03 世界はツッコミに溢れている
さて、全然事態は好転していないわけなんですが今私は此処にいるわけです。
大絶叫を起こしてぶっ倒れた後、なんやかんやあって結局イケメンらが戻ってきて私を運んでくれたらしい。意識を失っててよかった。起きてたらエクソシストみたいにブリッジで暴れ回ってた。
本当によかったのはこれが夢だったら、っていう事だったんだけど流石にそういうわけにはいかなかったしな……。
目が覚めた時は黒いレースのカーテンがかかった悪夢しか見ない様なデザインの天蓋付ベッドの上で、素っ裸で絹布団サンドイッチされてる状態だった。
「服ぐらい着せろよ!!!!」
という人目をはばからぬ魂の絶叫の直後に何でもない様な声音が右斜め前方から降ってきた。
「貴方様の場合は、お気に召されぬ御衣裳を御着せになると大層お怒りになられますので…。
服を召される場合は起きてから、というのが貴方様の言いつけではありませんでしたかな。ベアトリーチェ様」
「うぬぉっ?!!!」
女としてどうかと思うようなうめき声をあげた私の目に映ったのは、ピシリとした黒の執事服めいたものを一糸の乱れもなく着こなしている、多分初老の男性だった。
なんで多分か、というと……顔が人間じゃないのだ。優しげな瞳は人間に近い気もするが、その頭は多分竜のものだ。
ファンタジー小説だと亜人、と称されるような外見をしているその彼は落ち着いたその声音の通りに緩やかな所作でこちらへと近づいてきて傍にあった黒のガウンをぱさりと私の肩からかける。まさしく執事という感じだが、良く考えると今の私は素っ裸である。
慌てたようにかけられたガウンを纏い、腰のあたりでリボンを締める。
外気から肌が護られただけでひと心地ついた私に軽やかな動作で椅子を進めてくるそれにおどおどと着席して、彼がそっと傍に控えて跪くのを何とも言えない心地で見つめる。
うぅ…美少女に跪く初老の竜執事……はた目から見れば萌えるのに中身はブスでオタクの私っていうのがいたたまれねぇ……。
一体何をどうしたらいいのか、かける言葉も見つからずにうろうろと瞳を彷徨わせてばかりいる私に竜執事は困ったように笑いながら口を開いた。
「やはり、どうやら貴方様は記憶が無いようですな。普段ならば貴方様の許可なしに跪くなどあってはならぬことですからな…」
何でもないようなことのように執事が呟くが、おいこのガワの持ち主どんだけだよ。こんな紳士に跪かれて文句が出るって贅沢ってレベルじゃねーぞ。
「では、改めまして。わたくしはリドガルド、貴方様の館の執事頭を務めております。
本来ならばこのような事にはならないはずだったのですが……勇者めの攻撃によって魂の離脱が予想以上に早く、欠片を集めての再構築に時間がかかってしまったのが原因でしょう……。誠に申し訳ない限りです」
いやまぁ、魂は別人なんですけどね!!! という言葉は流石に出せない。ガワは本人とはいえ中身が他人と知ったら何でもありの魔法世界、一体何をされるか予測もつかないのだ。
実際話してる今だって身体から冷や汗が噴き出すのをじっと我慢しているのだから。
リドガルドと名乗った此の執事、流石執事頭なんてやってるからか呑み込みが大変早い。魂云々を抜きにしても自分の記憶がないことを理解し、私に今の状況やこの肉体の持ち主の人となりを話すことにしたらしい。
…まぁ、あの、話された所で記憶は戻らないんですけど。とはいえ、知識として知ることは悪いことではない。
ある程度知ることで其れらしく振る舞うことができるかもしれない。……ちらっと聞いただけで絶望的な単語が今までもすでにちらほら混じってるけど…。
ただ一つ問題が。
「あの~~その前になんか着たいんですけど……」
話をしてもらうのはありがたいが、今の私は素っ裸にガウン一枚。いくらなんでも落ち着かない。
せめて服の一枚でも着ないと話に集中できなくなりそうなのだ。
私の言葉にリドガルドははたと目を瞬かせて、次いで困ったように笑う。
「ほっほ、そうでございました。大変な失礼を。どうやらこの爺めも自覚はなくとも随分動揺しておるようですな、いやお恥ずかしい」
そう照れたように少し俯いて立ち上がってから私の手を恭しく取ったリドガルドに促されて私も椅子から立ち上がる。
そしてゆっくりとした足取りで案内されるがまま壁の方へと導かれると、其処には私の身長をはるかに超える壁一面にあるクローゼットらしき両開きの扉。
「では本日のお召し物はいかがいたしますかな」
リドガルドが尋ねる声と共にぱちんと指を鳴らすと大きな扉がひとりでに音もなく開いていく。
其処には上から下までびっしりと、どんな劇団も顔負けなほどの服がずらりと並んでいた。
「ぅーわ……」
感嘆というよりは若干引いてるような言葉と共に呆然と立ち尽くす私を気にせずリドガルドはその中の一つを取って私の方へ見せるように少し掲げて見せる。
「今ベアトリーチェ様は記憶がございませんので、僭越ながら私が選ばせて頂きました。…いかがですかな?」
その手の中にあるハンガーからぶら下がる黒くて、えらい面積の少ない水着みたいなそれ。
…えーっと、私、服っていったよね?どう見ても服じゃない…。
――あ、待てよ。
「……下着ですかそれ」
紳士がにこやかに下着を差し出すという絵面はともかくとしても、良く考えてみれば当然だ。
ファンタジーだからってこんな痴女みたいな恰好でうろつくわけにはいかないよね。うん。
しかし
「―――……下着……?」
はて、とかいう言葉混じりにリドガルドが不思議そうに首を傾げる。おいまて、いやまさか…。
「ほ、他のは、ないですか……」
「ああ、お気に召しませんでしたか。黒よりも今日はこちらの方がよいですかな」
納得したようなリドガルドが笑いながら再び差し出してくる別の服……どう見ても似たり寄ったりの布面積。水着どころか下着の方がまだ肌を隠す割合が高いともいえるほどの其れ。
差し出してくるそれを受け取らずに無言で無造作にかけられたハンガーの中から一つとる。
……大して変わらない。
「――――布じゃん!!!」
気付いたら私はもう腹の底から叫んでいた。
「絹の方がよろしかったですかな?」
「そういう問題じゃないよ!面積の問題だよ!!!これもう服じゃないよ、布じゃん!布と紐を組み合わせた何かだよ!!! いっそ紐だよこれは!!!!!」
何でもない、これが普段ですというようなリドガルドに畳み掛けるように叫んでしまう。
色々なんかセーブして知識を蓄えてから口を開こうと思ったのが全部台無しだ。だがこれが突っ込まずにいられようか。
「百歩譲って悪魔の正装がこれだとしてもだ!!部屋着くらい普通のをくれよ!!!寒いよ!!」
「貴方様は熱さや寒さに対する耐性を有しておりますのでご心配なく」
「マジレスありがとうございます!!!」
こんな調子で数分間絶叫混じりのやり取りを繰り返して、ただでさえ少ない私の体力と正気がゴリゴリ削られていく。色々現代語混じりの突込みにも大して動じないリドガルドのメンタルにも吃驚した。執事頭すごい。
ぜいぜいと肩で息をして、たまに咳き込む私の背中をやれやれといった体でさすりながらリドガルドは少しだけ困ったような顔をして見せた。
「ふーむ…記憶がないからでしょうか。あらゆる好みも違ってしまわれておるようですな。しょうがありません」
まじでこの身体の持ち主はこんな紐と布をただくっ付けただけの代物を好んで着ていたのだろうか…。
しかしリドガルドの困惑ぶりを見るとそれは本当だったようで、これから私はそんな奴として生活していくのかと一抹どころではない不安が込み上げてくる。
そんな私の心配をよそにリドガルドはパンパン、と二回軽く手を叩く。するとそれからほどなくして部屋の扉が開き、二人の少女が室内に入ってくる。
黒髪で赤い瞳をして、まったく同じ顔をした少女。しかしその下半身は人間ではなく、蜘蛛。
「アラーニャ、アレーニェ、ベアトリーチェ様のために大至急ドレスを一着用意しなさい」
所謂蜘蛛人間と呼ばれるのだろうか、巨大な蜘蛛の胴体からにゅっと美少女の腰から上が生えているのは異様としか言いようがないが、獰猛なわけではないらしい。
しかもよく見ればメイド服を着ているがかなりお洒落だ。
この館の服飾担当といったところなのだろうか。
その二人の蜘蛛少女はメイド服のスカートのすそを摘みあげて優雅にお辞儀をするとさっと部屋から出ていく。
……せめて退出するときは普通に歩いて行ってほしかったな。壁を登るな壁を…。
そしてそのままどうしたらいいのかわからず待つこと数分。
直ぐに彼女たちは戻ってきて、その手の中には一着の黒いドレスが恭しく収められていた。
リドガルドに着るのを手伝ってもらって、漸く一息つくことができた。
チョーカーのように首元を彩るレースから、胸元まではうっすらと透ける素材が伸びていて袖がない。
腹部分にはコルセットが付けられているが予想以上に苦しくない。スカートは黒いものが足元まで伸びていて肌をあまり露出しないデザインとなっている。
……太ももの付け根まである両脇のスリットが気になるけど……。
ともあれ、此処までして漸く落ち着いて話を聞くことができるようになったのである。
綺麗なテーブルクロスがかけられた小さなテーブルにリドガルドが入れてくれた紅茶を伴ってほっと一息を付く。
よかった…食べ物は普通だ。魔界だからって芋虫のから揚げとか出てきたらどうしようかと思った。
私が御茶を飲んでいる間もリドガルドは傍らから微動だにせず、話を聞く準備ができてもその場所から動かないので、隣か向かいに座ったらどうだとすすめたらなんだかすごく驚いていた。
…ちょっと前に聞いたことといい、どんだけ横暴なんだよベアトリーチェ様……。
そうして二人が向かい合ってお茶をすすりながら私の設定…もとい人となりを話すのが始まったのだ。
「まず、貴方様の名前はベアトリーチェ様。生家での苗字を貴方様は好みませんので今は割愛をいたしましょう。貴方様は魔界において淫魔を統べる大公爵、アスタロト様とその奴隷である八天使の一人であるユルシェルの間に生まれたのが貴方様です」
「最 初 か ら 設 定 が 喧 嘩 し て る !!!!!!」
出だしからツッコミしかない。美味しいバタークッキーを食べながら紅茶を飲みつつ聴いていたのにツッコんだせいでかけらがぶばっと散ったのが本当に申し訳ない。
「ハーフ設定は百歩譲ってもありがちだけどいい!相反するもの同士のハーフは悲壮設定がついて大層美味しい!それが好きなのは否めない!!だけど
な ん で 淫 魔 な ん だ よ !!!
其処は天使と悪魔とか、悪魔と人間で良いだろ!!乙女ゲーにしたいのかエロゲーにしたいのかわっかんないよ!!!」
ありがちといえばありがちだが突っ込まずにはいられない。当事者であればそう深く考えることもなかったかもしれないが、残念ながら私は先日まで第三者だったのだ。突っ込むなという方が無理だ。
ただでさえどっちかっていうとひねくれたオタクだったんだから。
「天使との交わりは禁忌ですが、其れはその禁忌により常軌を逸したほどの魔力を持つからでありまして、貴方様はその能力で魔王軍への参入を果たしたのです」
「だ か ら な ん で !!!! 普通は純血のほうが強いんじゃないのか!混ざったら強くなるってどういう理論だよ!!!
其れだったらもう全種族雑種フィーバーだわアホが!!!」
「ですが混血種はその強力な魔力をコントロールできないのです。故に大変危険なもろ刃の剣であるともいえます」
「わかってんなら混血作るなよ!そこまでわかっててなんでつくるんだよ馬鹿!!!」
おかしい……なんで私はこんなにツッコんでるんだ……。今までは言おうと思ったことも黙ってばっかりだった癖に…。
一度死んで、なんか開き直ったんだろうか。そのあたりは分からない。ただこの世界の色々がツッコミどころしかないのもその原因の一端だろう。
ぜーぜーツッコミ疲れで息切れさえしている私にこれまた何とも言えない憐みとも取れそうな表情のリドガルドが労わるように背中をさする。
「やはり……記憶がないというのは大変でございますな。ありとあらゆることにそのように衝撃をお受けになられるとは…」
あ、なんかすごい好意的な解釈してる。
しかしまぁ、変に疑いを向けられるよりはましだろう。うう、心のままに突っ込んでいてそういう可能性を排斥していた…。
「本当であればこの魔王軍の事ももう少しお話しようと思ったのですが……」
「いや、あの……どうかまたの機会で……これ以上はちょっと……」
「まぁ、たしかにお目覚めになられたばかりです。記憶もなくて混乱されることもありましょう。どうぞそのまま今日はお休みくださいませ」
というリドガルドの配慮により私の人となり…もとい設定を聞く時間は一時間と立たずして終わってしまった。
しかし、こんな突っ込みどころしかない世界観の中にある魔王軍なんて私以上に色々問題なのではないだろうか…。
本日の夕食は何に致しましょう、と朗らかに言うリドガルドの横顔を見ながら暗雲しかない未来にため息しか出ないのだった。