第二十話《鉤爪のゆくえ》
「僕も、ここの親方には兄貴が世話になったので、なんだか自分の事みたいに嬉しいですね」
不意にクエルドがそんな事を言った。
「お兄さんいるんですか?」エルが聞く。
「ええ、今は怪我で入院中ですけど。今日は、その兄が親方さんに預けていたものを受け取りに来たんです」
そう言いながら、クエルドは腕で抱えていた品の、大きな布を取り去った。
巨大な曲剣だ。長身のクエルドの目線に柄頭が来ている。鞘には収まっておらず、抜身のまま布で包んでいたようだ。
その刀身には、奇怪な図形が幾つも並んでいる。エルには見覚えがあった。魔術式――エルが魔導符に描いた術式と似た文様が側面に彫り込まれていた。その文様は淡く緑に光っている。
《龍性機構兵器》――始祖龍の遺骸を組み込まれた戦術級兵器。製造に使われた遺骸の部位にも依るが、最上位のものは、陸軍の旅団一つ、およそ五千人の戦力に相当するとされている。一番低級の龍鱗でさえ、一個中隊に匹敵する力を持つ。街を護る兵団の衛兵が所有できるランクを考えると、おそらくその龍鱗級なのであろうが、それでもただの武具には収まらない禍々しさを放っている。
《龍性機構兵器》の特性は三つに大別されという。
一つ目は、魔力兵装であるという事。この兵器が真価を発揮するには、使用者が魔力を放出し続けなければならない。サイレールでクオンが初めて魔力放出を行ったが、頭部の前後に集中しながら、戦わなければならないので、使いこなすのには相当量の訓練が必要になる。
二つ目は、《龍技》。クエルドの持つ巨大曲剣の側面に術式が彫り込まれているのと同じように、全ての《龍性機構兵器》には術式が施されており、一種の魔装具としても機能する。そして、その術式の発動――《龍技》を使えば使うほど、使用者自身に、その術式が《織り込み》されていく。体の何処かに、兵器に施された術式と同じ文様が浮かび上がり、以後、その兵器を使用しなくても《龍技》が使用できるようになる。過去には七つの《龍技》を同時に扱う事の出来た英雄の話も伝わっているが、既に神話の世界の話となっている。
そして三つめは《龍》との契約に関わるものらしいのだが、その内容は龍騎士学院で三巡生以降になり、実際に龍と契約してからでないと教えてはいけないとされており、エルも知らない。
ともかく、その超威力の兵器が、エル達の目の前にあった。
レミィがメモを取り出しながら口を開いた。
「それ、クレメンス兵士長の《悪魔砕き》やんなぁ? あんた、クレメンスの弟かいな」
どうやら、この街では有名人であるクレメンス兵士長を象徴するような持ち物であるらしい。クレメンスは、先の《首折りの狂亜人》との戦いで、重傷を負わされたと聞いたが、その時に《龍性機構兵器》にも何かしらの損傷があったというのか。それならば、あの人狼は、戦術級兵器とまともに渡り合うだけの戦闘力を身に付けていることを意味する。改めて、あれと対峙して無事であることの奇跡を、エルは感じていた。
「半年前の樹海攻略の時に、上手く動かせなかったみたいで。兄貴から、《龍鍛冶師》でもある親方に見て貰えって言われて、今日まで預けてたんですよ」
でも、まさかあんなことになるなんて……。そこでクエルドの言葉が止まる。
ボンドも歯噛しているようだ。
沈黙を破ったのはレミィだった。
「そんな不景気な顔せんと、お客も逃げてまうで。安心しときお二人さん。この王都新聞始まって以来の敏腕美少女記者のレミィさんと、《首折りの狂亜人》も裸足で逃げだす、武闘派貴族令嬢のエルちゃんが、この街の亜人問題を、っどーんと解決したるわッ!」
そう言って胸を叩いた後、強く叩きすぎたのか少し咽ている。エルはそこに被せるように慌てて訂正する。
「わ、私は別に、そこまで首を突っ込むつもりはッ! 樹海に行って、話を聞かない事には何とも言えない事ですし。関わった手前、精々《首折りの狂亜人》の鎮静化に一役買えたらくらいの気持ちですよ」
それから、とエルは続けた。
「私は、この街で起きている殺人が、本当に亜人の手によるものなのかには、少し疑問を持っています。レミィさんから話を聞いていて思ったんですけど、私が外で見た《首折りの狂亜人》の印象と、聞いた話での印象が、どうも一致しないんです。
二か月前には屋根を跳ぶだけだった亜人が、一か月後、急に凶行に走る。しかも、最後の被害者は、首を挿げ替えられてた。何となく、亜人の凶暴性を過剰に『演出』しようとしているように感じるんです。そんな知性、あの人狼が持ち合わせているように見えませんでしたから。あるいは、その人狼の裏に、誰か操作している者がいるのではと……」
その場の全員が腕組みをする。実際に人狼を見たことがあるは、エルだけ、その言葉には信憑性があるように思える。
「その裏で操ってる奴に心当たりはあるん?」レミィが問う。
「私は、昨日お話しした《垂れ耳》が気になります。実際人狼は、その亜人の言葉に従って、私たちを見逃した訳ですし。ともかく憶測で物を言うのは好きではないので、実際に調査しに行こうと思うんです。なので解決などという大言壮語はとても……」
「その心意気だけでも十分やんなぁ。流石、《救国の英雄》の娘はちゃうわぁ」
レミィのその言葉に、エルは幾分か不機嫌な表情を滲ませる。
親の七光りのように言われたからではない。エルは父親を疎んでいたからだ。
それは、決して《救国の英雄》の娘として見られること、求められることへの苦痛から来るものではない。陸軍上級大将としてではなく、父親としてのクラウス卿が、度々エルの神経を逆撫でする様な言動を繰り返してきたからに他ならない。
愛されてきたとは思う。傍から見れば、陸軍の将校と父親を十分に熟してきたと評価されてしかるべきだ
ろう。
しかし、エルにとっては違った。
エルは反射的に父親を思い返す。
幼少の頃、屋敷に紛れ込んでいた子猫の世話をしていたエルの目の前で、その猫を焼却炉に放り込んだこと。
次の日に、『新しい、綺麗な猫ちゃんだよ』と言って、毛艶の良い、血統書付きの猫を連れてきたこと。
エルが九歳の時、母親の死後、二週間と経たずに、『エルへの誕生日プレゼント』と称して、新しい母親を連れてきたこと。
龍騎士学院への入学を望んだエルに対して、是か非かを返答する前に、見合いをセッティングしたこと。
その度に、「お前を愛しているんだ」と言ってきたこと。その行動の裏に、自分への『愛』が感じられてしまうこと。
それら全てが、自分と父親の歯車が、永劫に噛み合う事が無いことを示していた。
「父はッ! 関係無いので――」
最初の一言目が、存外大きな声になったので、自分でも驚いて、その後のボリュームが小さくなる。しかし、それで我に返り、続けた言葉はお道化たものに変えた。
「わ、私は、負けっぱなしっていうのが、性に合わなくて、《首折りの狂亜人》に再戦したいだけなんです。結局、ただの暴れん坊ですよ」
そう言って笑った。作られたものであることは、何となく周りは察したが、敢えてその流れに乗る。蒸し返すことも無いだろうという判断だ。
「じゃあ、余計にウチの胸部装甲を身に付けて貰いたいね。なんたって親方の自信作だからね」ボンドが手でクラーク鋼製の胸部装甲を軽々と弄びながら言った。
「本当は、僕らが解決すべきなんですけど、生憎と議会からの反発が凄くて、いやぁ申し訳ないッ! その代わり、《龍性機構兵器》の調整もバッチリ終わったんで、兄貴が復帰すれば、僕らも再戦しますよッ!」
クエルドも胸を張った。
現状を考えれば仕方のない事だが、この街の住人にとって樹海の亜人は既に『討伐対象』となっているようだ。それがこの国の内情として好ましくないことはエルにも分かっている。亜人に対する差別の助長原因となり、また奴隷制度から続く確執もまた、根深くなってしまうからだ。しかしながら、亜人によって人間が殺されているとしたら、この街での対亜人感情が、『嫌悪』に傾くのも致し方あるまい。結局のところ、悪が《首折りの狂亜人》単体であろうが、人間はその裏に隠れる亜人全体を敵視せざるを得ない。何故なら、この街と、樹海の亜人は、今までお互いを深く知るような交流が無かったのだから。表面的に突出した事実だけが、真実だと捉えられてしまう事も仕方がない事なのだろう。
だからこそ、外部の人間である自分だけは、人間側、亜人側、どちらにも傾かず、水平を保たねばなるまい。それがある意味で、この亜人問題での自分の役割であると思う。だから、街の人の話を聞いた後は、亜人たちの話も聞きたいと、樹海に行かなければと思うのだろう。
一通りの話が終わると、クエルドは、兄の見舞いに行く、と防具店を後にする。エルとボンドは胸部装甲の調整に入った。ボンド側としても、女性に胸部装甲など売ったことも無く、その調整の為に名門貴族の身体を測るのに幾分か抵抗があったのか、その調整の手伝いを、レミィに依頼した。あるいは、昨日までの関係からの歩み寄りの姿勢を見せたのかもしれない。
レミィもそれを快諾し、メモを取り出しながら、「なぁなぁエルちゃん。貴族令嬢のスリーサイズ公開ッ! とかって、ええ見出しになると思わん?」などと笑みを零した。
エルが騎士剣を抜くふりをすると、「冗談やがな。なんやウィンダム人は、そういうセンス欠落しとるわぁ」と言いながらメモをしまった。
しかし、実際の計測に入る前に、彼らは店外に飛び出すことになった。
悲鳴が聞こえたのだ。先ほどまでここに居たクエルドのものだ。
「今のはッ!?」レミィが言うと同時に、エルは腰から外していた騎士剣を掴むと、店外へと駆ける。そして特区の奥、鉄工所が連なる一角へ向かった。
レミィとボンドも、その後を追うようにして走る。レミィはペンとメモを、ボンドは店内の壁に掛けてあった戦槌を引っ掴んだ。
外は既に夕刻を過ぎ、太陽が西に沈む直前だった。空は紫に染まり、やがて来る夜を迎え入れる準備をしている。最後の西日が紅く、なおも紅く糸を引き、吐き出される煙を鈍い血液の色に染め上げる。
製鉄所と、鉄火場の間を細く伸びる裏路地を行く。その路地から確実に漂っていたのだ、血の匂いが。壁には幾つかの裂傷と、地には剥がれ落ちた鉄片。その傷跡を追いながら、確実に濃くなる血の匂いを鼻腔に感じていた。
「その角を曲がると、袋小路、行き止まりですッ!」ボンドが前方を往くエルに向かって叫んだ。
エルは、その言葉に反応し、剣を引き抜く。もし曲がり角に亜人が居たら、迷わず剣を振るうつもりでいた。先ほどの悲鳴には、そうせざるを得ない逼迫したものを感じたからだ。
しかし、実際には亜人は居なかった。
クエルドが、壁を背に、座り込んでいる。肩口から胸に向かって切り裂かれたのか、身に付けていた衣服は鋭利に裂かれ、血が滲んでいる。呼吸は浅いが、意識は辛うじてあるようだ。だが、早く処置をしないと命に関わるだろう。
傍らには、《龍性機構武器》が、布から解放された状態で転がっていた。クエルドの血飛沫なのか、赤い斑点が幾つも飛んでいる。
そして、クエルドの頭上、市壁の内側には、四本の太い爪痕がくっきりと残っていた。エルが気絶する瞬間に垣間見た、《地龍》を放った時に地面に出来た爪痕と同じものだ。
ここまではっきりと、鉄の壁に爪痕を残せる生き物などそう多くはあるまい。ましてや人間になど、到底不可能である。肉体を極限まで深化させた亜人か、あるいは《龍》くらいなものだ。
エルはクエルドに駆け寄る。落ちていた《龍性機構武器》を包んでいた物であろう布を裂くと、クエルドの傷口を縛り上げる。自身の身体に触れる感触で、途切れかけた意識が戻ったのか、クエルドは苦しそうに口を開いた。
「は、はは……護る立場の衛兵が、やられちゃいましたよ……。兄弟揃って……情けない……。でも兄貴の、これが、守ってくれました」言いながら、傍らに転がる《悪魔砕き》の表面を撫でた。確か、兄であるクレメンス戦士長は、これで《首折りの狂亜人》の頭蓋を叩き割ったと聞いた。それに恐れをなしたのだろうか。
「喋らないで。レミィさん。貴女は特区の門前の衛兵を呼んできて。療養院に運びます。ボンドさんは《龍性機構兵器》をもう一度保管してください。こんなものを転がしっぱなしで、仮に悪人の手にでも渡ったら、更に惨劇が起こる」
エルの指示に、二人は即座に従った。二人とも、袋小路を飛び出していく。
エルはなおも応急処置を続けながら、クエルドに話し始める。
「大丈夫ですよ。その傷では人は死にません。まぁお兄さんと同じところに入りはするでしょうが、その方が寂しくないんじゃないですか?」
「は、は……兄弟部屋なんて、十歳の頃以来だよ……恥ずかしいなぁ……」
「すいません。喋らないでと言った手前、申し訳ないのですが、やはり……」
「ああ、人狼種だ。《首折りの狂亜人》かは分からないけど、間違いない。立ち向かってみようとしたけど、ダメだった。そういう次元じゃないんだ。怖かった。怖かったんだ……。あの紅い瞳が、こっちを睨んで、もう、動けなかったよ……」
「でも生きてる」
「そうだね……。切り裂かれた時に、落とした《龍性機構武器》から布が外れた。それを見た途端、あの人狼は慌てたように、市外へ逃げた。鉄工所と市壁のを蹴り上がりながら、壁の向こうにね……。人間じゃねぇよ……人間じゃねぇ……」
そこまで言うと、クエルドは目を閉じて喋らなくなる。恐らく意識が途絶えたのだろう。胸は上下しているので、呼吸は続いていることは分かる。
エルは確かに感じている。この場に漂う、血潮の香りと魔力の残滓を。




