第六話《魔女の館その6》
「バカな……バカな……バカなんだ、みんな……バカばっか……でも私が一番バカだ……」
四人は既に洋館に戻り、クオンの用意したキノコと山菜のポトフで遅めの晩餐についていた。しかしエルだけは、部屋の片隅で項垂れてる。主の無いスープ皿からは湯気がすっかり消え去っていた。
『魔女の館』と呼ばれるこの大森林は、鋼鐵の国ウィンダムの王都から真っ直ぐ東に位置する。
しかしながらその間には南北に連なる大山脈が二つ存在し、基本的に直進は出来ない。
その為通常、王都からここまで向かうためには二つの選択肢を選ぶことになる。北に出てウォロフ海流に乗り、森林の北平野まで迂回する海路。あるいは南のゲルト海道を通り、森林の南平野に出る陸路。
この二つの選択肢で、南の陸路を選択するものはほとんど存在しない。
その理由の一つ目は、そもそも大森林に向かう理由が限られていることにある。
大森林はこの国有数の材木の産出地であり、上質なオークやスプルースの採れる貴重な資源地帯である。そこで採った木材を船で運搬し、王都に近い工業都市に卸して製品に作り替える。それを王都や他の街で売却したり他国への交易品にする事が、この国の経済の一端を支えている。
故に、そもそも海路を使う事が恒常化しており、仮に旅などで大森林に向かう時も、行きはその木材運搬用の廻船に乗船させてもらう事が当たり前になっている。
無論いくらかの運賃は取られるが、それでも陸路で向かうよりははるかにマシなのだ。
エル達もそうやって廻船に乗り、大森林の北に位置する港町からこの場所まで向かう経路を取った。当然客室などが用意されている船ではないので、黒く磨かれた机や本棚なんかの加工製品に囲まれて、密航者のように縮こまって港町到着を待った。
二つ目の理由は、その危険性の高さからである。
王都から南に進むと、ゲルト中海に出る。
良く空気の澄んだ晴れの日には、向こうの大陸――烈火の国ガヴェリンの支配する――が見えることもある。
そのゲルト中海沿岸からずっと東に伸びているのがゲルト街道になる。そしてそのゲルト中海の端には、ウィンダムとガヴェリンの国境にほど近い蒸留酒の街『エリウッド』がある。
この街の治安はウィンダム国内でも最低で、始終アルコール中毒者が街を徘徊しており、ガヴェリンからの亡命者や政治的極左などの掃き溜めと言われている。各蒸留所は潤沢な資金を持って、傭兵などを雇い警備に当てているので街の中心部は比較的安全だが、街の中心を外れたスラムでは一日で何人の死者が出ているか見当がついていない。
その分、製造される蒸留酒の質は一級で国内に愛飲者も多い。しかし、一生に一度くらい蒸留所を見学したり、あるいは蒸留前の醸造酒を頂いたりしても罰は当たらんだろうと甘い考えでこの街に足を踏み入れた者は、大体スリに遭うか物取りに遭うかして二度とこの街には来るまいと決意するのが常である。
そしてその街を出てさらに東に行くと、一つ目の大山脈の南を抜ける形になる。
このコクマー山脈と次に見えるカルス山脈の間には、単に『樹海』と称される深い森が存在する。『魔女の館』とは違い、木材に加工しにくい曲がりくねった広葉樹が群生しており利用価値が低いために、人間がここに踏み込むことはまずない。しかしながらそれをむしろ好都合とする亜人たちの《不法居住区》と化していて、政府ですら正確な亜人の数を把握できていない。
この樹海を背負う形になっている近隣の漁村では亜人がらみのトラブルが絶えず報告されている。『魔女の館』にも亜人は存在するが、基本魔女の自治下にあるこの森で大きな事件が起きることはない。近隣の村の畑を食い荒らしたり、家畜を盗んだりがせいぜいである。
しかし樹海の亜人は一段と性質が悪い。ゲルト海道を行く旅人が強盗にあうならまだしも、疾走する馬車の馬の首を、馬車と並走しながらへし折り横転したところを凶行に及ぶ、なんてことまであるらしい。王都新聞は《首折りの狂亜人》の見出しを良く目にする。
そんな海と樹海に挟まれる海道をさらに東に進み、二つ目の山脈の脇を抜け、ようやく『魔女の館』の南に位置する平野に出ることになる。
不便だが安全な海路と、不便すぎる上に危険すぎる陸路、どちらをとるかは、もはや二択にすらなっていないだろう。しかし、エルはその陸路を行かねばならない。しかもコブ付きで。
戦闘狂の気があるエルでも辟易してしまう程に面倒くさい道程であることは間違いなかった。
「ポトフ、温め直しますか?」
いつの間にか背後に立っていたクオンが、伏せた顔を覗き込むようにして尋ねた。
「いや、いいよ……今私の喉は絶賛通行止め……はは……」
既に夕食をとり終えたアザミとザクロは、ザクロが趣味で漬けた果実酒をグラスに注ぎながらその様子を眺めていた。
「大丈夫なの、あの子」
「まぁね。ああいうメンタル面の弱さが自身の能力に蓋してる事はアイツも自覚済みだよ。なんだかんだやることはやるんだ」
「随分かってるのね」
「腐っても《秋の新星》だからね」
「それだけじゃない感じもするけど」
「まぁ、面白い奴なんだよ。色々と。猪突猛進かと思えば存外思慮深い一面もあったり、脆いけど傷はつかない……うぅん、言葉にしづらいな。ただ、そんな言葉にし辛いところが面白いんだ」
「へぇ、ところであの子って――」
「あ、気付いた?」
「いや、どっちかなとは思ったけど」
「あいつ凄いんだよ。秋試験を受けることになったのは春試験に落ちたからなんだけど、その理由が書類の偽造」
「ああ、そっちで出したの?」
「バカだろ? しかもあいつバカ短気だから、すぐに露見してさ」
ああ、丁度あんな感じで、と言いながらアザミは部屋の隅を顎で指した。クオンがエルの肩に手を置きながら何かを語りかけている。
「僕、エルさんと一緒に旅ができるのすごく楽しみなんです」
「……」
「昔読んだ物語にあったんですッ! 二人の少年が協力しながら困難を乗り越える冒険譚ッ! 時には反発し、時には認め合い、二人は成長していくんです。僕そういう話大好きで、エ、エルさんともそんな風になれたらって……思うんです」
「……」
「あのッ、あのッ。僕、ここでずっと暮らしてたから、男友達とか出来た事無いんです。森の外の村に買い出しに行く時も、魔女の弟子だからって何か変に特別扱いされてて。師匠からもあまり関わるなって言われてて……。
それが、嫌だった訳じゃないんです。ただ、どうしても本を捲ると、その気持ちが膨らんできて……。だから僕、エルさんと旅をしろって言われて、嬉しくて……それで……」
「……」
「おッ、男の二人旅ッ! いいじゃないですか! 絶対楽しいです!
楽しませますッ! 僕、エルさんがいいんです。《秋の新星》の先輩として、色々教えて――」
「……じゃない」
「え? な、何ですか? よく聞こえ――」
「男じゃないし」
「――え?」
「私、女だし」
――間。
クオンは首だけを発条仕掛けの人形のようにキリキリと回し、アザミ達を見る。額からは脂汗が滲み、噛み締めた下唇には皺が寄っている。え、女? え?
助けを求めるようにアザミを見るが、アザミは声を殺し、下を向いて笑いを堪えているし、ザクロもにやりと口の端を吊り上げるだけで助け舟を出港させるつもりはないようだ。
クオンはもう一度、壁に向かって膝を抱えるエルを見た。確かに見習い騎士としても華奢であるとは思っていた。しかしながら体のライン自体は外套と、上半身は胸部装甲でほぼ覆われていたので判断の基準にはならなかった。声も中性的で、髪も金の和毛を短く切り揃えていたので分からなかった。
そして何より、アザミと物怖じせずに話す様子や、自身と試合った時の身のこなしや、その後の戦闘狂のような言動もあり、クオンの中で『女性』という項目は、完全に塗り潰されていた。
アザミは、まだ苦しいといった様子で、テーブルに手を置き体を支えながらザクロに語った。
「アイツさ、十五歳の春試験の時、今より少し髪が長くてさ。そこを試験管やってた俺の同僚に目を付けられたんだよね。まぁ厳しさと陰険をはき違えてるような奴でさ。
でさ、そいつが言うんだよ。『これから龍騎士になろうというものが、チャラチャラと髪なんぞ伸ばして。お前それでも男かッ?』ってな。手元の志願書を見ながらだったから、まぁ普通に男だと思ったんだろ。性別詐称なんて前代未聞だったし。
で、その試験管、志願書を挟んでたバインダーで、エルの頭をスコーンッ! って殴ったんだよ。縦で。ありゃ、いい音だったね。会場の外にいた俺にも聞こえたんだから。」
アザミはさも愉快といった調子で果実酒を一口啜ると、なおも続ける。ザクロもテーブルに肘を付き、その話を聞いている。
「で、アイツブチ切れ。『私は女だ―――ッ!』って叫びながら、その試験管の顎先をおもっくそ蹴り上げたの。そいつ卒倒してさ。慌てて他の試験管に取り押さえられて別室に強制連行。書類偽装発覚。春試験受ける前に受験資格剥奪。いやー、めちゃくちゃ笑ったよ」
カラン、とグラスの氷が音を立てた。
「そん時別室で、エルの対応をしたのが俺なんだよね。聞いたよ。『なんでわざわざすぐバレるような性別詐称したんだ?』って、そしたらアイツ、『男の方が武芸の履修を多く出来るって聞いたから』だと。どんだけ血気盛んなんだよ。
しかもそれ以外に考えなんてないから、頭に血が上った瞬間、志願書詐称してることもすっかり飛んだってさ」
「存外バカなのね、あの子」
「まぁ、見た目はデキる風だしな」
「風、ね」
「俺も対応してて、こいつは『逸材』だって思ってさ」
「あなたも大概馬鹿にしているわね」
「お前、秋試験受けろって言って、実際アイツ合格しやがった訳だ」
「秋試験の方が厳しいって言ってたわよね」
「その年は四百人だったかな? それにちょっと満たないくらいが受けて、受かったのはたったの三人だよ。ちなみに死者は五名」
「ホントに逸材だったわけね」ザクロは意外、という目線を部屋の片隅に向けた。
「でも、そんな厳しい試験、ウチの子大丈夫な訳?」
「だからエルを教育係に付けるんだよ」
「……やっぱりかってるのね」
「まぁ、お気に入りだね。貴重なんだよ、この時代。『バカ』がさ」
さてと、と言いながらアザミは席を立つ。そのままエルとクオンに近寄った。
エルは背中でその気配を感じていたが、あえて無視する。今回のアザミの横暴は腹に据え兼ねるものがあったからだ。タダでさえこの夏期休暇は《修行》にあてるつもりだった。
より強く、より疾くを求めるために、計画表を寮の自室の壁一面に張り出した。普段は買わない可愛らしい意匠のスタンプも、なけなしの単位を支払い購入し、目標をクリアするごとにその計画表に押していくはずだったのである。
それが今は、王都から遠く離れた森の中まで連れてこられた挙句、今度は見ず知らずの少年を連れて、危険地帯を陸路で帰れときたら、それは納得のいかない事もある。
しかも、それとは別件で、単純に男に間違われたことにもエルは傷ついていた。しかも純粋無垢そうな少年に。こういった少年はきっと本心で物を言うのだろう。ということは、もう見たままから男と判断されたに違いない。ショックだった。
少し込み入った話になるが、別にエルは男性として扱われることを望んでいる訳ではなかった。髪を短くしているのも、単純に武芸の訓練で邪魔に感じることが多かったからで、制服の女性的意匠に当たる部位を取り外しているのも、単純にフリルなどが嫌いなだけで、男装をしているというつもりはない。女の癖に、という女性蔑視を孕んだ態度を取られるのは気に食わないが、女性として扱われることに嫌悪感は特に抱かなかった。オータムルーキーなこともあり、周りから奇特な者を見る目で見られることが多いので交友関係は狭いが、それでも友人は基本女性である。部屋にぬいぐるみ(沼喰い龍)も置いてある。お気に入りである。寝るときは抱いて寝ている。
そんな心中を知ってか知らずか、アザミは一つ提案をした。
「おい、エルや。俺の話を聞け」咳払い。
「お前、三巡生になったら《専科》が始まるの知ってるよな」
――《専科》。
龍騎士学院では三巡生以上になると、特定の教官が開く《専科》に所属することが義務付けられている。汎用的な講義ではなく、より実践的(実戦的)な知識や技術を身に付けるためのものだ。《専科》の有効性は学院内だけに留まらない。
生徒たちは学院卒業と同時に龍騎兵として正式に認可され、軍に配属されることになる訳だが、その配属先を決める際に所属専科が考慮される。またその専科に過去所属していた現将官が、そこから優秀な候補生を引き抜くこともある。学院生徒に置いて重要なターニングポイントの一つである。
アザミは続ける。
「俺の《専科》は定員が少ない。理由は俺が『選ぶ』からだ」
専科は、それを開く教官によって基準が設けられている場合がある。アザミの開く専科にも基準が存在する。
実技や筆記などは一切なく、あるのは面接のみ。曰く、俺を楽しませた奴だけ採ってる。そのため奇人・変人が多いともっぱらの噂だが、ここを卒業した者は軍の中でも第一線で活躍している人物が殆どだ。学院内では《伏龍の腹の中》だとか《異端騎兵養成所》だとか、散々に揶揄されているが、それはある意味で畏怖と羨望を受けている証拠でもあった。
「お前の席は、開けておくよ。無事に戻れよ」
エルはガバリと勢い付けて立ち上がった。そして振り向くとアザミを指差し言い放つ。
「今の約束、忘れないでくださいよ」
その顔に迷いはない。強い光が碧眼の内から煌々と輝いていた。
クオンはその様子を見て胸を撫で下ろしたが、それもつかの間。
エルの、「悪かったね。男二人の楽しい旅でなくて」の一言で再度固まってしまった。
エルは元来根に持つ女である。




