自殺の時間
「玖亜を救う方法が知りたい、です」
生徒会室で、俺は頭を下げていた。
土下座である。
それほどまでに真剣に、俺はあろうことか、自分を嫌う三人の先輩を頼っていた。
侑李先輩、狩野先輩、夢叶先輩が俺を三者三様に見ている。
まぁ、うん。
明らかな殺意。
明らかに揶揄。
明らかに苦笑。
どれがどの先輩かは伏せておく。
が、意外と話を進めたのは一番会話が成り立たなさそうな夢叶先輩だった。
「現状、不可能だ」
救うことはできない、と断言する。
「事例が少なすぎるのも原因だが、少なくとも死に直面して能力が発現し、その能力で死の運命を逃れた者はいない」
「そうか」
それは容易に予測できた。
そうだろうな。
こうしたら逃れることができます、なんて言えるなら苦労しない。
困らない。
そりゃそうだ。
「一応聞くが、別に先輩方が俺と玖亜を近づけないようにしてたのって、能力がどうとかじゃなく、単に玖亜のストレスの問題、すよね?」
「いやお前が嫌いだからだ」
「まー面白くはなかったよねぇ」
「私も嫌いだったからかな」
こいつら容赦ねぇなほんと。
なんか普通に人間として俺のこと嫌ってないか。
好かれてるとも思ってないがなんか傷つくぞ。
「まぁいいだろ。とにかく、助かった前例はない。私はこうなるのが嫌で、近づくなって言ってたんだがな」
こうも責められると弱い。
現状は確かに俺が悪い。
いや、現状どころか、背景も全部含めて俺が悪いことは間違いないだろうが。
まぁいい、玖亜の命が懸かっているのだから今は俺の好感度であったり俺の過去の行動をどうこう言っていても仕方がない。
「質問がある。能力ってのは何でもできんのか」
「分からない、ってのが答えだ。今のところ何が出来て何が出来ないのか、分からない。だが、そうだな。玖亜を見るに、ついでにお前を見るに、その気になれば割と何でも出来るだろうな」
確かに。
確率制御、と言って、座席替えるくらいならともかく俺の高校進学先を操ったりなんて、もう一人の人間の人生を結構狂わせている勢いだ。
そんで、俺の中に生まれた未来視の力も。
完全に、そう。
世界の理を、完全に越えてしまっている。
ある意味恐ろしいくらいだ。
夢叶先輩が言っていたが、使い方を間違えれば、一人二人どころか不特定多数の人間の人生を思うがままに操ってしまえるかもしれない。
こんな能力は、あってはならないものだ。
この能力の存在が、例えば大人にばれてしまったら、どうなってしまうだろう。
いいように使われてしまうだろうか。
政治だったり、メディアだったり。
そんな影響力のある力だ。
「じゃあ、人の死を避ける、もしくは死を覆す力が発現する可能性は」
「ゼロでは、ない、かもな」
さすがに断言が難しいのか、夢叶先輩も歯切れが悪い。
その様子を不思議がっていると、無知な俺に優しく教えてくれるように、狩野先輩が付け加えてくれた。
おっとり大人しそうな佇まいの狩野先輩だが、言うべき時は言う人だ。
「それ、は、どうだろうね。難しいんじゃないかな」
「難しい? なんでですか?」
確率を操ったり未来視ができたりするんなら、その延長線上にそういう力があるかも、と考えるのは当然だろう。
それも、誰か親しい人の死に呼応して発生するなら、さ。
それを救うための力くらい、どこからか生まれたっていいだろ。
とか、軽く考えていた俺だったが。
その甘い考えを侑李先輩がばっさりと切る。
「いやいやちょっとはちゃんと考えろ紀実くん。駄目だろそれは」
「駄目、って」
「人の生き死にを操る力? あっていいと思うか、そんな力?」
「な、んでだよ。いいだろ別に」
目の前で死んでいく人間を救えるなら、それが自分にとって大切な誰かなら、死んで欲しくないと願う誰かなのであれば。
なおさら。
「じゃあ仮に、仮にさ。紀実くんに死者を復活させる能力が宿ったとしよう。うん。どうする?」
「そりゃ、使うだろ。玖亜にさ」
その回答を、つまんなさそうに侑李は嘲笑う。
「ふーん。で、その後は? 結局妹を失くした玖亜はまた自殺するかもしれないよ? また死ぬたびに蘇らせるの? それとも妹も生き返らせる? じゃ紀実くんのご両親も生き返らせる? でも紀実くんにそんな力があることがわかったら、どうかな? ご両親がもし、彼らの親に会いたいって言ったら?」
そんなもん、キリがない。
過去何千年の歴史の中で死んでいった人々全員を生き返らせないと、終わりがない。
それも、死ぬたびに繰り返さないといけない。
それは果たして、幸せなのだろうか。
「じゃあ紀実くんの周りに限定する? そうしたら今度ははぶられた人間が怒るね? いやなによりも誰よりも紀実くんが自分以外の人間のためには動かないと知った玖亜が、黙ってるはずがない」
わかるだろ、と挑発するような侑李先輩。
なるほど、わかった。
どうやら、そうした能力が生まれてしまえば、確率制御どころの騒ぎではなくなる。
自分一人の問題ではなくなる、と。
そう言いたいのだ。
それは、わかる、が。
「わかんねぇな。興味もない」
俺には、関係ない。
世界がどうなろうと。
この能力とやらが明るみになって、何か問題が起きたとしてもどうでもいい。
んなこと考えていられるほど暇がない。
「だからなんだ。びっくりした何言われるかと思えば、そんなことか」
「どういうことだ」
「玖亜の命が懸かってる。俺が動く理由はそれだけで十分だ」
それ以上のことは要らないだろ。
高校生なんて、自分の周りのことで手一杯なんだ。
「面白くないな。お前が原因だってのに偉そうなことを言うな」
夢叶先輩は、変わらないな。
ぶれない人間は嫌いじゃない。
「玖亜のために命を捧げる覚悟はあるか? 綾文紀実」
「当然だ。なんか策あるんすね? 夢叶先輩」
「ま、最悪の策が一つだけ、な」
夢叶先輩から、その最悪の策とやらを聞いて。
俺のやるべきことは。
いや、違うな。
俺たちのやるべきことが、定まった。
「誕生日、おめでとー」
いつもと変わらぬ笑顔。
いつもと変わらぬ玖亜。
あんな話をした後でも、玖亜はまったく変わらなかった。
普通なんかこうぎくしゃくしたりとか、気まずくなるもんなんじゃねぇの。
ほら、一応俺たち、お互いに因縁ある関係ってことがわかったみたいだしさ。
俺の両親は玖亜の妹が原因で、死んだ。
玖亜の妹は俺が原因で、死んだ。
それで、なんだ。
玖亜は俺のことを半ば殺すつもりで同じクラスに招いた。
それを知って、今までと全く同じ態度でいるってのは。
あれだ。
結構神経終わってるよな。
こいつも。
俺も。
「いらん」
「えー、せっかく作ってきたのに。紀実のためにさ。ほらこれ!」
玖亜がバッグから勢い良く何かを取り出した。
オレンジ色の、マフラーだ。
玖亜が編んだらしい。
よくは分からないが、きっと編み目も綺麗で、丁寧に作られている。
「貰ってくれる?」
「……まぁ」
どうせ断っても駄目なんだろ。
まぁすんげぇ恥ずかしいが。
それ今教室で渡す?
とか突っ込みたい気持ちは多分にあるが、な。
玖亜はやっぱり笑って、俺にマフラーを巻いてくれた。
この一月は寒くなっているから、ありがたい、のはありがたい。
すんげぇ恥ずかしいが。
ほらもうあそこ指笛吹いてるし。
ほらもうあっちクラッカー鳴らしてるし。
これでほら、俺はまた言うわけなんだぜ?
「え? いや別に櫛咲とは付き合ってないけど」
とかさ。
クラスに居場所がなくなっていくったらありゃしない。
「うん。わたしの目に狂いはないね。ちゃんと紀実に似合ってるよ」
「そうかよ」
オレンジ色と言っても単に一色ではない。オレンジ系統の色が幾つか使われているようで、そのグラデーションが綺麗にまとまっている。
触り心地も悪くはない。
と、自分の首に巻かれたマフラーをまじまじと見つめていると、あることに気付いた。
オレンジ系統でまとめられているマフラーの端に、ほとんど模様のようになっているその中に、何故か。
『Y U A』
と、ご丁寧に赤色で描かれている。
うん。
……うん。
「な、なぁ、櫛咲さん?」
「んー、なにー?」
「なんか、その、イニシャルが間違ってるぞ? 『K U A』だろお前の名前ー?」
「えー、だってさ、オレンジって柚亜の好きな色だし。あ、この髪留め元々柚亜のものなんだ」
お、おぅ……?
なんかダメージが増えたぞおい。
それも軒並み致命傷。
「あー、これって、誕生日、プレゼント、なんだよな?」
「うん、そうだよー。わたしの想いをたっぷり詰め込んだよ」
詰め込んだのはなんだ。
想いじゃなく呪いか。
前言撤回。
もういっそ潔いな。
どんだけ恨んでんだよ俺のこと。
こんなプレゼント貰ったこと、きっと俺一生忘れないぞ。
「そういえば紀実はわたしの誕生日プレゼントくれなかったね」
「あぁ? 玖亜の誕生日って四月だろ。出会って何日目だよあげれるか」
「だから、今ちょうだい」
今とかちょっと無理だろ。
なんもねぇよ。
用意もないしお前にあげたいものもねぇ。
あとついでに思いやる心がなくなった。
勘弁してくれ。
「んじゃ、せめて時間をくれてやる」
「時間? 時間って時間? タイム?」
「あぁ。時間だ時間、タイムだよタイムイズマネーのタイム」
「うーん、別に、忙しいとかそんなことないけど」
「そんなことあるだろ、ったく」
どの口が言ってやがる。
これから自殺しようとか考えてる奴の言うことには聞こえねぇな。
まぁ、案外そんなものなのかもしれないが。
俺の両親は別に自殺したわけじゃあない。
誰かを助けるために線路に飛び込んだ両親は結果的に自殺と同じだったのかもしれないが。
世間で言われているところの自殺とは、大きく違うのは確かで。
人生に絶望して死んでしまった人々とは、違う。
一体どんな気持ちなんだろう。
これから死ぬって気持ちは、一体どんななんだろう。
とても寂しいものだろうか。
それとも、とても怒りに満ちたものなのだろうか。
わからない。
想像もつかない。
人がどうして生まれて、どうして生きているのか、なんて訳の分からないことを説く気はないが。
自分自身に問いかける気もないが。
しかし、俺は。
少なくとも、死のうだなんて想ったことは一度もない。
辛いことはある。
死にたい、とか落ち込んだときに呟くことはある。
けど、死にたいって、本気で考えたことはない。
死んでみようだなんて、それを実行してみようだなんて、一度もしたことがない。
どうなってしまったら、世界を諦めてしまうんだろう。
死んでしまったら、何も、何もできないじゃないか。
生きていることが素晴らしいだとか。
死ぬって選択が間違ってるとか合っているとか、そんなことはどうでもよくって。
人間である以上は、生きているから人間なんだ。
そんなこと、誰でも知ってるだろう。
来世を願うのも悪くない。
天国を望むのも悪くない。
けど、今生きている自分は今しか生きれないじゃないか。
分かってるんだろう。
分かってて、それでもどうすることもできなくて、どうにかする力を、持てなくて。
もう死ぬしか、なくて。
死ぬしか、ない、だなんて。
思わなきゃ、自分を保てなかった。
死ぬことでしか自分を守れなかった。
このまま生きていては、自分が自分でなくなってしまうと感じてしまった。
かつての自分と今の自分とを比べて。
きっと、あの頃の自分が本当の自分で、どうして今の自分は偽物なんだろうとか。
人は思い出の中で生き続けるだとか言うけれど、思い出の中に生き続けてしまえば、気付いたときには思い出に縛られてしまう。
思い出がまるで本物であるかのように。
違う、はずなのに。
今の自分が、本物じゃないか。
過去の自分も未来の自分も、そんなもの、自分じゃない。
思い出が今の邪魔をしちゃいけない。
未来への期待が今を壊しちゃいけない。
自分を守るために自分を殺すなんて悲しすぎるじゃないか。
誰かを守るために死んでしまうのも、そりゃ、勿体無い気がするけど。
きっと、自分自身で死を決めて、自分のタイミングで死んでいった人よりも、よっぽど無念なのかもしれないけど。
自分じゃない誰かを想える余裕があるだなんて、素晴らしいことじゃないか。
人間てさ。生きてりゃ絶対誰かが必要になる生き物で。
自分じゃない誰かがいないとまともに生きていくことも出来ない。
大人になったら一人で生きていける?
馬鹿言え。
大人こそ誰かがいなけりゃ生きていけない。
人間が生活するためには金が必要で。
金を得るためには仕事が必要で。
仕事ってのは極論、他の誰かのためになること、だ。
他の誰かのためになるから、その対価として、金を受け取れるわけだ。
自分一人で完結してしまう作業なんて、誰の役にも立たない。
誰にも評価されない。
子どもはある意味、子どもだから、という理由で、金を稼がなくてもいいのだ。
義務教育はある。
でも、やめたらいい。
その気になれば、やめられる。
けど、仕事をしなければ生活することはできない。
けれど、だ。
その仕事だって、その気になればやめられるはずだ。
世界には本当に多くの仕事がある。
自分が知っているものなんて、ほんの一握りだ。
だから、自分が知らない何かを探すことだって、人間には選択できる。
他の誰かと関わる方法なんて、沢山あるのだから。
関わらなくちゃ生きていけないが、必ずしも、同じ人間と関わらなくてはならないわけじゃない。
そうやって、人間は生きていけるはずだ。
誰かを思いやって生きていけるようには出来ていないが、そんなものから逃げ続ければ、いつかは誰かと関わって生きていける。
だから、自分を殺してしまう、なんて、よくないだろう。
自分で自分を殺したら、自分の可能性全てを否定することになってしまう。
何も積極的に生きていく必要はない。
消極的でいい。
ネガティブでいい。
自分って人間を信じなくても、いい。
でも、自分を諦めるのは、駄目だ。
諦めなくてもいつかは死ぬんだ。
今、死に急いでどうする。
あったかもしれない時間を、自分で捨てるなんてこと、やったら、駄目だろ。
櫛咲玖亜が、普通に過ごしていたかもしれない時間を。
俺は、ちゃんと玖亜に渡したい。
俺なんかを理由に自殺なんて、させてやらない。
「俺はお前の自殺を認めない」
「そう? じゃ、どうしてくれるの?」
「能力には二種類あるんだろ。なんか知らんがいつからか持っていたものと、人の死に関わって発現するもの。ならまぁやることは一つだな。運任せだけど」
「ふーん……紀実は、そんなことでいいの? 矛盾してない?」
「別に。矛盾してるくらい、どうでもいいだろ」
「へー。ま、でも、さ。わたし、もう決めてるから、死ぬの」
「あぁ、せいぜい死に方考えとけよ。止めてやる」
「じゃ、期待してる」
玖亜の意思は固く。
俺に言えることはそれまでだった。
それでいい。
別に俺と玖亜は友達でもなんでもない。
ただちょっと過去に因縁がある、席が前後のクラスメイトだ。
それ以上でも、以下でも。
ない。