21・今夜あなたは、私を優しく包んでくれた
城の中庭、剣を打ち合わせる音が響く。
カン、キン、コン、
「流石はターム。鋭いな」
「ミハイル王子は剣も一流ですね」
ジャネット王女のおにーさまと騎士タームが剣のお稽古。
タームはジャネット王女と結婚して今は騎士じゃ無いか。
それでも妖精騎士とみんなに呼ばれているし、巨人を倒した騎士の中の騎士と称えられてたりする。
二人の稽古を見守るのはジャネット王女。ニコニコ笑顔で剣を合わせる二人を見る。
「兄上、決闘に負けたのがそんなに悔しかったのですか?」
「当たり前だジャネットぉ! だが負けた以上はジャネットとタームの結婚を祝福しよう。認めよう。だが、それでも悔しいものは悔しいのだ! このタームがジャネットをおお!」
「はい、兄上。昨晩もタームは余を愛してくださいました」
「ぬがあーー!」
一層激しく鋭く剣を斬り込むおにーさま。だんだん稽古じゃ無くなってきたな。
ジャネット王女はタームにウィンクして合図。タームは小さく頷いて。
「守りが疎かになってますよ、その、兄上」
「むきぃ! タームが俺を兄と呼ぶなぁ!」
頭に血が昇ったおにーさま。連続で撃ち込む剣をタームにカンキンコンと捌かれて、最後に剣をクルリと絡めて飛ばされて。
「あ、」
タームの剣の腹がおにーさまの肩をポンと叩く。
「くー、まったく」
「ミハイル王子、剣には熱さも必要ですが、冷静さもまた同じくらい必要です」
「強いし頭も切れる。やることなすこと率が無い。ターム、お前という奴は」
おにーさまは落ちた剣を拾って土を払って肩に担ぐ。タームに背中を向けたままで。
「本当にムカツク弟だよ……」
「ミハイル王子……」
「ジャネットを、泣かすなよ」
爽やかな風が心地よく吹く。
いきなり兄と弟になった二人の男は、苦笑しながらも今の関係を受け入れようとしている。
王子と妖精騎士の素敵な1場面に城の窓から見てる女連中もうっとり。
だけど、ジャネット王女が、
「兄上、それは無理です」
片手を頬に当てて薄く赤らめて幸せそうに、
「ジャネットは毎晩ベットでタームに泣かされていますから」
「俺が泣きそうだぁぁぁ!」
叫んで駆け出すおにーさま。大好きな妹の夜の生活を、その妹から聞きたい兄ってのはあんまりいないよなー。
タームには単眼巨人を討伐した功績があるし、おとーさまの国王はあっさりと二人の結婚を許した。
というか逆に。
「タームよ、ジャネットは人の話も聞かなくてやりたい放題だけど根は純粋なの。どうか見捨てないであげて」
と、タームにお願いしてた。
結婚式とそれにまつわるドタバタも一段落して、二人の生活も少し落ち着いてきた。
ジャネット王女が城のバルコニーで夕焼けに染まる王都を眺める。隣には妖精騎士ターム。
「すまんなターム。妹離れのできない兄上の相手をさせて」
「いえ、私も鈍っていますから、剣の稽古の相手をしてくださるのは有り難いです」
バルコニーに手をつき優しい目で街を眺めるジャネット王女。紫の艶持つ銀の髪がフワリと風に踊る。
王女の手には小さくなったけど傷が残っている。
雄鶏が変身した巨大カブトムシに引っ掛かれた傷だ。よく見ないと解らないくらい小さな傷跡だけど。
タームは王女の横顔を見つめて口を開く。
「何故、王女はそれほどまでに私のことを?」
「余がタームを手に入れて何をしたいかは、妖精女王との対決で聞いただろう?」
「はい。ですが本当にそれだけですか?」
「タームにおおっぴらに口にできぬようなことをしたい欲望も、余の本心だ。だが、余はタームに救われた。その恩を返したいとも思う」
「私がジャネット王女を救った?」
「ターム、結婚したのだからジャネットと呼ぶがいい」
「まだ、慣れません」
「早く慣れてほしいものだ」
髪をかきあげてジャネット王女はタームに向き直る。
「昔の話だ。余はなんというか、嫌な子供であったのだろう」
「いえ、王女は子供の頃から聡明で王女としてすばらしいと評判です」
「むしろ今の方が王女としてはどうかしている、と言われているか。自分で言うのもなんだが私は子供の頃から頭はいい、礼儀作法もダンスも憶えは早い。学問、音楽、絵画、いろいろと器用にこなしてきたものだ。
だが、それが良く無かった。
周囲の期待する王女の姿。それを読み取ってその王女の姿を己に写していた。どのように振る舞えば父上と兄上が喜ぶのか。城の者にとって都合のいい王女の在り方とは。
ただ周りの望みにあう王女を演じることを努力してきた。なんの疑問も無く、子供らしくも無く。そんなときにタームに出会った」
ジャネット王女は顔を上げてタームを見上げる。
「初めて人に心を奪われた。強く惹かれた。一目惚れだ。この美しい男を余のものにしたい。余の手で泣かせてやりたい。辱しめてやりたい。ひどいことしたい。エロイことしたい。どんなことしてやろう? そんな思いがタームを見て心の底から湧き溢れた。ターム、余はひどい女だろう?」
なんと応えていいか解らないタームはあやふやに微笑む。
「余も悩んだのだぞ? 王女たる者がなんと邪念に溢れた者か、王族がこんな淫らで邪なものでいいのか、とな。だが、タームに会ったことで余は初めて己の想いに気がつくことができたのだ。
それまでの余は己の思いも願いも知らぬままに、他人の理想の王女を己に写していた。周囲の期待を映すただの人形であったのだ。
初めて己の浅ましい欲望に気がついて、悩み、苦しみ、ときにはかんしゃく起こして怒鳴ったりした。大人びた王女が急に子供になったと、皆を呆れさせたものだ」
過去を思い出して微笑む王女。それは過去を乗り越えてきた者の余裕の微笑み。
「邪念を胸に抱く者が人助けをして何が悪い? 人に言えぬような恥ずかしくて淫らな願いを持つ者が、人を救って何が悪い? 逆に清廉潔白なだけで何もできぬ輩が人の上に立つことの方がよほど害悪よ。これを知らぬままの人形のような王女では何もできん。
それにやっと気がついて、余は王女の姿を己の身に写すことはやめた。
余が思う理想の王女に、余が考える王族の在り方に、余が成ることにした。
タームとの出会いが余に気づかせてくれたのだ」
誇り高く立つジャネット王女。真っ直ぐに見上げる目は自信に溢れタームを射抜く。
そんな王女の澄んだ瞳を見たタームは、足下の地面がグニャリと歪んだような気がしてふらつく。
小さい頃から二人の姉にイイ男になるように言われて。
女の子達が持て囃すカッコいい男の姿を保とうとして。
家のためにも理想の騎士を目指して。
美麗な騎士よ、王国いちの騎士よと讃えられて。
――では、私が求めた理想の騎士とは、いや、私は本当に求めていたのか? ただ流されていただけで、私は、私の想いとは、願いとは――
倒れそうになるタームを支える者がいる。見ればジャネット王女がタームに抱きついている。
背の小さいジャネット王女は、正面からタームの胸に顔を埋めるようにして。タームは己を支えるジャネット王女の背に手を回す。
――この小さな身ひとつで、あの妖精女王に。この王女は――
ジャネット王女はタームの背を優しく撫でる。
「なんでも出来て優しい者は可哀想だ。皆が願う理想を重ねられて、都合良く使われる。なんでも出来てしまうから、ちょっと頑張ればこなせてしまう。優しいから自分のことより他人のことを優先させてしまう。その結果、己の想いも願いもおざなりになって見失いそうになる。妖精女王は、それが歯痒いのだ」
「何故、妖精女王が?」
「妖精は人の想いを愛で楽しむ者。なのに誰よりも美しく誰よりも強い、妖精から見ておもしろそうな人物が、己の想いを知らぬのだ。これはいじりたくなるだろう」
「……そんな、理由が?」
「だからターム。もう他人の願う理想の騎士を己に写すのはもうやめよ。タームが想い、願う理想に、タームがなればいい」
――今になって、そんなことを言われても――
「ジャネット王女、私には、私の想いが、もう、解りません……」
「では、ターム。3年の情欲にまみれた妖精郷の暮らしはどうだった?」
霧の森の奥の泉のそばで、迷い込む乙女を抱いて、それを妖精が見て楽しみ、おかしなイタズラをされて、呪いをかけられて、騎士を諦めて、お喋りしたり、ゲームをしたり、ふざけたり、遊んだり、のんびりしたり、酒を飲んだり、踊ったり、歌ったりして。
ガンコナーの自慢話を聞いて。
リャナンシーにしごかれて。
妖精たちとのデタラメで訳のわからない日々、いいかげんで、テキトーで。
それを見守っていた妖精の女王。
恥ずかしくて、情けなくて、気持ちよくて、みっともなくて、落ち込んで、開き直って、泣いたり、怒ったり、戸惑ったり、笑ったり、呆れたり、
それでも――
「恥ずかしい思いはしました、が――、楽しかったです」
「そうか、ならばターム、その楽しみを追求しようか。下衆であっても、淫らであっても、それがタームの心だ」
「ジャネット王女……」
「ターム、一緒に探しに行こう。今度は余が手伝う」
――私は王女のように、強く激しく、何かを求めたことが、これまであっただろうか。誰かを求めたことがあっただろうか。私の、願うものは、私の、理想とは、想いとは――
ジャネット王女はタームの胸から顔を上げる。
「汗が花の香りで香水要らずとはな。この香りを嗅ぐとムラムラしてしまうではないか」
「ジャネット王女は、次は何を求めるのですか?」
「次、か。次はタームともっと楽しんで子供ができるといい。そして家族で楽しく暮らす。そのためにも」
ジャネット王女は夕陽に染まる王都を見る。
「この国に住むものが皆、笑って暮らせるようにならねば。みっともない税は廃止して国の財源を見直すところから始めるか」
タームは言葉を無くしてジャネット王女を見る。
銀の髪が頬にかかり、夕日を映す瞳は宝石のように煌めく。タームにはジャネット王女の姿が一際輪郭が濃くなったように見える。
そんなタームを見てジャネット王女は、
「やっと余を見てくれたな、ターム」
満足そうに笑う。
「余がタームに心を奪われたというのに、タームは視界に余を入れるだけ。眺めるだけで余をちゃんと見てはくれなかった。これは不公平では無いか? いつかタームが余を女として見るようにと、これまで頑張ってきたのだぞ。どうだ? 昔より女らしくなっただろう? 背はあまり伸びなかったが」
ジャネット王女の姿がその鮮やかさを増して、まるで風景から浮かび上がるように、強く輝くように見えて。
タームは驚いて足から力が抜けて膝をつく。
「む、どうした? ターム?」
「ジャネット、王女……」
――あぁ、初めて人に目を奪われた。その心の強さに。その強く、熱く、深い想いに――
「どうか、私を、ジャネット王女の騎士にしてください」
「タームはすでに余の夫で、余の騎士だ」
膝をつくタームにジャネット王女は顔を近づけて、タームの顔を両手で挟むように、
「タームは余のものだ」
そっと優しく口づける。
――あぁ、呪いから解放されたばかりなのに。やっと霧の森から出られたのに――
頬に触れるジャネット王女の手のひらと唇から伝わる熱に、溶かされていくような気分の中で、妖精騎士は目を閉じる。
――また、囚われてしまった。だけど、なんて心地好い――
この妖精騎士の物語ってのは、自分の気持ちに鈍くて、やることは器用でもその代わりに心の不器用な男が、いろんなものに惑わされて、囚われて、呪われて、ヨロヨロフラフラしながらも、やっと自分の欲しいものに気がつくっていう、そんな物語なのさ。




