キリスト教の唯一神の御名が崇められますように
キリスト教の神は我らと共に。体調不良で何もする気はない。体がふるえて。緊張してる。水を飲みすぎたらいけない、といわれている。ストレスは、万病のもと。と聞いたけど。歩くのは、いいと言われ少し歩いています。しかし、ドアは閉じてしまう。ここからはひとり。道を行くのは困難なもの。托鉢というけれど、食べ物が食べたくないときは何も食べなくてもいいんだ。托鉢に出なきゃいい。胃がどうにかしてる。食べ物を消化しないんだ。[不増不減。]般若心経にある。日本人の億分の一の有名人が総出演している。のだから優れているその人たちに着いていけばいい。僕らを守ってくれるはずだ。とは、言い過ぎかな。愛を知ると書いて愛知県になる。僕は大勢に守られてるんだなあとつくづく思う。 [取り出せば出すほど次々出てくる。]と、老子道徳経にある。[自分の立場をよく知ることが、分かったこととなる。]ともある。眠たい。薬の乱用からだ。麻薬の使用患者ではないが、向精神薬を用量を守らず、もったいないから、昨日の分も飲んでしまった。飲まなかった薬は、廃棄処分すべきだとつくずく思った。ストレスは、万病のもととよくいわれるが、酢を飲むのは<酢とれ酢>ともいうが酢を飲むのは体に悪いことである。 未来への希望をもっていこうと想う。未来にも、これからどんどん問題が出てきて、果てしもない世の中には、完成ということは、ないのだ。私に対する呪を説いている。私の名前は、非常に悪い。その悪さを防ぐ為に戒律を授けてくれた。神様は国を建てるのにふさわしい人材を送ってくれるからだ。有難いその心を維持していきたいものだ。神様を信じている。本質を見ていく。しのはら きよし紙の腹、清 とも書き換えが可能だ。道教の民間宗教では、神様の姿を紙に書いて神様まで呑み込んで、その裁き人としていることで綺麗で清いとしている。原爆ドーム前に行くと、人を皆汚れたものとして扱い原爆の火で皆を清めて洗礼を済ました。石鹸で泡立てて、世界は小さな穴まで小さくなる。席巻とも書き換えが可能だ。世界の維持者平和をもたらすものとは、世界を無に返してはいけない。そのように世界を小さく閉じ込めてはいけない。手を洗わないでいることは、世界を小さな世界に閉じ込めない為にかなう。石鹸で手を洗うと、泡のように世界を小さくして、それは無に帰かえって行く。独裁者は世界を自分中心にして、小さく扱う。聖人は、世界を大切にして逆に自分を小さく扱う。<キリストは、手を洗わないでいることは、人を汚さない。心から出てくるものが人を汚がすのである。> と新約聖書にある。<懺悔、懺悔、六根清浄>とは、仏教で唱える言葉であるが、火は人を無慈悲にするが、火は人を清めもする。善も悪も言葉であるだけで、本来どちらとも言えないものなのだ。と私は、想う。世界を大切にして行くために、虫眼鏡が必要である。不断の努力をしているものは、切れ目がない。切れ目がなければ、落ち込むことはない。