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真実を操るのは  作者: 安藤真司
7/7

また会えたら 【挿絵あり】

 なんとなく、だが。

 今日、あいつは死ぬ気がした。

 ここ最近毎日夢で見ていた未来が、今日はこれまでにないくらいはっきりと視えた。

 たぶん今日の放課後だ。

 いや、もしかすると、放課後どころか、どういう手段でか、夜中に忍び込むと思う。

 予知夢で見たのは夜だったしな。

「おはよー紀実(きみ)

 いつもと変わらぬ笑顔。

 いつもと変わらぬ挨拶。

 そうか。

 今日自殺しようってのに、変わんねぇな。

 そんなもんか。

 本当に死にたい奴は。

 黙って急に死んじゃうものなのかもしれない。

 何かに悩んでいるようには見えなかった、なんて言葉、よく聞くが。

 そうだな。

 人に悩みを見せることすらできないような状態が続いてしまう人間が、死んでしまうのかもしれない。

 自ら、尊い命を絶ってしまうのかもしれない。

「よう」

「あ、返事してくれた」

 まぁ。

 こんな日くらい。

 してやるよ。

 あとさ。

「……ほれ」

 鞄からあるものを取り出して、返事も待たずに玖亜(くあ)の席にそれを置いた。

 正方形に近い、上品な黒の箱。

 見る人が見れば、その箱に印字されているロゴマークで中身がわかるだろう。

 で、予想通り、玖亜はその中身がわかる奴だ。

「これ……もしかして時計?」

 さすが。

「おぅ」

「へー、時計かー、へー」

 間延びした声を出しながら玖亜は丁寧に箱を開けた。

 銀色に輝く腕時計が姿を現す。

 それを左腕に早速巻いて、色々な角度から見渡している。

 良かった、サイズ、調整できるとはいえ最初の設定としては自信なかったか、今のままでも十分合っていそうだ。

「なんで? 時計?」

「玖亜が言ったんだろ。誕生日プレゼント貰ってないって」

「え……言った、けど。わたしの誕生日、四月」

 知ってるっての。

 知ってて買ってきたんだよ。

 今日が、最後になるかもしれない。

 綾文紀実って人間の。

「いいから貰っとけ。別に誕生日関係なくてもいい。普通にプレゼントってことでも」

「そっかー。ふーん。紀実からのプレゼントかー。なら貰っておこうかなー」

 喜んでる、よな?


「嬉しいなぁ男の子からプレゼントなんて初めてだ……とか、言うと思う? やめてよ。死ぬの、迷っちゃうじゃんか


 玖亜は、小さな声で、たぶん、俺にも聞かせないつもりであろうってくらい小さな声で呟いた。

 呟いて、時計を外す。

 自分だけの言葉ですら、ぐちゃぐちゃになっているらしいな。

 まったく、面倒な奴だよお前は。

 でも、その面倒なお前がいない世界なんて。

 俺は御免だよ。

 だから、死なせない。

 お前には生きてもらうぞ。

 ちゃんと、な。



 とりあえず、何事もなく、放課後。

 窓を見てぼーっとしてる玖亜のことはとりあえず放っておいて、俺は生徒会室へやってきた。

 んー、まぁたぶん大丈夫だろあいつなら。

 まだ死なない、って程度の、大丈夫だろ、だが。

 どっちにしても今日のこと、話しておかないとだ。

 もう俺の考えてることは全部、伝えてはいるけどな。

 一応部外者なんで、軽くドアをノック。

 がらがらと音を立ててドアをスライドさせる。

「失礼します」

 入るとそこには目当ての三人、夢叶先輩、侑李先輩、狩野先輩、それにもう二人見知らぬ女子がいた。

 こいつらも生徒会役員なのだろうか。

「やぁ紀実くんかー。しかし酷いなぁその顔、ばればれだぜ? 同学年の役員の顔をなんで知らないんだよ紀実くん?」

 侑李先輩がなんか先手を打ってきた。

 悪かったな知らなくて。

 きっと侑李先輩がこういう風に言うってことは、普通にイベントだか集会だかで表に出てきていたのかもしれない。

 俺以外はそれこそ、全員知っているのかもな。

 とか考えてたら夢叶先輩が睨んでる。

 やべぇ。

「お前、集会真面目に出てるのか? 死ぬか?」

 出てない。

 話聞いてないどころか、集会自体さぼってることも多い。

 いやあれ、聞いてもなんも得るものないし。

 床が硬くて疲れるし。

 なぁ。

 あとそれだけで死にたくない。

 簡単に死ねとか言うな。

「紀実……綾文くんはあんまり他人に興味なさそうだもんね?」

 あぁ。

 狩野先輩の月並みな感想が有難い。

 月並み、素晴らしい。

「まぁいいさ。こっちの大人しそうで大人しくないのが森崎(もりさき)ちゃん、で、こっちの大人しくなさそうで大人しいのが織上(おりかみ)ちゃん。ちゃんと覚えときなよ紀実くん?」

 侑李先輩がさらりと紹介してくれた。

 いや、なにそれ。

 天邪鬼かなにかか。

「こっちは会話を嫌ってそうで案外突っ込みを入れてくれる綾文紀実くんさ」

 なんだその紹介。

 あながち嘘じゃない気がするから腹立つな。

 でも別に俺、なんだっけ、森崎さんと織上さんとやらに会いに来たわけじゃない。

「先輩、話がある」

 それだけで、十分伝わっただろう。

「そうか。場所を移そう」

 夢叶先輩はそう言って、俺たちは生徒会室を後にした。



 幸魂(さきみたま)高校には二号館がある。

 連絡通路を渡って来れる、比較的新しい校舎なので綺麗な棟なんだが、ええと。

 二号館ってさ。

 確か四階までしか入れなかったはず、だよな?

「なんで屋上の鍵持ってんだお前ら!?」

「黙れ」

「だからさー紀実くんの悪いところは先輩への敬意の無さが表に出てるとこだと思うぜー?」

「結構有名なんだよ? と言っても告白の場として、だけどね」

 お三方とも相変わらず素早い反応で。

 で、なに?

「告白の場として入れないはずの屋上の鍵が出回ってるってことすか」

「そうだよ。鍵は女の子が保管してる。ここぞという時に申請して、呼び出す感じ。呼び出すってこと自体がもう告白みたいなものだけど」

 狩野先輩の説明。

 なるほど。

 つまりそれ、駄目なんじゃあ。

 教師が知らない生徒の動きとか危ないだろ。

 まぁいいやそんなんどうでも。

 本題に入ろう。

「今日、玖亜が自殺する」

 先輩の視線が一斉に俺に向けられる。

「確かか?」

 夢叶先輩の言葉に、俺は頷く。

「間違いない」

「そうか」

 事実の確認。

 あと俺にできるのは、この先輩方の意思の確認くらいだ。


「俺は、自分なんてこれでいいと思ってますけど、先輩は、これで、いいんすか」


 俺は夢叶先輩が提案した最悪の策とやらに賛同した。

 だが、それは。

 僅かな可能性に全てを捧げる、文字通り最悪の策だ。

 俺は良いとしても、先輩がどう考えているのかはわからない。

 如何せん俺はこの先輩達とのコミュニケーションを避けてきたわけで、人柄だったりとか、何より、玖亜との関係性を詳しく知らない。

 去年の友人、ということ以外は何も知らない。

 でも、そうだな。

 ただの友達を相手に、こんな策なんて、思いつかないだろう、って。

 俺もまた、そんな希望に縋ってみたのだ。

 人間関係に。

「無論だ」

「まー、覚悟はしてたって。紀実くんよりはずっと覚悟ができてるよ、俺たちは」

「私も、気持ちは同じ」

 そして、そんな俺のことを馬鹿にするように笑った三人が。

 俺には少しだけ格好よく見えた。



 結局、俺たちはそのまま屋上で時間を潰した。

 二号館の屋上はうまいことどこからも見えないようだったので、先生にばれないという意味では良かったが、時期が時期だ。一月も下旬に差し掛かり、冷えた空気は表面を覆っただけの制服を簡単に貫き、芯から体温を下げてくる。

 だが、今の俺たちにはそのくらいのほうが丁度良かった。

 冷えていく身体が、冷えた心には合っている。

 俺は別に自殺志願者なんかじゃないが。

 死ぬ前ってのはきっと、温度を感じないのかもしれないと思った。

 世界に絶望したわけじゃないが。

 世界は人間にとっては生きづらいのかもしれない。

「行くか」

 雲に隠れた月が姿を見せたり見せなかったりを繰り返している。

 形も微妙だ。

 最後くらい、綺麗な月を見ておきたかった。

 そんなどうでもいいことを考えながら、俺と先輩たちは立ち上がった。


 真っ暗な校内。

 音も光もない学校は、いつもとまったく違う様子で。

 普段この場で一日の大半を過ごしているだなんて嘘みたいだ。

 どこの教室も鍵がかかっているだろうが。

 たぶん、ここは、開いてると思う。

 俺は、自分の、いや、玖亜のクラスのドアを。

 一年二組の教室のドアを静かに、ゆっくり開けた。

 それでもドアはがたがた音を立てる。

 教室に入ってすぐに、彼女の姿が目に入る。


 縄を手に外を眺める、櫛咲玖亜が、そこにいた。


 窓の隙間から流れてくる風に、大きく髪が流されていて、遠目ではその表情までは伺えない。

 そんなに髪、長くないと思ってたがやっぱあいつ、女子だよな。

「来ると思った。紀実も、萌映(めい)も、(ゆう)も、宇理(うり)も。よく学校残ってられたね」

「不思議な屋上でな」

「ふーん、ん? え、もしかして紀実、萌映か宇理に告白された!?」

「するか!」

「私もちょっと」

 神速の突っ込み。

「だよね。安心した」

 どうやらあの屋上は本当に告白する場として有名らしい。

 というか、狩野先輩はともかく、夢叶先輩が誰かに恋している姿はちょっと想像できねぇ。

 口悪すぎるし、気が、というか我が強すぎるだろこの人。

「いやいやー、第三の選択肢を忘れちゃあいけないよ玖亜? そう、この俺が紀実くんを呼び出したって可能性をさ!」

「黙れ」「おいこら」

 侑李先輩の戯言は夢叶先輩と俺の二人で封殺しておく。

 こんな時にこの人に付き合っていられるほど暇じゃないっつの。

「それで、わたしに何か、用?」

 用?

 今更とぼけんなよ。

「なんだよその縄」

 夢で見た通り。

 玖亜が手にした縄は教卓の脚に結ばれている。開けられた下段の窓から外へ、上段の窓から教室へと張られている。

「考えたけど、教室で、さ。それも、紀実の席のすぐ近くで死んでたらきっと、紀実は私のこと忘れないかなって」

 確かに忘れないだろうが。

 はっきり言って迷惑だ。

「紀実、わたしね、死ぬ」

「……なんでだ? なんでそんなに死にたがる」

 それは気になっていた。

 なんでこいつ、死にたがってるんだろって。

 未来視で、玖亜が死ぬ、って事実ばかりに目を向けていたから。その理由まではあんまり考えていなかった。

 柚亜(ゆあ)が待ってる、とか。

 そんなことを夢の中では言ってたが。

 櫛咲柚亜が待ってないってことくらい、たぶん玖亜は理解してる。

 俺を殺して自分も死ぬとか言ってたが、そんなこと、するつもりはない、と思う。

 もう、一月だ。

 四月からそのつもりなら、とっくに俺も玖亜も死んでるだろう。

「俺を殺して、それで終わりにはできないのか?」

 それで済むなら。

 それで済むならそれで構わない。

 玖亜が死ぬ必要なんてない。

「柚亜が、待ってる」

「待ってねぇよ」

「……そうかもね」

 あっさり認めた。

 そうかよ。

 俺に話す気は、ないんだな。

 ならそれでいい。

 そのほうがいい。

 そのほうが、後腐れが無い。

「それで、四人揃ってさ。わたしを説得でもするのかな。死なないでって」

「そうだな。一応そのつもりだ」

 一応な。

 死んで欲しくない相手が目の前にいるなら。

 最善を尽くすべきだろう。

 どうしても死んで欲しくないなら、死んで欲しくないと伝えるべきだろう。

 それをせずに後悔なんて、するべきじゃない。

 狩野先輩が、一歩前に出る。


「私と玖亜が出会ったのは、去年の四月でした。生徒会で一緒になって、体育祭の準備なんかは一緒にやったね。わたしは、そうだな。萌映にも悠も、ちょっと本音がわかりづらいじゃない? だから玖亜に頼ることが多かったのかなって思う。でも、柚亜ちゃんのことがあって、私は、一人の人間がこんなにも変わっちゃうことがあるんだって知った。変わることは悪いことじゃないと思うけど、変えられちゃうのは、よくないよね。私はまた、玖亜に頼りたい。ちょっとは成長したのかもしれないし、成長してないのかもしれない、そんな私を玖亜に見て欲しい。だから、変わった玖亜をこのまま死なせたくない。玖亜がこのままいなくなっちゃうのを認めるわけにはいかない。玖亜の悲しみを理解することはできないけど、理解できなかったで、絶対終わらせたくない! だから玖亜、死なないで?」


 侑李先輩が、一歩前に出る。


「俺はさー。結構ショックだったんだぜ? 初対面で玖亜、俺に『薄っぺらい』って言い放ったの覚えてるか? 俺こういう感じだからさー、昔から人をあんまり信用してなくて、人とまともに喋るのが怖くて軽薄な自分を作ってたのにさ。でも、玖亜に一蹴されて、宇理にどん引かれて、萌映に殴られて、なんかひっでぇ扱いだけどようやく自分のいたい場所を見つけれたと思ってる。正直紀実くんのことは面白くないんだけど、それも含めて、かな。俺は今の自分が嫌いじゃない。だからこんな俺をちゃんと見てくれた玖亜が死のうとしてるのをそう簡単に認めるってのは無理だな。俺からも一つ頼むぜ、死ぬなよ、玖亜」


 夢叶先輩が、一歩前に出る。


「……………す、好きだ」


 …………。

 …………は?

 今、あれ、ええと、先輩がそれぞれ言いたいことを玖亜に伝えるコーナーだったよな。

 夢叶先輩の本音が聞けるのか一体何を言うんだろうって若干楽しみにしていたが。

 えーっとー。

 気のせい?

 告白した?


「ありがと、萌映。すごく嬉しい。でも、わたし、好きな人、いるんだ。ごめんなさい」

「……そう、か」


 …………はぁ。

 いいや、もう。

 突っ込むのも野暮だろ。

 狩野先輩は顔を赤くして顔に手をやってるし。

 侑李先輩は大爆笑してるし。

 もうこいつらのこと考えるのはやめておこう。

 うん。


「皆ありがとう、でも、もう、仕方ないんだ。わたしは、わたしを許せない。だから、死ななきゃ、駄目、なんだ」

 玖亜の決意はそれでも揺るがない。

 だろうな。

 こんな言葉で変わる気持ちなら、玖亜はここまで追い詰められていない。

「紀実、わたし、最後に、あなたに話したいこと、あるんだけど」

「そうか、聞かない」

「あのね、わた……へ?」

 誰が聞くか。

 最後に、なんて。

 それを言うのは、俺なのだから。


「夢叶先輩! 狩野先輩! 侑李先輩! いきます!」


 俺は面食らう玖亜を見ながら叫ぶ。

 俺の言葉を受けて、先輩達が頷く。それを確認して、俺は。

 

 制服の内ポケットに手を入れ。


 忍ばせていた包丁(・・)を掴み。


 それを夢叶先輩に放り投げる。


 それをしっかり受け取った夢叶先輩が、刃の部分を覆うカバーを素早く外し。


「すまん」


 と、呟いて。


 それを、俺の、腹部に。


 突き刺した。


「ぐあああああっ!?」

 痛ぇええええええええっ!!

 痛い痛い痛い痛い!!

「うぐ、ああ、うううう」

 声にもならない呻き声ばかりが漏れる。

 痛い、とか熱いとかって感覚が全身を支配して、その他全てが麻痺してしまう。

「ちょっ、えっ!? きっ、紀実!? な、なにやってるの萌映!? 萌映!?」

 玖亜が突然の事態に慌てて、声を荒げている。

 よし、それでいい。

 成功するかどうかわかんねぇ作戦だ。

 玖亜がこの場で死なないに越したことはない。

 教卓から飛び降りて、床にうずくまる俺に玖亜が擦り寄ってきた。

「ね、ねぇっ! ねぇ紀実ってば大丈夫!? あ……」

 俺に触れて、どうやら血が手に付いたらしい。

 顔が蒼白になっている、気がする。

 ちょっと視界が眩むせいでよく見えない。

「いやー、痛そうだなー。俺やっぱやめていいー?」

 俺を見ながら軽く侑李先輩が笑った。

 わざとらしい。

「な、なに悠長なこと」

 玖亜の言葉に誰も耳を傾けない。

「嫌なら強制しないが」

「まさか。ここで紀実くんだけ見捨てるようなこと、するわけないじゃーん」

「悠ならやりかねんが、な」

「はは、違いない。さ、頼むよ、萌映」

 侑李先輩が両手を広げた。

 玖亜の理解が追いつかない内に、萌映はそんな侑李先輩の腹を、俺にやったのと同じように包丁で刺した。

 情けなく大声をあげた俺とは違い、侑李先輩は叫んだりはしなかった。

 歯を食いしばっているんだろうか。

「なにしてるの、なにしてるの萌映……もう、やめて、やめてよ……」

 やめるわけないだろ。

 誰よりも玖亜のこと想ってる、夢叶萌映がよ。

 夢叶先輩は侑李先輩から包丁を引き抜いて、最後に狩野先輩に向き合った。

「宇理、最後は、私でも」

「ううん。知ってるんだから。私たちの中でも萌映が一番、玖亜のこと考えてたこと。だから、きっと玖亜を救う力は宿るとしたら萌映の中だと思うよ」

「そう、か」

「でも、ちょっと怖いから、手、握りながらでもいいかな」

「勿論だ。宇理。言っておくが、私は宇理のことも、誰より大切に思っていたぞ?」

「うん、知ってるよ。お願い」

「――っ!」

 狩野先輩も鈍い声を張り裂けんばかりに出して、倒れた。

 今この光景だけを言葉にするなら、『幸魂(さきみたま)高校の女子生徒、同級生二人と後輩一人を刺殺』みたいな感じか。

 実に申し訳ない。

 痛くて痛くて堪らないが、たぶん一番辛いのは夢叶先輩だろう。

 俺の事はともかく、親友と呼んで差し支えない人二人を、殺さなければならなかったのだから。

「萌映、どう、して、どうしてこんなっ、こと!?」

 あ、泣いてる。

 玖亜、すんげぇ顔。

「っ紀実! 悠! 宇理! あ、ああ」

 すんげぇ悲しそうな顔してやがる。

 そりゃそうか。

 そうだよな。

 それについては悪いと思ってるよ。

「わ……るい」

 それを伝えたかったのだが、思ったよりも俺の声は響いてくれなかった。

 声を出すのもやっとなんだが、出てきてもそんなもんか。

 あー覚悟してたが、きっついな。

「な、なに? なに、紀実? ねぇ大丈夫なの?」

 大丈夫に見えるか?

 まぁそれに、大丈夫じゃない状態になってくれないと、困る。

「痛い……」

 違う。

 こんな時に率直な感想とか言ってる場合じゃない。

 もっと、言いたいことがある。

「えと、すぐに、その、救急車、呼ぶから!」

「く、あ。こ、こっちを、見て、くれ」

 俺の元から離れてしまいそうな玖亜をどうにかその場に残す。

 せめて、玖亜の体温を感じていたい。

「……どうして?」

 話せば長くなる。

 今の俺には、少なくとも、無理だろう。

「私の発案、だ」

 だからそれは、夢叶先輩に任せる。

 玖亜が優しく俺の頬に手を添えた。

 不思議と、それだけで痛みが引いた、気がする。

「話して」

「死が能力を引き起こす。綾文に未来視の力が宿った時点で、玖亜の死は免れない、と判断すべきだった。つまり、口での説得じゃ玖亜を止められない」

「それでも、わたしを止めようとした」

「ああ。だから、玖亜を止めれるほどの能力を手にするしかないと考えた」

「で、でも、死によって発現する能力じゃ、その人は、救えない……」

「そうだな。玖亜の『確率制御』をもってしても、救うことはできなかった。分かっている、分かっているさ」

 だから。

 夢叶先輩は考えた。

 最悪の策を。


「死によって発現する能力じゃ『その人』は救えない、だろ?」

「だったら、『その人』じゃなければ、どうだ?」

「強い能力があれば、『その人』じゃない人間を救うことはできるんじゃないか?」

「そう仮説を立てた。ただの仮説だ。だが、仮説の裏付けが、取れた」


 玖亜の手が震える。

 自分の能力で、柚亜を救えなかったことを悔やみ続けているのだ。

 自分以上に強い力がそうそう生まれるはずもないだろうし、第一、能力が生まれるきっかけとなった人間の死でなければ救える、だなんて。

 玖亜にしてみれば妄言だろう。

 それも、裏付けが取れた、だなんて。

「そんな例が、どこに……」

「ここに」

 夢叶先輩は俺を包丁で指し示す。

 玖亜は意味が分からない、という顔を浮かべたが。

 いや、ちょっとは考えろよ。

 とか思いながら俺も補足してやる。


「お前、が、救ったんだろが……俺、を」


 玖亜は知らないのだ。

 自分がしたことを。

 自分が、何をしてきたのかを。



 俺は、両親が死んで一人になった。

 親戚が引き取ってくれた。

 それには感謝してる。

 でも、親戚は親戚で。

 家族じゃない。

 俺の家族は戻ってこない。

 だから俺は、中学を卒業したら、死ぬつもりでいた。

 本当はすぐにでも死のうかと考えた。

 でも、怖かったんだ。

 死んだらどうなってしまうのだろう。

 死んだら、その後自分って自我は消えてしまうのだろうか、と。

 怖かった。

 けれど日々を送るうちに、十四年、ずっと一緒に生きてきた両親の記憶が、たったの数ヶ月で薄れていくことを知った。

 これから増えていく記憶の中に両親の存在が消えていってしまう。

 それは、とっても。

 自分がいなくなってしまうことよりも、怖かった。

 だから、中学卒業っていうのを自分の人生のゴーだと勝手に決めて、勝手に死んでやろう、と。

 そう考えていた。

 なのに。

 何故か。

 何故か俺はそんな決意を忘れて、ちゃんと高校を受験した。

 行くつもりがなかったんじゃないのか。

 何故か俺はそんな決意を忘れて、ちゃんと高校に通っていた。

 新しい記憶を生み出す場に、進んでいた。

 だから、俺は、自分を信じないことにしたのだ。

 あの時俺が感じていた『自殺しよう』って感情はたぶん、一般には『自殺しよう』って感情じゃなかった。

 俺が怯えていた『死の恐怖』はたぶん、一般には『死の恐怖』ではない。

 俺は結局死ななかった。

 俺はどうやら死のうだなんて、思っていなかった。

 そうか。

 それならそれでいい。

 俺は自殺しようだなんて思ったことがないんだ、って。

 そういう風に、生きていこう。

 そう決めたのだ。



「じゃ、あ。わたしが、復讐してやろうと思って。それで、それで、確率制御を使って、紀実を幸魂高校に呼び寄せて、それは、紀実を、紀実の死を、救ったって、こと、なの?」

 どうやら、そういうことらしいぜ。

 玖亜の能力ってのを聞いた時点で、まさかとは思ってたけどな。

 ったく、どこまでも不幸だよ、俺は。

 死にたいと思っても無理矢理生かされて、同じクラスになりたくもない玖亜と、それも席まで前後とかにさせられて、そんで今、こうして、玖亜を救うために血を流してる。

「だか、ら。救える。関係ない奴なら、死の運命くらい、変えられる」

「そ、んな……なら、なら、なら!!」

 ここまで話して、ようやく玖亜が俺たちの思考に至ったようだ。

 夢叶先輩が何度も繰り返し話した、最悪の策。


「わたしを救うために! 紀実と悠と宇理を死に追いやって! それで、それで、三人の死で、萌映に、三人は救えなくても、わたしを! わたしを救えるような力が宿る可能性に、賭けたってこと!?」


 ご名答。

 さすが親友。

 理解してもらえてなによりだ。

「そんな、そんなの、わたし、望んでないよ……っ!」

 お前は、そう言うだろうな。

 許せないと言っていたのは自分自身に対してであって。

 別に俺や、友人である先輩たちをどうこうしようとは、思っていなかったはずだ。

 だが。

 俺たちだって、お前が死ぬことなんざ、よ。

 認めてやんねぇよ。

 ばーか。


 玖亜への説明も全部済んだ。

 なら、俺たちのやるべきことはもう、ないよな。

 じゃあ、あとは。

 全部、任せた。

 夢叶、先輩。

「――――」

 任せた、とか言おうとしたが。

 もう声が出なかった。

 でも、夢叶先輩は、大きく叫んで、返事してくれた。

「未来のことは、玖亜のことは、私に任せろ!! 綾文、宇理、悠!!」

 あぁ、もしかしたら、俺の意図を汲んでくれたんじゃなくて、侑李先輩か狩野先輩の想いが伝わっただけかもしれん。

 どっちでもいいか。

「これは……この、力は……! そうか、これ、は……しかし……」

 夢叶先輩がなんか言ってる。

 なんだ。

 何か、能力が生まれたのだろうか。

 なら、いいんだけどな。

「いや、賭けるぞ! 玖亜だけじゃない、宇理も悠も死なない世界を、きっと!」

 あぁ。

 なんだろ。

 気のせいか、俺がはぶられたような。

 いや、もう未来は夢叶先輩に任せよう。

 俺は、今を生きていて、今死にそうなんだから。

 今を大切に、しないとだ。



「玖亜、聞いて、くれるか?」

 あれ、さっきは声、出なかったのに。

 玖亜への言葉は、ちゃんと空気を振震わせてくれた。

「なに? なに? いいよ、なんでも、なんでも聞くよ、紀実」

 玖亜の声が遠い。

 よく聞こえない。

 玖亜の顔が遠い。

 よく見えない。

 玖亜の体温を感じない。

 側にいてくれているのか、よくわからない。

「俺、俺さ……」

 最後に、言っておきたいことがある。

 仮にこの先の未来で、玖亜が生きてくれたとしても、俺はたぶん、共には生きていけないだろうから。

「俺……」

「うん、なに? 聞いてる、聞いてるよ」

 そっか、聞いてくれてるのか。

 よかった。

 それなら、安心だ。


「――――だ」


「……え?」

 あれ、伝わったか?

 わかんねぇな。

 まぁ、伝わったならそれでいいし。

 伝わらなかったなら、それでも、いいか。

 いいよな。

 死ぬ前くらい、我が儘にさせてくれ。

 これまで散々お前のペースに付き合ってやったんだし。

「っ、紀、実ぃ……。ねぇ、紀実、紀実?」

 目の前が、真っ暗になっていく。

「紀実、わたし、わたしも、あるよ。紀実に言いたいこと、まだいっぱいあるんだよ。聞いて、聞いてよ」

 なんだよ。

 お前の話はこれまで聞きすぎて、飽きたって。

 これ以上何を言うつもりだお前は。

「紀実、紀実まで、わたしを置いてかないでよ。柚亜みたいに、紀実もいなくなっちゃうのなんて、やだよ」

 まぁ、それは、悪かった。

 でもいいだろ。

 憎い奴が死ぬとでも思えよ。

「紀実、わたしね、わたし、わたし……わたし!!」

 色と光が失われていく世界の中、俺が最後に目にしたのは、やはり玖亜の、いや、柚亜の髪留めだった。



挿絵(By みてみん)



 目が開かなくなる。

 真っ暗で、音もない世界で、玖亜がいることだけ感じる世界で。

 俺。

 綾文紀実は。

 冷たいような、熱いような。

 柔らかいような、固いような。

 雫のような、泡のような。

 頬に感じたほんの僅かな温かさを。

 忘れないように。

 無くなっていく世界に、一つだけ。

 それが、本物だろう、と。

 信じて。

 ただ、玖亜、とその名を呼び続ける。

 玖亜、玖亜、玖亜……。

 玖……亜……。

 …………。


 また……会えたら……いいな…………





















 少女はただ、世界を見つめた。

 自分がいて、自分じゃない誰かがいる世界だ。

 だが、この世界の真実は、間違っている。

 真実とは、事実じゃない。

 捻じ曲がってしまうものだ。

 この世界の真実は、間違っている。

 間違っている。

 だから。

「正さなくちゃ」

 世界を見つめて、自分を見つめて、少女は呟いた。



「真実を操るのは、わたし」

死の運命に立ち向かって、真実を捻じ曲げてしまった少女の物語でした。ここまで付き合ってくださった方、ありがとうございました。

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