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TOKYO INVERSE -東京反転世界-(EP3)  作者: 高山 理図
2章 東京異界にて
14/20

2章2話 墓参りと、レイアの上京

 8月14日、薬谷家は善治の実家の墓参りに行くことになった。

 日本人の風習的に行かないということが許されない、いわゆる強制イベントである。

 毎年恒例の、家族四人で墓参りだ。

 もともと予定をしていたことだが、昨日のことがあったので念入りに先祖にお参りをしておこうということになった。智子の先祖の墓は23区内にあったので、13日中に墓参りを済ませていた。

 四人の乗った奥多摩行き青梅線は二俣尾を過ぎてゆく。


「おじいちゃんたちのお墓なー、奥多摩にあるんだ、遠いよなー。毎年のことだけど、あんなこともあったし、ちゃんとお墓も掃除しないとなー。昼ごはんは手打ち蕎麦なんてどうだ? 雨が降らなかったら奥多摩湖に行ってみるか」


 そう言う善治はスマホで墓参りのあとのランチの場所を探している。


「ちゆハンバーグがいい」

「ハンバーグ屋さんかあ……」


 善治は手打ち蕎麦が食べたいのだが、結局ちゆの好みに振り回される。


「完治と智子は? 蕎麦だよな?」

「俺はちゆが食べたいものでいいよ。ちゆは蕎麦、あんまり好きじゃないでしょ。皆が食べれるものがいい」

「そうねえ」

「そんなぁ、せっかく奥多摩まで来て……」


 善治はしょげていたが、ファルマ少年は和やかな家族のやりとりを聞き流していた。


「完治? 顔色が悪いわね。電車に酔ったの? お茶飲む?」

「ん、酔ってないよ。お茶ありがとう」


 智子は息子をよく見ている。

 気を付けなければ、とファルマ少年は智子に笑顔を向けた。


「完治も昔はよく電車酔いしてたもんねえ。エチケット袋が手放せなかったわ」

「はは、そうだっけ。大丈夫、そんなんじゃない」


(墓地か……、結界が機能していない場所に足を延ばすのは不安だ。人は少ないが、奥多摩には悪霊が発生しそうな条件が揃っている、奥多摩湖は特に。そのうえ全国的にはお盆……確実に遭遇確率は高くなっている)


 悪霊がいなければいいが、とファルマ少年は懸念する。

 午後から雨が降りそうだということもあって、神杖傘は自然な流れで持参していた。

 雨が降れば、悪霊と有利に戦える神術がいくつかある。

ただ、神術を使ってしまえば両親とちゆには確実にバレる。

 バレないように神術を使うとなると詠唱をしてはならず、術の発動を目撃されてはならない。難易度は高い。

 藤堂がHARMONICS±という道具を使ってファルマ少年に水属性神術の枠を超えた物質創造の能力を持たせてくれたおかげで、戦闘時の選択肢が増えた。

 神術に対する認識を根本から変えることによって、無詠唱での神術の発動もできるようになった。

 言われたときはまるで神の領域に踏み込むように思っていたが、できてみればあっけないものだった。

 あれほど苦労した神術の訓練も、何も必要なかった。

 常識だと思っていたことを、覆して、ゼロにして、新たな理論を組み上げること。

 たった一日の変化だが、その時代における知識の有無やものの見方がいかに個人の能力を束縛していたかということに思い至る。


(エレンや兄上に教えたら驚くだろうなあ。エレンにはバケモノ扱いされるかもだけど、兄上は面白がるかもなあ)


 物質創造ができるということは、同じ原理で物質消去も使えるはず。

と藤堂は予言していたが、どうしてその原理が通用するのかも咀嚼できておらず、その方法はまだ見いだせない。色々と悩んで、うつむく。その様子を見ていたちゆが、ファルマ少年の頬をつまんで無理やり笑わせようとする。


「にぃに、もしかしてお墓いくの怖いんだ?」


 ファルマ少年はちゆを安心させるようににこっと笑う。


「こ、怖くないよ」

「おじいちゃんが眠ってるから怖くないんだよ。おじいちゃんが危ないことから守ってくれるの!」

「ちゆはおじいちゃんのこと覚えてるの?」

「覚えてないよ、でも写真で見たよ」


 ちゆに諭されて、ファルマ少年はちゆの相手をするほかになかった。

 しりとりになぞなぞなどに付き合い、ちゆが遊び疲れて膝の上で寝始めて、ファルマ少年もあくびを噛み殺しながら目をこすると、急に世界が眩しく見えた。


(あれ……? まぶしっ)


 左目をこすっても何も起こらない。

 右目に右手をかざしたときだけ、目に入ってくる光量がぐっと上がる。


(え……!?)


 ファルマ少年は視覚の異常に気付いた。右目に右手を覆ってその隙間から世界を見たとき、世界は何段階も光量が上がって見える。


(片眼だけ瞳孔が開いている? 何が起こった?)


 しかしスマホのカメラで瞳孔の大きさを確認すると、開いていない。

 どうやら瞳孔の異常ではないと気づく。


(……そんな)


 “右目”を通して電車内の人々を見たとき、人々は殆ど半透明化して見える。

 よく見ると、肺や胃に黒い影を持っている人々がいる。

 眼鏡をかけている人は眼窩が黒く、腕にサポーターを巻いている人はそこが黒く、補聴器をしている人は蝸牛のあたりが黒く見える。


(これは……症状のある部分が黒く見える……?)


 こんな能力持っていなかったのにと、ファルマ少年は信じられない思いだ。

前の世界で目をこする機会など何万回とあっただろうし、能力を持っていたのに気づかなかったという線はない。

 というのも、前の世界では、どこもかしこも病人だらけだった。

 誰かを診れば、必ず影があっただろう。


(この目の能力は藤堂先生が持たせてくれたんだろうか。でも何も確認されなかったしな……藤堂先生は相手の同意がなければ勝手に体をいじるようなことはしない)


 そして、膝の上に乗って揺れているちゆの頭部にも黒い影があった。

 ファルマ少年は混乱してきて、藤堂からもらったスマートウォッチに目を落とした。

 この腕時計を介して、彼はファルマ少年の生体情報や位置を把握しておくと言っていた。ファルマ少年自身が危険だと認識したり、音声または思念で直接呼びかければ生体情報を把握してその場に現れる、とのことだった。

 悪霊の発生予測圏内をマップ上に表示しているので、悪霊とのエンカウントを避けることができるという。

 今のところ、マップ上に悪霊が現れる予測は出ていない。


(呼びかければ現れるなんて本当なんだろうか。藤堂先生?)


『はい』


 目の前に、ファルマ少年と視線を合わせるようにして藤堂がしゃがんでいた。

 長白衣を着ているので、まるで病院からそのまま抜け出してきたかのようだ。


「えっ!? どうして!」


 思わず声をあげてしまったが、智子は藤堂の存在に気付いていない。


「どうしたの?」

「にぃに、うるさいよ」


 電車内はかなり混雑している。乗客からは白い目で見られていた。


「す、すみません」

『一般の人には見えないよう、視覚廓清領域を展開しています。無賃乗車ですのでね。私の姿はあなた以外には見えていません、ご家族にはごまかしてください』

「な、なんでもない。寝ぼけてた」

「大丈夫?」

「にぃに、電車の中では静かに、なんだよ!」


 智子とちゆに愛想笑いを向けて、ファルマ少年は念で藤堂に話しかけた。

 そういえば、権限を引き上げたので念話ができるようになったとか、訳の分からないことをいっていたな、と思い出す。


(本当に念で来られると思わなくて……試したとかそういうことじゃなくて、なんとなく呼んでしまって)

『緊急性はありませんでしたか。約束通り、呼ばれれば本当にどこにでも来ますよ。東京都内に限りますが』

(すみません、今日は日勤だとおっしゃっていましたよね)

『勤務しています、私は分身を作ることができますので24時間いつ呼び出していただいても問題ありません』

(あの……失礼ですが藤堂先生って本当の本当に、生きている人間なんですか?)

『生きている人間ですが、霊などに見えますか』

(どちらかというとはい)

『それではうっかりファルマさんに除霊されないように気を付けますね』


 かなり話に無理があるような気がするが、何回聞いてもさも当然のように人間だと言われるので、ファルマ少年は納得するほかにない。さりげなく超科学を使ってくるので、ファルマ少年は異世界のテクノロジーの技術格差を思い知る。


『今日、ファルマさんは奥多摩町にある霊園へのお墓参りで、奥多摩駅で降りて墓地に向かうのですね。午前中の墓参りですし、今のところ目的地は悪霊発生地点ではありませんが、予想外のことも起こりえます。危険だと思ったらすぐ呼んでください。では、ご家族との時間を楽しんでください』

(あっ、消えないでください。そのこともなんですが、藤堂先生が私に病気の人を見出す目を持たせてくれましたか?)


 隣のサラリーマンが藤堂の頭上のつり革を離して降車していったので、しゃがんでいた藤堂は立ち上がってファルマ少年を見下ろすかたちになる。

 本当に、彼の姿は誰にも見えていないようだ。


『いいえ。どういう意味ですか?』

(体の一部、もしくは全体に影を持った人が見えるんですが、どうもそれが病気を患っている部位と一致しているようなんです)

『……なるほど。例えば、私の後ろにいる、青い服を着た年配の女性はどこか患っていますか?』

(目と、全身、特に膵臓です。すみません、詳しくはわかりませんが)

『たしかに彼女は白内障と、糖尿病をわずらっています。外見からはわからないことですね』


 藤堂はファルマ少年の見立てに驚いたようだった。


(左の、腕にサポーターを巻いている人とその影が一致しているので、そうなのかと思いました。ちなみに、ちゆの頭にも何か小さな影が見えるのですが……小さな血栓などでしょうか)

『なるほど』


 藤堂は思いがけない形でファルマ少年が気付いたことで、ちゆの膠芽腫の治療についての悩みが減った。


(……これ、悪性腫瘍でなければいいのですが)

『三か月後、受診をしていただければ結果がわかります』

(すぐ受診じゃだめなんですか? もし悪いものなら、治療を早く開始しなければ)

『この大きさでは検査にひっかかりません。タイミングが難しいんです、受診理由は後で考えましょう』


 藤堂が歯切れの悪い言葉を使っているので、ファルマ少年はやはり悪性腫瘍なのだろうかと焦燥にかられる。

 そうこうしているうちに目的地の駅に着くと、藤堂はいつの間にか消えていた。


「どうしたの完治。降りるわよ」


 JR青梅線、終着の奥多摩駅に到着した。

 山小屋のような木造の駅舎がノスタルジーを誘う。


(東京にも、山と緑にあふれる秘境のような場所があったんだなあ)


 ちゆの頭部に見える黒い影のことで頭をいっぱいにしながらも、ファルマ少年は大きく息を吸い込む。空気が美味しいと感じる。


「タクシーに乗って行くか」


 駅前に停車していたタクシーに乗って、氷川橋川を通る。車窓から見えるエメラルドグリーンの日原川の流れは、大河しか見たことのなかったファルマ少年には目新しい。

 204号線に沿って北上し、目的の墓地に到着した。


「父さんが、都会よりここがいいって言ってなあ……何で奥多摩の墓地なんて買ったんだか。墓参りが大変だよな、でもまあ、毎年森林浴ができてこの絶景だから、文句も言えないんだよな」


 ファルマ少年はいつ悪霊の襲撃に遭うかとびくびくしていたが何事も起こらず、森林の中に開けた明るく区画整備された霊園は静謐な空気を漂わせ、家族全員で気持ちよく墓の掃除をして、智子が持ってきた仏花をきれいに生けて無事にお参りを終えた。


「お参りをしたし、これで安心ね」


 智子はピカピカに磨き上げた墓前に手を合わせて、どうやら気が済んだようだ。


(……何もないまま終わってしまった。気にしすぎたか)


 何も起こらなかったのは幸いだった、と思いながら10分ほど待機してもらっていたタクシーに家族で乗り込む。時刻は12時を回り、ちゆの希望通り、氷川のあたりのカフェにランチを食べに行こうとタクシーを走らせてもらっていると、ファルマ少年は異変に気付く。


「あれ……ここどこですか。左手に湖が見えます。カフェは手前にあります」

「ん? おかしいな」


 タクシーの運転手が、焦ったようにマップを見ている。

 ファルマ少年がスマートウォッチを見ると、タクシーは青梅街道上の橋を通って、山梨県に入ろうとしている。204号線を走っていたのに、411号線に入っており、いつの間にか奥多摩湖の湖畔を走っていると表示されている。


「すみません、うっかりして行きすぎました……すぐ引き返します」


(でも、外を見ていたけど道は間違えてなかった。だいたいまだ、五分も走ってない。ここまで来れるわけがない。そんなことってあるのか……!)


 人気スポットでもある、留裏浮橋が視界に入ってくる。スマートウォッチのマップ上に黒い染みが広がっていくのが見える。

 ここから先は、一本道で山梨県に入ってしまう。


(まずい!)

「止まってください!」


 タクシーの運転手は引きつった顔を浮かベ、さらにタクシーは加速してゆく。

 異変を感じたファルマ少年が身を乗り出して運転席をみると、運転手の腕に悪霊らしき影が絡みついている。下半身にも黒い影がある。


(アクセルを踏まされている……!)


 車内をよく見ると、運転席からタクシー内部に黒い影が侵入してきて、それらは完治以外の家族らに絡みついている。


(悪霊だ。俺を狙ってきた……!?)


 ファルマ少年は全員の意識が飛んでいることを確認して迷わず傘を抜き、無詠唱で車内に霧状の浄化神術をかけた。

 影は消えたが、運転手の意識は遠のいており、タクシーは猛進してゆく。

 運転手が意識を手放すと同時にハンドルからも手を離したので、タクシーに標準装備されているオートドライブが発動する。数年前より、自家用車、商用車を問わず、すべての車に一定条件下でのオートドライブを搭載することが法制化されていた。

 タクシーは奥多摩湖に注ぎ込む小袖川に架かる鴨沢橋を渡り始める。

 オートドライブ下では、自動車を安全な場所まで誘導して停車することが義務付けられている。鴨沢橋上ではUターンはできないので、鴨沢橋を越えて自動停止するのだろう。

そのとき、ドーンという音と振動がして、橋脚が崩れ、橋が進行方向側に傾きはじめた。

 足元には大型の悪霊の気配を感じる。


(奥多摩湖の霊か……!? 浄化神術をかけて刺激してしまった。このままだと湖底に真っ逆さまだ)


 少し離れた対岸には、心霊スポットとして有名な奥多摩湖ロープウェイがある。多くの心霊目撃例があることから、この湖に何かいたとしても不思議ではない。

 ファルマ少年はすでに全開していた窓からタクシーの外に体を捩じり出し、崩落してゆこうとする鉄橋の路面に向けて傘をかざした。


 詠唱省略。

 橋脚の下へ向けて、悪霊を踏み潰すように鉄塊を創造。崩れた橋脚を支える。

タクシーが崩落に巻き込まれないように鉄の物質創造をかけ続け、同時に湖上を凍らせ、悪霊を湖上に出てこないように神術陣を張る。

 悪霊は封じたが、タクシーはそれでも前進し続ける。

 タクシーは鴨沢橋上にある都県境を越えた。


(っ……だめだ、神術が使えなくなった)


 ファルマ少年が神術を使えるのは東京都内に限られる、ということは藤堂に聞いて知っていた。


(滑り落ちる! 藤堂先生!)


 あれでもと思いながら呼んだが、藤堂は現れなかった。

 既にタクシーは都県境を出て、山梨県にあたる対岸が見えるところまできている。

 東京都を出たら、藤堂は呼ばれても気づかず、転移ができないと言っていた。

 汎用転移術にも、距離の制限のようなものがあるのかもしれない。

 これ以上先に進むことはできない。

 タクシーが県境を越えてしまったらあとはオートドライブで山梨県側へ進み、湖上の氷は途切れて、タクシーごと湖底へと沈んでゆく。

 ファルマ少年は泳げるが、車内にいる全員が意識を失っている。


(このままだと、全員死ぬ!)


 ファルマ少年は絶望的な気分になる。

 すると、スマートウォッチが通信状態に入った。


【頑張ってこちら側に車を持って来れますか。オートドライブをオフ、緊急停止と言って、ギアをRにしてアクセルを踏み、橋をバックで逆走してください】


 藤堂の声だ。

 彼の姿はないが、スマートウォッチで通信をよこしていた。

 ファルマ少年は無理やり気を取り直すと、指示されたとおりに告げる。


「オートドライブをオフ、緊急停止」


 タクシーに搭載されているスマートシステムが、オートドライブの終了と車の緊急停止を受け付けてくれた。

 タクシーは前に大きく傾いたまま急ブレーキが効いて停止した。

 何かの破片を踏んで、タイヤがパンクした破裂音が聞こえる。

 ファルマ少年はひとまずほっとすると、車内パーテーションを破壊して後部座席から運転席へ体を伸ばし、まずギアをRにする。


【傾斜が強いのでベタ踏みでいいです。アクセルは一番右側のペダルです、間違えないように。都県境を越えたら、助けられます】


 藤堂は的確にスマートウォッチを通して指示を出す。ファルマ少年は息を吸って腹を引っ込め、運転席の下へともぐりこみ、手でアクセルのフットペダルをベタ踏みした。

 タクシーは急加速でバックを始め、そのまま東京都側へとバックで逆走する。

 都県境を越えたとき、ファルマ少年は路肩に立っていた藤堂とすれ違ったのに気づいた。


 次の瞬間、目の前に閃光が走り、ファルマ少年はタクシーの後部座席で目を覚ます。

 何もかもがもとに戻っていた。

 タクシーは鴨沢橋の手前の空き地に安全に停車し、タクシーの運転手は目をぱちくりとさせている。鴨沢橋は崩れておらず、湖面は美しい景観を保っている。

 前の座席にいる善治はいびきをかいている。ちゆは完治の膝の上で寝ていた。

まるで白昼夢をみたかのようだった。


「すみません、かなり行き過ぎてしまいました。カフェに戻りますね。メーターは止めて、割引もしますから」


 タクシー運転手は納得がいかないといったように首を振りながら、Uターンをかけて戻っていった。

 全員がうたたねをしていたといい、誰も橋の上の出来事を覚えていなかった。


 夢だったのだろうか、ファルマ少年がそう思いかけたとき、神杖傘の留め具のボタンが外れているのを見つけた。


(現実か)


 ファルマ少年はボタンを留めると、写真を撮りたいといって麦山浮橋で車を止めてもらい、湖上から厳重に神術陣を施した。

 小河内神社の結界を拡張してその場をあとにした。


 ◆


 8月15日。


 藤堂 レイアは都県境にある秋津駅の、埼玉県所沢側のホームで電車を待っていた。

 秋津駅は、東京と埼玉の三市にまたがる特異なスポットだ。


「あ、きたきた」


 待ちに待った、指定された電車の車両に乗る。

 何故かその車両だけは無人で、電灯がついておらず、車内広告の全ての文字が反転していた。


「この車両ね」


 レイアが確信をもって完全に乗り込んでしまうと、電車の扉は静かに閉じる。

 電車が動き始めるまでに東京異界に受け入れてもらえなければ、異界の壁に挟まれて即死する。レイアは緊張しながら声を張り、車内で宣誓する。


「陽階神 藤堂 レイアより中央神階セントラルへ報告。

 現在時刻より“第四の創世者”の支配を脱し、“東京異界の管理者”へ帰服します」


 レイアが宣誓すると、先ほどまで誰もいなかった車内に忽然と義兄、藤堂 恒が現れた。

 正確には現れたのではなく、レイアが東京異界への接続と侵入を許されたのだ。


「あのさあ……散々断ったのにこういう強硬な方法で来ないでよ」


 人に擬態した藤堂は電車の座席に深くこしかけ、やられたと言わんばかりに額をおさえている。

 電車は動き始めて、完全に東京都内に入ってしまった。

 他の車両にも乗客は乗っているのだが、この車両だけは無人だ。

 レイアは愛想笑いをしてやりすごす。


「でも、第四の創世者様から聞いた公認の方法だよ?」

「何であの人はまた幇助するかな……今、眷属を抱えるだけの余裕がないんだ。わかるでしょ」


 藤堂 恒はレイアの侵入を拒絶したかたったのだが、電車が動き始めればレイアが即死するため受け入れざるをえなかった。

 そこで藤堂は否応なく、レイアの体を生体構築で瞬時に作りかえ、眷属の神として配下に置いた。藤堂 恒の眷属となったレイアの体は神体へと転化し、黄金のアトモスフィアの輝きが蘇る。


「大丈夫! 私、女神に戻ったら恒より強いし! 恒のこと守ってあげるよ!」


 かわいらしくふんぞりかえっているので、藤堂は彼女を責めることもできない。

 思い起こせば、レイアは随分と性格が変わった。

 以前は終始自信のない内気な性格だったのだが、大学のゼミでディベート力を鍛えられ、就活戦線とインターンの嵐をくぐりぬけ、コンサル会社に入社したあたりにはこんな感じになっていた。

 受ける会社すべて合格していたレイアだが、色々と世間の荒波に揉まれて大変だったのだろう。


「逆でしょ。今の3分の間に15回殺されてるのに?」

「えっ、気づかなかった。私、殺されてる?」

「俺が即時復活させて記憶を書き換えてるから知覚できないだけで。情報負荷を増やさないでよ……神化したレイアの情報量、でかいんだよ」


 東京異界の時空にあるものは、鎹の歯車を通じて繋がっている創世者Xより直接的な攻撃を受ける。藤堂は管理者権限を駆使して創世者Xのあらゆる攻撃から都民らを庇護しているが、レイアのように異質なものが異界内に入り込むと、その脅威を認識してかとりわけ集中砲火を受ける。

 藤堂にとって旧神であるレイアの侵入は見えている地雷のようなもので、わざわざ無限に殺されるためだけに東京異界に飛び込んでこないでほしい。


「うそでしょ!」

「嘘だと思うなら全部思い出したい? さすがにPTSDになると思うけど」

「いえ結構です」


 守ってもらっていたのはレイアのほうだったというオチだ。


「もう手一杯になったら殺されても放置しとくよ」

「いやー! せめて火葬場に連れて行かれるまでには復活させて」

「よし、すぐに名古屋行きの新幹線の予約を手配してあげよう」


 藤堂は面倒になってきたようだ。


「……ごめん調子にのった。そんな激やばな相手と交戦中なんだ。第四の創世者様が恒も何回か殺されてるって言ってたから心配で来ちゃったの」

「気付かなかった! 俺も殺されてたのかよ!」

「私は恒に、恒は第四の創世者様に庇護してもらってるの。まるでマトリョーシカみたいだね!」

「俺も迷惑かけてんだなあ……」


 そんな体たらくではレイアを責められもしないかと深く息を吐く。

 第四の創世者も未熟な藤堂の意向を飲んで、東京を異界化することを許容している。

 藤堂には知覚できないが、今この瞬間だって黙って恒の失敗をカバーして何らかの埋め合わせをしているかもしれない。

 現に昨日も、藤堂はファルマ少年の庇護をしくじった。

 彼の行動日程はわかっていたのに、まさかものの数十秒の間に悪霊に絡めとられて都県境に出てしまうとは想定できなかった。悪霊の発生する殆どの可能性をつぶしていたが、情報の精査が甘い証拠だ。


「心配してくれたのはありがとう。でもできるだけ早く出て行ってね、研修終わったらすぐ」

「28日にお母さんたち来るじゃん、あそこまでは追い出さないでよ」

「長いな。まあいい、昼、何食べたい?」


 藤堂は今日中に追い出すのを諦めて、レイアを接待することに決めた。


「南青山のお花のきれいなカフェ! フォトジェニックなの。会社の同僚がおすすめでね」

「あそこか。人気みたいだね」


 藤堂はレイアを看破しつつ、彼女の行きたい店の情報に触れる。


「おっ、さすが東京の管理者様だねえ。今空席ある?」

「満席だったけど窓際の席を二人分あけてもらって予約した」

「あら、いいのかな? 気がひけるなー」

「いい予定変更が入ってキャンセルしたんだ」

「ならOK。そういえば今日ってお盆だけど勤務日だって言ってなかったっけ」

「仕事してるよ、だから断ったじゃん」


 おっと、そういう意味か。

 とレイアは理解する。藤堂は同刻に、複数の分身を使って異なる場所で異なる相手に対応している。

 ユージーンが、恒は独立した「東京の管理者」だと言っていたが、まさにそういうことだ。


「ごめんて。共存在体、何体使えるんだっけ」

「情報負荷が増えるだけで制限はないよ」

「便利! じゃ私は南青山に跳ぶね」


 アトモスフィアが神体に蓄積してきたことを実感したレイアは、

 リハビリを兼ねて自力で南青山まで転移をかけた。


 ◆


 昼食の焼きそばを食べて、ちゆとガレージで泥遊びをしていたファルマ少年は、藤堂が自宅に金髪美少女を連れて帰ってきたのを目撃した。スーツケースに大きな荷物を持っていることから、泊りがけとみえる。


(なるほど……今日はお泊りか。見てしまった。挨拶をすべきか、気づかないふりをすべきか。立ち回りが難しい)


 ファルマ少年は難しい顔をして納得して、空気を読んで顔をそむけることにした。

 それに気づいたちゆが正面に回り込んでファルマ少年の顔をうかがう。


「にぃに、どしたの?」

「どうもしてないよ、ちょっと驚いただけ。大人だもんな、むしろ結婚していないのがおかしいぐらいだ」


 恋人かフィアンセの一人ぐらいいるだろう、とファルマ少年は自分に言い聞かせる。

 ファルマ少年が元いた世界では、貴族の義務として15歳になるまでにはフィアンセをとしつこく言われ続けていた。

 藤堂の相手の美少女も妙な気配を感じるが、悪霊がとりついているのでなければそれでいい。


「こんにちは!」


 しかし予想に反して、金髪美少女はファルマ少年に気付いて声をかけてきた。

 ファルマ少年は急いでちゆと泥遊びをして汚れた手を洗う。


「はじめまして」

「二人ともお隣さんなの? 兄がお世話になっています。私は藤堂 レイア、これから頻繁に兄の家に来るからよろしくね」

「レイアさんですね、薬谷 完治と、こっちはちゆです。お兄さんには本当にお世話になっております」


 いや、お兄さんと似ていないですよねとは言えず、ファルマ少年は無難に会話を続ける。

 ちゆは泥がまだついた手でレイアに握手をしようとしていたので、ファルマ少年が彼女の手を引っ込めた。


「あ、レイアは私と血がつながってないので似てないんですよ。東京で研修があったりするので、これからは家に出入りします」


 藤堂は大人な対応をしてくるファルマ少年に、先回りで説明しておく。


「ご家族ということは、レイアさんもそっちの人なんですか?」


 ファルマ少年はどこまで聞いていいものかと思いながら藤堂に尋ねる。

 兄妹とはいっても藤堂だけ能力を持っていて、レイアは平凡な一般人の可能性だってある。

 そう思ったからだ。


「どっちの人かわかる?」


 ファルマ少年の暗号に気付いたレイアは、彼を試すようにアトモスフィアを少しだけ放散する。

 ファルマ少年は彼女の周囲を凝視し目を丸くしていた。


「あっ、わかりました。そっちの方なんですね、金色の光! きれいですね」

「へー、見えるんだ。びっくり。これ人間には見えないんだよー」


 レイアは驚いたように手をぽんとやった。


「にぃに、何が見えたの? ちいちゃんもみるのー」


 ちゆはよくわからないながら、ファルマ少年に何かが見えたことを羨ましがっている。


「彼女は私と同質の能力を持っており、私と違って所定の手続きを踏めば東京外にも出られます。何かあったら彼女も頼りになります」


 藤堂は簡単に説明して、ファルマ少年にレイアと面識を持たせておく。

 藤堂は東京の外に出ることができず、ファルマ少年が都外に出てしまうと力が及ばない。

 ファルマ少年も都外では神術を使えない。

 というのは、ファルマ少年が昨日思い知ったばかりだ。

 昨日、ファルマ少年は帰宅後、藤堂に「予測できなくて申し訳ない」と平謝りに謝られた。

 昨日の今日という絶妙なタイミングでレイアが現れたのは、藤堂が昨日のような状況への対策として呼んだのかもしれないとファルマ少年は考えた。


「えっ何の話? 私って何か頼りになる?」


 かわいらしくきょとんとするレイアは、何も知らなかったようだが。


「な、なんかすみません。昨日の今日で、レイアさんが来られたのも偶然じゃないですよねきっと」

「いえ、レイアが今日押しかけてきたのは本当に偶然なんです。何なら来るなと言い続けていたのですが来てしまって」


 藤堂は全否定するが、ファルマ少年は信じていない。

 そういえば、レイアは先ほどからファルマ少年の頭のあたりを凝視してくる。

 視線は合わず、脳内を直接探られている。そんな妙な感覚だった。

 兄も変わっているが、妹も変わっている。


「それでは知らないとご迷惑になるので、色々とお話ししておいたほうがいいですね」

「もし話してよければ私が話しておきますよ」

「ありがとうございます、ではよろしくお願いします」


 ファルマ少年は深々と頭を下げる。

 とっさにお辞儀ができるあたり、段々と日本人に順応してきた。


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