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第九話《旅立ちの日に》

 エル、アザミの両名は再度『魔女の館』にいた。ザクロとクオンも一緒である。既に旅の荷物は荷馬車に積ませてもらっている。あと数刻もすれば出発だった。

 

 であれば村内に居たほうが都合が良いのは明白だが、アザミが『見せたいもの』を見せるのにはここでなくては駄目、とのことだ。


 エルがクオンに会うのは昨日ぶりだが、髪型が変わっていて少々驚く。元々、男の子だか女の子だか分からない風だったのが、今は男の子然としていた。それでもまだ、この子は男でしょうか、女でしょうかと問われれば、二割程度は答えにきゅうするだろう。顔立ちがそもそも小奇麗だしな、とエルは思う。


「出発の時刻も近いのに、なんでここに集まらなきゃいけない訳?」


 ザクロも訳を知らないようで、困惑――というかむしろ若干のいきどおりを感じる気がする。「まぁまぁ、これから初めてのお使いをするガキたちに、餞別せんべつでもやろうかなと思ってね」


 アザミはそういうと、着ていたコートを脱ぎ捨てる。そしてその下にまとっていた教官服の上も脱ぎ去った。


「そんな餞別せんべつは、いりません」


 エルがバッサリと切り捨てる。なんだ、その趣味は。餞別せんべつと称して教え子に裸体を見せるのか。それゆえ村の中だと都合が悪いと……。ほほう。


「ち、ちげーよ阿呆ッ! お前何か絶対へんな事考えてるだろ」」


「いえ、別に。私向こう向いてるんで、早く済ませてくださいね」


「ぼ、僕も別に見なくてもちゃんと王都に行けますッ!」


「俺の裸体に安全祈願の効果はねーよ。つーかこれ以上は脱がんッ!」


 そう言いながら、アザミはワイシャツの右袖のボタンを外すと、一気に捲り上げた。


「ヒッ」


 クオンが声を上げる。エルも息を飲んだ。

 アザミの腕の内側には、鈍く光る深紅の結晶体が嵌め込まれていた。その結晶を飲み込むように、腕の肉が盛り上がっている。太い血管がそこに接続されるように何本も伸びていて、アザミの拍動はくどうのリズムに合わせて脈打っているのが分かる。


 学院で龍学を修めたエルにはそれがなにか分かる。


 ――《逆鱗(リンククォーツ)》。


 龍と契約した者が、その龍から授けられるもの。契約者はこの《逆鱗(リンククォーツ)》を通して龍と会話し、またその力の恩恵おんけいを得るのだという。教本の挿絵で見たことはあったが、これほどまでに生々しいものだとは思わなかった。


「今からここに、俺の龍を呼ぶ」アザミはそういうと、腕を振り上げた。


「ちょッ、まだ、何の説明もッ」とエルが叫ぶと同時に、アザミの腕から紅い閃光がほとばしる。その光の激流は森の木々を飲み込み、なおも増幅を続ける。


 アザミ以外の全員は思わず自身の腕で眼前を覆う。やがて、その奔流ほんりゅうが収まるとアザミは「ちょっぱやで来るって」と笑った。


「りゅ、龍ってそんなにフットワーク軽いものなんですかッ!?」


「いや、アイツは特別だな。俺に惚れてるから」


「な、なんですかそれ……龍がそんな感情を人に向けるわけ……」


 まぁ、来れば分かるよ、とアザミが言い終わると同時に、耳慣れない音がエル達の耳に聞こえ始める。巨大な剣を石畳に擦りつけながら走るような、ガリガリという音に、遠くまで響くような澄んだ鈴の音が混じり合ったような音。それが次第に暴力的な厚みを増し、此方に接近してくる。


 エルとクオンは思わず耳を塞いでしまう。ザクロは、持っていた大杖スタッフ魔装具(デバイス)を構えると、二言三言何かを詠唱し、《聴覚保護(ヒアルプロテクト)》を張った。自分にだけ。


「ちょっとッ、師匠! 僕らにも、かけてくださいッ!」


「一回くらい生身で体験しとかないと、いざという時に困るでしょ?」


「いざ、って何ですかッ!?」


「せんそー」


 それ以降、ザクロの声は聞こえなくなった。それほどまでに音は大きくなってきている。


 そして、不意に止んだ。その代わり、今度は辺りが暗くなる。もともと陽光の差し込まないような深い森だが、それにしても早朝にこの暗さはあり得ない。


 エルとクオンが恐る恐る上を見ると、木々の隙間から、何か大きなものが日の光を遮るようにして真上に浮かんでいるのが確認できる。


 いる。そう思った瞬間に、爆音が響いた。城を攻め落とす際に使用する《攻城砲(ウルヴァン)》が頭上で炸裂さくれつしたかのようだ。エルはその音の圧に押しつぶされるようにガクンと膝を折る。クオンも耳をより一層強い力で塞いでいるようだ。


 ボゴン、と周囲の木々が見えない巨人に引き抜かれるように地面からえぐりり出されていく。次の瞬間、彼ら人間四人を中心とした半径数十メートルの木々が一気に吹き飛ばされた。土煙が大竜巻のように渦を巻き、その範囲内の全てを飲みこみ、消し去っていく。その中心にいる彼らは見た。



 巨大な翼をひるがえす影を。



 そうして、更地と化した円形の劇場に、龍は降り立つ。


 羽ばたく際の音と風は轟音を奏でていたのに対して、不思議と地に降りた時は何の音もしなかった。


 ――漆黒(くろ)い龍だった。


 《龍の王(ブレトワルダ)》と称される種。脚は四本。それは爬虫類のような這いつくばるようなものではなく、猫科の大型四足獣を思わせる、獲物を叩き伏せ、破壊するためのフォルムをしている。しかしながらその表皮を、思った以上にキメの細かい龍鱗が覆っており、なまめかしい光沢を放っている。前足後ろ足ともに、先ほど吹き飛ばされた森の木々よりも遥かに太く、逞しかった。


 翼は二対。《悪魔の双翼(ディアブロニア)》と呼ばれる蝙蝠こうもり型だが、当然蝙蝠では有り得ないほどの巨大さと頑強さを誇っている。飛膜には、柔らかな毛が隙間なく生えており、風に流れ、空気抵抗を減らす働きをするのだろう。


 首の付け根から背鰭せびれをさらに凶悪に造形した突起が、直列に尾の先まで、背中の中心を通る。その尾の先端は二股に分かれており、リズムを取るように交互に地面に打ち付けられていた。


 そして頭。それもまた爬虫生物のそれとは異なり、むしろ神秘性を湛える高貴な狼のような風貌だった。頭頂部からは白金プラチナたてがみが生え、しなやかに首の後ろを覆っている。また、二対の巨角が捩じくれながら後方に伸びている。瞳は大きく、燃えるような深紅。その縦長の瞳孔が瞬膜しゅんまくによって時折覆われる。


 そしてその気品と荘厳そうごんあふれる顔を、アザミに終始擦り付けていた。


「おいおい、止めろって。みんな見てるだろ?」


 バカップルか。


 龍の喉元からグ、ル、ルという音が断続的に続いている。《魔力器官(エーテライトオーガン)》が吐き出される息により振動し、その音が咥内に反響しているのだ。



 この世の全ての生命はその構成要素に魔力を含む。いや、生命どころか、この世界中に遍く浸透している。ではその魔力はどこから来るのか。答えは簡単。目の前の生物が生成するのだ。


 植物が、我々人間の呼吸に必要な外気を、光を通じて生み出していることは、既に《錬金術師(アルケミスト)》達の実験により証明されている。それと同じように、全ての魔力は、龍と呼ばれる存在が作り出している。いや、魔力を生成する力を持つものを、我々はこう呼ぶのだ、《龍》と。


 人間が魔術式を展開し、魔法を生み出す際に必要なこの魔力は、ただの借り物に過ぎず、幾らかの技術によって体内に取り込めているだけのものである。故に、龍が死に絶えれば魔力は生まれ出でず、世界の魔力が枯渇こかつすれば、人間は死滅する。


 故に、龍は人間の上位種であると言われている。我々は龍によって生かされているに過ぎない。


 しかしながら、孵化したばかりの龍は未だ脆く、そこを狙われ狩られることもある。これも木々の生産する外気に頼らねば生きていけないはずの人間が、製鉄の為に森林を伐採するのに似ている。そしてその龍の体器官の中でも一番の高値で取引されるのが、その《魔力器官(エーテライトオーガン)》だ。


 《魔力器官(エーテライトオーガン)》は龍の食道と気管が二股に分かれる部分に接続しており、信じられないことに、魔力が液状で精製・貯蔵されている。通常、視認はおろか、感じることさえ長い訓練が必要な魔力を液化させるほどの特濃の純粋魔力溶液。《霊薬(エリキシル)》とも呼ばれ、それを飲んだ人間は強大な魔力を得るだとか、死者すら蘇らせるとも言われている。


 そんなすんごい器官を、猫みたいに鳴らしているシーンを目の当たりにすると、途端にもの悲しさに襲われる。


「ちょ、やめ、くすぐったいってッ」アザミは未だその漆黒の龍に纏わりつかれている。


 新婚夫婦か。


「あ、あの教か――」


 言いながら、エルはアザミとの距離をつめようとする。


 途端、先ほどまであんなに愛らしい顔つきをしていた龍が、本来の凶悪な相貌そうぼうを取り戻し、エルに向かって咆哮した。


 物凄い爆音とともに、龍の咥内に溜まった唾液がまき散らされる。それをエルは顔面でモロに受け止めた。


エルは、(なんなんだよ……マジで……)と心中で呟きながら、少し泣きそうになる。


 しかしそんな心とは裏腹に、エルからは光が溢れだし、自身の身体の内から活力が沸き上がるのを感じる。極上品質の活力薬(ポーション)を飲んだようだ。龍の唾液にも濃度の高い魔力が含まれるためだ。もし仮にここに魔術商店の者が居たら、死に物狂いでき集めているだろう。エルが顔面に浴びた量で、王都に一軒家が立つ。


 だが、


(嬉しくねぇ……)


 エルは泣きそうだった。


 ◇


「すまんすまん。こいつは嫉妬深いから、俺に女が近づくのを嫌がるんだ」


 エルが持っていたハンカチでべたつく顔面を拭いている間に、アザミは擦り付けられる龍の鼻面を押しのけると、龍の名を皆に伝えた。


「こいつの名前は《ノワルクイン》。俺が契約している龍だ」


 エルは先ほどの事を警戒し、言葉を発しなかったが、代わりにクオンが喰い付いた。


「龍ッ! 人間の上位存在ッ! 凄いなぁッ! さ、触ったりしてもいいです?」


 それに応えるように、龍は鼻を鳴らした。


「いやだって」アザミが代わりに応えた。


「アザミさんは、その子が言ってることが分かるんです?」


 その問に、アザミはもう一度自分の腕の中で輝く《逆鱗》を見せた。


「コレの能力の一部だ。契約した龍と、意識上での会話や視覚を共有したりできる。コイツがここに来れたのも、俺が《逆鱗(リンククォーツ)》を通じて呼んだからだ」


 グ、ル、ル、とまた龍が喉を鳴らす。それに付け加えるように、アザミは言う。


「因みに、契約者した人と龍、どちらかが死ぬと、もう一方も絶命する」


 一呼吸おいて、


「龍騎士になるということは、こういうことだ。龍と繋がり、龍と生きる。人は龍を守護り、龍は人を守護る。俺はな、《龍騎士》ってのを、ただの軍事的な呼称じゃないと思っている。こいつらと添い遂げて、成すべきことを成す。そういう強い信念の宿ったものを俺は、俺たちは《龍騎士》と呼ぶんだ」


 クオンが身を震わせる。歓喜の震えだった。


 だから、僕は龍騎士になりたいんだ。


 龍と生きる。その言葉が、クオンの頭の芯の更に奥の奥を掴んで離さない。自分でもその理由は分からない。龍という存在を知った時から、その姿を図鑑で見るたびに、憧れは募り、夢は膨らむ。それはあるいは偏執へんしつ的な嗜好しこうとも言うべき感覚。固執、あるいは強迫観念にも似た焦燥感。


 そして、この気持ちの根源がどこに繋がっているのかを知りたいという自己探求の思い。


 自己の本質が何処にあり、何から湧き上がっているのかを確かめたいという願い。

 アザミの言葉で、己の内に渦巻く、今まで形に出来なかった思いが一つの像を成し始める。僕は、僕と龍の、繋がりを知りたい。今から、それを探す旅が始まる。


 ――いい表情をする。アザミは思った。


 そして、大きく息を吸い込むと、吼えた。


「ガキ共よく聞けェッ! 今からの旅路は、《成すべき力》を得る旅だッ! 面倒ごとには首をつっこめッ! 弱者を救い、強者を挫けッ! 探求と好奇に従えッ! 追求と好機を逃すなッ! 自分の力で扉を開けッ! 自分の軌跡で道を拓けッ! それが《龍騎士》を成す力になるッ! 成すべき力で成すべきことを成せッ!」


 エルとクオンは反射的に大声で返事をする。そして顔を見合わせて笑った。


 祝福なのか、激励なのか分からないが、《ノワルクイン》が咆哮をあげる。


 開戦を告げる喇叭ラッパの音のように、いつまでも森に響き続けた。


 旅が、始まる。

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