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人生は一回だが、猫はつながってゆく

 驚くほど小さなお骨になったしまったアーヤの骨壺を、ひざの上に抱いたまま、わたしはペット用の火葬場の待合室に座っていた。




 黒ぶち模様のアーヤ。額の二つの黒丸が平安貴族の麻呂眉(まろまゆ)の様で愛らしかったアーヤ。遺影代わりに持ってきた写真立ての中のアーヤは「どうしたの?」と、不思議そうな目でこちらを見つめている。




「逝ってしまったんだよ・・・大切な君が」




 係りの女性が入ってきた。一緒に小さな、二人だけのとても小さなお葬式を取り仕切ってくれた人だ。わずかな時間だったが、同類だからか、彼女も恐らく猫が好きなのだろうと、わかった。




「あ、すいません、もう帰りますね」




 もう会計もすんでいるし、お骨も受け取った。ただ、もう少し落ち着かなければ、運転して帰るのが怖かったので、待合室で座り込んでいたのだ。




「大丈夫ですよ、午後はもうお式はありませんし」




 女性はそういうと温かい緑茶を入れてくれた。




「ありがとうございます・・・こんなにつらいなら飼わなければよかった・・・」




 猫好き同士だと言う甘えか、思わず口をついて出た。同時にどうにか乾きかけてきていた涙腺がまた緩む。




「ここに来た皆さんはそうおっしゃいます」そう言って彼女は待合室の壁を見回す。




 そこにはここでお葬式を挙げた犬や猫たちの写真が飾ってある。どれも愛され、そして失われた、いろいろな人の大切な子たちだ。




 女性は言った「それでも、また新しい子を飼ってあげて欲しいと思うんです」




 わたしは顔を上げた。




「だって、ここに来る人たちは、みんな、とてもこの子たちを愛してあげていたから、そうじゃなければ、猫や犬のお葬式をしてあげようなんて思いませんから、そういう人なら、きっと新しく来た子も愛してくれると思うんです」




「でも、こんなにつらいのは・・・」わたしは絞り出すように言った。




彼女は続けた「愛した子から教えられた、いろいろなこと、次の子に生かして欲しいんです・・・、実は私、獣医もやっているんです、獣医になって5年なんですが、猫や犬を10年、時には20年飼っている人は、獣医の私が驚くようなこと、知らないようなことをたくさん知っているんです、どうすれば喜ぶか、どんな声で鳴いて、どんなことをしてほしいと思っているか、とか」




 この人、獣医だったんだ。わたしは彼女の白衣姿を想像した。束ねてはあるが美しい黒髪が白衣に映えそうだった。




「ですから、せっかく愛してきた子に教えられたことを、ゆっくり忘れてしまうより、また新しい子を迎えてあげて、次の子に生かしてほしいなと思うんです、きっとその方が逝ってしまった子も喜ぶんじゃないかなと思います」




 次に新しい子を迎えたらどうするだろうと私は考えた。まず、避妊手術をしよう。アーヤは可哀そうだと思って避妊手術をしなかったから、季節が来ると鳴き声が酷かったり、粗相をしたりして、その季節は叱ってばかりいた。




 今思えば、本能がそうさせていたのに、とても可哀そうなことをしていた。今度、飼う子はきちんと避妊手術をさせよう。避妊手術なんて可哀そうと思っても、長い生活を考えれば、きっとその方がいい。




 そして、お水のお皿をたくさん用意しよう。アーヤは腎臓の病気で逝ってしまった。猫にお水を飲ませるのはとても大切。台所にも、お風呂場にも、水場全部に大きな水飲み皿を用意しよう。




 他にもある。子猫のうちに人間の手をおもちゃにして遊ばせるのもやめよう。大人猫になっても人間の手で遊ぼうと飛びついてしまうから。子猫のうちは良くても大人猫に飛びつかれれば人間の方が怪我をする。それでアーヤを叱らなければならなかったから。




 次の猫と考えたとたん、アーヤから学んだことが次々と浮かんでくることに自分でも驚いた。そうか、私はアーヤから、いろいろ教えられていたんだな・・・。




「ちょっと待っててください」そう言って女性は立ち上がり事務室の方へ向かって行った。そしてすぐにバスケットを持って戻ってきた。




「普段はこんなこと、しないんですけど、あんまりにもそっくりだったから・・・」




 バスケットの中には子猫がいた。まだ目も開いていない子猫だ。思わず顔がほころぶ。でも見覚えがあった。アーヤだ。特徴的な白黒の麻呂眉。子猫の、うちに来たばかりのアーヤにそっくりだった。猫を飼ったこともなく、猫を飼っていた親戚のおばさんに電話で訊いたりして、寝不足になりながら、ミルクをあげた思い出がよみがえる。




「小学生の男の子が拾って、うちの動物病院に連れてきたんです。近くの神社の境内に箱に入れられて捨てられていたって、今日、アーヤちゃんのお写真を見て、驚きましたあんまりにもそっくりだったから」




 女性は申し訳なさそうにしている。




「触ってもいいですか」




 女性がそっと子猫を差し出す。子猫が目を覚ましてミーミーと鳴き出す。それを聴いてさらに子猫だったアーヤのことを思い出す。猫のことを何も知らずオロオロしていたあの頃。アーヤはそんな私の元でも元気良く育ってくれた。




 抱え上げてみると、子猫は鍵しっぽだった。元気なころのアーヤは長い真っすぐな尻尾が自慢だった。




「アーヤちゃんと違って、その子は男の子です」女性が言った。




 持ち上げて覗いてみるがまだ小さくてよくわからない。




「この子、わたしが貰ってもいいんですか」




 思わず口をついて出た。自分でも少し驚いたが、もうこれはどうにもならない。抱き上げてしまった時点で私の負けだ。やはり私は猫に負け続ける人生なんだ。




「できれば、お願いします」女性は続けた。「健康状態はとてもいいです、捨てられてすぐだったんだと思います。病気もありません」




 そうと決まれば早く連れ帰って落ち着かせてあげなくては、途中で子猫用のミルクと哺乳瓶を買って、他には何が必要だったかな・・・子猫時代のアーヤから学んだことをぜんぶ思い出さなくちゃ。




「箱を用意しますね」女性はバスケットを持って事務室に戻っていった。




 子猫を抱いている手のひらがとても温かい。小さな小さな命の塊という感じだった。確かにアーヤもこんな小さかったのだ。オス猫を飼うのは初めてでちょっと不安だけれど、きっと大丈夫。




 女性が段ボール箱を持って戻ってきた。




「小さな湯たんぽとタオルが入っています、それと・・・」




 そう言うと申し訳なさそうに段ボールの中を見せた。そこにはタオルが敷き詰められ、小さな湯たんぽに寄り添って小さな小さな茶トラの子猫が寝息を立てていた。




「その子の姉か、妹か、わかりませんけど、二匹で同じ箱に入れられて、捨てられていた子です、もし、もしも、良かったらですけど・・・」




「二匹・・・」そう思ってアーヤの写真立てに目をやると、アーヤの黒目がちな瞳がこちらを見ていた。「いけるよ、あたしがついてるから大丈夫」と言っているような気がした。




「去勢と避妊手術は私が無料でやらせてもらいます、それから一年間は・・・」彼女はそう言って詫びていたけれど、そのあとの事はあまり良く覚えていない。




 それから、バタバタと買い物をし、二週間ほどはミルクとお世話で、寝不足の日々が続いた。




 そして二匹は元気な若猫に育っている。




 そういうわけで、これが私がアーヤを亡くして、すぐに子猫を二匹も飼い始めた、いきさつ。新しい猫たちからも、私は毎日、いろいろ教えられる。一匹の時とはまた違う大変さと楽しさを味わっている。




 きっと私は一生、猫を飼い続けるんだろう、そしてきっと私は一生、猫から学び続けるんだろう。



                                          おわり

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