らないでください、レイアさんと荻号さんのおかげで助かりましたので」

「ファルマくんご飯食べてきたんだっけ、まだお腹あいてたらつまむ?」


 レイアが軽食に誘ってくれる。カッティングボードの上に、カットされた自家製パンやアーモンド、オリーブ、ハムやサラミ、有名店のテリーヌや数々のチーズ、チョコ、野菜、フルーツなどが盛り付けられている。


「今日はホームパーティーなんですか?」

「カルテスエッセンだよ。色々切っただけともいうけど」


 レイアが、これはどこの店で買った何だと一つ一つ説明しながらファルマ少年におすすめする。

 薬谷家の食卓はあまりおしゃれなものは出てこないが、こういったタイプの食事は元の世界の実家の食卓を思い出す。

 ファルマ少年は本場のチーズをいただきながら、横山の記憶について探りを入れる。


「横山さんの記憶、あのままでいいですか? 悪霊に殺されかけたなんて怖い思いをしたに決まっています」


 ファルマ少年は藤堂兄妹に問いかける。

 あの記憶を横山に抱えきれるものなのだろうか。

 巨大な悪霊に遭遇したのは初めてだっただろうから、夜中に魘されたりしないだろうか。

 そう思うとファルマ少年は居たたまれない。藤堂兄妹は顔を見合わせた。


「横山唯桜さんの過去を調べたのですが、幼少期から心霊現象に悩まされています。同じ境遇のあなたに出会えたことを心強く思っているようです」


 そんな過去のことまで分かるなんて、藤堂かレイアが横山に読心術のようなものを使ったのだろう、とファルマ少年は理解する。


「横山さんからもそう聞きました」

「たとえ先日の記憶を消してしまっても、悪霊に遭遇するたび彼女は一人で悩みを抱えます。彼女に関しては、記憶は温存したほうがよさそうです」

「そうなんですね……」


 彼女のためだと説明されればファルマ少年も納得するほかにない。

 ファルマ少年は子供の口が固かった事例を知らないので一抹の不安を覚えはしたが、我が身に置き換えると心細くなる横山の気持ちもよくわかった。


「それに、彼女の記憶を残すことで有利になることもあります」


 藤堂はサラミを切りながら冷静に述べる。


「私達には悪霊が見えませんが、横山さんの見た悪霊を読心術で読めるので彼女を通して間接的に悪霊を看ることができます。彼女を中継として悪霊の実態がつかめれば、私達も対策を立てやすくなります」

「……」


 ファルマ少年は藤堂がそんなしたたかで打算的な思考をすることに驚いた。

 藤堂は悪霊の見える哀れな少女を利用するのに全く躊躇いがない。

 藤堂のことだから、そもそも彼女が悪霊を見えないようにだってできたかもしれないのに。

 彼らはファルマ少年にとって善意の庇護者でもあるのだろうが、利用価値も見出して保護しているということだ。それはそうだよな、とファルマ少年も納得する。


「いやーそれだけのために唯桜ちゃんに怖い思いをさせるのもなんかなー……」


 レイアは兄の意見に反対をしているが。


「横山さんの視界を借りることができれば、私の目が届きますから彼女もかえって安全です」

「わかりました。私のほうもいつ亜空間に連れ込まれてもいいように普段の装備を整えておきます。これ以上に予想外のことが起こらなければ、対応できると思います」


 さしあたりファルマ少年にできることはやっておくつもりだ。

 色々ありすぎたファルマ少年は肝が据わりつつある。気にしすぎていても仕方がない。死ぬときは死ぬ。


「荻号正鵠さんにもお礼を言いたいのですが、チャンネルのDMとかに送りましょうか」


 彼は動画チャンネルを持っているので、連絡先を知らなくても間接的に連絡をとることができる。また助けてもらう機会があるかもしれないので、心象を損ねたくもない。


「今、彼は都内の河川敷でフィドルを練習していますよ。そのうち会えるでしょう」

「そういえば荻号さんは東京に入れないと言っていましたが」

「さきほど入れるようにしておきました。彼の管理は私の手には余るのですが……ばれてしまっては仕方がありません」


 藤堂兄妹と荻号は同郷の出身らしく、互いによく知っているようだ。

 荻号は一万二千年以上生きているそうで、年の功もあって藤堂たちの仲間の中でも特に時間や空間を扱うのが得意とのこと。


「一万二千年以上ですか?」


 信じられない。ファルマ少年には彼は二十代に見えた。


「でも一万年は寝てたから正味二千年かな」


 レイアは微妙な修正をする。人間は二千年だろうと一万年だろうと生きられないんだけどなあ、と思いつつもファルマ少年は疑問を飲み込む。

 レイアも藤堂も実年齢二十代だというのに、彼だけ年齢がおかしい。

 その、本当に人間かどうかも怪しい荻号正鵠はファルマ少年を助けた見返りにと、藤堂に東京異界への滞在を要求してきたという。

 彼は彼で、フィドル奏者として都内で活動しているため、都内に入れないと困るそうだ。藤堂はファルマ少年の安全のために、彼の要求を飲むことにしたとのこと。

 当初新入社員研修を終えて名古屋に戻るはずだったレイアは、会社都合でしばらく東京赴任が決定し、引き続きこの家に滞在する模様だ。

 つまり藤堂、レイア、荻号の三人がファルマ少年の都内での命綱となる。


「ちなみに河川敷って楽器の練習をしていいんでしたっけ」


 ファルマ少年は些細なことが気になる。

 たしか禁止している都の条例があったはずだ。

 彼は律儀に都内の条例を全て頭に入れていた。


「だめなんですけどね。彼は生身で空間を扱いますので、不可視化・防音領域を立ち上げていますから通報はされないはずです。ファルマさんや横山さんのような人以外は誰も気づきません」

「そんな難しいことしなくても普通に防音室かスタジオ借りればいいって思ったでしょ」


 ファルマ少年が抱いた感想をそのままレイアが述べるので、ファルマ少年は素直に頷く。


「クセ強いけどそのうち慣れるよ」

「少し個性的ですが、悪い人ではないですよ」

「大人形態のときはまだいいよ。荻号さんの子供形態を見たら宇宙終了だから」

「形態が変わって宇宙を滅ぼすとか、邪神かなにかなんですか……」

「どっちかってと存在自体が闇深?」


 二人の話を聞いて、ファルマ少年は荻号正鵠のだいたいの人となりがわかった。

 彼は万能の天才だが、彼が能力を解放するとたちまち空間を不安定化してしまうそうだ。

 話を聞いているともはや人間ではなく邪神か大悪霊かなにかのようにしか思えない。手に余るので東京に入れたくなかったという藤堂の言い分もわかる。

 しかしそれほどの人物なら、情報収集をしてみたいとも思うファルマ少年である。


「練習場所がないなら藤堂先生に作っていただいた離島の寝室を練習室として使っていただいてはどうでしょう。私もプロの演奏を聴けたら光栄ですし」

「んーじゃあ場所代ってことでヴァイオリン教えてもらったら。あの人フィドルだけじゃなくてクラシックもジャズもできるから」

「はあ……」


 レッスンは特に希望してないファルマ少年であるが、どうもレイアはファルマ少年に音楽をやらせようとしてくる。気分転換をさせたいのだろうか。


 話がまとまったので、ファルマ少年はレイアとともに自宅に移動して寝室スペースで待っていると、藤堂はわずか十分後、直接荻号を連れてきた。

 二人共汎用転移を使えるので、ファルマ少年からみれば急に出現したように感じる。大人の形態だよな、と真っ先に確認するファルマ少年である。

 荻号は先程の真っ黒ないでたちとは違う、ややカジュアルなアースカラーの装いをしている。先程は裸足だったし、緊急の救援要請で部屋着だったそうだ。


「よう、異世界少年。さっきぶり」

「先程は本当にありがとうございました」

「練習場所を借してくれるって聞いてきたんだが、本当にいいのか?」

「昼間は不在にしているので、ご自由に」


 ファルマ少年はあらためてお礼を言い、持ってきた楽器類の置き場を指定する。

 彼はスーツケースの中からフィドルとギター、アイリッシュ・フルート、アイリッシュハープ、ベースギター、チェロ、コントラバス、バウロンを取り出し、スタンドに立てた。スーツケース一つに収納できる容積ではない気がするが、それだけの楽器を収容していた。レイアが彼を空間使いだと言っていたが、それは一目瞭然だ。


「楽器多くないですか。フィドル奏者なのかと」

「セッションもやるからな。先客の楽器を見て持ち変えるんだ」

「フィドル奏者の先客がいたら他の楽器で参加するってことですか」

「そうだ」

「聞いてよー荻号さん。なんとファルマくん! ヴァイオリンとヴィオラとチェンバロが弾けるんだよ!」


 レイアがファルマ少年の肩を持ってどや、と荻号に自慢する。

 まるでファルマ少年のプロデューサーのような立ち回りだ。何で売り込もうとするかな、とファルマ少年は頭が痛い。


「藤堂先生にヴァイオリンを貸していただいて、少し練習しています」

「なんだお前、異世界人じゃなかったのか?」


 荻号は苦笑している。異世界人が何故ヴァイオリンを弾けるのか、ファルマ少年にも理由はよくわからない。ファルマ少年が出した楽器を見て、結構いいやつだぞ、と品評した。


「元の世界にも同じ楽器がありまして」

「それはまた妙だ。まあそれをいうと異世界人が存在すること自体妙か」

「ファルマくん、バロック音楽っぽい曲弾くんだよ、凄く上手いの! ね!」

「レイアさん本職の前でやめてください……やりづらいです」


 レイアに促されてしまったので、仕方なくヴァイオリンを一曲披露する。

 それなりに練習しておいてよかったと思った。

 以前より正確なピッチで、間違いなく弾けた。どんな反応をされるだろう、及第点はもらえるだろうかと気にしていると、彼は別方向からの指摘をしてくる。


「巧拙はどうでもいい、それより気になることがある」

「何でしょう」

「弾いてて楽しいか?」


 弾いていて楽しいと思ったことなどないが、それを悟らせないだけの奏法は身につけているつもりだった。

 しかし荻号には音をなぞっているだけのように聞こえるらしい。


「すげー難しそうに弾いてんな。曲なんて自由に作ればいいんだよ。何も難しくない。聴かせるために弾くな、楽しむために弾け」

「じゃあ皆で即興セッションいく? ファルマくんがソロで」


 レイアがバウロンを持って誘う。


「レイアさんも楽器できるんですか? できるなら楽器店で言ってくださいよ……」

「私は地元で荻号さんに習ったからねー。学生時代暇だったし」

「人数揃ったからやってみるか。お前はベースかバスで適当にやってくれ」


 荻号は藤堂にベースとコントラバスを掲げて選ばせている。

 藤堂もコントラバスを受け取っているあたり、どちらでも弾けるのだろう。


「何か調やテンポの決まりはありますか」

「何もない。お前がリードだ」


 レイアは楽しそうに動画を撮りはじめる。あとに引けなくなってきた。

 ファルマ少年がワンフレーズをソロで展開させて即興のヴァイオリンを弾くので、荻号はギターで即興のバッキングをつける。

 レイアのバウロンでのパーカッションの腕も、謙遜のわりには一流だった。

 藤堂はまったくそつなく手元も見ずにコントラバスを弾き、ウッドベースとして臨機応変にコードを合わせてきている。

 彼らの完璧な伴奏もあって、ファルマ少年は初めてにもかかわらずまったくの白紙から一つの曲としてフレーズを組み上げてゆくことができた。

 どんなコード進行も自由で、音を引っ掛けたとしても気にしない。

 間違えないという意識から解放されたなら、たしかに音楽は楽しい。

 譜を読むだけの型にはまった音楽しか知らなかったファルマ少年にとって、このセッションは目の覚めるような経験だった。


「すごく気持ちよく弾かせてもらいました」

「いい顔になった。楽しく弾け」


 ファルマ少年は肩の力を抜いて、初めて無心になって音楽を楽しむことができた気がした。


「いつ何があるからわからないから、今日だけは楽しく生きるんだよ」


 それが荻号の座右の銘のようだった。


「災厄や死ってのは、急に来るものだからな」


 それから荻号が日中、ファルマ少年が使用していない寝室で練習し、夜はサブスクで契約しているホテルに帰るというルーチンができた。

 彼とともにいる間は、何故か亜空間に引きずり込まれるということがなくなった。


「何故なんでしょう。この部屋から出ても平気なんです」

「まあ色々防御はしてるからな」


 彼はフィドルの弦を張り替えながら答える。外側の弦から一本ずつ交換してゆく。


「何をやってるんですか?」

「これは弦の交換。2Bの鉛筆持ってるか?」

「あ、いえ弦の交換はわかります。どんな防御をしておられるのかと思って」


 ファルマ少年は筆箱からとってきた2Bの鉛筆を手渡す。

 2Bの鉛筆で弦の触れるペグなどの部分をなぞると、弦が切れにくくなるという。

 彼はチューニングすらも透き通るような美しい音を出す。

 なんというか、空間に満遍なくよく響く。彼の周囲だけ、音響のよいホールにいるかのようだ。

 自分の音の出し方と何が違うのかと思ってよく見るが、かなり軽く弓を握っていることが分かった。肩の力がほどよく抜けている。

 真似してみよう、とひとつ学びを得た。


「藤堂の情報を利用してお前が敵から見つからないように隠してる。創世者相手に限界はあるが、見えにくくはなってるだろう」

「そんなことしてくださっていたんですか」

「見えないか」


 彼は取り除いたばかりの弦を親指と人差指、薬指と小指の間ではさみ、借りた鉛筆を矢のようにつがえて引き絞る。

 鉛筆を放つと矢のように鋭く飛んで、何度も見えない壁に衝突し、最後は三本に分裂して空中に刺さった。空間が歪んでいるのだ。


「ちな真ん中が本物」


 ファルマ少年は言われて無傷の鉛筆を取り上げる。

 彼が鉛筆を手にすると、他の二本は消えた。


「藤堂も最大限手を尽くしてはいるが、二人で見張ったほうが防御も手厚くなる。力が戻ったから場所代ぐらいは払うさ」


 場所代のかわりに、安全を担保してくれているのだろう。

 休みの日の昼間には練習ついでに楽器も教えてくれるそうだ。

 なんだか、警戒していた割に普通に無害な人物で安心した。


「私にもそういうことができればいいんですが……アトモスフィアというものがないのでできないんでしたよね」

「やりようは色々あるけどな。藤堂がやらせてないだけだ」

「え、どういう意味ですか?」


 藤堂がなにか隠しているのだろうか。

 とファルマ少年は前のめりになる。


「方法がないから諦めるなんてのは無能の証明だ」

「でも……だめなものはだめなのでは」

「なければ自分で作るのは基本だ。手っ取り早いのは末梢血幹細胞移植を使って造血幹細胞でアトモスフィアを生成する方法だな。キャリアの血を輸血すれば今日明日にでも使えるようになる」

「そんな簡単に……?」


 できるのに、教えてもらえなかった。

 もしくは思いつかなかったのだろうか、などとファルマ少年は色々考えを巡らせる。


「とはいえ人体に投与すれば拒絶反応もあるだろうからな。最悪死ぬし」

「藤堂先生は副反応を懸念しているということですね」

「あいつは自分を蔑ろにするが、他人へのリスクを殆ど許容しないからな」


 話を聞けば聞くほど、藤堂とレイアがいかにファルマ少年の心身の安全に配慮し心をくだいているかということが分かり、彼らの善意が身にしみた。

 最初に出会ったのが彼らだったから命拾いしているのかもしれない、と感謝するに至った。


 ◆


 ファルマ少年と横山はあの一件のあとすっかり仲良くなり、休日、二人で元気にジョギングにも励んでいた。

 学校が始まってからというもの、ファルマ少年は横山に誘われて休日は一緒に体力づくりに励んでいる。彼はサッカー部へ入部したので、土日のどちらかは練習がある。早速クラスでは噂になったりもしたが、二人共気にしなかった。


「横山さん、短距離も長距離も速いよね」

「薬谷さんだってぴったりついて来てるよね。息もあがってないし」

「これでもきついよ」

「にしては全然顔に出ないねー」


 ファルマ少年は短距離特化で、あまり長距離走が得意ではないと自認している。

 元の世界では少し距離があれば馬に乗っていたからだ。

 しかし、横山とサッカーの練習のおかげで長距離走むけの体力がついてきた。

 横山には感謝するほかない。


「薬谷さん。私にも悪霊との戦い方教えてよ」


 あの一件以来、学校でも帰宅してからも横山につきまとわれてこの調子である。

 横山の記憶を消されることを前提として、横山の前で神術を披露しすぎてしまったのが仇となった。


(平民に神術なんて教えられるわけないんだよな……)


 横山に張り付かれながら、ファルマ少年はほとほと困ってしまう。

 このままだと弟子入りを申し込まれてしまいそうな勢いだ。


「命にかかわることだから、教えて」

「逃げ方しか教えられないよ。見えていない振りをするのが賢明だ」


 悪霊に気付かれないうちに、余力があるなら神社の境内や教会の敷地内に逃げこむといいと教える。新興宗教や怪しい宗教の敷地ではご利益がなさそうだとも教える。


「今までもそうしてたよ。それでよかったの?」

「それでいいよ」


 彼女の命が今もあるのはその行動のおかげだ。

 しかし横山は不服そうだった。


「薬谷さんみたいに戦いたいんだけど。あと、空飛んでたしあれも教えてほしい」

「それには特別な素養が必要なんだ。悪いけど、普通の人では……」


 地球人に異世界人の神脈がないし、とは言えなかった。

 どうやら教えてもらえそうにないと分かった唯桜の目に薄く涙がにじむ。


「素養って何? 血筋的なやつ?」

「そんなところ」

「じゃあ何、素養がなければ逃げ惑うしかないってこと……?」


 悪霊が見えるのは横山にとって大きなアドバンテージだ。

 少なくとも鉢合わせにならない限り、先手を打って逃げることができるのだから。

 しかし、横山は不満そうだった。ファルマ少年は先日の荻号とのやり取りを思い出す。方法がないと諦めるのは無能の証明、とまで言われてファルマ少年も発奮しなかったわけではない。神脈がなくても、平民でも神力を使える抜け道がどこかにあるのだろうか。

 ともあれ、この場は切り抜けなければならないが。


「二人で組んで、それぞれの得意分野を生かすってのはどう? 横山さんが情報収集、俺が掃討を担当するとか」

「うーん。思ってたんと違うけど……まあいいか」


 横山が納得してくれたので、ファルマ少年はほっとする。適当に一度か二度、共に行動すれば満足してくれるのではないか、そんな目論見もあった。

 例え力を得たところで、並大抵の覚悟では悪霊と対峙し続けることなどできないのだから。


「横山さんが今まで悪霊を見た場所を教えてよ。一度出た場所は出やすいから」

「任せて。ここ最近あれに出くわす機会がすごく増えたんだよね」


 二人はジョギングを終えて公園のベンチで休憩をとり、お茶を飲みながら会話を続ける。横山はアプリのマップに印を付けて、ファルマ少年に見せてくれる。


「Airdropでもいいけど……連絡先交換しない?」

「そ、そうだね」


 それほどの頻度で連絡が来るかわからないので、ファルマ少年的にはあまり積極的に連絡先を交換したくもなかったが、助けを求めてくる場合には無碍にできない。


「ちなみにそれって、ここ一ヶ月ぐらいの話?」

「そう。ここ最近特に。やっぱり薬谷さんもそう感じた?」


 もし横山にも認識できる悪霊が増えたのだとしたら、ファルマ少年のせいだということになる。

 横山が送ってきたポイントはファルマ少年の神術陣が手薄になっていた場所で、彼女の情報には信憑性がある。悪霊を見る目が増えるのはありがたいことだ。

 ファルマ少年が除霊をしたポイントも念のため教えて、近づかないようにと忠告しておいた。


「除霊すべきポイントが三箇所ほどあるね」

「行くの?」

「行くよ。時間がたつと周囲の霊を呼び寄せるから放っておけない。どんなタイプの霊を見たか、大きさと形状、詳しく教えて」


 ファルマ少年を心配そうに凝視する横山と目があった。

 彼女はファルマ少年を一人で送り出すことに躊躇している。


「横山さんはついて来なくていいよ。昼間のうちにやっちゃうから」

「でも、一人でなんて危険だよ。私もついていく」


 横山は悪霊の発生場所を教えてしまった罪悪感もあるのか、現場についてこようとする。


「横山さんは霊を見た場所を教えてくれるだけでいいよ。俺も把握できてなかった場所だからすごく助かる」

「薬谷さん、特別な力を持っているといっても、まだ小学生なのにどうしてあんな怖いものに立ち向かえるの? 自分で向かっていこうとするなんて。まだ一回も負けたり怪我したり、痛い目を見たことがないの?」


 横山から投げかけられた言葉に、ファルマ少年はたじろぐ。

 そんなこと、尋ねられたこともなかった。

 サン・フルーヴ帝国では貴族が悪霊に立ち向かうのは当然だったから。

 小学生なのに、という発想は帝国出身の貴族の頭の中から抜け落ちている。

 年齢も性別も関係なく、元の世界に残してきた四歳の妹のブランシュでさえ全うすべき責務だ。平民を庇って死ねと教えられている。

 ひとたび悪霊を目にしたら、平民を置いて逃げることは許されない。

 立ち向かうだけで勇気を讃えられるなんて思ってもみなかった。


「買いかぶりすぎだよ……負けたことも怪我をしたこともあるよ。でも、やらなきゃいけないからやるんだ」


 あまり甘やかされると、精神的に弱くなってしまうような気がする。

 悪霊を退けられるほどに強くなければ、貴族には生きる価値がない。

 そう思っていた。

 それともこれまで教わってきた価値観は、間違っていたのだろうか……ファルマ少年は横山の反応に、色々と考えさせられる。


「悪霊に当たると人が死ぬんだよ……そんなところ、横山さんは見たことある?」

「ないよ。悪霊を見たらすぐ逃げるから」


 横山は、他の人のことを気にしている余裕はない。


「俺は見たことがあるんだ。それも一人や二人じゃなくて。悪霊が見えることより、人が悪霊に当たって死ぬほうがもっと怖い。誰もあんなふうになってほしくない」

「薬谷さんも当たったら死んじゃうんじゃないの?」

「だから、当たらないようにするよ」

「そんなの、できるわけ……」

「あれ、ここ……」


 ファルマ少年は横山の追及から逃れるように、マップを指さして険しい顔つきになった。

 ちゆの幼稚園の前の交差点に、マークがついている。

 横山に教えてもらったことで、ちゆは命拾いをするかもしれない。

 智子がちゆの幼稚園の送迎をしているので、ファルマ少年は現場を訪れたことがなく、気付かなかった。


「ここを今日中にやってしまおうかな」

「ここが一番危なそうなの?」

「妹の幼稚園だから、先にしたいんだ。横山さんはもう帰っていいよ。情報収集係の仕事はここまでってことで」 

「ついていく。遠くから見てるから」

「うーん……」


 ファルマ少年はどんな口実で断ったものか思案する。


「そういえば誰か応援呼ばなくていいの? 荻号さんとレイアさんだっけ」

「あの人達は凄く頼りになるんだけど、霊も見えないし悪霊を祓えないんだ。自分で対応できることなら、煩わせたくない」

「へえー……! そうなんだ! 霊が見えるの私と薬谷さんだけなんだー。ふーん……」


 横山は少し得意げな顔になった。

 その反応がいかにも無防備で、ファルマ少年はこの先が思いやられる。

 横山の悪霊が見える目と彼女が捉えた映像を、東京の管理者である藤堂に利用されているとは口が避けても言えない。


「じゃあなおさらついていく」


 ファルマ少年は横山をまくことも帰宅させることも失敗して、二人でそのまま足を伸ばして墨田区内の某幼稚園前にたどり着く。

 逃走防止のためか、ファルマ少年は横山にしっかりと手を繋がれている。


「ここだよね」


 二人で交差点をざっと一周して見ても、悪霊らしきものは見えなかった。

 交差点のそばのコンビニに入り飲み物を買い、店舗のイートインコーナーに座りながらしばらく待ってみる。


「悪霊、見えないね」

「もっと近づいて調べてみるしかないな。横山さんはここにいてくれる?」

「え、置いて行かないで」


 二人はファルマ少年は見通しがよく通行の邪魔にならない場所を見繕って地面に傘を立て、地に円柱状の神術陣を張った。

 アスファルト地から青白い光と幾何学紋様が溢れ出す。


「すごい! 何これ結界的な?」

「そんな感じ。横山さんはこの中から出ないって約束して」

「わかった」

「絶対だからね。ここから出たら本当に命は保証できないよ」

「あ、そうだ。なにか飛んで来たりしたら? 逃げるべき? 逃げないと死ぬよね」


 なかなかいい勘をしていると思う。

 横山の危機回避能力は高そうだ。


「確かに。横山さんは警戒心が強くていいね。長生きするよ」


 ファルマ少年は神術陣が重なるように複数描いて避難場所を増やしておく。


「これで10秒ぐらい寿命が伸びそうな気がする!」


 横山の話によると、影は人影ほどの大きさで交差点の陸橋の上にいたそうだ。

 ファルマ少年は時計を気にする。

 夜になれば出るかもしれないが、仮に今日悪霊が出なくても夜まで待つつもりはない。

 帰りが遅くなれば家族も心配するだろうし、ジョギングが終わったら帰ることになっている。その場合は日を改めるしかなく、あくまでも昼間のうちに片付けたい。


「交差点を見下ろせる場所に行ってみる。離して」


 横山が手を離してくれないので、ファルマ少年は逆に強く握り返した。


「大丈夫だから、行かせて」

「気をつけてよ」

「うん」


 ファルマ少年は陸橋の中央に立ち、交差点を俯瞰して臨み視界を確保する。

 いつでも神術を発動できる状態で道路を見下ろし、五感を研ぎ澄ませ、周囲を窺っていた。

 手には神杖傘を、晶石を縫い込んだハーネスも装備してきている。

 一人、また一人と陸橋を渡る通行人を見送る。

 年配の女性から「大丈夫? 下をボーッと見てたら危ないよ? おばさんと降りよう? 学校で嫌なことがあった?」などと親切にも声をかけられもした。

 陸橋の上で思い詰めた様子があまりにも不自然なので、自殺志願者に見えるのだろうか。

 横山は約束通り神術陣の中にいて、視線を向けるたびに手を振ってくる。

 あまりに手を振りまくっているので、勘違いして時折タクシーが彼女の前に止まったりした。

 20分ほど経過すると、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。

 ファルマ少年は手持ちの神杖傘をさす。

 傘を持たない横山がすぐにずぶ濡れになってくしゃみをしているので、申し訳ないとは思うが、傘を手放せない。我慢をしてもらうしかない。


「今日は諦めるかな……」


 ファルマ少年がそう思いかけた頃だった。

 雨を厭うように足早に通り過ぎる親子連れとすれ違ったファルマ少年に、第六感が働いた。

 そして彼は見逃さなかった。

 陸橋の下へ落とそうとする黒い手が、五歳ほどの子供の腕にくまなく絡みついているのを。死者に手を引かれるというやつだ。


(出た!)


 この距離で神術を使うと親子に神術が当たる。

 大きな声を出せば陸橋の上でバランスを崩したり、子供がパニックになって階段を駆け下りるかもしれない。

 ファルマ少年は傘を傾げて死角を作り、「氷の矢」の鏃を無詠唱で掌の中に出現させる。

 間髪入れず必中を念じ、黒い手に向かって指先で弾く。

 間欠的に二射、三射を放つ。

 矢じりは黒い手の手首のあたりに線上に命中し、そのまま霧のように蒸発した。

 親子連れはファルマ少年と悪霊との間の静かな攻防に気付かず、階段を滑り落ちることもなく、無事に陸橋を渡り終えた。


(……本体はどこにいる?)


 ファルマ少年を直接攻撃してくるでもなく、姿を見せるでもなく、こういったタイプの悪霊はたちが悪い。

 しかも、霊も一体ではない場合が多かった。

 時間が経過するとともにますます雨足が強まり、視界が悪くなってきた。

 雨で道路渋滞が発生し、車の交通量も増えてくる。

 ファルマ少年は鏃を数個握り込みながら、陸橋を往来する人々に目を凝らしていた。

 ひとたび交戦状態に入ったら、今日、このまま仕留めずに帰るわけにいかない。


 ◆


 横山はファルマ少年の佇む陸橋と交差点を、ハラハラしながら交互に見つめていた。彼の戦いをただ安全な場所から見守ることしかできない。


(薬谷さん……まだ仕留めてない! 私が見たのはもっと大きかった。きっとどこかに隠れてる。どこ……?)


 信号機。横断歩道。保育園。雑居ビル。


(探さなきゃ……!)


 見えた。陸橋の裏に黒い人影がぶら下がっている。

 横山の背に悪寒が走る。

 知らせなくてはならないのに、咳で噎せて声が出ない。


「横山さん。よく、見ていてくれました」


 横山が背後を振り向くと、半透明の青年が宙に浮いていた。

 空間をカーテンのように束ねて風景をいとも簡単に折り曲げて、彼は光に満ちていた。

 横山は彼の神秘的な雰囲気に圧倒されかける。

 清浄な幻のように見えた。

 横山のずぶ濡れの頭に、ふわりとタオルをかけられる。


「寒いでしょう。使ってください」

(誰……?)


 雨よけにかけてくれたのだろう。

 横山は会釈をするが、一言も話せない。

 青年は横山の傍を通り過ぎて交差点に躊躇なく進入し、空を仰いだ。


【神具管理機構へ申請。A3 虚無の百科事典を帯出します】


 反転世界東京の管理者、藤堂 恒は空に宣告する。

 彼が東京にある限り、時空を超えて存在し続ける神具管理機構は彼を追跡している。

 オーダーに遵って、目的の神具の貸与が行われる。

 空を切り取るように天空に巨大な書影が現れる。

 彼は見えない書籍に手をかざし、コマンドを与え始めた。


【確率変動を実行】

【周囲300メートル立法に通行を禁じます】

【維持時間150秒】


 藤堂は確率歪曲神具Blank Encyclopediaを用い、交差点内に人が通る確率を0にする。

 偶然に偶然を重ねて、通行人は全員店舗や地下道へ入り、渋滞中の車は発進せず、あるいは引き返したり迂回をし、交差点を映しているカメラは停止する。

 交差点内を無人にすることで、人的被害が発生しないようにする。

 雨雲も指定範囲を避けて、横山に降り注いでいた雨はたちまちのうちに止んだ。

 飛行機やドローンも空域を避けるだろう。


「藤堂先生!」


 ファルマ少年は藤堂の出現に気づく。

 藤堂は悪霊の位置を陸橋の真下だと指で示し、ファルマ少年は心得て頷く。

 お互いの意図を汲み取り、ファルマ少年は陸橋から飛び降りる。

 横山が息を飲んだ。

 彼は空中で体をひねり、足を引っ掛けて悪霊に向けて氷の瀑布を広げるような一撃を放った。


“Flux de noyau de glace(氷核流)!”


 氷の布は大きな曲線を描いて悪霊を包み込み、圧潰してしまった。

 藤堂は横山を振り返る。


「横山 唯桜さん。見えますか。あなたの目が頼りです」

「見えません。終わったと思います」

「ありがとうございます」

「い、いえ……」


 藤堂は横山に会釈をすると、再びコマンドを与えた。


【通行止を解除します】


 藤堂は確率変動を解き、Blank Encyclopediaを神具管理機構へ返却した。

 藤堂はメモリスティックのようなものを路面にかざし、残存記憶を回収した。


「12年前、陸橋の階段から落ちて亡くなった5歳の女の子がいました。記憶は彼女のものだったようです」


 データを解析し、残存記憶に触れた藤堂が辛そうに述べる。

 記憶を回収したので、もうここに霊が現れることはないだろうとファルマ少年は分析する。


「誰にも気付かれず、無念だったのかもしれませんね」


 ファルマ少年もまた、交差点に向かって手を合わせた。

 横山もタオルをかぶったままそれにならった。


「横山さんのおかげで助かったよ」

「二人はよいパートナーでしたね」

「え、そう? 別にそれほどでも……」


 ファルマ少年と藤堂に感謝され、彼女も役にたったという自覚が生じたようだ。

 彼女はまんざらでもなさそうに微笑んだ。


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