第十一話《ワイルドハント》
夕日がコクマー山脈に沈む。
田園地帯はとうに抜け、進行方向右手には、深い森が続いている。
通称『樹海』。亜人たちの享楽の都。
ヴォルグが、ランタンに油を注ぎ、火を入れると、幌馬車の脇に吊るした。夜に備えるのだ。馬車を曳く二頭の馬達にも疲れが見える。今日は海風が強かったので、思うように距離が出なかったようだ。この辺で一旦野宿をして、再度明日の朝に『カンメル』を目指すでも構わないかい、と幌の中の二人に聞いた。
乗せてもらっている立場なので、特に逆らうような事は無い。エルもクオンも首を縦に振る。
――が。
「駄目だ、走ってッ!」唐突にエルが叫ぶ。
ヴォルグが理由を聞く前に、クオンが御者台に飛び出し手綱を掴み、馬を一気に加速させた。
「どうしたってんだい二人ともッ! 馬がへばって――」
言いながら、馬車の後方を見る。幌の向こう側、エルの視る先に、何かがいた。
それはまるで、地面から闇そのものが噴出し、こちらを追ってきているように見えた。
しかし、よく目を凝らすと、それには四肢があり、尾があり、爪があり、牙があることが分かる。半開きの口からは舌がだらりと垂れ、眼は燃えるように爛々と輝き、光が粘るように軌跡を残す。
――《人狼》
亜人の中でも、知性と身体能力に優れる種。人間に対する敵愾心も強く、群れで行動することが多い。それゆえ、彼らが引き起こす事件は規模が大きくなる傾向があり、人間側からの警戒の度合いは亜人随一だ。
だが、馬車を追う人狼からは知性を感じられなかった。ただ、暴力の行き場として我々を害するためだけに追走しているように見える。
エルの頭に《首折りの狂亜人》の名が過ぎる。カンメル周辺で、旅人や行商人を見境なく殺傷至らしめていると王都の新聞を賑わせていた。成程、その名に恥じぬ狂いっぷりのようだ。
疲弊している馬二頭よりも、圧倒的にあちらの方が速い。やがて追い付かれる。エルとクオンは顔を見合わせると、自身の荷物を引っ掴み、馬車から飛び降りた。
「行ってくださいッ!」振り向かず、ヴォルグに叫ぶ。
「わ、分かった。すまんッ!」手綱を再度握ったヴォルグは、そのまま馬車を駆った。
エルは騎士剣を引き抜く。クオンも帯刀していた小振りの剣を抜いた。
ファルカタと呼ばれる片刃剣で、切っ先に向かうにつれ幅が広くなっており、内側に向かって湾曲しているのが特徴だ。その幅広の切っ先による斬撃は強力で、鹿の首ぐらいなら一刀で切断できるほどだ。それを逆手で構え、迎撃の態勢をとった。
人狼が眼前に迫る。両腕をいっぱに広げながら、鉤爪を開いた。
「グヴアアオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
強烈な咆哮。それはもはや狼の者ではなく、猫科の大型肉食獣のものに近かった。
二人は、迫る狂獣に飛び込むように、同時に剣を振るった。左右同時の斬撃に逃げ場はない――はずだった。
「クッソッ! 跳躍したッ!」エルが叫ぶ。
二人が振り返った時、人狼の身体は空にあった。跳躍の域を超え、もはや浮遊に近い。そのまま二人の数十メートル先に着地すると、再度馬車に向かって疾走しだした。
「狙いは、馬車みたいですッ!」
踵を返し、クオンとエルは人狼を追う。ランタンの灯りが闇の中に溶け込んでいく。
しかし、溶けきるより早く、人狼は馬車に追い付いた。
「ひぃいいいいいいッ!」ヴォルグの悲鳴が上がる。
馬車と並走するように、人狼は海道を駆ける。ヴォルグの眼には、品定めをしているように映った。そして、鋭い鉤爪が伸びる太い腕を振るうと、片方の馬の首を力任せにへし折った。
バギンッ、という骨が砕かれる音と、馬車が横転する音が重なった。
ヴォルグは海道左の草原に投げ出される。もう一頭の馬は馬車に脚が下敷きになっている。どうやら右前脚が折れているようだ。
人狼の手の中には、馬の首が握られている。その切断面から滴る血を、喉を鳴らして飲み始めた。そして、再度咆哮。これは歓喜の叫びなのだろうか。感情を読み取ることは不可能だ。
そして、その首をヴォルグの横に放った。ドン、と音を立てて首が転がる。ヴォルグは既に失神寸前だった。だが、確かに意識を手放す瞬間に見た。人狼の口の端が吊り上がるのを。
「だぁあああああッ!」
人狼の頭上からクオンが飛び掛かる。横転した馬車を足掛かりに跳躍し、上から斬撃を加えるつもりだった。しかし、人狼は振り返りざまのハイキックを放ってみせる。クオンは刀身でそれを受け止めるも、空中では踏ん張りがきかず、そのまま樹海の中へ吹き飛ばされた。
「クオン君ッ!」
エルはクオンの吹き飛ばされた方向に目をやりながらも、人狼に向かって疾走する。両手で柄を握り、剣先で地面を抉るように、低い姿勢のまま飛び込む。
魔女の館でオートマトンが放とうとしていた剣技《地疾り》に似ていた。しかし決定的に違うのは、こちらの速度が乗っているという事。体自体の加速に、腕の加速と、切っ先の加速を乗せる。そのまま剣を引き抜くように、思い切り斬り上げた。
《地龍》と呼ばれるその技は、数メートルではあるが、斬撃が『持続』する。
地を切り裂きながら、斬撃が飛ぶ。土ぼこりを巻き上げ、その軌跡はまるで地面が直線状に爆ぜているかのようだ。
人狼は視覚では捉えきれない、ソレを察知したのか左に跳ぶも、斬撃は右脚を捉える。鮮血が迸った。
腿のあたりに大きな裂傷が生じる。
「まだッ!」
好機を逃さぬ連続の剣技。刺突三連から逆胴、と的確に急所を狙う。風切り音が闇にこだまする。しかし当たらない。右脚の負傷を感じさせないフットワークで軽々と避けていく。生物としてのスペックが圧倒的に人間を上回っている。紙一重で全て躱していく。
エルが上段に振るい上げた剣を振り降ろす刹那、人狼は後ろ回し蹴りを、エルの胴に向かって繰り出した。強い衝撃が、エルの腹から背中側へ抜ける。胸部装甲の形が歪んだのが分かる。そのまま後方へ弾け飛ぶ。二度、三度と地表にバウンドすると、体を捌き、ロスなく立ち上がる。
――が、膝から頽れた。剣を支えに体さえ起こしているが、かなりのダメージが体に残っている。衝撃の瞬間、自分から後ろに跳んだはずだった。しかし、いなし切れなかった。
口の端から鮮血が流れる。バウンドの際に咥内を切ったらしい。エルは血の味のするそれを、唾液と混ぜると、草むらに吐き捨てた。
と、その時、あるものが目に入った。先ほどの馬車の横転の際に、ここまで転がったのだろうか。ともあれ、コイツで突破口を開けるかもしれない。だとしたら、協力者がいる。
「クオン君ッ!」エルが名前を呼ぶと、所々に葉をつけたクオンが、藪からひょこっと顔を出した。
「すいません、結構遠くまで飛ばされました」飛び出し、人狼に向かって構える。ダメージはさほど感じない。
「エルさんは――大丈夫じゃなさそうですね」エルの状態をすぐに察したが、同時に人狼の右大腿に大きく亀裂が走っていることにも気づいた。
「アレ、エルさんが」
「まあね、ちょっとした不意打ちみたいなもん」
「凄いな、龍騎士って」
「まだ、見習い、だよ」
今度は僕が、と飛び込んでいきそうだったクオンの首根っこを、エルは捕まえる。
そのまま自分の胸にクオンの頭を抱えると、耳打ちした。
「ちょ、っあ、エ、エルさん、む、胸が当たって」
「アホ、凹んだ胸部装甲の上から感触もクソもあるかいッ! いいから聞きなさいッ!」
感触云々ではなく、位置関係だけでもドギマギしてしまう年頃のクオンだったが、集中し直して、エルの作戦を聞く。人狼は、脚の具合を確かめるように二度三度軽く跳躍をしてみせる。
「それ、いけます?」作戦を聞いたクオンは不安そうな声を上げる。
「文字通り、君の『肩』にかかってるよ」と言いながらエルはウインクをしてみせた。慣れない事なので、両目を瞑ってしまう。それを見て、クオンは非常に心配になった。
瞬間、人狼が駆ける。
エルも素早く懐から、あるものを取り出す。魔装具だ。
《引き金》を引き、術式を展開させると同時に、魔力を一気に放出した。この魔法は、調節なんか必要ないはずだ。
「《焔龍の吐息》ッ!」
術式から炎が噴き出す。そしてそのまま直線状に伸びた。。クオンに魔装具の説明をしている時に、エルは《術式管》に符を二枚入れていた。一つは馬車から放った《焔弾》。もう一つが《焔龍の吐息》、いわゆる火炎放射だ。炎の壁が人狼に迫る。炎に飲み込まれる直前で、後ろに跳躍した。
エルはそのまま放出を続け、杖ごと左右に振る。「うごごごごご……」辛そうだ。そうやって自分たちと人狼との間に炎の境界線を構築した。
「エ、エルさん、大丈夫です?」
「お、思った以上にヤバい……あと一分も持たない……」
あ、アイツは? とエルはクオンに聞く。人狼は揺らめく炎の向こう側からこちらを睨んでいた。どうやら諦めるつもりはなさそうだ。
「……まだやるつもりです」
「は、早く来いって、クオン君言ってくれる?」
そうエルが言うが早いか、人狼は高く飛び上った。先ほど二人の頭上を越えたのと同じだ。そうやって、そのまま炎の境界線を越えるつもりなのだ。しかし、それは――。
「狙い通りですッ!」
クオンが何かを人狼に向かって投げつけた。如何にフットワークが優れていても、その《脚》が地についていなければ《働く》のしようがない。回避を封じられた人狼は、その何かを腕で払いのけた。途端、その何かから液体が迸る。人狼はそれを体中に浴びた。
投げつけたのは、ランタン用の油缶だった。先ほどエルが拾ったのはこれだったのだ。
幾ら身体的な性能が人間を上回るからと言って、消せない炎にはどこまで耐えられるのか。
「王手、だよ」既にエルの魔装具は、《焔龍の吐息》から《焔弾》に術式が切り替わっている。
人狼の着地と同時に、残っているありったけを込めて、エルは特大の火球を放った。
「《焔ァアアアアアア弾ッルッ!!》」
火球は、ォオォオオオオオッ! という唸りを上げながら人狼に迫る。が、人狼はそれすらも、紙一重で躱した。
「だから、ダメなんだよ紙一重は」エルがそう吐き捨てる。
火球を取り巻く《炎の切れ端》がチロリと人狼の躰を舐めた。瞬間、炎が人狼の躰を包み込む。
「ガァアアァアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」耳を劈くような獣の叫び。
本来だったら、あの程度の炎の切れ端が躰に触れた所で、人狼の強靭な肉体に火傷一つ負わせられなかったかもしれない。しかし、油に塗れたその状態で、炎を身にまとい続けることになるのであれば話は別だ。
あの回避能力の高さから、普通に油缶を投げたのでは、当然当たらない。そのため、回避の出来ない空中に人狼をおびき寄せるために、前方に炎の境界線を作ることで、相手の『跳躍』の選択肢を大きくしたのである。
更にエルは、先ほど剣を交えた際に、人狼の、戦いを楽しむかのように紙一重で回避をする癖を見抜いていた。後は油を被らせ、《焔弾》が掠りさえしてくれれば、炎上は免れない状況を作ったのであった。
火だるまの中で、人間大の生き物がのたうち回っている。巻き上がる炎の中で苦しそうに悶え続ける。
「た、倒したんです?」その問いにエルは答えない。
そもそも、不安ならば、その炎の外から剣で突き刺してとどめを刺してしまえばいい。しかし、まだ幼い二人は、そこまで非情になることが出来なかった。
「……ていうかこれって、殺人罪になっちゃうんでしょうか?」クオンが不安そうに聞く。
成程、その視点は無かった。エルは返す。
「いや、こんな奴だ。恐らく《賞金首》にでもなってるはずだよ。幸い、こっちには被害者兼目撃者のヴォルグさんがいる――。今は気絶しているみたいだけど、この馬車の惨状とか、まぁ証拠は色々あるでしょ」
この二人のやりとりには、亜人だからといって無闇に傷つけてはならないというこの国の法が見て取れる。法によって一部制限はされているが、ほぼ人間と同じ権利を認められてもいるのだ。
獣毛にこびり付いた脂が焼ける匂いがする。既に炎は小さくなり、人狼の躰の上に斑のように残るばかりだった。二人はなんとなく後味の悪さを感じている。人間と似た形の生き物を、正当防衛とはいえ殺傷する。旅の最序盤からこの調子では、精神的にも厳しいものになりそうだ――。
そんな事を思案していた二人の眼が見開かれる。
人狼が、半分炭化した躰を起こす。鉤爪を地面に突き刺し、躰を支えながらではあるが、此方に向き直った。所々には未だ火種が残っており、煙を上げている。にもかかわらず、その相貌は《苦痛》ではなく《歓喜》、いや《狂気》に染まっていた。
人狼は、鋭く巨大な鉤爪を地面に深々と突き刺すと、そのままこちらに疾走した。
あれは――。
「ウソでしょッ!?」エルが叫ぶ。
あれは、先ほどエルが放った《地龍》。それを鉤爪で、真似しようとしているのだ。エルとクオンはそれを察し、慌てて左右に飛びのく。瞬間、人狼が爪を振るう。地が裂けながら、土埃を舞い上げ、迫る。その斬撃は交錯し、地面に歪んだ十字を描きながら、先ほどまでエルとクオンが居た地点を切り裂いた。
が、人狼の攻撃はまだ終わっていない。先ほどとは逆だ。斬撃を避けるために飛び退いた二人の身体は未だ空中にある。空中での回避は出来ない――。
人狼は後ろ回し蹴りを放つ。エルの右脇腹に踵が突き刺さる。
「グゥウッ!」エルの口から呻き声が上がる。が、力を振り絞って、エルは騎士剣をでたらめに振るった。ギ、という硬質なものに当たった感触が腕に響く。体が完全に人狼から離れる前に、そのまま両手で一気に振りぬいた。――確かに何かを断った。瞬間、エルの意識は闇に消える。
人狼はエルを、クオンの方向に吹き飛ばした。エルの身体はクオンに直撃し、二人は海道を超えて草原まで飛んでいく。
――咆哮。
勝鬨なのだろうか。ゲルト海道の夜に、遠吠えが響き渡る。右手の鉤爪が一本欠けていた。エルが断ち斬ったものは、人狼の中指にあたる大爪だったのだ。
「え、エルさん……」クオンは這いずりながら、動かないエルに近寄る。
辛うじて呼吸はしているが、意識は断たれている。
まずい。
クオンは力を振り絞り、立ち上がる。しかし、自身の短剣が手元に無い事に気付いた。先ほどエルの身体が直撃した際に、草原のどこかに落としたらしい。この暗闇の中で探し出すことは困難を極めるだろう。
気絶したエルと、獲物を失った自分。この好機を、《首折りの狂亜人》が逃すとは思えない。考えろ、生き残る術を、考えろ、考えろ、考えろ――ッ!!
しかし、浮かばない。実戦経験が圧倒的に足りていないのだ。幾ら訓練をしようが、幾ら書物から知識を得ようが、彼は十四年間《独り》で学んでいたのだ。状況を打開する策というものは、偶然、神からの思し召しのように降りてくるものではない。経験と鍛錬に裏打ちされた背景から生まれ出るものだ。だから、今のクオンには何も浮かばない。鍛錬は足りているかもしれないが、経験が無かったから。
その点で言えば、まだエルの方がそう言った策を練ることには向いていると言える。が、そのエルは昏倒している。絶望的な状況は続く。
クオンは苦し紛れに、エルの傍らに落ちていた騎士剣を拾い上げ、両手で正眼に構える。
こんな事、時間稼ぎにしかならないと分かっている。いや時間稼ぎにさえ――。
まだ《狩り》が楽しめる。人狼はそう思っているのか、勿体付けた緩慢な歩みで、クオンに迫った。
せめてエルさんが目覚めるまで、死んでも生きるッ! クオンが脚を踏ん張る。
その時。
「ダメッ!」
暗闇の何処かから、声が響いた。幼い、少女の声
途端、人狼の動きが止まる。そのまま二度三度鼻先をヒク付かせると、『カンメル』へと続く、ゲルト海道の先を見た。
闇から、フードを目深にかぶった人型が現れる。脚が悪いのか、萎えているのか、杖をつきながら、ぎこちなく此方に歩いてくる。背丈はクオンと同じぐらいだが、フードのせいで顔つきが分からず、年は愚か、人か亜人かさえも判別がつかない。
人狼は、その人物を見つめている。その視線に対し、フードは言葉で答える。
「もう、いいよ……もう、いいから……帰ろ……」
涙声だ。震えている。
それを聞いた人狼は、クオンを一瞥すると、フードの方に歩き出した。そうやってフードと合流すると、共に森の方へ消えゆく――。
と、思いきや、フードの方だけは、踵を返し、クオンに近寄ってきた。クオンは、解きかけた構えを再度取り直す。が、フードはそれに怯える素振りも見せず、クオンの眼前まで近づくと、耳元で囁いた。
「樹海で、待ってる」
甘い果実の香りがした。フードの下方から長く伸びた何かが見えた。最初は髪かと思ったが、違った。それは長く垂れた獣の耳。《垂れ耳》だった。彼女も亜人なのだろう。
《垂れ耳》はそれだけ言うと、森の方に振り返り、今度は此方を見ることはせず、闇に溶けて消えた。
クオンは騎士剣を落とし、へなへなと座り込む。
旅の初日は、こうして幕を閉じた。




