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第八話《それぞれの前夜》

「お前の五年間ってなんだったんだろうな」アザミが遠い目でエルに言う。


「ひ、人には得意不得意がッ!」エルは食って掛かるも、


「お前体術も負けてたろ」と今言われたくない一言が突き刺さる。


「ぐぬぬぅ」


 エルは歯噛はがみをしながら、チラリとクオンを見やった。興奮覚めやらぬというか、放心状態というか、とにかく目を見開いたまま呆けている。よっぽど衝撃的な体験だったのだろう。

心中察するばかりではあるが、いつまでもこうしている訳にはいかないので、エルはここまで話の総括を始める。


「というわけで、魔術は非常に面倒くさい訳です。しかも《魔導符(グリモワール)》はまだいいんです。算術で言うところの筆算なわけですから。自身で情報を視覚化しながら整理出来ますからね。

 問題は魔装具デバイスを使った詠唱スタイルですよ。あれは暗算で膨大な桁数の計算をこなしながら、同時に出てきた数字で絵を描くみたいな、ちょっと私には理解できない範疇はんちゅうなので、つゆほども興味がありません。

 やってやれないことは無いですが、先ほどの《停止(ストップ)》程度なら、発動までに軽く二時間は越えますね」


「その実用性の無さを、『出来ない』っていうのでは?」アザミの軽口が飛ぶ。


「ともかく、これで私の知ってる《魔導符(グリモワール)》に関する知識は全て出し尽くしました」


「すっくなッ! お前マジで魔術の講義受けてねぇだろ!」



「そうですが?」それが何か、といった風にエルは机に散らばった道具を片付け始める。


「後の専門的な事は、試験に通った後に彼自身が学びたくなったら学べばいいんです」


 獲らぬ狸の……と呟きながら、エルはハンカチでクオンの額を拭った。血はすっかり乾いてこびり付いていたので中々落ちなかった。




 夜のとばりが下りた。


 出発は明日の早朝になっている。クオンの顔見知りである茶葉の行商人が、荷馬車の空きスペースに二人を乗せてくれることになっている。そのまま、まずはゲルト海道を西に行き、この国の製鉄事業を一手にになう街『カンメル』に入る予定だ。早朝にこの村を出れば、日付を跨がないくらいで到着する予定である。


 エルは自室に再度荷物を広げ、道具の過不足を確認している。恐らく『足りない』は無いだろうが、『いらない』はまだまだありそうだと感じたからだ。

 

 特に今朝クオンから――正確にはザクロから――貰った魔術教本と符作成セットが意外と嵩張かさばるので、その分何かを減らしておきたかった。


 薄手のブランケットを握る。薄手とはいえ、たたんで荷物袋に入れればかなりのスペースを取る。しかし、まぁ巻いて荷物袋にくくり付けておけばいいか――等と思案していると、扉をノックされた音が室内に響いた。


「入るよ」アザミだ。


「どうぞ」下着類だけ袋に詰めてから、エルは答えた。


 うーっす、と言いながらアザミは室内に入る。扉の高さよりも少し身長が高いので、くぐるように頭を下げながら。手には麻袋が握られている。


 そのままベッドに腰かけると、床にしゃがみ込んでいるエルに、その麻袋を投げてよこした。ジャラン、という音と確かな質量がてのひらに感じられる。


「何ですか? これ」


路銀ろぎん。お前、王都以外じゃ《単位》で物買えないの分かってるかなと思って」


「わ、分かってるに決まってますッ!」


 この国の貨幣制度は、《龍鱗本位制(スケイルスタンダード)》を採用している。希少な《始祖龍の遺骸》の中でも、比較的産出量が多く、保管と加工の容易な龍鱗の価値を裏付けにした、兌換紙幣だかんしへい補助貨幣ほじょかへいで、この国の通貨としている。龍鱗と言えど、始祖龍のものは強大な力を有しており、実際に現物でやり取りをすると、すぐに他国への流出を引き起こすからだ。


 そのため、実際に採掘された《龍の残滓》――龍鱗をはじめ、爪、牙、角など――は基本的に王都で厳重に保管されており、代わりに同等の価値があると保証される通貨を発行するのである。


 コクマー山脈やカルス山脈の麓の村々では、この遺骸の発掘が一大産業となっている。

 

 発掘した《龍の残滓》を、王都に必ず納めなければならないという義務はないが、素人がそれを手に入れたところで用途には乏しく、優れた錬金術師アルケミスト龍鍛冶師ドラグスミスでもない限り、王都で換金する場合が殆どだ。ちなみに通貨単位は『レジド』である。

 

 アザミのくれた麻袋には、一万レジド紙幣が十枚と、き集めたかのような量の硬貨が、ジャラジャラと入っている。財布を軽くしたくて、硬貨を子供にくれてやる、そんなところだろうか。


「いいんですか、こんなに」袋の口を絞めると、エルはアザミに聞く。


「まぁな、持ち合わせもそんなにないだろ。俺からの《依頼(クエスト)》な訳だし、前金みたいなもんかな。お前、今どれくらい持ってんの?」


「野草喰って、野宿でもすればギリ足りるくらいですね」


「お前は変にたくましいから好きよ」アザミは目尻を下げた。馬鹿にしているらしい。


「にしても多くないですか? 王都で毎日酒場に行っても一ヶ月くらい暮らしていける金額ですよ?」エルは麻袋を振りながら言った。


「いや、そんなには入ってないはずだが……。お前、一ヶ月の食費とかどうなってんだ?」


「大体お休みの日に王都の外で山菜とかキノコとか採って、山鳥やら角鹿やらで干し肉作って食べてるんで、実質調味料だけですね。食費」


「原始人か」


「原始人じゃねぇよ」


 自分の作った干し肉が如何に美味で汎用性が高いかを語りながら、エルは続ける。


「後はそれを友人にあげると、パンをくれたりお菓子くれたりするんで、それ食べてますね」


「なんでお前王都でサバイバル漫喫してるの?」


「それで二年間生活できてるんでいいじゃないですか」エルは麻袋を荷物の一番下に潜り込ませながら言っう。


「まぁ、一般的に言えば、子供と二人旅で、切り詰めていけばギリギリ足りるくらいだ。野宿はしなくてもいいはずだよ」


 じゃあ、頂いておきますと前置きしてから、エルは頭を下げた。

 それから、とアザミは大げさに間を取ってからエルに言う。


「明日は、出発前に面白いもの見せてやるよ」


「え、何ですか?」アザミのこういう振り方に良い予感はしない。


「まぁ、お楽しみに、って奴だな」勿体を付ける。


 それだけ言うと、アザミはベッドから立ち上がり退室しようとする。


 エルはその後ろ姿に何か声をかけようとして、逡巡しゅんじゅんする。

 

何を言う? 何を言いたい? 得体の知れない感情が、心の奥底でわだかまっているのを感じる。不安だろうか? いや、違う。それよりももっと切ない、そう、寂しさような。エルの人生の中で一度も感じた事の無いもの。恐らく、父性に対する縋るような気持ち。

 

 例えば、出稼ぎの為に長く家を空ける父親の後姿を見送るような。


 そこまで考えて、何をバカな、と顔が赤くなるのが分かった。そもそも旅に出る立場なのはこちらだし、ましてやこんなチャランポランに父性など求めてはいないとエルは二度三度かぶりを振り、その妄念を打ち消した。そもそも父親というものなど――。


 そんなエルには気づかずに、アザミは、「お休み」とだけ言って部屋を出て行った。


 音を立てて閉まったドアを、しばらく見つめていた。

 うむ、これは精神修行も必要だな、とエルは頭の中の計画表に目標を一つ追加する。


――もっと強くなりたい。色々と。



 魔女の館の小さな洋館には、静かな時間が流れていた。


 クオンが荷物をまとめている。ザクロはそれを手伝う素振りも見せず、暖炉の前でソファーに腰かけ、ホットミルクの入った厚手のマグカップを片手に、本を読んでいる。


 クオンは気付いていないが、魔女はひしひしと感じていた。


 あるいはこれが最後の。


 しかし、だからと言って何かをしなければならないと誰かが決めている訳でもあるまい。そして何をすべきか思いつかないのなら、何もすべきではない。必要な訳でも、求められている訳でも無しに。読書と並行しながら頭の片隅でそんな思案が巡る。


 『人間』ならば、こんなとき、一緒に過ごした年数が、頭の中でリフレインするのだろうか。クオンとの思い出が何一つ浮かばない自分の精神が、やはり魔女と人には、大きな隔たりがあるという事実を示している。


そもそも生命体としての元素構成比が、人間と根本から――。そこまで考えて、思考があらぬ方向に引っ張られていることに気付く。これは無駄な考えだ。思考を切る。すぐに読書に集中し直した。


「師匠」


 荷物の整理をしているクオンが、振り返ることなくザクロを呼んだ。


「なに」こちらも本から目線を外さず答える。いつも通りだ。


「お布団、三日に一回は干して下さいね」


 何を言うのかと思えば、そんなことを口にする。


「あと、お風呂も基本毎日入ってください。少なくとも一週間に一回は」


 まだクオンの小言は続く。


「それから、村のお店には、師匠は人見知りなので優しくしてくださいって――」


 そこまで言って言葉を切る。それ以上言葉が出てこないようだった。


 ザクロは返す。


「いいのよ、無理して話さなくても」


「無理なんかじゃッ!」クオンが振り返った。


 ザクロは、パタン、と本を閉じてクオンに顔を向ける。


 長い前髪の分け目から、深緑の瞳がこちらを覗いている。もどかしい、と言った表情だ。


 何かを、言いたい。いや、会話を続けたい。その思いばかり先行して、実際の言葉が出てこない。十三年間も、ずっと二人で暮らしてきたのだ。今更言葉を交わさなくても、お互い理解できる部分がある。それゆえに語るべき言葉が見つからない。その矛盾が瞳の奥で渦巻いているのだろう。


 ザクロは一つ息を吐くと、おもむろに立ち上がって言った。


「髪、伸びたわね」



 洋館の外は、夜光ルシフェ蝶のおかげで明るい。月の光さえさえぎる巨木の群れに暮らす彼らにとって、この光が月光の代わりだった。

 

椅子を一脚、館内から持ってきて庭先にえる。そこにクオンを座らせると、ザクロはハサミを動かした。無論髪を切るためのものではなく、裁縫さいほう用のちバサミではあるが。


シャキン――、と音がするたびに、クオンの黒髪が切り離され、宙に舞う。風に吹かれ、そのまま森の奥の暗闇と同化するように消えていく。


 繰り返す。


 シャキン。


 シャキン。


 シャキン。


 こうやってクオンの伸びた髪を切るのは、ザクロがクオンに対して行う、唯一の決まり事だった。それ以外の大抵の事は、クオンが一人で何とか出来たし、彼もザクロの力を借りようと思ったことは無かった。


 それは例えば、育てて貰っている恩義を感じて、なるべく負担をかけないように、といったものとは少し気色の違うもので。何か本当に困難なことがあったら頼ろうとは思っていたけど、実際にその場面が来ることは無かった、というのに近い。


 お互いの心が繋がっているような、ある意味では遠く乖離かいりしているような、でも居心地は悪くない。そんな十三年間だった。


「ねぇ」ザクロは手を動かしながら聞く。


「貴方、龍騎士になりたい?」――シャキン。後ろ髪はだいぶスッキリした。


「それは――」


 憧れていた。龍騎士になって、龍の背に乗って、いつか必ず探しに行こうと、そう思っていた。


 何を?


 別に、本当の父親と母親を、なんて言うつもりはない。ただ、自分を探すのだ、と決めていた。先の大戦によって、その大量の屍によって覆い隠された『自ら』を探し出して、それからやっと、本当の自分が始まる気がしていた。


――シャキン。隠れていた耳が外気に晒される。夏だというのに、森の空気は冷ついている。


「貴方が」クオンの言葉を待たずに、またアザミが口を開いた。


「もし貴方が、行きたくないのなら」


 ここに居たいのなら、ずっと――。


――シャキン。鋏の冷たい音にザクロは我に返る。今、何を言おうとした?


 まるで人間のような事を、口走るつもりだったのだろうか。十三年前の約束を不意にしても? この子の本心に気付いていたとしても? とうに、ここを出ることに迷いが無かったとしても? 引き留めるような、決心を鈍らせるような言葉を投げかけるつもりだったのだろうか。

 

 魔女という存在は、その体を構成している要素の比率が人間とはかけ離れている。だから、『外側』は人間に似ているかもしれないが、『中身』、精神の部分は、まるで違う。それゆえ人間的な感情に乏しく、また思考も合理的で打算的なものに偏っている。


 クオンの件もそうだ。ヘンドリック荒野で、血と臓物ぞうもつまみれたこの子を抱きかかえながら、アザミと共に決めたのだ。

 本来なら殺すべき(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)この子を、私が育て、彼が迎える。それが計画だったはずだ。それがあの場で一番合理的な考えだったはずだ。だから、この子を手元に置き続けることは、『ことわりから外れている』。分かっていた。理解していた。全て。


 全て。


 それなのに――。


 人間と暮らした十三年間は、魔女の『中身』まで変えてしまったのだろうか。

 有り得ない。それは、有り得ないのだ。


 だから。


――シャキン。前にまわって前髪を切る。


 少し切りすぎて額が大きく露出してしまった。長さも部分的にチグハグ。まぁ、ご愛嬌あいきょう範疇はんちゅうだろう。そのままハサミをローブのポケットにしまい込み、両のてのひらでクオンの顔を挟み込んだ。


「もし、貴方がずっとここに居たいっていうのなら――」


見つめる。強く。今までの十三年分。あるいはこれからの一生分。



「その時は、思いっきりお尻を蹴り上げて追い出してあげるから」



 そういって笑った。クオンですら、初めて見る顔だった。彼女は言われても喜ばないだろうが、その顔だけは、とても『人間』らしく見えた。


「――言わないですよ。僕は行きます、王都へ。そして龍騎士になります」


 そう、とだけ言うとザクロはきびすを返し、館内へと歩き出した。


 しかし扉に手をかけたところで、振り返らないまま再度クオンに話しかけた。


「貴方、自分の誕生日って知ってる?」


 誕生日。そういうものがあることは知っている。読んだ本に何度か出てきていた。しかし祝ってもらったことは一度もなく、またザクロに聞くこともしてこなかった。


「アザミがね、志願書に必要だから考えろって」


 まだ続ける。


「貴方が、私に自分の信念を語るなんて、これが初めてだから」


「そうね、貴方は『今日』、貴方の人生を踏み出したのね」


「――だから」



「十四歳の誕生日、おめでとう――クオン」



 それだけ言うと、扉の向こうに消えた。


 クオンの頬に何か温かいものが流れた。それが涙だと気づくと、後は止まらなかった。

 拭っても、拭っても溢れ出るそれは、いとも容易くクオンの心に沁み込んだ。


 悲しみではない。喜びとも違う。


 ならばこれは産声うぶごえなのだろう。今、生まれ、自分の人生を歩み始めたものの産声うぶごえ


 涙が止まるまで、クオンは椅子から立ち上がれなかった。



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