2章6話 外界における反聖域
「いいんですか、こんなとこに堂々と来ちゃって……」
「堂々とは来てないよ。こそこそと来てるの。ほら、私達見えてないし」
ファルマ少年の問いに答えながら、周囲をきょろきょろとするレイアである。
レイアが夜景を見せてあげるといってファルマ少年を連れてきたのは、ゲイン塔と呼ばれる東京スカイツリーの頂上部だ。
当然一般人立入禁止エリアなので、作業員などに見つかるとまずいことになる。
彼女は今、視覚郭清領域(ODF)という熱光学迷彩を使っているらしいが、ファルマ少年にはそれを実感することができない。
何しろファルマ少年の目からはレイアの顔も見えるし、ファルマ少年の自身の手も見えている。
ファルマ少年は少し疑わしく思ってしまう。
「私にはレイアさんの姿が見えてますけど、本当に見えてないんですか」
「見えないの! ほんとだって!」
ファルマ少年はこの世界に来て数日以内に読んだ裸の王様という逸話を思い出すのだった。
百歩譲って見えなかったとしても、微物が残されていれば普通にバレそうだけどな、とファルマ少年は予想する。
「ま、見つかったら逃げよう!」
時刻は午後9時30分、ファルマ少年は自宅で就寝ということになっている。
ファルマ少年の自室の鍵をかけると別世界になるので、レイアが別世界経由で汎用転移術を使って彼を夜空に連れ出した。
彼は絶景を見ながら、レイアの用意してきたペットボトルのホットのお茶とチョコレートをいただく。
真夏といえど、地上634メートルはそれなりに風も強く、肌寒さを感じる。
「東京の夜景はどう?」
「人工の明かりを建物の隅々にまで巡らせた人々の労力が忍ばれます。こんなに明るいのに、数十年前と比べて、企業も個人も節電もしているんですよね。行政の尽力もあると思います」
ファルマ少年が最初にこの世界にやってきた日、窓の外に見えるサン・フルーヴとの文明の差に驚いたものだ。
東京都における解像度が少しずつ上がってきても、いつも何かの新しい発見がある。
知れば知るほど興味深い街だと彼は感心する。
「なんだろ、社会科見学の感想みたいだね」
「私のもといた場所は闇に満ち悪霊に脅かされていましたが、この街は悪霊を寄せ付けない人の力強さを感じます。私の元いた世界も、こうだったらよかったのですが」
ファルマ少年はペットボトルのふちを噛みながらつぶやく。
「あらーホームシックになってきた頃?」
「いえ、それが今のところは。こちらの家族に温かく接してもらっているからだと思います。だからこそ分かります。元の世界の両親にとって私は、彼らの分身でしかありませんでした。それがここにきてよく分かったんです。仮に私が戻らなかったとしても優秀な兄がいますし、すぐ諦めもつくでしょう」
もし神力を持って生まれなければ、捨てられていた身の上だ。
あの世界で彼らの子供でいられたのは、神術使いとしての要件を満たしていたから。ただそれだけだ。そう思うと、ふいに虚しくなった。
それでも、それが可能か、倫理的に許されるかは別として、この世界の医療や科学技術を前の世界に持ち帰りたいという思いはどこかにある。
「なるほど……親子関係は複雑かぁ……」
レイアはファルマ少年の沈んだ顔を眺め、お茶を飲み干して難しそうに頷く。
「ちなみに君はこの世界に来た当初と比べて、物事の見方はなにか変わった?」
意外に眼力の強いエメラルドグリーンの瞳にじっと見据えられ、ファルマ少年はたじろぐ。
「変わったと思います」
ファルマ少年は彼らの価値観に影響され、ものの見方がフラットに、より豊かになった気がする。地球の社会がファルマ少年のいた世界より成熟して見えているのは、数限りない失敗と反省、試行錯誤、諦めがあったからだ。
そして地球の世界史を紐解くうち、目を覆いたくなるほどの過ちや惨状をそこかしこに見つけた。
彼らはなお、大きな揺り戻しを経験しながら変動の途上にある。
「でしょ。君がこの世界、異なる環境に来てものの見方を変えたように、個人の人格は、個人の素因もあるけれど社会的な環境などにも大きく影響を受けているの。けれど私たちは他者に対し、本人の性質を重視して他者の外的な影響を過小評価する傾向にある。違う?」
「あ……!」
「これは根本的な帰属のエラーという、ある種のバイアスがあるからなんだ」
ファルマ少年はレイアの言葉に驚かされた。
無意識のうちに、他人の考えは「どんな環境でも変わらない」と決めつけていた。
「社会の中における人の心の動きは、様々な法則やバイアスに縛られている。だからもし、あなたの家族が置かれた環境が変わったなら、きっと違う価値観を持つ」
「……そうかもしれません。浅慮でした」
「君は異世界からきたんだもの、価値観の相違は当然あるし、こっちが正しいなんてこともないよ。でも、何か悩みがあればいつでも私達が力になるから」
レイアは手をひらひらさせてファルマ少年をフォローする。
ファルマ少年は少し落ち着きを取り戻したものの、レイアの言葉に少しひっかかりを覚える。
「あの……悩みというか不安なことがあります」
「なに?」
「悪霊を滅ぼすことができるのは、私しかいないのですよね」
ファルマ少年はこの世界で唯一の神術使いだ。
そして、地球上で唯一、生身で悪霊を見る目と、退ける力を持っている。
「私はこの世界でずっと悪霊を退けられるか、自信がありません。もし私が力尽きたり、戦えなくなったら、この世界はどうなりますか」
この世界は自分のせいで悪霊に飲まれてしまうのだろうか。
どれだけ幸運に恵まれたって、勝ち続けられたって、いつかは老いに抗えない。
レイアたちが自分の保護や援助を惜しまないのは、自分に利用価値があるからにすぎないのだろうか。
ファルマ少年はそんなこともふと考えた。
「私にしかできないことが、できなくなったら……代わりの誰かが呼ばれるのでしょうか」
レイアは首を振った。
「私たちは君に任せっきりにしないし、一人で抱え込ませない。そして、この状態を永続させない。恒がそう決めて自分で退路を断った」
彼らがこの時代の科学水準を飛び越えた超科学を操るのを何度も目撃したし、確かにレイアは無人の空間とはいえ東京全域を破壊しつくしていたし、藤堂は空間をまるごと切り取るというえげつない方法で、彼らには使えないという神術すらも無理やりコピーしてしまった。
「私達は君が自由になるまで逃げない。逃げられないようにした。私たちは運命を共にしている。だからどうか、全身全霊できちんと頼って」
レイアはファルマ少年に手を差し伸べ、ぎゅっと抱きしめる。
この兄妹は人間として説明がつかないほどの、神術体系と同等かそれを上回るとてつもないポテンシャルを秘めている。
そして彼らの正体を突き止めてはいけない気がする。
「ありがとう、……ございます」
「君の持てる力を、その生命を、誰かのためではなく自分のために使うんだよ」
レイアは優しく念押しする。
女神とはこのような存在なのだろうか、ファルマ少年はそう錯覚した。
気休めではないレイアの言葉のおかげで、彼は少し心が軽くなった気がする。
「貴族は悪霊と戦うために生かされている」、幼少期より叩き込まれてきたサン・フルーヴとは真逆の価値観が、彼を救ってくれたように思う。
「はい」
「じゃ、寒くなってきたしそろそろ下に降りようか」
レイアは身軽な身のこなしでスカイツリーの頂上のフェンスに足をかけた。
晶石を組み込んだ登山用ハーネスをもってこいと言われたときからうすうす分かってはいたが、まさかここから降りろと? とファルマ少年は凍りつく。
「こ……こんなところから落ちたら死にますよ」
「私がついてるから平気だよ。速度調整には気をつけて下をよく見てね。着地場所間違えて車に当たらないように。風があるから少し流されるかも。ファルマくん、一応聞いてみるけど航空力学って勉強した?」
「していません!」
小学五年生にする質問ではないとファルマ少年は思うが、レイアはおかまいなしだ。
「ま、いっか! 神力だっけ、その出力高めにして降りていけばいいよ!」
つまり634メートルを降下する間、重力を超える力を鉛直下向き方向に放出し続けなければならないというわけだ。
晶石による出力は無限なので、制御や集中力の問題となる。
集中力が切れるのでは。そう思うとファルマ少年は降りられるか自信がない。
「じゃ、私が先に降りるからついてきて」
「ええっ!? 置いていかないでください!」
レイアは言うが早いか、高飛び込みでもするかのようなフォルムで最上階からトーンと飛んでしまった。
少し下で停止し、いつでも受け止めるといわんばかりに手を拡げファルマ少年が飛び降りてくるのを待っている。
「ほら! おいで!」
「ええ……そんな」
ここに留まっていても、屋上階に取り残されては降りられない。
ファルマ少年はハーネスのロックを確認すると、地上でやったときのように空中降下を開始した。
夜間だというのに、地熱のせいか空中には上昇気流が存在する。
ファルマ少年は勢いよくレイアの胸に飛び込んでゆくこともなく、体勢を崩さず慎重に降りてゆく。
「いいね、そのままゆっくり降りていこう。展望回廊の屋根で休憩ね」
レイアも様子を見ながらついて降りる。
ゲイン塔からそれほど距離をとらず垂直降下をしていると、中休みに天望回廊と展望デッキに必ず降りることになる。
いきなり高所から飛び降りとはならない。
レイアが常に下にいてくれるからか、ファルマ少年は恐怖心も払拭することができた。
「安定してきたね。ファルマくん若いから勘がいいよね。こんなの、自転車乗るのと同じだからすぐできるよ」
レイアはくるりとその場で一回転する。
覚えたての飛翔で、ファルマ少年も空中で方向転換してみる。
「あ、確かバリオメーター(昇降計)とアルチメーター(高度計)を恒が君に渡した時計につけてるはず。一応確認してみて」
レイアの言う通り、スマートウォッチに飛翔中の地磁気場ベクトル成分数値とグラフが表示されていた。GPSとも合わせれば高度や速度などが分かるが、あまり見ている余裕はまだない。
「なにか近づいて来ました」
「ドローンだね。ここ東京は特に、ヘリも飛行機も色々来るから気をつけてね。ODFで向こうは見えないから、誰もいないと思って突っ込んでくるからね」
のんびりと浮遊しているドローンを、二人はゆっくりと避ける。
「スカイツリーを撮影しにきた取材関係のドローンかも。一応、法律で人工集中地区(DID)の上空は許可がないと飛んじゃいけないことになっているからね」
「ここ人口密集地区の280メートルですけど……次からは地図確認してきたほうがよさそうですね」
「そうね!」
レイアは引きつった笑いを浮かべる。
「そういえば、東京の外に出たら神術は使えないんですよね」
「そうなんだっけ!?」
検証してみたところ、ファルマ少年が都内にいる間は神術が使える。
彼が今できることといえば、
汎用神術・神技
悪疫透視
物質創造(反物質創造を変換)
物質消去(反物質消去を転換)
飛翔術
汎用神術の届く範囲は少なくとも地球全域、藤堂が言うには宇宙全域だ。
だが、一度都外に出てしまうともう神術自体が使えなくなってしまう、という話も聞いた。矛盾しているようにも思えるが、発動者であるファルマ少年自身の座標がどこにあるかが重要らしい。
「当然ながら今できている飛行もできないってことですか?」
「あー!」
レイアは焦った顔でぽんと手を打つ。
彼が都外に出ると5つの能力全部失ってしまうのだろうか、そう思うと恐ろしい。
「多分何もできなくなる。でもなんか困ることあるっけ。一応東京異界の中にしか悪霊はいないはずだし、大抵のことは私がなんとかするけど」
「レイアさんは都外でもそんな無敵なんですか?」
「そうだよ。いいでしょ。まあ今だけなんだけどね」
レイアはファルマ少年をからかうように子供っぽく胸を張る。
彼らは普段は普通の人間として記憶も力も封印された状態で暮らしているが、世界的な危機に見舞われた時だけこうして元の状態に戻されるのだそうだ。
「な、何でずっと最強状態でいないんですか?」
「色々考えたけど、人は何も知らず平凡に生きるのが一番幸せだって結論になったの」
「そんなものですか」
彼らが覚醒するのは、この世界の存亡にかかわる非常時のみと決めたのだそうだ。
不思議な人生観だとファルマ少年は思った。
サン・フルーヴでは最強の神術使いは皇帝にだってなれる。それは名誉なことだ。
しかし彼らは何も欲していないようだった。
「できるのにやってはいけないことが、あまりにも多すぎるしね。万能がゆえの悩みも出てくるんだよー」
「できない、知らないほうがいいということですね……」
あるべき歴史を変えてしまうから、介入しない。
誰でも助けられるのに助けてはいけない。
彼らの心を守るために無知で無力な状態を選んだのだそうだ。
理由を聞いてみると、ファルマ少年にも彼らの気持ちが少し気持ちがわかった。
「話は戻りますが、悪霊は都外にもいるみたいです。都外からと思しき悪霊をつけてきた人を美容院で見ました」
「そうなんだ。じゃあ都外でも油断できないね。ファルマくん、都外にいる悪霊は見える?」
「まだ都外に行っていないのでわかりません」
「じゃあまあ、今回は色々調査も兼ねてアウェイのTDL行くかー。やばそうだったらすぐ東京に帰ろ!」
「帰れればいいですけど……」
「大丈夫、TDLって都県境から200メートルぐらいしか離れてないから。転移も使えるし。あ、地面! 減速して!」
「もう地面ですか!?」
色々考えているうちに、地上に到着していた。
たった一回のフライトで、ファルマ少年は完全に晶石を使いこなしている。
レイアは彼女の力を過信していて都外に出ても問題が起きるかなど全く心配していないようだが、本当にいいのだろうか。
ファルマ少年は少し不安に思った。
◆
2027年8月29日土曜日、朝8時。快晴。
ファルマ少年は、智子に連れられて舞浜駅に到着した。
今日は朝からレイアと、上京したレイアの家族と一緒に待ち合わせてTDLで遊ぶ予定だ。
ちゆは智子にネットで買ってもらったラプンツェルのドレスを着て、大はしゃぎだ。
あまりに激しく動きすぎたからか、すでに汗だくで縫製が少し破れていた。
善治は会社の集まりがあるという口実で同行を辞退した。
ファルマ少年は智子の誘いをうけたものの、断固普段着を通した。
「今日は30度こえる、ですって。あまり並ばないといいわねえ」
智子の独り言を聞きながら舞浜駅に降りると、ファルマ少年は青ざめる。
(まずい……)
晶石は輝きを失い、体から神力が抜けている。
ファルマ少年は改めて手持ちの能力を確認する。
汎用神術、使えない。簡単な神術も使えない。
悪疫透視、骨折した人を見てみるができていない。
物質創造(反物質創造を変換)、当然できない。
物質消去(反物質消去を転換)、同じ。
飛翔術、体に神力がなく晶石が沈黙している限り無理。
東京異界では使えていた能力の全てが、使えないことがわかった。
悪霊が見えないかどうかは、まだ判定できない。そう頻繁に見えるものでもなかったからだ。
悪霊すら見えないとなると、完全に無防備。
一刻も早くレイアと合流しないとまずい気がする。
「あら、どうしたの完治。汗だくじゃない」
智子が手持ちの扇子であおいでくれるが、冷や汗だった。
今や遅しと時計を見ながらTDLの正門前で待ち合わせをしていると、時刻通りに藤堂家の三人がやってきた。レイアはあれだけしつこく予告した割にコスプレをしていなかったが、レイアの隣に予告通りアナの仮装をしている小学生らしき女子はいた。
「はじめまして~」
母親と思しき女性が智子に気づき、にこやかに挨拶をする。
レイアが互いを紹介する。
「今日はよろしく! こちらが母の志帆梨で、妹の日葵ですー」
「いつも恒とレイアがお世話になっております。今日はご一緒させてもらいますね。日葵、挨拶しなさい」
「ひまりです。よろしくお願いします」
日葵はファルマ少年の顔を見て、長く艶やかな黒髪をいじりながら少し照れくさそうに自己紹介した。
「薬谷 智子です。こちらは完治と、ちゆです」
「完治です。よろしくお願いします」
「ちゆだよ」
ちゆもペコリとやった。
ファルマ少年も自己紹介をして、日葵と年が近いと思われたので軽く世間話をする。
趣味はスイミングとピアノ、部活はバドミントン部だとのこと。
ファルマ少年は転校したばかりで、以前はサッカーをやっていたと告げた。
「完治くん、明日も暇? 東京のこととか色々聞きたい。一緒に遊べたらいいね」
「予定はなかったはずだけど。そうだね、遊べたらいいね」
夕食までは一緒だという話になっていた。
ふたりともゲームを持ってきていたので、とりあえずオンラインゲームのフレンドになった。
「ふふ。ちゆちゃんラプンツェルなんだ、かわいいー」
レイアはぴょこぴょこ歩くちゆを微笑ましく見ている。
「レイアさん、エルサするんじゃないんですか?」
ファルマ少年は言おうか迷ったが、念のため触れておく。
彼女は黒いトップスに赤い水玉のスカートを穿いていた。
かなりキャラクターに寄せているような気もしないでもないが、ドットは控えめにして、コスプレではないラインを保っていた。
「いやー、それがHP見たらなんか中学生以上は仮装できないって書いてあって。いけるかと思ったけど入り口で止められても悲しいし、違反者は地下の王国に連れて行かれるらしいし。大人の分別で思いとどまったよ」
「そ、そんな規定があるなら仕方ないですよね」
ややふてくされ気味のレイアに、ファルマ少年は少しほっとする。
「そんな痛い大人を見るような目で見るのやめて!? 私みたいな美少女なら絶対似合ったし! 何なら今日にでもプリンセスのキャストと交代していいと思う!」
レイアは大げさなリアクションで抗議する。
レイアは大人びているのか、子供っぽいのかよくわからないところがある。
「大人なのに美少女って言っちゃった……そういうとこだよ」
日葵が冷静につっこむ。女子小学生のほうが落ち着いていた。
日葵に言わせると、レイアは基本的にはクールでかっこいいお姉さんなのだが、時々どうでもいいことに熱くなるのだそうだ。
「確かにレイア、残念だったよね。あんなに楽しみにしてだる絡みしてきてたのに」
「え、だるいと思ってたの? ひど!」
「いや、だるいでしょ。私宿題おわらなかったもん」
今日に備えてか夜な夜なコスプレをした自撮り写真が送られてきて困ったと義妹の日葵に暴露されていたが、心底そんな義姉がいたら嫌だと思うファルマ少年であった。
「藤堂さんは今日は新幹線から直接こちらに来られたんですか?」
「そうなんです! あ、でも昨日は熱海に泊まりまして、今朝はそこから始発で来ました。今日は息子の家に泊まる予定です」
「あら、では帰りもご一緒しますか? お隣ですよね?」
「是非ー!」
智子と志保梨は初対面なので気を使い合ってお土産交換をしていた。
志帆梨は自作したというオリジナルブランドのかりんとうを持ってきていた。
智子はソラマチで買った、荷物にならない珍しい雑貨を渡していた。
一行はぎこちない会話と微妙な空気を醸し出しながらランドのほうの開園前の列にならぶ。
開園と同時に入場すると、たくさんアトラクションに乗れるらしい。
日葵はTDLは初めてだという。
「完治くんは何回ぐらい来たことがあるの? いいなー、家がここから近いって」
「わ、忘れちゃったな……」
「ランドは今回で5回目よ。シーは4回」
ファルマ少年の知り得ない質問に、智子がさりげなく答えてくれる。
思ったより行っていた。こんな人混みの中を、毎年一回以上のペースで頻繁に連れ出してくれた義理両親には頭がさがる思いだ。
「よかった! じゃあ案内してー」
「いや……俺、方向音痴だからレイアさんにお任せしようかな」
「え、私も初めてだよ。先月まで田舎住みだったもん。あ、でも一応予習はしたから任せてくれていいよ!」
「多分レイアより私のほうが予習したと思う」
「じゃあアトラクション全部言ってみ?」
日葵につっこまれてレイアはむきになっている。
なんてあてにならない大人だとファルマ少年は呆れ気味だ。
誰もがあてにならないなかで、ここは唯一のTDLリピーターの大人である智子の出番だ。
「レストラン予約しておきましたけどよかったですか? 土曜日なので予約しておかないと入れないと思って」
「えっ、予約がいるんですか? すみません何も知らず。助かります」
「並び時間を短縮できるスタンバイパスも予約しましょう。これはパークに入ってからでないと予約できないので、モバイルを準備しておいてください」
「何から何まで……」
志帆梨は恥ずかしそうに礼を述べる。
手荷物検査を終えてゲートをくぐると、子どもたちのテンションは爆上げだった。
先に人気の集中する絶叫系に乗ってから、後でちゆも乗れる身長制限のないアトラクションに乗ろうということになった。
「ごめん私、垂直落下のやつは乗れない。内蔵が浮いちゃう。ちゆちゃんとイッツ・ア・スモールワールドに乗る」
先日フリーで垂直落下していただろうに、何を言っているんだろうと傍で聞いていたファルマ少年は驚くが表情には出さない。日葵が苦笑していた。
「もーレイアは怖がりなんだから。ランドには垂直落下系はないよ。スプラッシュ・マウンテンならいいよね?」
「なにそれ、落ちるやつ?」
「ちょっと落ちるだけだよ」
「落ちたらだめだよ!」
「大げさだよ、事故るわけでもなし。完治くんは絶叫系平気だよね?」
「多分……平気だと思う」
何しろ乗ったことがないので平気なのかわからないが、レイアの発言が先日と矛盾しすぎていてもはや何も頭に入ってこなかった。
開門前に早朝から並んだ甲斐もあって、迷わずスプラッシュ・マウンテンを目指すとほぼ待ち時間なしで乗れた。ボートのような乗り物に乗って進む。
いつの間にか日葵とレイアに両サイドからしがみつかれている。
最後の滝に差し掛かると、ファルマ少年は真顔で、レイアと日葵は絶叫しながら目をつぶっている写真が勝手に撮られていた。
「わー皆、結構濡れたね! まさかあんなにかかるとは」
日葵はびしょ濡れになりながらも無邪気に楽しんでいた。
「かかる席だったんだね。もう一回行く?」
「いやー、もう結構並んじゃってる。ほかのに行こ」
怖がっていたレイアも楽しかったようだ。
水なんて神術を使えば一瞬で乾くのに、と思えど、神術を封じられている。
ファルマ少年は水属性神術使いとしてタオルを使うという屈辱を味わった。
「夏だからすぐ乾くよ! 写真買う? って写真高っ!」
金欠だというレイアは買わなかったが、智子が買ってくれた。
ちゆと智子はポップコーンを食べながら待っていたので、今度はちゆも乗れるアトラクションに並んだ。
◆
「いやー、朝早めにきてよかったね、結構乗れたじゃん!」
「そうですね。次は何にします?」
ほどよい疲労を感じながら、昼食を終えた六人がパークのファンタジーゾーンをそぞろ歩く。
ちゆは少し眠たくなってきたというので、智子がおんぶしていた。
「レストランでお腹いっぱいになったから、あまり酔わないやつがいいかな」
そんなことを話していると、パークの中央から吹き下ろすように一陣の突風がパークを吹き抜けた。
突風がやむと分厚い雲が現れ、日が翳る。
にわか雨が降り始めた。
「ええーっ、何で雨ー!?」
「予報出てなかったよね!?」
雲はみるみる発達し、雷雨を伴った暴風雨と化す。
「うそでしょ」
人々は突然の雨に驚き、軒先に雨宿りをはじめる。
それと並行してパークの至る所から、助けを求める悲鳴が聞こえ始めた。
来場者の二人に一人が、そこかしこで次々と倒れてゆくのだ。
「レイアさん、何かおかしいです」
「完治くん、何か見えてる?」
「いえ、何も」
「私も見えない!」
レイアにもファルマ少年にも異変が視えない。
レイアがふざけていたのはそこまでだった。彼女は鋭く叫ぶ。
「皆、伏せて!」
暴風で空に巻き上げられた瓦礫が、爆弾のように降ってくる。
レイアはファルマ少年と二家族を物理防壁の中に匿い、ギャップを広域へと拡張しパーク内の人々を負傷から守ろうとした。
しかし、既のところの判断でそれを断念せざるを得なかった。
フィジカルギャップは質量と速度を検知し、防壁を構成する。
パーク全体に展開してしまうと、アトラクション内のライドに乗っている人々、パーク内で乗車している人々もろとも粉砕してしまうことになる。個別対応に切り替える。
レイアが視認した範囲にのみギャップをとどめたので、瓦礫を被弾した人々がいる。
「何か、来る!」
アトラクション内部から轟音、つづいて爆音がする。
脱線、炎上、施設の崩落。何かが起こっている。悲鳴は絶叫へと変わった。
パーク内の建物のガラスが突風により巻き上げられた構造物が次々に割れてゆく。
アトラクションが、構造物が、人を襲う凶器と化してゆく。
ありえないことが起こり続けている。
「偶然に起こる発生確率を大きく逸脱してる」
レイアは少ない情報から、悪霊の仕業ではないと判断する。
二人に一人の人間が倒れ、動けない彼らの上に、偶然にアトラクションが破壊されて倒れてくる。
これらが全て偶然ではありえない。
「確率変動!」
偶然に崩れて頭上から降り掛かってきたモニュメントを、レイアはフィジカルギャップで粉砕し、来場者を数人ずつの単位で庇護する。
「後で全部なおす!」
彼女は地上からレールが折れて宙吊りになり、泣き叫ぶ人々の元へ跳び、姿を消したまま彼らを地上に降ろす。対処すべき数が多すぎる。生身では対処できない。そう判断したレイアは虚空を仰ぎ、大きく息を吸う。
『Call(申請)! PS1 to CS, P2, A3, QT1(陽階1位より中央神階へ、P2, A3, QT1を帯出)』
レイアは短縮コマンドを使い、神具管理機構に神具帯出の申請を行う。
三つの神具の同時帯出を承認される。
『Connect VB, Setup Alert (疑似脳へ接続。アラートを表示)』
レイアは容量無限の疑似脳と生脳を融合させ思考を拡張、同時並行で神具を操るため情報処理速度を引き上げる。
疑似脳を使わなければ、情報負荷に耐えられない。
呪符型神具、管理番号P2 Fullerene C60(フラーレンC60)の現出とともに即時展開。60枚の呪符を抜き放ち、空へと巻き上げパーク全体を覆い尽くす。
『リスク分布変更、100から0へ』
バラバラに飛び散った呪符は光によって結ばれクラスターを作り、瓦礫の飛散や災害の発生を抑え込む。
レイアの足元に管理番号A3 Blank Encyclopedia(虚無の百科事典)の幻影が現れる。
上位次元に存在し下位次元に投影するこの超神具は、指定した領域の物理法則を創造し、任意の法則に書き換える。
『Invert Entropy(エントロピーを逆転)』
パーク内での時間が一次停止し、一連の惨劇が逆再生されたかのように、数秒とかからず全てがもとに戻ってゆく。倒れていた人々は起き上がり、ガラスは店舗を覆い、瓦礫は消え、もはや負傷者はどこにもいない。
手元では攻撃特化超神具 管理番号QT1 強襲扇を起動。
この神具は立方空間内に侵入した敵性体を分析検知し、レイアが視認する前に不可逆的に破壊する。
まだ敵性体の反応はない。
レイアはさらなる手を打つ。
「やるしかないか……後で平謝りだな。Call, DA-INDICATOR」
レイアは背に腹はかえられないと踏ん切りをつけ、越権行為を承知でDA-INDICATOR(生死判定装置)を起動する。
『Find each Vital-code(各バイタルコードを照合)』
『Area Vital Locked, Applied with a duration of 15 minutes(広域バイタルロック、持続時間15分で適用)』
バイタルコードとは、ホモ・サピエンス全員に一つづつ割り振られている生態認識コードで、コードを掌握することにより生殺与奪を可能とする。
一定領域全員、適用人数はおよそ18千人。
全個体の生命情報を掌握のうえ不死化。
問答無用のチートコードを適用する。
この瞬間から、適用されたものは何人たりとも、いかなる致命傷を受けても誰も死ななくなる。
レイアは怒られは必至の切り札をもってして、瞬時に場にいる全員の安全を担保した……はずだった。
しかし、ファルマ少年だけにバイタルロックがかからない。
彼だけが、ホモ・サピエンスのコードを持ちながら人類の埒外に置かれている。
東京異界の中では死なない彼が、ここで死ぬということがあるのだろうか。
「うそ……でしょ」
レイアが唖然としていると、ファルマ少年は新たな異変に気づく。
神具の効果では確率変動を抑えられず、さらなる災害が発生した。
ファルマ少年は持ち前の動体視力で、彼を狙うかのように連続的に降ってきた瓦礫を全て避けきった。
災厄という災厄が、偶然を装ってファルマ少年に降りかかる。
尚も続く飛散物を彼は的確に避けつつ、逃げながらレイアに問う。
「私が狙われていますか? 何かできることは!?」
ファルマ少年はレイアの表情から対処に失敗したことを想定し、対策を尋ねる。
「一旦東京に戻ろ!」
「ですね」
レイアはファルマ少年を巻き込んで転移を使おうとするが、疑似脳上に情報表示版の警告が差し込まれた。
【警報! 現座標より東京都全域に対する汎用・超空間・追跡転移成功確率 0%】
東京都に限って転移をかけることができなくなっていた。
レイアの転移が失敗する確率だけが跳ね上がっているのだ。
ちなみにレイアが転移に失敗したことは生まれてこのかた、一度たりともない。
警報を信じるなら、無理に転移を行えば時空の狭間に飲み込まれる。
ファルマ少年の存在が、ありとあらゆる不運や災害を呼び込む。
遠未来の人類が築き上げた超科学を超えて、創世者Xがどのように確率を捻じ曲げているのだろうか。
「っ……こんなに確率変動を起こされたら……!」
【確率変動を検知。大規模地震が発生します。震源から1km、第一波まで30秒】
「地震!?」
首都直下型地震の予測アラートが発生し、レイアの疑似脳上に予測マップが展開される。
想定震度は7以上、複数の震源を持つ連鎖地震。
まだ人類は危機を検知していない。
レイアは慄く。
警報から推測するに、ファルマ少年が及ぼしている確率変動領域は少なく見積もって半径50キロメートル。
それが彼の“反聖域”。
【発生まで残り5秒、4秒、3秒……】
「間に合わない!」
レイアは咄嗟の判断でファルマ少年を抱えると、縮地と跳躍を使ってパーク内を全力疾走、駐車場をわずか数歩で踏破しきった。
彼のあるべき座標……東京に戻さなければならない!
舞浜大橋の歩道橋に、全てを見通したように藤堂が立っていた。
レイアはファルマ少年を彼に向けて投げ渡す。
ファルマ少年の体は宙に舞い、都県境を越える。
残り1秒のところで、大規模地震の発生は防がれた。
「藤堂先生……!」
ファルマ少年は空中で体を捻って、晶石に神力を含ませ静かに着地する。
安堵するまもなく、歩道に隣接する首都高速湾岸線の走行トラック車両から急ブレーキの音が聞こえる。
後ろでボトリと鈍い物音がして、ファルマ少年は振り返る。
そこにはおびただしい血痕と、たった今まで一緒にいた、レイアの両腕だけが残っていた。
藤堂はファルマ少年の横を通り過ぎると都県境へ近づき、そこで切断されたレイアの両手を拾い上げる。
ファルマ少年には何が起こったのかわからない。
レイアは車に轢かれたのだろうか。
「レイアさん……そんな、今まで生きていたのに。レイアさん……!!」
ファルマ少年はレイアの消滅を受け入れられず絶叫する。
今更のように、彼の体に神力がじわりと戻ってくる。
「少し間に合いませんでした。"偶然"発生した空間断裂に巻き込まれました」
藤堂は感情を乱すこともなく冷静に分析している。
「私のせいです、レイアさんが……」
ファルマ少年がへたり込んでいると、藤堂が後ろを振り向く。
ファルマ少年もつられて振り向くと、先程消えたレイアが無傷の姿のまま橋の欄干に立っていた。
「呼んだ?」
「ええーっ!?」
ファルマ少年は幽霊でも見たかのような顔で固まる。
「レイアさん!? でも、この手はあなたのでは!?」
「違うよー? よかったー地震起きなくて」
レイアはシラを切りながら欄干からぴょんと飛び降りる。
髪から衣服に至るまで、全く乱れはない。
藤堂は証拠隠滅として歩道橋に飛び散った夥しい血液を分子レベルまで分解し、大気中に還していた。
「私にはどうやっても理屈がわかりません」
「どの理屈ですか?」
「レイアさんが生き返った理屈です。今、絶対生き返りましたよね!? 何でそんな神様みたいなことができるんですか」
レイアは誤魔化そうとしたが、藤堂は制止し説明する。
「きちんと説明しますね。物質、エネルギー、情報は本質的に等価なものであり、相互に変換することができます。生体とは絶えず置換されゆく物質の集塊で、自我とは情報の集合です。彼女の体の一部が都県境を越えたので、私は管理者権限を行使し情報を復元しました。この世界の法則は全て大統一理論のうちに調律されており、何も神秘的なことはしていません。既存の物理法則の応用ならば、究極のところあなたにもできます。ただそれだけです」
「私にもできる……?」
「はい。知識、技能、情報処理能力、権限、最後にエネルギーがあれば」
その領域にたどり着くには何をどうすればよいのだろう。
想像もつかない。
ただ、そんな生死をも超越する存在が平然と日常にいるのは恐ろしいと、ファルマ少年は思うのだった。藤堂は軽く腕組みをしたまま怪訝そうにファルマ少年を見下ろしていた。
「ファルマさんは、異常ありませんか」
「ありません、レイアさんが守ってくださったおかげで。私は神力がないと、本当に何もできないんだなって……思い知りました」
「いやー気にしなくていいよ、私も最強とか言っててこのザマだよ。あれは完全にフラグたってたね」
レイアはふんわりとファルマ少年を励ましながら、藤堂に念話で問う。
(さっきの、観測してた?)
(リアルタイムでは観えていない。レイアの記憶から今全て把握した)
藤堂は厳密に東京都の管理者であり、都内においては万能だが、都外の事象に影響できない。
都県境からたった200メートル先の座標の情報にふれることもできない。
それでもレイアが持ち帰った情報を分析し、瞬時に何が起こったか把握した。
(あのままだと、関東全域地震が起こったと思う?)
(起こっただろう。アラートが出たということは、“第四の創世者”は被害を容認し、レイアに知らせたということだ。それがあらゆる辻褄を合わせて、想定しうる限り“最小の被害”に抑えた結果だ)
(恒は都内の被害を皆無にできるんだよね?)
(できるけど、外部での辻褄を合わせるために都外で被害が増幅される。被害想定は……正確には計算できないが死者だけで20万人を超える)
ファルマ少年が都外への数時間滞在しただけで、最小で20万人規模の被害を出す?
レイアは混乱する。そんな災厄を未然に防げたのがせめてもの救いだ。
自らの死には慣れきったレイアも、他人の死に共感し、喪失を恐れる。
もし彼らの災害死が地球史において必然であるなら、人々は復活しない。
復活させることができずそのまま死ぬ。
ファルマ少年はレイアの緊張を読み取ったか、怯えた表情でレイアを見上げている。
(反聖域は俺たちの力を超えている。思った以上に厄介だな)
(それね。転移も飛翔も封じられたうえで自然災害のラッシュだよ。太刀打ちできなかった)
(そうだな、ログを見た。まさかファルマ少年に付随する確率変動がBlank Encyclopediaを凌駕するとは思わないからな。申し訳ないが、もう彼を東京異界から出せなくなった)
複雑系においては、全ての事象は影響しあう。
ファルマ少年の反聖域を東京異界の中に抑え込んでおけるのなら、ファルマ少年の座標を縫い止めておく必要がある。
藤堂は悔悟の念を噛み潰しながら、東京異界に閉じ込められる前に交わした“第四の創世者”とのやり取りを思い出す。
【たとえ彼が東京異界の外に出たとしても、必ず戻ることになる】
今になって、言葉の真意を思い知らされた。
「確かに……そうなった」
ファルマ少年が都外に出る場合、「おのずと都内に戻ることになる」のではなく、「ファルマ少年を都内に戻さなければ周囲が耐えられない」という意味だ。
東京異界に戻るというレイアの判断がほんの少しでも遅ければ、考えたくもないほどの人的被害が引き起こされていた。
世界が崩壊するのも時間の問題だろう。
そしてファルマ少年本人の悪意はまったくない。
(彼の反聖域は創世者Xの領分だ。東京異界の内部では悪霊を引き寄せ、外部では確率変動といかなる干渉も受け付けない大災厄を具現化する)
ファルマ少年を「邪神」と形容せざるをえないのも、わからないではなかった。
藤堂は少しだけ楽観的に考えすぎていた。
ファルマ少年は悪霊から人々を守るが、人々に災厄をもたらす。
だからといって「ファルマ少年を殺害する」という手段は最終的解決にならない。
脱出ゲームは間違いなく、振り出しにもどっている。
異界の創世者Xとの戦いにおいて、これまでの経験が通用しそうにない。
「レイアさん、パークはどうしましょう!」
「そうだった! あっ!」
レイアがいかにも深刻そうな顔をして頭を抱える。
「……お土産買ってないのに退場してしまった。戻るついでにお土産買ってくる」
ファルマ少年が都内にいるかぎり、レイアが一人でパークに取りに戻るのは危険ではない。
「レイア、きちんと後始末をしてきて」
「パーク内の復旧と目撃者ね」
「録画データも。ネットで配信している人がいるかもしれない」
兄妹の会話は漠然としているが、ファルマ少年はほんのり内容を察し肌に鳥肌が立つ。
目撃者の記憶を全て消してこいと言っているのだ。
「G-CAMでいいよね」
「それではアンダースペックだ」
「りょ。LOGOSかIDEAを使うね」
レイアは朝飯前のお使いだという反応だった。
藤堂の指示を受け、彼女はすぐパークへと取って返した。
「私たちは帰りましょうか。お楽しみのところ申し訳ありませんが、あなたはパークに戻らないほうがいい。退場処理も彼女がやってくれます」
「すみません……」
「レイアがお土産を持ち帰るので、皆の帰りを待ちながら休憩しましょう」
都県境から目と鼻の先に見えるパークは、舞浜大橋の中央から窺うに、あまりにも静かだった。
「彼らは誰も負傷せず、何も見ませんでした。パークも全て復旧します。永遠に証拠も出ません」
「記憶を消すんですよね。私の記憶も消すんですか?」
「あなたの記憶は温存します。何かあったときに復元できないので」
藤堂はファルマ少年をまだ眺めたまま、冷静に答えた。
記憶の消去はできないからしないのであり、できるならやる。
そんな含蓄を持っていた。
あまりに手慣れた証拠隠滅の手法に、彼らはこうやって、何が起こっても何もなかったことにしてきたのだと察する。
この炎天下で藤堂は汗ばむ様子もなく、生の気配というものがなく、生きた人間のそれのようにみえなかった。
「それとも、何もかも忘れて一人の人間として幸せに暮らすほうがいいですか?」
「い、いえ……」
頷けば、どうなるのだろう。
普段は何もかも忘れて人間として暮らす。
……それは本来、彼らが望んでいたことだ。
彼らを人でない何かに戻した原因は自分自身にある。ファルマ少年はそう思い返した。
「あまり警戒しないでください。私たちはあなたの味方です。そうありたいと思っています」
少なくとも、彼らの助けなしには一日として生きていられる自信がない。
レイアの言うように、この世界の人々の安全のためにも、彼らをきちんと頼ろう。
ファルマ少年は差し出された彼の手を取った。
◆
「あの子達、どこに行ったのでしょう? 何だか急に消えてしまって」
パークに取り残された志帆梨と智子は顔を見合わせる。
気がつくと、完治とレイアとはぐれてしまった。
何だかそのあたりの記憶がない。空は快晴だった。
お土産店を中心に手当たり次第に探してみるも、見つかる気配はない。
「……完治も電話に出ませんし。迷子センターに見に行きます?」
レイアがついているので迷子も何もないと思うのだが、探せるところを探すよりほかない。
そのとき、志帆梨のモバイルの着信が鳴った。
「あ、レイアから連絡が来ました。レイアと完治くんは一緒のようです。はぐれたので外にいるかと勘違いしてパークを出てしまった、この人混みなので先に帰るとのことです」
メールの文面から何かを察したのか、志帆梨はそれ以上追求しようとしなかった。
彼女はレイアたちの置かれた状況を、あらかた理解していた。
心配をかけないように隠してはいるが、「また」何かあったのだ。
今度はどうなるのだろうか、と志帆梨の表情が曇る。
恒もレイアも、そして離れて暮らす遼生も、ほんの数年もまともな人生を送れたことがない。
今度こそ平穏な日々が来ると思っていたのに、またかと彼女はもどかしく思う。
「ええ、そんな。出ちゃったんですか!? でも再入場できるから戻ってきたらいいのに……」
志帆梨のそんな思いを知らない智子は、レイアの不可解な行動に納得がいかない。
「もう電車に乗ってしまったみたいですよ」
「では帰りますか」
「にーに何で帰ったの? ちーちゃん足がいたい」
「ちーちゃん。しりとりしながら帰ろうか」
日葵はパークを回る間にすっかりちゆと打ち解けて、面倒をみてくれていた。
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