15・ベル・シルヴィアーナ
「おかえりなさ……あら?」
シーフギルドへと無事帰還。
受付で本を読んでいたアリサさんは訝しむような表情となり、
「カケル。あなた……防具を買いに出かけたと思ったら……ふう、やれやれ」
「何がやれやれなんですか!」
「まさか幼女を誘拐してくるなんてね」
「誘拐じゃありません!」
「カケルも男の子ね」
「仮に誘拐だとしたらその一言で済むもんなんですか?」
アリサさんに誤解されているっ?
その後、慌てて事情を説明した。
夜の街を歩いていたら襲われている少女に出逢い、勝手に体が動いて助けここまで連れてきてしまった、と。
銀髪の少女は俺の服の裾を掴み、アリサさんから身を隠している。
「そう……とにかくカケル。晩ご飯を食べましょう。そっちの子も来る?」
アリサさんがしゃがみ、少女と視線を合わせる。
「ひっ!」
そうすると少女は短い悲鳴を上げ、俺の後ろへと完全に隠れてしまった。
アリサさんは溜息。
「私……昔から子どもに好かれない性格なの。特に獣人族の子にはね」
「獣人族?」
「あら? あなた気付いていないの? その子の顔をよく見なさいよ」
振り返って、少女の顔を見る。
可愛らしい少女である。透き通るような髪、水を弾くような白肌。そして頭からは二つの耳がピコンピコンと動き——、
「って、耳! 耳耳っ?」
ビックリして思わず後ずさってしまう。
「あなたの元いた世界では知らないけど、この世界には人族、獣人族、エルフ、ドワーフの四種族がいるわね。人族以外の種族のことを亜人、っていう人もいるけど差別表現を含んでいるから、あんまり人前では言わない方が良いと思うわ。
その子は見る限り、獣人族のイヌ科の娘。まあ獣人族はイヌ科だったら、耳と尻尾が生えていること以外は人族とさほど変わらないから安心していいわ」
「し、尻尾も生えているのか?」
「は、はい!」
少女が元気よく声を出す。
するとお尻の付け根にイヌのような尻尾が畳まれているのだろうか……。
「み、見せてもらってもいいかな?」
「どうぞ!」
何の抵抗もなく、クルッと少女は後ろを向いてスカートを捲り上げる。
汚れのない白いパンツが下半身を隠している。
少女は徐にパンツを下げて、お尻を半分だけ出す。
——予想通り。お尻の付け根から茶色の短い尻尾が丸まっている。
「さ、触ってもいいか?」
「んー……ちょっと恥ずかしいけど、助けてもらったお礼です! どうぞ!」
躊躇しながらも少女の尻尾に手を触れる。
……うわぁ。ふさふさの感触である。
触ると尻尾が手から逃れようとするように動く。無意識に動くのであろうか?
こうしていると何だか変な気分になって——、
「カケル。そんなことをするために幼女を誘拐してきたの?」
「は!」
アリサさんの呆れるような声で我に戻り、尻尾から手を離す。
「だから誘拐じゃありません、って!」
「そう? すごいエッチなこと楽しんでたみたいだけど」
何故だかアリサさんは不満そうに唇を尖らせた。
それにしても良かった……夜も遅いということなのか、シーフギルドの受付には俺達しかいない。こんなところを他の人達に見られたらどうなるか……。
「早く晩ご飯を食べましょう。その後、好きなだけエッチなことをするべきだわ」
「だからエッチなことじゃありませんって!」
この世界の獣人族の体を調べていただけなんだ!
それにしても……少女は尻尾を触られたのが恥ずかしかったのが、頬を赤らめている。
エッチなことじゃないよな?
「ここよ」
アリサさんに連れられてやって来た場所はシーフギルド内の食堂。
ここでお金を出せば、ご飯を食べさせてもらうことが出来る。
街中でも堂々とご飯を食べられない、犯罪ジョブのシーフだからこそギルド内にこのような場所が用意されている……らしい。
いつもは人で賑わっている食堂も、今はコックらしき人が厨房にいるだけで静かなものであった。
「貸し切りにしているのよ。カケルとの食事を楽しみたくて、ね」
食堂の中央のテーブル。
そこには色取り取りの料理が並んでいた。
鳥の丸焼き……ハンバーグ……サラダの盛り合わせ。
見ているだけでヨダレが垂れてきそうである。
「取り敢えず、食べましょう。ご飯が覚めてしまうわ?」
円卓に俺、アリサさん、少女の三人が腰をかけ早速食事を開始した。
異世界の料理は少し癖のある味をしているものの、美味しく手が止められない。
食事に集中しているためか、フォークやスプーンの当たる金属の音が食堂内に響いていた。
それにしても美味い……シーフギルド内のコックの手腕だろうか?
まあこのコックさんも料理が上手いだけのシーフらしいのだが……。
やがてお腹も膨れて落ち着いてきたところで、
「そういえばあなたの名前を聞いていなかったわね。まあ私は【魔眼】スキルで分かっているけど……どうせだからお互いに自己紹介をしましょうか」
ナフキンで口元を拭きながら、アリサさんが提案した。
口の周りをソースで汚した少女は視線を上げ、
「ベル! ベルの名前はベル・シルヴィアーナと言います! ジョブは武闘家。ここ王都ヴァープルの生活に憧れて村から飛び出してきました」
少女——ベルは手を挙げて、元気よく自己紹介をした。
「獣人族だけが住む村……ってのも存在するのよ」
というのはアリサさん談。
街中を歩いてみれば気付くが、この世界は人族だけではなく頭から耳を生やしたヤツは、金色の髪に耳の先が尖っているエルフも普通に生活している。
昔は人族は人族だけ、獣人族は獣人族だけ……で集落を作り暮らしていたみたいなんだが、魔王がこの世界に降臨した時、別々に戦っていては埒があかないということで今のように多種族が混合して暮らす世界へと変わったらしいな。
「私はアリサ。ここのシーフギルドの一番お偉いさんだから私に逆らったらダメよ?」
「俺はカケル。シーフとしてこのギルドで働いている」
冗談めかしてアリサさんが名乗る。
「シーフさんですか! 今日はベルを助けてくれてありがとうございます」
「怖がらないのか?」
シーフというのはこの世界では犯罪ジョブだ。
今までシーフというだけで、水をかけられた思い出もあるので、ベルが拒否反応を示すものだと思っていた。
だがベルは目を輝かせて、
「どうしてですか? 確かにシーフというジョブは悪いことをする人が多い、って言われてますけど……お兄さん……カケルさんは悪いことしてないですよね? それどころか悪い人からベルを守ってくれました。それなのにどうして怖がらないといけないんですか?」
首を傾げるベル。
「獣人族の村で暮らしていたら王都ヴァープルの常識が通用しないかもね。多分、この子の村ではシーフは犯罪ジョブだと教えられていないんでしょ」
横からアリサさんが口を挟む。
偏見がない世界……そういう村で暮らしてきたから、ベルは俺達をすんなりと受け入れた、ということなのか。
「それはそうとカケル——これ、私からの一応プレゼント。ギルド入団記念に、ね。私のお手製のオレンジジュースだから飲みなさい」
「アリサさんの手作り? あ、ありがとうございま——!」
女の子からの手料理!
喜んで頂こうとすると、それを見て言葉が詰まってしまった。
「こ、これがオレンジジュース?」
——コップに入った液体。
それは濃い緑色をして、沸騰している謎の液体であった。
水面上からは虫の足のようなものが何故か出ている。
何処からどう見てもオレンジジュースに見えることはない。
コップに手を付けるだけ付けて、飲むのを躊躇っていると、
「早く飲みなさい」
アリサさんが俺の手を掴んで、無理矢理コップ内の液体を口に流し込んできた。
味は……うん。不味いことは不味いのだが、十秒間床に転がり悶え苦しむくらいで済んだ。
良かった。見た目から推測するに、腹が爆発しても可笑しくないと思っていたが。
「な、何ですか! アリサさん。俺を殺すつもりですか!」
「力の花……っていう攻撃力の値を1だけ上げるドーピングアイテムを煮て作ったジュースよ」
「それはありがとうございます……が! それなら、わざわざこんなジュースにして出さなくてもいいじゃないですか!」
「可笑しいわね……美味しく飲めるように味付けをしたのに……もしかして不味かったのかしら」
顎に手を置いて一頻り考えるアリサさん。
もしかしてこの人? 嫌がらせ目的じゃなくて、ガチで作ってこうなったのか?
何でもありに思えたアリサさんの弱点が料理下手というオードゾックスなものだったのか。
「まあいいわ。私、過ぎてしまったことはあまり気にしないタイプなの」
だが——すぐに元の表情に戻る。
それから残りの料理を摘んでいると、
「あら……あなた? その首輪はなあに?」
アリサさんはベルの首もとを指差して尋ねた。
指摘通り、ベルには赤色の首輪が付けられていた。
「これですか? これはあの悪い人達に無理矢理付けられたもので、外そうと思っても外れないんです!」
無理矢理外そうと首輪を引っ張るベルであるが、取れる気配は全くない。
「そう……もしや、と思っていたけど、やっぱりね……」
その言葉を聞いて、真剣な表情となるアリサさん。
近寄りがたい程、集中して思考しているようにも見えた。
「それは不味いわね」
「アリサさんの作ってくれたジュースが、ですか?」
「殺すわよ」
きっ、と睨んでくるアリサさん。
「とにかく——ベルもカケルも今日は私の部屋に泊まりなさい。私はちょっと調べ物があるから……」
そう言って逃げるようにして食堂から出て行くアリサさん。
「なんだろ?」
……嫌な予感がする。
俺のこういう時の予感は大体当たるのだ。
すぐにアリサさんを追いかけ、問い詰めようとしたが、
「カケルさん?」
頭一つも二つも低い位置からベルが見上げてくる。
こうして見ると、少し大きい娘を持った父のような気分になる。
「いんや、何でもない」
ベルの頭をくしゃくしゃと撫でる。
まあ分からないことは後回しにしておいても大丈夫だろう。
そうやって思考を止めてしまったことが、今思えば最大の間違いであった。