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第四話《魔女の館その4》

 ――ゴクリ。

 

 クオンが生唾を飲み込む音が、静かな館内に響く。

 ザクロは面白くなさそうに三白眼をクオンに向けていた。


 先ほどエルが学院の話題を出した時の喰い付きから言って、クオンが龍騎士学院への入学を望んでいることは確かなのだろう。


 しかし人は望んでいたものが手に入らないと思っていた時、いつか手に入れてやるという意気込みが強ければ強い程、存外早く手に入ってしまう瞬間に困惑してしまう。

 これからやろうと思っていた努力の行方や、待ち受けているであろう困難に立ち向かうためのひそやかな覚悟などが、目の前の望みに手を伸ばすのを躊躇わせる。


 アザミはそのことを察していた。未だ十五に満たない少年に、しかも半分隔絶された世界で抱いてきたささやかな夢を、さぁ、掴めと言わんばかりに大人の裁量でポンと目の前に放る。


 それが如何に身勝手な行為かを理解しているつもりだった。

 だが、必要な事であるとも――。


 人は人らしく。


 アザミの脳裏にそんな言葉が過ぎる。

 ヘンドリック荒野で、血と臓物(ぞうもつ)に塗れた赤子を抱いたザクロの言葉だった。


 アザミは短くかぶりを振ると、クオンの答えを待たずに言った。


「ならないか? と聞いた手前で悪いんだが、少しお前を試してみたい」


 その言葉で我に返ったクオンだったが、言葉の真意を読み取れず首をひねる。


「試す――ですか?」


「そう。色々とね、お前の育て方には注文を付けていてたんだよね、ザクロに。それがどんなもんか見たいんだ」と言いながらチラリとザクロを見やった。


 ザクロは、お好きに、と言いながら首をすくめた。どうやら自信があるようだった。


「ぼ、僕自身は普通に育てられた気がするんですけど……」


「何と比べて? 誰を比較対象として? 何を基準に?」


 意地悪にアザミは言葉を並べる。そして続けた。


「一つ、魔術は教えないこと」人差し指を立てる。


「二つ、一般的な家事の水準をこなせるようにすること」次は中指。


「三つ、自分の身は自分で守れるくらいの力はつけること」最後に薬指。


「この三つを、最初にザクロと決めた。で、それがしっかり身についているかを確認したいんだ。家事はさっきの話で大丈夫そうだから合格。魔術は――」


 向かいのザクロが割って入る。


「教えてないわよ、なーんにも。魔導書(まどうしょ)は愚か、初歩の初歩の入門書から子供の玩具クラスの魔装具デバイスまで全部触れられないようにしといたから。ていうか、アンタには知覚できないような効果の魔導符グリモワールを全部に貼っといた。結構面倒くさいのよ。抜け漏れがないかも気を使ったし」


 それを聞いてクオンはまた納得のポーズを取った。


「だからか……」


「知ってるわよー。あんたがこっそりあたしの部屋に入ってその類のものを物色してたの」

 少しだけ口角を上げて、ザクロはクオンを見やる


「そ、そうなんですかッ!?」


「あんまり淑女の衣装箪笥(たんす)を引っ掻き回すのは感心しなかったけどね」


「あ、でも先生擦り切れたパンツとかも平気で履き回すから、気付いた時は新しいのに取り替えてたんですよ?」


「ちょッ、余計な事しないでよッ!」


「だって、洗濯してるの基本僕なんですから別に今更いいじゃないですか」


「そういう問題じゃないのッ! 一回箪笥に入ったやつを見られるのってなんか嫌じゃないッ!」


「だったら自分で管理してくださいよ。あ、そういうのも、その魔導符グリモワール? で何とかならないんですか? パンツが擦り切れたら自動で消滅する感じで」


「あんた魔女をなんだと思っているのッ!?」


「擦り切れパンツを履き回すグータラ……」


「ッカァ――――ッ!!! 言うに事書いてッ!」ザクロはドスドスと地団駄じたんだを踏む。


「仲は良いみたいですね……」


 エルが頬を引きつらせながら言う。アザミも半笑いになりながら、魔術の項もクリアね、と返した。


 最後は自分の身を守る力だが、果たしてどう確認するつもりなのだろうか。


 そんなことを考えているエルを、アザミは見つめる。その視線にエルが気付くと、悪戯を実行する直前の悪童のように笑った。


 瞬間、エルはアザミの思考を読み取った。コイツ、私で試す気だ、項目その三を――と。

 だからエルはその笑みにこう返した。


「単位は?」


「五百だ」


 短く溜息を吐き。


「乗った」


 ◇


 四人は洋館の外に出た。すっかり夜も更けているはずだが、夜光蝶の燐光は未だに夜の帳が下りるのを拒んでいた。


 エルは自身の腰に帯びた騎士剣に手をかけようとして、止める。何も命の奪い合いをする訳ではない。あくまでもクオンの身体的な能力、あるいは武芸の鍛錬成果なりしを垣間見えさえすればそれでいいのだ。

 キョロキョロと辺りを見やると、足元から数歩離れたところに手頃なオークの枝を見つけた。大体エルの騎士剣と同じリーチだ。拾い上げて邪魔な小枝を取り去ると、二度ほど振ってみる。しなりはほぼなく、落ちてから幾分時間が経過したものと判断できる。


 そのまま近場の木々に打ち付けてみる。乾いた音が鋭く響いた。


「私はこれを使います。そちらは?」


 エルはクオンに聞く。


「僕はこれを」


 クオンは、柄に獣の皮が巻かれた木剣をエルに差し出すように見せる。エルの帯剣している騎士剣と比べるとやや小ぶりで鍔も無く、且つ片刃に加工されている。なので正確には木剣ではなく、木刀と呼ぶべきなのだろう。


 エルは自身が握る枝と、彼の握る木刀を交互に見る。


「短くないですか? 試す立場でなんですけど、わたし結構手加減とか出来ない性質ですよ?」


「使い慣れている方がいいかと思いまして――」


 そう言いながらクオンは木刀を逆手に握ると、近くの木を強く蹴った。

 木の葉が舞う。この場を流れる風に揺られて不安定な軌道を描きながら地面に吸い込まれていく。それが自分の眼前を落ちゆくタイミングで、クオンは木刀をふるった。


 パァン、という音と共に木の葉が小さな粒子群と化す。そのまま次の木の葉を、回転しながら薙ぐ。いっぺんに数枚の木の葉が砕かれた。そのまま速度を上げながら、五枚、六枚と地面に着く前に破砕していく。

 エルは気付く。木の葉を叩く位置と高さが、常に一定であることに。その位置と、ある像が重なる。エルの中で、そのイメージが明確に形を成し始めた。


 ――人間。クオンのふるう木剣は、的確に人間の急所を突いている。武芸の講義で、エドリナ国の拳術を習った事を思い出す。スラスラと名称は出てこないが、おぼろげながらクオンの振るった軌道に記憶を合わせる。人中じんちゅう水月すいげつ稲妻いなずま曲骨きょくこつ章門しょうもん天突てんとつ下昆かこん、あ、今のは忘れた、えーっと伏兎ふくと――。


「よッしょッ!」クオンが最後の一枚を砕く。


 クオンの足元の木の葉で、元の形を保っているものは一枚も無かった。そして軽く額の汗を手の甲で拭うとエルに向き直り、にっ、と笑った。



 ――にゃろうめ。



 エルの内側で何かがともった。存外自分もこういうものが嫌いではないのだなと再確認する。今クオンは手の内を見せたのだ。僕って大体こんな感じです。なので多分負けないですよ、と。


 その安い挑発に、『あえて』ノる。自身の頭の冷静な部分に覆いをかけ、普段は隠している本能の部分を露出させるように。途端に、皮膚感覚が鋭敏えいびんになる。木々の蒸散させた水分を孕む生ぬるい風が、どの方向からどのぐらいの強さで吹いているのかを全身で感じ取れる程に。いい感じだ。好きな感覚。


「お互い背中合わせの状態から十歩離れて。そっから向き直って構えるまでが準備ね。どっちかが負けを認めたらおしまいってことで」


 アザミが大雑把にルールを双方に伝えた。


 言葉通り背中合わせになる。外套を身に着けているためにエル側からクオンの体温を知ることは出来ない。しかし肩の位置が自分よりも少し低いことが分かった。


 そのまま十歩、歩を進める。そして互いに向き直った。視線が交錯する。




 何故魔術を履修しないのか。級友に問われると、エルはいつも答えに瀕する。

 その理由を過不足なく表せるだけの言葉を、持ち合わせていないからだ。


 だが、今ならはっきりと言える。


『こういう事だ』


 こめかみを流れる血流が脈打つのを感じる。

 こういうのが心底好きなのだ。自分は。


 自身の身体の内側から、極細の針で浅く刺されるような、こそばゆい感覚が沸き起こる。枝を握る掌が、じんわりと痒くなってくる。自然と吊り上がる口角。自然と吊り上がる目。じんわりと、じんわりと、痒みが全身に広がっていく。力が、解き放立てる時を待つ。


 ――構える。


 先のオートマトン戦でみせた低い構えではなく、左足を前に、右足を少し引き、背を正す。正面に構えた切っ先を持ち上げ、自身の頬の横で刀身を地面と平行に構え直す。切っ先の延長線上に相手の眼球が来るように高さを合わせると、引いた右足の爪先に力を込めた。


 龍角ドラカケラスの構え。


 相手の得物とのリーチやウェイトに優位な差があるときに特に有効な構えだ。

 身体ごと上から下に振り下ろすような押切りでも、逆に相手を迎え入れながら切っ先で相手の肉を断つ引切りでもなく、その長物による遠心力と重量を持って、地面と水平に剣を振るい相手の首を跳ね飛ばすためのものだ。その威圧的な構えは、相手の行動を鈍らせる効果も持つ。


 生半可に受け止めると、その勢いのまま自身の得物の刀身を頭蓋骨にめり込ませることになる。


「あー、エル、本気だなぁ」


 気の抜けた声でアザミがからからと笑った。


 どうとでも言え。と心の中で悪態あくたいく。エルは正直、ここまでの強行スケジュールに対する鬱憤うっぷんをすべて発散するつもりでいた。


 あの身のこなしを見るにそこそこ良い勝負になりそうだ、と考えながら自身の乾いた唇を舐めて潤す。無論その勝負の最後は、倒れた相手の眼前に剣――とはいっても実際は枝だが――の切っ先を向けている自分の姿で終わるはずだ。

 別にこの勝敗が、クオンの、あるいはエルの今後に響くわけでもない。そうたかをくくっている節もあった。クオンはある程度の実力を見せればいい訳だし、自分は相対している時点で単位自体はもらえるはずだろうし。


 ならばあとは楽しく、楽しく。心ゆくまで。


「じゃあ、あたしが始めって言ったら、やんなさいよー」


 またあの太った梟の上に腰かけながらアザミが言った。「準備はいーい?」


 クオンが頷く。エルも短く答えた。


「じゃあ、始め」


 感情の無いザクロの声が終わらないうちに、両者は動いた。


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