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志獅  作者: 長村 侑真
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半妖


     一


 棗は晴一が作った札、護符を張り、呪との共同生活を強いられていた。

 あの日、やはり陰陽師の当代当主である晴一でさえもどうにか出来る代物ではなく、清めた水に晴一の血液を溶かし、体内からの浄化を図り、同時に外から呪の浄化を図った。だが、上手く呪を取り除く事は出来なかった。やむなく晴一は護符で進行を抑える事でひと段落した。

 だが、呪を抑えたとは言え、肩の裂傷は棗の治癒力を頼るしかない。しかし、強引に治癒力を活発化させると、比例して呪が進行してしまう。おかげで人間並みの自然治癒力のみで傷を治さなくてはならず、時間を取られてしまっていた。

「四ノ宮さん、大丈夫なの?」

 教室で欠伸を噛み殺し座っていると、新しい制服に身を包んだ堀本が、心配げに声をかけて来た。

「ああ、もう大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」

 堀本が心配するのも無理はない。何せ棗は半月近く学校と任務を共に休み、肩の治療に専念していた。そのため、堀本たちクラスメートとは半月振りに会うのだ。

「制服、出来てたんだね。似合ってるよ」

「ありがとう! これでだいぶ学校にも溶け込めてるよ。あっ、授業のノートで見せてほしいのがあったら言ってね? 私のでよかったら全部見せてあげるから」

 爛々と目を輝かせて言う堀本に、棗は一言礼を言うと席を立つ。

「そう言えば保険医さんに登校してきた事言ってなかったから、ちょっと行ってくるよ。戻ったら後で見せてくれる?」

 そう言うと堀本は頷いた。棗はそれを見ると教室を出て、保健室ではなく屋上へと向かった。

 屋上へ来ると、東李、智咲、哥白の三人が先に来ていた。

「遅くなって悪い。それで、この半月の報告を頼めるか?」

 そう言って棗はフェンスに背中を預け、三人からこの半月で起きた事の報告を受ける。

 三人はそれぞれ起きた事や任務での事など、状況説明をする。その中に巫蠱と言う言葉が何度も出た。どうやら、この東京には未だ二体の巫蠱が存在する事が報告でわかった。

その巫蠱を追えば、術者が見つかるかもしれない。

「あ、麻木くんここに居たのねっ」

 そう言って現れたのは、東李と智咲のクラスメート、栗原だった。堀本と同じように、この学校の制服が出来たのか、身にまとっている。

「どうしたの、栗原さん」

 まるで探していたかのような口振りが気になり、東李は怪訝に問いかける。その隣で智咲は不機嫌そうにしている。

「うん、ちょっと。あ、あなたたち、いつかの麻木くんのお友達ね。たしか、四ノ宮さんと金原さん」

 棗たちの顔をそれぞれ見てはやんわりとした笑顔でそう言った。棗は軽く頭を下げて会釈する。

「お話し中だった? ごめんなさい、お邪魔してしまって」

「うん? 別に構わないよ。何か用があるんでしょ?」

 申し訳なさそうにする栗原に、東李は優しげに微笑みながら話を促す。

「あの、後でいいから、ちょっと教えてほしい所があって……」

「……そないなもん、先生に聞けばええやん……」

 栗原の用事を聞いて智咲が吐き捨てるように言って見せる。

「先生は忙しくて、麻木くんに教えてもらえって言われたのよ。ほら、麻木くん優秀たがら」

 何処か突き刺さるような言い返しに、智咲は眉を顰め、顔を逸らす。

「わかった。じゃあ、先に教室に戻っててくれる? 話が終わったらすぐ戻るから」

 栗原は頷くと、教室へと戻って行った。

「……私、あの子好かん」

「何で、智咲ちゃん。あの人クラスメートなんでしょ?」

 智咲のぼやきに敏感に反応した哥白が問いかけた。だが、智咲は不機嫌そうにするばかりで何も答えない。

「東李の邪魔をしているとでも思ってるんじゃないのか?」

 答えない智咲に変わり棗が言うと、智咲は小さく頷いた。

「え、僕は別に迷惑してないよ? それに、委員長だし、転校生がクラスになじむまで面倒は見ないと」

 何とも面倒見のいい東李らしい答えだろうか。そんな回答を聞き、棗は二人が同居する時の事を思い出した。

 あの頃の智咲は主である晴一と、頭首である棗の両親、そして自分の両親の言う事しか聞き入れず、学校もまともに通う事をしなかった。そんな智咲とたまにしか会う事がなかった棗。智咲は早い段階で任務に就き、貢献していた。だが、人間性として問題を抱えている智咲は、任務に当たるメンバーとの協調性が図れなかった。面倒臭がりな棗は智咲と係わる事を避けていた。

 ある日、棗が数回目の任務に携わる時、メンバーの中に智咲が居た。至極淡々と仕事をする智咲。誰も智咲の相手をせず、孤立していた。已むに已まれず棗は智咲に声をかける。その時の智咲の目はまるで、死んだ魚のように濁り、現在以上に表情がなかった。これを見てさすがの棗も他人事ではないと思い、何とかしようと思い始めた。だが、中々妙案が浮かばず、棗はなるべく話し相手になるよう心掛けた。

 そんな時、東李と会う機会があり、同年代と言う事も視野に入れ、二人を引き合わせた。智咲は無表情ながらも戸惑っているようで、いい傾向だと思った。それからは哥白、虎鉄、凰巳と会わせ、他にも何人か合わせたが、今のメンバーが一番相性がいいとわかり、その旨を棗の両親へ伝えた。その中でも比較的会話出来ていたのが東李だった。東李とよく一緒に居た時はいつも一触即発状態だったが、表情のない智咲にとっていい刺激になっているようだった。

 現世で生きていくには感情やコミュニケーションは欠かせない。棗はその事を踏まえて智咲の両親に話、東李と一緒に住まわせる事を提案した。東李には負担がかかるかも知れないと本人に伝えたが、二つ返事で了承した。智咲も、東李であれば、と言う事で二人の同居が決まった。初めの内は両親も心配してちょくちょく様子を見に行っていたようだが、それも一月程度で終わった。

 あれから三年。東李は音を上げる事無くやってくれている。智咲も少しずつではあるが、会話をするようになり、感情を出すようになった。

「それはそうと、巫蠱の件だが。術者を見つけ出すのに、この東京に居る巫蠱を探し出そう。そいつらが成長するのは頂けないが、巫蠱を追って術者を見つけ出す」

「そうだね。その呪を解くためにも見つけないとっ」

 棗の言葉に哥白が頷いた。同時に、東李と智咲も頷く。

「長丁場になりそうや……」

 智咲が空を見仰いで呟いた。

 どれだけの期間が必要かはわからない。だが、見つけ出さなければ呪どころか人間や妖怪たちに何らかの危害が加わる事は必至。それは何としても食い止めなければならない。

 そうして四人は解散し、智咲は屋上に留まり、他の三人はそれぞれの教室へと戻った。


     二


 哥白は教室に戻ると、自分の机の周りに女子生徒の塊が出来ている事に気が付いた。何事かと覗き見に行くと、そこには別のクラスの凰巳の姿があった。

 凰巳とは中学二年の頃からの友人だ。付き合いはまだ四年。その四年間で気付いた事は、凰巳が相当な女性好きだと言う事。軟派な性格にして押しに弱い性格だと言う事。

「凰巳くん、ここで何してるの? そこ、私の席だよ……」

 女子生徒を掻き分け集まりの中心へとやって来ると、哥白は眉を顰めて凰巳に声をかける。すると凰巳はみんなに投げかけていた笑みをそのままに口を開いた。

「あ、哥白ちゃんっ! 待ってたんだよー」

 ヘラヘラとした表情。この表情が彼の本音を隠してしまう。だから哥白はこの四年間、凰巳の本音を、本当の思いを感じる取る事が出来ないでいた。

「今度は何の用なのよ」

「えーっ、哥白ちゃんとお話したいだけだよっ」

 何を考えているのかわからない。棗だけ、小さい頃からの凰巳を知っている。だからなのだろうか、棗の前では少し、態度が違うように思えるのは。

「私は話したくないよ。それに、またお兄ちゃんから怒られるよ?」

「んー、でもさ、教室まで来ないでしょ?」

 凰巳の言う事は尤もだ。哥白は言い返す言葉がなく、眉を顰めたまま顔を背けた。

「ちょっと金原さんっ、上條くんがお話したいって言ってるのよ? ちょっとくらい、いいじゃない!」

 周りに居た女子生徒たちが、哥白が嫌がるのを見て声を上げ始めた。哥白は肩を震わせると口を一の字に結んでその場から離れた。

 昔からそうだった。いつも兄の虎鉄にくっついて回っていたばかりに、ブラコンだと男子に虐められ、それを守ってくれた虎鉄や東李のおかげで更に酷くなった。

 あの頃から何も変わっていない。

「あら、金原さん?」

 廊下で本を抱えた沼津と出会った。笑っているわけでもないのに柔らかい雰囲気を持った彼女。荒々しくなった心が不思議と和らいでいくのがわかる。

「沼津さんっ……」

 哥白は思わず沼津にすがりついた。訳のわかっていない沼津は取り敢えず哥白の肩に手を添えた。

「どうしたの? お話聞こうか?」

 優しげな言葉に哥白は頷き、二人は人気の少ない、使っていない教室へと入った。それと同時に授業開始の鐘が鳴る。

「あ……授業始まっちゃった……ごめんね、沼津さん」

「ううん、大丈夫。金原さんにはお世話になってるもの。こんな事しか出来ないけど、少しくらい恩返ししなくちゃ」

 やんわりと微笑み、沼津は哥白の手を握った。哥白は優しく包まれた手を握り返し、重々しくも口を開いた。

 その口から出て来た言葉は、哥白自身の身の上話。そして、志獅たちへの思い。もちろん、沼津は一般人なため、志獅と言うのは伏せ、曖昧になりながらも話した。

「じゃあ、金原さんはその昔からお家でやってる仕事をしたくないのね?」

「したくないわけじゃないの。でも、こう……争いはしたくないだけで……」

「ああ、平和主義なのね」

 言葉が思いつかなかった哥白に変わり、沼津は上手く言いまとめた。それを聞き哥白は小さく頷く。

「それなら、全てが全て出来るわけじゃないけれど、何とか話し合いで解決させるか、なるべくそのお仕事に係わらない方がいいのかも」

 沼津の提案を聞き、哥白は何となく想像してみる。

 晴一の命令である妖怪の排除を話し合いで済ませる。それは命令に背く事で、また、棗の顔に泥を塗るようなものだ。出来るはずもない。

 そして、任務に係わらないと言う事など出来るだろうか。棗に頼めば可能かも知れない。元々戦力にならない自分だ。居ても居なくても同じに違いない。

「……そうだね、やってみるっ」

 任務に就かなくなれば、自分の価値は雀の涙ほどもない。両親に怒られるかも知れない。怒られるのは嫌だ。でも、争う事はもっと嫌だ。

 哥白の中で全ての任務から外してもらえるよう、棗に頼む事を決心した。

「あとは上條くんね。彼、人当たりいいし、女子受けいいから、金原さんにもそう接してしまうのかも知れないわよ?」

「それは、何となくわかってるの。凰巳くんは初対面の時からあんな感じで、よくお兄ちゃんと揉めてたから」

 棗の引き合いで知り合った当初から、凰巳はとてもフレンドリーでスキンシップが多かった。あの頃、友人がほとんど居なかった哥白は、凰巳と知り合えて心から喜んだ。けれど、過剰なスキンシップに加え、学校が違うにも係わらず毎放課会いに来た。凰巳を見た女子から妬まれ、いじめに遭うようになった。その頃から哥白は凰巳を避けるようになってしまった。

「金原さんは、上條くんの事、どう思っているの?」

「友人だよ。凰巳くんの本音はわからないけど、私はそう思ってる」

 本音のあまりわからない凰巳。先日の聖禽という五獣の存在すら感じさせず、あの時の「ごめん」と言う言葉だけが初めて、本音なのだと感じ取れた。

 四年経っても未だ凰巳の事を知らない。棗は昔から知っているだけあって、まるで何もかもを知っている風だった。それが少し羨ましくも思える。

「それなら、金原さんの思いをきちんと伝えてみたらどうかしら。金原さん、嫌がってばかりで何が嫌なのか、上條くんもわかってないと思うの」

 沼津の言う事は尤もだ。今まで何が嫌で拒んできているのかハッキリと伝えた事はなかった。それを伝えれば、現状を変える事が出来るのだろうか。わからない。けれど、やってみなければ、それが正しいのか間違っているのかもわからない。

「伝えて、凰巳くんは嫌な気持ちにならないかな……」

「何も言わず拒まれる方が嫌な気持ちになると思うわよ? 金原さんだって、同じ事されていい気持ちはしないでしょう?」

 沼津の言葉に哥白は小さく頷いた。

 確かに沼津の言う通りだ。何故、こんな簡単な事もわからなかったんだろう。

 哥白はその事に気付けなかった自分を恥ずかしく思った。

「ありがとう、なんか、スッキリ出来た!」

「お役に立てたようでよかったわ。私でよければ相談に乗るから」

 沼津の優しさに笑みを浮かべ、哥白は嬉しげに頷いて、もう一度礼を言った。

 授業が始まってもうかなりの時間が経ってしまっていた。二人は教室に戻る事はせず、余った時間を他愛のない世間話で盛り上がった。


     三


 ある日の夜。某アパートの一室で、五人の男女が集まっていた。部屋はろうそく一本の灯りだけで、ほとんど周囲は見渡せない。唯一わかるのは、四人の男女が居ると言う事がわかる程度だ。その男女が何処の誰なのかと言う明確にわかるほど、ろうそく一本では判断出来ない。

「それで、あいつらの事はわかったのか?」

 部屋の一番奥に座る、姿形もわからない、声だけでは男だとわかる人物が声を上げた。

「志獅の人数までは把握出来ませんでしたが、神崎晴一が贔屓にしている五人との接触は出来ました。どうやら、主となるのは四ノ宮棗と思われます」

 淡々としながら何処か自信に溢れた言葉で、一人の男が上座の男に報告する。

「今までの我々が送り込んだ妖怪たちとの対峙を見る限り、戦闘力があり、やっかいと思われるのは、四ノ宮棗、金原虎鉄、上條凰巳の三名かと。麻木東李は植物の能力と千里眼を所有しており、また柳浦智咲は水を扱う能力と順風耳を所有。両名はそれほど戦力にはなりませんが、情報収集には重宝されているようです。そして、金原哥白。彼女はどうやら平和主義者のようで、完全に戦力外と思っていいでしょう。実際、彼女が妖怪と戦う事は今までに一度もありませんから」

 女がやんわりとした口調で報告した。続いて、別の女が口を開く。

「四ノ宮棗は神崎晴一の命令には逆らえないそうですよっ。絶対服従っていう関係が築かれているみたいです」

「それと、上條凰巳ですが、どうやら体内に五獣の朱雀を所有しているようです。以前、氷孤を放した時に精神を奪われ、四ノ宮棗と合流するまでの約二時間、上條凰巳の精神に戻る事はありませんでした」

 また別の女が報告する。以降、延々と月之桜学園に通う志獅六名の報告が行われた。それを静かに上座に座る男は聞き、何かを考えているのか、報告が終わってからしばらく口を開く事はなかった。

「四ノ宮棗は俺が放った巫蠱の呪に侵されているんだったな」

 やっと口を開き、その言葉に誰もが頷いた。

「ならば、俺は呪の効力を高めよう。残りの巫蠱もそんなに数がない。ほとんどの巫蠱たちが志獅に潰されてしまったからな。未だ完全体となっている巫蠱が居ないのが残念だが、まぁ、残った巫蠱はお前たちの好きなように扱え」

 男の指示に、四人が声を上げて了解する。そして男は言葉を続けた。

「ひとまず、その六人さえ潰してしまえば、あとの志獅はたかが知れている。殺せる時にでも殺してしまえ。以上だ」

 冷ややかな言葉で指示を下すと、四人の男女は部屋から姿を消した。そして、たった一本のろうそくの火が消え、朝を迎える頃には残った男の姿も部屋には残っていなかった。


     四


 休日、四ノ宮本家の屋敷に人が集まった。その数、およそ六十人。皆、志獅の役割を担った者たちであり、全国に散らばった者たちだ。

 屋敷内の一室に全員が集められ、上座には棗と晴一が鎮座していた。

「何用ですかな、主様。もしや、今代の頭首がお決まりに?」

 一人の男が意気揚々と声を上げた。それを聞き、晴一はにこやかに笑って見せると、口を開いた。

「本当なら、葵に頼みたかったんだけど、あいつ今、何処に居るかわからないじゃない? それで、改めて考え直して、この棗ちんを任命する事にしたよ」

 晴一の言葉に誰もが驚愕の声を上げ、室内が一気にざわついた。

「この決定は約半年前から下していたんだけど、棗ちんが中々あなたたちに報告しないもので、今日は強引にその発表をさせてもらったよ」

 追い打ちをかけるように晴一が口を開くと、ざわつきから一転、野次にも似た罵声が飛び交い始めた。それも、騒いでいるのは三十代以上の大人たちだ。

「ふざけるな! こんな子どもに任せるなど、私は反対だ!」

「そうですわっ! 我々の年長者を差し置いて、そんな事は認めませんっ」

 次こそは自分が頭首だと思い込んでいた老若男女たちが声を上げる。棗は耳障りだと言いたげに眉を顰め、右耳に人差し指を突っ込んで見せた。

「だいたい、このような子どもに頭首が務まるとお思いですか!」

「判断力のある我々大人から選出するべきだと思います!」

 彼らの言い分もわからなくはない。この世に生れ落ちて十六年程度の子どもが、そう簡単に指示を回せるわけがないと思うのが普通だ。

「けど、決めちゃったものは……」

 晴一が声を上げかけると、棗はそれを制止し、一歩前へと出て口を開いた。

「まぁ、あんたたちの言いたい事も理解出来る。誰かが言ったが、こんなガキに頭首が務まるのか理解出来ないだろう」

 そう切り出した棗の言葉に、反対を申し立てる者たちがこぞって頷いた。

「だが、晴一様の決定は絶対だ。それを忘れたのか?」

 嘲笑しながらも棗はハッキリと言い切った。それを聞いて騒いでいた大人たちは反論する術がないのか、バツが悪そうにお互いの顔を見合う。

 棗の言う通り、主である晴一の決定、命令は絶対だ。それを抗う事などあってはならない事。それを理解しての反対なのかの問いを含めていたが、未だ誰も声を上げる事はしない。

「では、こうさせてくれないか?」

 一人の男がそう言って手を挙げた。棗と晴一はその男の言葉を黙って促す。

「晴一様の決定が絶対なのは重々承知している。だが、やはり納得出来ない者もたくさん居るわけだ。そこで、リコール、と言う意味を込めて、君の実力を試させてもらいたい。我々反対派と対峙して、誰にも負ける事がなければ、君の就任を認めよう。ただし、一人でも勝つ事が出来なければ、リコールとして晴一様には、君に勝ったその者を頭首とさせる事を提案する」

 男の提案を聞き、棗は晴一の顔を覗く。すると、お好きなように、と言わんばかりに肩を竦める晴一。棗は軽く息を吐き、男の提案を快諾する。

「ここではやり辛いだろう、庭へ出よう」

 そう言って棗は先に部屋を出た。それに続き、集まった志獅たちは庭へと向かう。

 庭へ出ると、反対派の者たちがずらりと並ぶ。今回の総会に集まった人数の内、およそ四十人。半分以上が反対派と言う事になる。それも、ほとんどが野心家の三十代以上の者たちだけだ。

「ルールを決めようか。どんな手を使っても構わないけれど、殺しはダメだ。それをした者は処罰を与えるから、そのつもりでね」

 晴一が一触即発状態の棗と反対派に向けてルールを伝える。それを返事もなく頷いて見せる。

「それと、老人は複数人で構わないかな? 彼らも年だ、君のような若者と一対一で戦って何かあっては大変だろう」

「構いませんよ。何人でもどうぞ」

 反対派にとって有利ともいえる提案に、棗は文句ひとつなく了解する。あっさり了解した棗に反対派は一瞬眉を顰めたが、好都合だと言わんばかりに早速六人の老人が前に出た。

「時間は無制限。六人を殺し以外で倒したら交代です。では、始めっ」

 男の合図に老人たち六人が四方八方から各々の能力、武器、体術を用いて砂埃を巻き上げながら、棗の首、心臓以外の部位を狙って攻撃する。誰もが棗を仕留めた、そう思った時、ガキンと硬いものにぶつかる音が聞こえた。攻撃した老人たち、そして傍観している者たちは何が起きたのか目を凝らす。砂埃が風で流れると、そこにあったのは棗の周囲を覆うようにして土の壁が出来ていた。

「棗ちん、能力は極力使わない方がいいよ」

 傍観していた晴一が少々声を上げて助言した。それを聞いた老人たちは舐められていると思い、舌打ちをする。それを知ってか知らずか、棗は土の壁を解除する。その時、左肩が妙に鈍い痛みを発した気がした。

「晴一様。申し訳ないのですが、釛釖を持ってきてもらえますか?」

 晴一は棗の頼みを二つ返事で了解すると、その場を離れ、釛釖を取りに行った。

「貴殿のあの六尺刀が来るのを、我々が待つとでも?」

「思ってないよ。さぁ、来るまでやれるだけの事をやろうじゃないか」

 棗がそう言い切るが早いか、老人たちは棗に攻め入る。棗は能力を使わないハンデがあるため、あまり得意ではない体術で応戦する。とは言え、力任せに老人を殴ったりなどしては、打ち所が悪ければ死に至る。棗は細心の注意を払い、精々骨折程度になるように、腕や足を狙う。能力を使う者には気絶を狙って頭突きを見舞ったり、首裏を狙って意識を奪うようにした。それでも六人居た老人は半分にしか減っていない。もう少し体術に磨きをかけねばならないと、棗は心の中で溜め息を吐いた。

「棗ちん、お待たせ!」

 そう声が聞こえると、棗の許に六尺の刀、釛釖が投げ込まれた。棗はそれを受け取ると、改めて残った三人と対峙する。

「殺さなきゃいいんだよね……」

 ポツリと呟いた言葉。老人たちは眉を顰め、異様な寒気に襲われた。

 棗は釛釖の鞘を抜かず、じっと老人たちの動きを見る。だが、誰も動こうとしない。ただ待つわけにもいかず、今度は棗から攻撃を仕掛ける。いくらかあった間合いを一気に詰め、釛釖の先を一人の老人の肩、肘、膝へと突き入れた。骨を砕くほどの強さではないが、ヒビ、もしくは脱臼程度の軽傷を負わせ、戦闘不能へと見舞う。残りの二人にも同じようにしてやりたいが、同じ手を食らってくれるとは思えない。やむなく棗は突くのは同じで、一人の側頭部へと突き当てる。突然の事で反応し切れなかった老人は脳震盪を起こし、その場に崩れ落ちる。

「やっぱり、武器と体術じゃ、武器のが楽だね、リーチがあってさ」

 クルリと器用に釛釖を回し、残りの老人と対峙する。先程までの威勢は何処へ行ったのか、眉を顰め、歯を食いしばり、妙な汗を流している。その老人は逃げ腰となり、倒すのは容易だった。

 ぞろぞろと新たな老人が十人近く前へ出る。これを倒しても、まだ二十人ちょっと残っている。棗は軽く息を吐き、肩の力を抜く。そして、鞘は変わらず抜かぬまま、面倒な能力で対峙する老人を先に倒し、残った老人の意識を綺麗に落としていく。

 動きがまるで違った。釛釖のなかった棗と、それを手にした棗。それ程差がないはずなのに、棗の言うリーチが出来たからなのか、間合いが広がったからなのか、老人一人倒すのに一分と要さなかった。

「我々も参加していいかな?」

 元より、棗と争う事を目的としていた反対派の三十代から四十代の男女がこぞって前へ出た。一人や二人ならまだしも、残った全員が前へ出ている。この人数に対し、棗一人では少々分が悪い。先程の老人たちのように釛釖を抜刀しなくていい自信はあまりない。若さで言えばこちらが当然だが、経験で言えば彼らの方が上手だ。

「一対一で……ですか?」

「いや、それでは我々の方が劣勢だろう。君には頭首の位置から退いてもらいたいからこのままでもいいのだけど、それでは大人気ない。そうだな……一対三でどうかな」

 一度に三人。出来なくはない数だ。力さえ使えたら一度で終わらす事が出来る。だが、今は釛釖一本と、この体のみ。

「……まぁ、いいでしょう」

 人数を絞ってしまえばこちらが勝てる見込みは高くなる。だが、そうする事で所詮子ども。そう思われる事は免れない。ならば、彼らの要求する通り、一対三で勝てば、誰も口出しは出来ない。

 棗が頷くと、三人の男女が棗の許へと近づいた。

「……あれ、あんた、東李の……」

 見知った顔が一人混じっていた。それは、東李の父だった。気さくな人で、当然だが任務は常に完遂。完璧と言える形で全てを終わらせる完璧主義者。

「やぁ、棗ちゃん。君が頭首にふさわしいか、見極めさせてもらうよ」

 何がどうあればふさわしいのか。そんな定義もないのに、不敵に笑む麻木。見知った仲ではあるが、どんな能力を持っているのか定かではない。

 能力は遺伝が大部分を占めるが、突然変異を起こしたり、覚醒遺伝で何人もの前の先祖の能力を授かったりする。時には能力のない者も生まれたりする事がある。だから、なるべく同属性の者を伴侶に選び、子どもを授かるのが志獅の暗黙のルールとなっている。

「お手柔らかに、麻木さん。あと、丹賀さん、小延さん」

 名前を呼ばれた事に、丹賀と小延は目を丸くして驚いて見せた。

「そんなに驚かないでくださいよ。名前くらい全員分覚えるのなんて、学校の試験より簡単な事なんだから」

 棗はそう言って肩を竦めて見せる。棗にとっては名前と顔を一致させるのは、出来て当たり前の事。また、妖怪の名前や特性なども、両親を亡くしてから晴一や葵に徹底的に教え込まれ、これだけは絶対に出来るようになれと言われ続けた。その結果、棗は中学生の時、学年だけでなく全校生徒の名前から特徴、性格までを把握している。もちろん、高校の生徒もだ。

「さぁ、始めましょうか」

 そう言うと同時に、棗と大人三人が動き出した。


     五


 棗は強い。初めて棗に会った時からそう思っていた。兄である葵に稽古をつけてもらっていた棗は、子どもながらに葵の速さに着いて行き、冷静な目で状況を見極め、わざと作った隙を相手に狙わせる判断力。狙った獲物は逃さない。そのスタンスを幼い頃から叩き込まれていた。

 今、目の前で行われている頭首を巡るリコールと言う名の戦い。老人相手に随分と時間をかけたものだと思った。だが、今、大人たちを相手にしている棗を見てわかった。無駄な動きを減らし、体力の温存と、ウォーミングアップを兼ねていたのだ。おそらく、釛釖が届いた時にはもう、ウォーミングアップは終わっていた。だからこそ、瞬時に老人の関節を狙う事が出来、それだけで倒す事が出来た。

「……棗は強いね」

 隣に立っていた東李に突然言われ、遅れながらも頷いた。

「志獅の任務は通常チーム制。その場で個々の実力なんて極一部しかわからない。おかげで棗一人じゃ負けるわけがないと、勘違いしている大人たちが、次々と倒されて行くよ」

 一人、また一人と大人が入れ替わる。三人が束になって棗に向かっていくが、二つ、三つの攻撃は当たれど釛釖で一撃されてしまう。大人たちも決して弱いわけじゃない。ただ、それ以上に棗が強かっただけの事。

「それで虎鉄、君も行くんでしょ?」

「当然だろ。こんなチャンス、滅多にねぇよ」

 虎鉄の言葉に小さく笑い、東李は棗を見る。東李も見た目は女のようだが、やはり男だ。武者震いだろう、棗の戦いを見て体が震えている。

 棗は釛釖の鞘をまだ抜いていない。何を躊躇っているのかわからないが、現状無傷ではないのだから、抜刀すればいい。二十人近く居た大人は残り二人になっている。中々手強いのか、手間取っているのがわかる。大人二人が所持しているのは拳銃だった。上手く間合いに入り込めていない。

 突然、棗が釛釖を一直線に一人の大人へと投げた。武器を捨てたのか。そう思うと同時に発砲音が聞こえ、銃弾が鞘の先に命中し、釛釖の勢いが失速する。だが、いつの間にか棗は釛釖の傍に来ており、柄の先端、柄頭に手を添えて再び勢いをつける。大人は同じように発砲すると、鞘がひび割れ、わずかに切っ先が見えた。そして同じ事がもう一度。鞘は完全に割れ、鍔周辺にしか残っていない。棗と大人の距離はおよそ五メートル。棗の間合いにはまだ遠い。だが、棗は無表情に釛釖を持って走り出し、大人たちは棗に向かって乱射する。一発、二発、棗の体に銃弾がかすった。残り二メートル。その瞬間、その切っ先は一人の大人の右肩関節に突き刺さり、悲鳴が上がる。だが、関係なしに棗は釛釖を上へ引き上げて大人の右肩を裂いた。

「はっ……反則だっ!」

「何が反則? ルールは殺さない事でしょう? 死んでないじゃん」

 片割れが吠えるが、棗は無表情に淡々と言い切った。棗の言葉に大人は悔しげに顔を顰め、棗を睨む。当の棗は欠伸をする余裕振り。その隙を狙って肩を裂かれた大人は拳銃を左手に持ち替えて棗に発砲した。だが、虎鉄たちからしたらそれは、一つの罠。案の定、大人が乱射する銃弾を、地面を蹴って軽く横へ避けた。逃げた先に吠えた大人が待ち構え、大人の腕が棗の首元に迫る。棗は慌てた様子もなく大人の腕を手刀で叩き落とし、体勢を崩した所を釛釖で太腿を突き刺した。大人が痛みに鳴き声のような声で喚く。棗が釛釖を引き抜くと足を抱え、地面へうずくまった。それを見ると、戦闘不能のようだ。

 最後の一人、肩を裂かれた男の目はまだ死んでいない。ジリジリとお互いの出方を見合う。先に動き出したのは棗だった。軽い足取りで釛釖を正面に持ち、真正面から大人へと突っ込んで行く。無謀な動きにさすがの虎鉄ですら目を疑った。大人は棗に幾度も発砲する。わずかな距離の中、銃弾は棗の速さも合わさって速度を増している。だが、棗の頬に一発かすねただけであっと言う間に距離を詰めてしまった。余程の集中力がなければ銃弾を避ける事など簡単に出来る事ではない。

「釛釖を軸に、銃弾の軌道を読んだんだ。……終わったね」

 目を見張る虎鉄に気付いていたのか、東李がそう教えてくれた。そして、終わりを告げるように釛釖の切っ先が大人の左肩に突き刺さる寸前の所で止められていた。両腕が動かなくなれば戦闘などほぼ不可能。

 棗の勝ちだ。

「さっすが棗ちん! 能力なくよくやったよ!」

 そう声を上げ拍手を送るのは晴一のみ。棗の頭首を賛成していた者たちや、逆に反対していた者たちは予想外の棗の動きに、開いた口が塞がらないと言った姿で棗を見ていた。

「それじゃ、この戦いはこれで……」

「晴一様。もう一人やりたそうにしている奴が居るので、それもついでにやらせてください」

 晴一がお開きにしようとすると、棗が制止し、フッと笑って見せた。

「来なよ、虎鉄。やりたいんだろ?」

 釛釖を肩に担ぎ、不敵に笑う棗。虎鉄は豆鉄砲でも食らったように驚くが、すぐに棗と同じように笑んで前へ出た。


     六


「ふざけるな! 君たちのお遊びにまで我々は付き合いきれないっ」

 虎鉄が前へ出た途端、反対派の一人が叫んだ。すると、それにつられて他の者たちも叫び出した。

「まぁまぁ、一人だけなんだし、見るだけ見ようじゃない」

 相変わらずのへらっとした笑みを見せ、晴一が反対派を抑制する。晴一の言葉にまで逆らう事が出来ず、反対派は顔を渋めて静まった。

 棗は五メートル程離れた虎鉄を見る。やる気満々で嬉しそうに軽く準備運動をしている。正直、今までの戦いで疲れがないわけではない。それに加えて能力は一切使えない。最初に能力を使った時、鈍い痛みが左肩を襲った。僅かに残っている呪が疼いたのだろう。それは先程の戦いで徐々に痛みを増し、今は落ち着いているが、あのまま戦い続けたら動けなくなっていたかも知れない。手や腕を見る限り、今の所進行したわけではなさそうだ。これならば、虎鉄との対峙に支障は出ないはずだ。

「行くぞ、棗っ!」

 準備運動が終わったのか、そう言うと虎鉄は地面を蹴ってこちらへと向かってくる。虎鉄は自他共に認める体術の使い手。体術を苦手とする棗にとって分が悪い。

「虎鉄、体術ばかりでは能力が劣る一方だぞ」

 素早いパンチのラッシュを目の前に、棗は何とか受け流しながら忠告する。

「んなこたぁ、わかってるよ!」

 パンチをやめたかと思うと、体を捻って横から右足が頭に向かって飛んでくる。棗はすぐさま両腕を合わせ、虎鉄の勢いと同じ方向へ軽く飛んでガードする。蹴りの威力を受け流すと、その足を掴み、勢いよく手前に引っ張り、捻りあげながら地面へと叩きつける。その瞬間、虎鉄が地面に沈む音とは違い、妙な地響きが聞こえた。誰もが耳を澄ますと音は徐々に大きくなり、地面が大きく揺れた。その揺れはしばらく続くと、先程までの静けさを取り戻した。

「棗っ! さっきの地震、相当大きいよっ。震源地は北陸沿岸部みたいだ!」

 東李が携帯電話を片手にそう叫んだ。

「了解。虎鉄、この勝負一旦お預けだ。いいな?」

 そう言われると虎鉄は状態を起こし、頷いた。棗はそれを見ると、晴一の許へと歩み寄る。

「晴一様。我々は震源地へ向かいます」

「震源地なんて行ってボランティアでもするつもりか?」

 棗の言葉に敏感にも反応する反対派。だが、その発言には棗だけでなく晴一までもが溜め息を漏らした。

「あんたたち、私より長生きしていながら知らないのか? 古来、震源地は妖怪が最も発生する場所だ。そこを叩かずして人間の害となる妖怪を排除出来るわけがないだろう」

 棗の言葉に誰も反論出来なかった。志獅の本懐は妖怪退治。それに伴って陰陽師が報酬を支払う。先程までのような仲違いをする集団ではないのだ。

「余震もあるだろうから気を付けてね。いつもと違う地震だったし、数も多いと思う。無理は禁物だよ」

「わかっています。虎鉄、東李、智咲、哥白、行くぞ。他の方々は来たければ来てください。戦力は多いに越した事はないので」

 棗はいつものメンバーを指名すると、他の大人や老人にそう声をかけた。賛成派の者たちは行くと声を上げ、反対派は判断を迷っているようだった。返事を待つ余裕はあまりない。棗は来る気があるものは遅れてでも来るよう伝え、先に北陸へと向かった。

 東李が携帯電話のインターネットで調べると、震度六強であり、震源地周辺は大混乱を招いていると言う。現状は視る限り高層ビルのガラスが飛び散り、古い家屋は倒壊、一部では火災も発生しているそうだ。また、目的の妖怪は今の所見当たらないが、人の集まる公共施設には注意するよう棗は声を上げる。

志獅は北陸の震源地周辺でいくつかに分かれ、調査を始めた。初めはあまり見受けられなかった妖怪だが、丹念に調べて行くと人間の集まる場所や、家屋の隙間などに入り込み、大方が隠れていた。見つけ次第志獅は妖怪を退治して行くが、思っていたより数が少ない。

「予想外に数が少ないね」

 同じ事を思っていたのか、そう東李が話しかけて来た。棗は軽く頷くと、改めて妖気を探る。

「棗っ! 避けろっ!」

 随分離れた位置から虎鉄の声が聞こえて来た。その方からは真っ黒な塊がこちらに向かって来ている。スピードも速く、棗は東李の首根っこを掴んでその場から離れた。すると、その塊が地面に塊がぶつかると、アスファルトが音を立てて溶けてしまった。

「何、今のっ!」

 東李の意見は尤もだ。虎鉄が傍にやって来ると、棗も訝しげに問う。

「説明しろ、虎鉄」

「巫蠱だ。逃げられちまったが、あいつ、完全に人間に化けてやがる。しかも、この辺りの妖怪もあいつが喰い漁ってるみてぇだ」

「そうか……やっかいだな」

 棗は眉を顰める。

 虎鉄の言っている事は本当だろう。だとすると、人間との識別が面倒になる。更に、この辺りの妖怪を喰い漁っているとなると、かなり力を蓄えつけている事が予想される。

「とにかく、虎鉄と東李はその巫蠱を探し出せ。私はこの事を他の者たちに伝える」

 棗の指示に虎鉄と東李が頷くと、すぐに二人は巫蠱の後を追った。それを見ると棗は手近に居た志獅を捕まえ、この事を伝える。

 この地震で出現したと思われる妖怪は、大小合わせておよそ五十くらいだろう。志獅が把握し、退治したのはおよそ十。ちらほら感じられる妖気の数は約二十弱。つまり、二十体もの妖怪たちはあの巫蠱に喰われている可能性がある。

 今の所、巫蠱は一体だけが確認が取れている。もしも、他にも巫蠱が居たとしたら。

「はっ、そりゃ最悪だ……」

 棗は眉を顰め、口角をひきつらせながら笑って呟いた。

「棗! どうしようっ、巫蠱が……!」

 突然左腕を掴まれ、棗が振り向くと、血相を変えて東李がそう口走る。

「東李、落ち着け。巫蠱がどうしたんだ?」

「っ……巫蠱が、一体だけじゃないく、もう一体居るんだ! それも、完全に人間になってる!」

「それで、その巫蠱たちは見つけたのか」

「ううん、今虎鉄と探してるんだけど、人間のが多くて見つけられないんだ……人間の中に混じってて妖気も上手く隠されている。いつ人間が被害に遭うかわからない状況だよ」

 東李は息を整えながら、棗に問いにしっかりと答える。それを聞いた棗はより一層眉間にしわを寄せ、軽く舌打ちを打つ。

「仕方ない、避難場所に退避している人間たちを見張ろう。各場所二人ずつだ」

「二人って……避難場所は転々としていて二十以上あるんだよ! こっちの人数が全然足りてないっ!」

 東李は声を張り上げて棗の指示を拒否する。棗は頭を掻き、溜め息交じりに息を吐きながら口を開く。

「なら、少人数の避難場所に居る人間を移動させろ。逃げ遅れている人間はすぐに掻き集めるんだ。何とか人数が足りるようにするしかない」

「でも、そうしたら余計に巫蠱が……!」

「わかってる!」

 東李の言葉に珍しくも棗が声を張り上げた。

「だが、それ以外に余裕がないんだ。割り当てが出来次第、すぐに残りの妖怪たちを排除だ。その後、巫蠱を倒す」

「っ……わかった。すぐにみんなへ伝えようっ」

 そう言うと東李はその場から離れた。棗もすぐに動き、残された妖怪を退治しに向かう。


     七


 津波が近づいていると言う海辺。そこへ一ヶ所に喰われず、退治されずに生き残っていた妖怪たちが集められていた。その数、たったの四体。それも、小物ばかりで棗は眉を顰めている。ギャアギャアと妖怪たちは喚いているが、言葉の通じる奴は一体も居ない。

「棗、東李から伝言。何とか移動と配置出来たらしい。津波ももうすぐ到達するって至る所で騒いどる」

 スッと現れた智咲に棗は軽く手を上げる。

「……その妖怪、排除せんの?」

 四体の捕らえられた妖怪を指差しながら、智咲が問いかけて来る。棗は智咲の許へと歩み寄る。刻々と津波は棗たちの居る海岸へと押し寄せていた。

「囮に使う。こんな雑魚でも巫蠱をおびき寄せる事くらい出来るだろう」

「……でも、この辺り瘴気臭いから、気付かれへんかも……」

「その時はその時だ。考えがないわけでもないよ」

 そう言うと棗は釛釖を妖怪たちに向かって構える。背後に五メートルはあろう津波が轟々と音を立てて近づいていた。

「棗、津波が……っ」

 智咲の言葉など聞かず、棗は釛釖を使って妖怪の首を撥ねた。妖怪の血しぶきと同時に、妖怪の瘴気が辺り一面に吹き出す。だが、その量は北陸の避難所全てへ辿り着くような量ではない。その事実に棗は驚いた様子もなく、軽く舌打ちをしていた。津波はもう目の前まで迫っている。

「はぁ……巫蠱は来ない、か……」

 溜め息を漏らして棗は言うが、津波はもう砂浜に乗り上げ、勢いよく棗たちを呑み込もうと襲い掛かってきている。智咲は踵を返し、津波の勢いを抑えようと自らの能力を使って海水を操ろうとする。だが、津波の勢いの方が強く、抑え込む事が出来ない。

「棗、逃げやな……っ!」

 じりじりと迫る津波。智咲は額に汗を流し、棗に声をかけるが反応がない。

 もう無理だ。そう思った瞬間、グッと首元が締まり、智咲は目を丸くして何が起きたのか理解しようとした。すると、足下の地面が遠ざかり、宙に浮かんでいるのがわかった。同時に、大量の妖気が後方から溢れているのに気付いた。足下をよく見ると砂浜の砂をかき集めて、棗の能力で高台を創り上げている。それを見ると、智咲は一層目を丸くし、棗へ呼びかける第一声を失敗しながら智咲は高台に足をつけ、棗と向き合う。

「っ……棗! はよ、早ぅ止めやっ! 肩が……っ」

 ザワザワと溢れ出る棗の妖気。それは止まる事無く、棗は額に汗をにじませながらフッと笑って見せた。その棗の左側の首に浅黒い色が浸食している。

「あかんて! アホっ、自分が居らんなったら私らどないしたら……!」

 智咲が必死に棗の行動を止めようとしていると、ドンッとぶつかる音が聞こえ、砂で作られた高台がグラリと揺れた。智咲は再び目を丸くして驚き、すぐにヘッドフォンを外して原因を探る。

「智咲、巫蠱だ……上手く、化けてるじゃん」

 そう不敵に笑んで言うと、棗から放出されていた妖気がスゥッと薄れて行くのがわかった。智咲は棗へ視線を向けると、棗は膝から崩れ落ちる。慌てて倒れそうになる棗を抱えると、棗の首が半分以上黒ずんでいる。

「棗っ! しっかりしぃっ!」

『美味しそうな匂いがしたの……あなた?』

 すぐそばで声が聞こえ、智咲は肩を震わせて棗を抱きしめる。目の前には小さな女の子が宙に浮いている。これが巫蠱。智咲は初めて目にした巫蠱に半信半疑に声を上げる。

「あかん、棗は喰わさへん……っ」

「……潰れろ」

 ポツリと抱きしめた棗が呟いた。その瞬間、海水を割って砂が飛び出し、巫蠱であろう女の子を砂で包み、ぐしゃりと一瞬にして潰してしまう。

『わぁ、びっくりしたっ! ちょっと、私の可愛い服が汚れたらどうするのよっ』

 潰したはずの砂の塊とは反対の、二人の後方から声が聞こえた。

「はっ……、すばしっこいな、やはり……。ま、ここなら、どれだけ暴れても、誰も来ない。智咲、東李たちに連絡しておけ」

 そう言って棗は智咲を押して立ち上がる。足下はしっかりとしておらず、僅かに膝が震えている。立つのがやっとと言った様子だった。智咲はすぐに携帯電話を取り出し、東李へと連絡する。

〈智咲? どうしたの〉

 ワンコールで東李の声が聞こえて来た。ホッと安堵する思いを抱くが、それ以上の焦燥感に言葉が逸る。

「東李っ! 東李、早くここに来て! 棗が、巫蠱が……!」

〈ちょ、智咲、落ち着いて!〉

「ああもうっ、何でもええから早ぅ沿岸に来てぇや!」

 そう言うと智咲は東李の返事は聞かずに電話を切った。棗を見ると、左手の指先にまで黒くなってきている。

『あはっ、お姉さんかなり弱ってるね! これなら私一人でも行けそう』

 楽しげに言う巫蠱の言葉に、棗はこれと言った反応を見せない。智咲は棗の手を引き、自分の後ろへと強引に移動させた。

『何、お姉さん』

 フッと明るい表情から一変し、眉を顰めて悪態を吐くかのように巫蠱が問いかけて来る。

「何、って……棗には手を出させへんって事や」

 棗をここで失う訳にはいかない。当然だ。ようやく志獅の頭首として全員に無理矢理でも認めさせる事が出来たのだ。棗はまだ、これからたくさんの妖怪を退治し、これからの志獅を支えてもらい、幼い頃からの目的を果たさなければならない。

「ちさ、き……そこを、退け」

 息が荒れている。すぐにでも晴一の許へ連れて行かなければならない。事情が事情とは言え、無闇に妖気の放出した事は叱咤されるだろう。だが、棗を失う事はきっと、晴一だってかなりの痛手になる。

「棗は大人しくそこに居って! もうすぐ、東李たちが来るはずや……」

 自分一人でこんな化け物を倒せる気はしない。だが、弱音を吐いて棗が回復するわけではない。

「ここは今、私の領域や。ちょっとは信用したって?」

 智咲は軽く微笑み、少し身を屈め、巫蠱と対峙する。

『えーっ、あなたが相手するの? 残念。つまらないよ』

 肩を竦め、巫蠱は口先を尖らせて首を振った。だが、智咲にはそんな事関係ない。

「それは、私を倒してからゆぅてくれへんか?」

 そう言うが早いか、智咲は右手人差し指を立てて軽く円を描くと頭上へ上げる。それと同時に足下を流れる海水が渦を成して柱上に突き上がった。

『へぇ、だからあなたの領域なのね』

 クスリと笑みを浮かべ、巫蠱は両手に黒い球を創り上げた。その球を智咲に向けて投げつけ、新しく創っては再び投げる。その数は多く、スピードもある。智咲は両手の親指をつけ、壁を作るように海水の柱を巫蠱と智咲の間に立ち並べる。だが、巫蠱の創り出した球は柱の壁を通り抜け、一つの球が智咲の頬をかすねる。

『ほらほらほらっ! まだ終わらないよぉっ!』

 黒い球は柱の壁を通り抜けてまばらにも智咲たちを襲う。智咲は舌打ちをすると、両手をそれぞれ拳に変える。すると柱の壁が根元からピシッと音を立てて瞬時に凍りつく。だが、それはやはり黒い球によって打ち砕かれ、壁は脆くも崩れ去る。

『あはっ、壊れちゃったね?』

「だから?」

 再び右手の人差し指だけを立て四角く描くと、海水が厚さの異なる四角い氷の壁が何枚も出来上がる。

『また壁ぇ? もういいよっ』

 飽きたと言わんばかりの言葉に、智咲は反応しない。そればかりか、巫蠱から離れた場所に海水の塊を創り上げてスピードをつけて投げつける。不意打ちに巫蠱は声を上げて避けて見せる。負けじと巫蠱もまた黒い球を氷の壁に向かって投げつけた。氷の壁は一枚だけを残して全てが割れてしまう。

『不意打ちなんて卑怯よ!』

「お互い様やろ?」

『私はあなたたちじゃなくてその高台を狙ったんだもんっ!』

 頬を膨らませて口先を尖らせる。智咲はそれに目をくれる事もなく、海水を持ち上げ再び方向を変えて同じようにして巫蠱を狙う。だが、やはり巫蠱は避けてしまった。

『だーかーらぁっ!』

 怒りを露わにし始める巫蠱だが、智咲は構う事無く、またも方向を変えて狙う。しかし、それも当たる事無く素通りしてしまう。

「へぇ、そう言う事か……」

『な、何よ。何がわかったのよ』

「いや、ハッキリとした事はわかってへん。でも、これでハッキリするわ」

 智咲の言葉に反応する巫蠱。それに対して智咲が僅かに笑んで言うと、巫蠱の前後左右上下、一ヶ所以外全てを囲んで狙い撃つ。すると巫蠱は、唯一自分を狙う海水の球が抜けている所、自分自身の真後ろをピンポイントに使って攻撃を避けた。

『ああっ、服が濡れちゃったじゃない! こんな事で何がわかるって言うのよっ』

 吠えるように叫ぶ巫蠱に、智咲はほくそ笑んだ。

「アホやなぁ、自分。素直に手の内さらけ出して」

 そう言うと智咲は再び右手の人差し指を振るう。だが、周囲では何も変化がない。

『もう、わけがわかんないっ! さっさと終わらせてあげるっ』

 巫蠱は吠えるように声を上げると、両手を上げ、掌で創り上げていた黒い球とは比にならない、巫蠱の体よりも大きい球を創り出した。

「やめた方がええよ。あんた、負けるで?」

『負けちゃいそうだからって、脅してもダメよっ』

 満面の笑みで巫蠱が言うと、大きな球をためらう事無く智咲たちの方へと投げる。すると、黒い球が智咲たちに向かって走り出すと、パリンッと音がし、周囲の風景にヒビが入る。それを見て智咲は左手を握った。その瞬間ヒビが割れ、巫蠱に向かって飛び出した。巫蠱は突然の事でその場から逃げ出そうとするが、隙間なく破片が巫蠱を追い詰め、体全体に突き刺さる。深く刺さった破片は水へと変化し、巫蠱の体を伝って海へと戻って行く。黒い球は止まる事無く智咲たちの許へと向かい、智咲は棗を抱えてその場から逃げ出す。

『何、してくれてんの、あんたぁ……!』

 傷口から血と思われる液体を吹き出しながら怒りを露わにする。智咲は海面を凍らせてそこへ下り立つ。

「気付かんだ? まぁ、気付かれんようにしたつもりやったしな。一応、説明したるわ。水のままやと水面。水面は光の屈折率が一・三三三四。液体は屈折率が高くなる。それに、風の影響で水面が揺れればバレる。その点固型の氷は屈折率が一・三〇九と水に比べわずかに低いし、風の影響も受けない。やで、凍らせて自分を囲んだんよ。とは言え、気温もあるし、屈折率は多少変わっとるで、かなりの賭けやったけどな。それでもすぐにバレては困るんで、広い範囲で囲み、徐々に縮小して自分を襲えるだけの大きさにし、厚みも増した。おかげであんたの強みを一つ潰せたわ」

 ペラペラと巫蠱の問いかけに答えると、不敵に口角を吊り上げる。

『はっ、強み? こんな傷で潰せたとでも?』

「潰せたやろ、ホラ?」

 クッと右手人差し指を曲げて見せる。その瞬間、巫蠱の背中に勢いよく水の塊が襲った。巫蠱は目を見開き、己の背中に目を向ける。

「あんたの強みは目や。それも、全身にあった目玉。多分、あんたは百目を媒体にした巫蠱やったんやな。聴こえてたで、瞬きする微かな音が」

『まだよ……私はまだ、負けてないわよ』

 巫蠱はそう言って再び黒い球を創り出す。

「やめや。自分にはもう、勝ち目はない」

『うるさい! 絶対食べてやるんだか、ら……?』

 ブシャッと巫蠱の背中から胸に向かって血を吹き出した。創り出した球が徐々に縮小し、消える。何が起きたのか、巫蠱は胸を抑え、後方を向く。

「さっき電話してたやろ? 仲間が来てたんや。ずっとこの機会を窺ってた。それにさっきの目潰しは、私よりごっつ頭のええ奴からの指示やってん。余裕、こきすぎたな」

 巫蠱の後方には木々の先に立っている、東李と虎鉄、凰巳の姿があった。

「棗に苦労させた事、後悔させたる」

 軽く氷版を蹴ると飛び上がり、智咲は巫蠱の許へと近づいた。巫蠱はすぐに振り返って智咲からの攻撃を防ごうとするが、智咲は巫蠱の頭を掴み、勢いよく捻り上げる。バキンッと鈍い音がすると、その頭を胴体から引きちぎった。

『ふふ……まだ一人……残って、るわ、よ……』

 不敵に笑みながら巫蠱はそう言うと、ドロリと黒い液体と化して海水と同化してしまった。

「もう一体……」

 応援に来たメンバーは三人。他は避難所を見張っているのだろう。だが、これだけ妖気をばら撒いていたにも係わらず、姿を見せなかった。

 智咲は棗の居る氷版へと戻る。

「……っ、厄介な事になったな……」

「棗っ! 大丈夫なんかっ」

 ポツリと呟いた言葉に智咲は膝をつき、棗の肩を掴んでは声を荒げて無事を問う。棗は汗をにじませながら笑みを見せた。

「すぐ、すぐに東李に……っ!」

 そう言う智咲を無視するように、棗は左肩を抑えながら立ち上がる。

「……智咲、虎鉄と凰巳を連れてもう一体を見つけ出し、排除しろ」

「でも、棗っ……」

「智咲、頼むから言う事を聞いてくれ」

 嫌がる智咲の肩を掴み、棗は真剣な面持ちで頼み込む。智咲は口を紡ぎ、気圧された。

「私なら大丈夫だから。東李と哥白を連れて先に東京へ戻る。晴一様に叱られるだろうが、抑える事くらいしてくれるはずだ」

 抑えるだけでは棗の首半分から左手いっぱいに広がった呪は消えない。もしかしたら、そのまま呪に蝕まれてしまうかも知れない。

「……そうや、凰巳……聖禽にまたその広がった呪を取り除いてもらったら……!」

「ダメだ」

 ぴしゃりと一言で棗は拒否をした。

「何でや! このままやと棗、その呪に殺されてしまうかも知れんやん!」

「言っただろう、凰巳が器としてまだ出来上がってないんだ。そう簡単に出させるわけにはいかないんだよ」

「っ……ごめん」

 棗の言っている事は正しい。あの日の凰巳は正直、恐ろしさを抱いた。そして同時に神々しさも感じた。当然だ、五獣は神なのだから。凰巳の器は出来ていない。たかが妖怪の血を引く人間紛い。体内にそんな神を入れているだけでも大変なのに、それに精神を乗っ取られ、体も焼けてしまうスレスレの状態。それをもう一度なんて、虫がよすぎた。

「わかればいい。智咲、言う事を聞いてくれるな?」

 智咲は頷き、氷版から棗を連れて東李たちの許へ飛び移る。

「棗、その体!」

 駆けつけていた三人が棗の姿に絶句する。智咲は思い出したようにヘッドフォンを着ける。

「馬鹿じゃねぇのか! 妖気振り撒く事くらい、智咲にやらせればよかっただろっ!」

 間一髪。虎鉄が大声を上げて棗に怒鳴り散らす。ヘッドフォンを着けたがあまり意味はなかった。鼓膜が破れるのではないかと思うくらい、耳が痛かった。

「そう大声を上げるな。智咲では駄目だった理由もあるんだ。とにかく、東李は哥白も呼んで私と東京へ戻る。二人は智咲ともう一体の巫蠱を探して排除してくれ」

 虎鉄と凰巳は納得していない様子だ。無理もない。

「東李……、棗を頼むよ」

 だが、駄々を捏ねても棗が困るだけ。これ以上、困らせてもいけない。

 智咲は虎鉄と凰巳の腕を掴み、東李に棗を預ける。

「さっきの巫蠱との戦いで智咲、傷を負ってるけど大丈夫?」

「平気。呪にも侵されてへんし」

「そう、よかった。それじゃ、僕は行くから。気を付けてね」

 東李はそう言うと棗に肩を貸してその場から離れて行った。

「で? どうすんだよ。まさかまた妖気をまき散らすのか?」

「でも、頭のいい巫蠱なら、同じ手には引っかからないかも……」

「……どないしようね」

 凰巳の言う通り、同じ手は食わないだろう。虱潰しに探し出すしかないのだろうか。


     八


 東李と哥白は棗の体を支えながら、東京へと戻り、晴一の許へと訪れた。晴一は棗を見るなり第一声、罵声を浴びせた。棗に対してのこの態度に、東李と哥白は驚き、また恐怖を覚えて何も言えなかった。

「ねぇ、棗、何考えているか言ってごらんよ。事と次第によっては許さないよ」

 冷たい目に、冷たい態度。それに対し棗は怯える事も驚く事もせず、ただ淡々と、苦しげにも口を開く。

「状況が、悪かったんです。人間に紛れた巫蠱をあぶりだすには、あの方法しか……」

「だったら何も、棗がする必要はなかったんじゃないの?」

「……そうかも知れません。が、傍に居たのは、智咲のみ。他の志獅は、全て避難所に向かわせていたため、手段を選んでいられませんでした」

 棗は東李と哥白から自ら離れると、晴一の前で跪き、自嘲気味に笑みを作る。

「何故智咲を同行させた? 虎鉄や東李でもよかったんじゃないの?」

「……智咲の順風耳を頼りました。東李でもよかったのですが、巫蠱を呼び込める場所が沿岸しかなかったため、智咲を」

「彼女はそこの哥白ちゃん以上に戦闘に不向きなのを知っているよね」

 晴一の言葉に、東李や哥白は目を丸くして驚かざるには居られない。だが、棗は表情を変えず、口を開く。

「その点、防御は彼女の右に出るものは居ません。沿岸なら智咲の領域。すぐに東李たちに連絡もさせましたし、私を抜いて、他に問題はありませんでした」

 冷静にも答えられる棗に、晴一は眉を顰め、深く息を吐いた。

「はぁ……わかった。とにかく、その呪は取り除く事が出来ない。抑える事だけになるけど、構わないね?」

「問題ありません」

 棗がそう言うと、晴一は白い札を取り出して何かを筆でサラッと書くと、棗の左肩の肌へ直接貼り付ける。

「いいかい? これは一時凌ぎにしかならない。一刻も早く、術者を見つけ出すんだ。でないと、棗ちんの命の保証は出来ないよ」

 晴一はそう棗に言い聞かせるのと同時に、東李や哥白にも目を配り、言い聞かせる。東李と哥白は深く頷き、術者の早期発見を心に誓う。

「もう一体の巫蠱は見つけられそうかい?」

「……あまり期待はしていません。妖力を振り撒いたくらいで靡かなかった賢い奴です。そう簡単に見つけられるとは思えません」

 晴一の問いかけに、棗はそう言いながら服を着直す。

「確かに、棗ちんの言う通りだね。相当な知恵をつけているのには違いないだろう。あの辺を主として動いている陰陽師と志獅に、厳重注意するよう伝えておこう。災害もこれ以上は酷くならないだろうし、向かっている面々を撤収させようか」

 晴一は携帯電話を操作すると、何処かへと電話をかけ始める。それを見て東李と哥白は棗へ声をかける。

「棗ちゃん、肩は大丈夫?」

「ああ、平気だよ。見た目は悪いが、痛みはこの札で抑えられている」

 心配そうにする哥白に、棗は軽く笑みを浮かべて答えて見せた。

 棗のかかっている呪と言うものがどれ程のものかわからない。命の危険があると言う事は重々理解出来ているつもりだが、その事の重大さはやはり理解に欠けている部分があるのは否定出来ない。

「術者が見つかるまで、棗は学校に行かない方がいいよ」

「いつになるかもわからない事だ、下手に休む事は避けた方がいい」

 東李の提案は軽く否定され、東李は眉間にしわを寄せて口を紡ぐ。

「けど棗ちゃん、その呪、肩や腕だけじゃなく、顔にまで及び始めてるんだよ? みんなには何て説明するつもりなの?」

「適当に誤魔化すさ。最悪、包帯でも巻くか、湿布なんかで隠して行けばいい」

 面倒臭いと言わんばかりに答える棗だが、その方法はあまりにも大雑把すぎる。東李と哥白は顔を見合わせ、困ったと言わんばかりに顎に手を当てる。

「誤魔化し切れるのかな? 持ち上がりの生徒たちは問題ないにしても、転校生や外部生はそう簡単に誤魔化されてはくれないんじゃない?」

 東李は冷静にもそう口を開くと、棗は眉を顰めて口を閉ざす。

「それに、先生が黙っていられないと思う。最近は虐待なんかもうるさい時代だから、干渉が激しくなると思うよ?」

 東李の意見は尤もだ。このご時勢では適当な理由では黙ってくれるとも思えない。大人しくしている外ないのか。

「はぁ……先月もかなり休んでいるんだ、あまり長く休みたくはない。本当に、悠長に術者を探すわけにはいかないな」

「うん、全力で探すよ」

 棗が折れた事に東李は笑みを浮かべ、哥白は安堵したように頷いた。


     九


 北陸に残った智咲、虎鉄、凰巳、志獅の面々は虱潰しに巫蠱の存在を探し回っていた。

 あの棗の妖力に靡かなかった奴だ。まして、人間にすっかり化けてしまっているであろう巫蠱を、一見しただけではわかるわけがないが、微かな妖力を頼りに探すしかなかった。

「どうするの、智咲さん。この調子じゃ陽が暮れても見つけられないよ」

「…………」

 智咲は凰巳の問いかけに答えない。相手が棗や東李ではないからではない。答えが見つからなかったからだ。

 凰巳の言っている事は正しい。この調子では、陽が暮れてそれが明けても、巫蠱は見つかる事がないだろう。どうすればいいのかなんて、どれだけ考えてもわからない。音を頼りにしても、目を頼りにしても、妖気を頼りにしても、一向に見つかる気配がないのだ。

 時折過ぎる、嫌な予感。それは、もうこの地には巫蠱が居ないかも知れないと言う事だ。そうなれば、どれだけ必死になって探しても見つかるわけがない。そして、この地を離れ、次の場所へ移った巫蠱は、妖怪を喰い散らし、人間に危害を加えるかも知れないと言う最悪の事態。

 智咲は頭を振り絞ってどうするかを考える。頼りになる棗や東李はこの場に居ない。何度考えても、どうしたらいいのかわからない。凰巳や虎鉄に知恵を借りて、簡単に知恵が出るとは到底思えない。

「…………ちっ」

 あの聖禽と言う五獣なら、あんな巫蠱、簡単に見つけられるはずだ。だが、棗にきつく怒られたばかりだ。容易に凰巳に言う事は出来ない。そして、あの状態になった凰巳を元に戻す自信も持ち合わせていない。

 八方塞がりだ。

「もうあの巫蠱、この土地を離れたんじゃねぇのか?」

「あ、その可能性もあるんだ。じゃあ、どれだけ探しても居ないって事だよねぇ。どうしよう、命令に背く事になるよっ」

 虎鉄と凰巳が思い思いに言葉を口走る。いくらヘッドフォンで順風耳を制御しているからと言って、その声は一般人と比べて倍程度の大きさで聞こえて来る。それがまた、智咲への焦りを煽り、怒りを触発する。

「あの巫蠱、もうほとんど人間と同じ姿だったよね。って事は、元々この土地に居た巫蠱じゃない可能性もあるわけだ。だとしたら、相当数の妖怪たちを喰ってる事になるよね」

「そうなるんじゃねぇのか? よくわかんねぇけど、百の妖怪は絶対必要らしいし。……って事は何か? もう百近くは喰ってるって事だよな。じゃあ、それ以上喰ったとしてたら……」

「やばいんじゃない、それって……!」

 あれよあれよと二人は会話に盛り上がる。その傍で智咲はどうすべきかを考えていると言うのに。だが、二人はその会話をやめようとはせず、強敵になってしまうかも知れないと言う事に更に会話は盛り上がり始める。

 その瞬間、智咲が傍にあった木を勢いよく殴りつけた。

「じゃかしいんじゃ、おどれら……ちったぁ黙っとってくれんかのぅ?」

 言葉遣いなんてものは怒りで意識してはいられない。

 答えが出ないと言うのに、まるで耳元でギャアギャアと喚き倒されている感覚。考えに集中したくても出来るはずがない。

「勝手に話が盛り上がるんは勝手やが、私から離れてやってくれんか? うるそぉて敵わん。今の自分らの声がどれだけでかく私に聴こえるか、わかっとるんかっ?」

 チラリと見た二人の顔は引きつり、ゆっくりとした動作でジワジワ離れている。その姿は何度も目にした事がある。もうすっかり忘れていた光景だ。

「ちっ……鬱陶しい……何で私がこいつらと……」

 こうして任務に当たる者たちは、いつも一線を引いた場所からこちらを眺めている。そして、まるで居ないかのような立ち振る舞いで、勝手に任務をこなしていた。

 群れを求めているわけじゃない。今までがおかしかったのだ。あの日、棗と同じように任務に立つまでは、変わる事がなかったのに。

「ご、ごめん、智咲さん。俺たち、智咲さんのその耳の事、よくわかってなくて……」

「悪かった。お前に任せきりだと悪いし、ちょっとくらい自分で考えようとは思ったんだが……返って邪魔になっちまったみてぇだ」

 困ったように眉を下げ、俯き加減に凰巳と虎鉄がそれぞれ言い訳をした。それを聞き、智咲は言葉が出て来なかった。

 まさか、謝られるとは思っていなかったからだ。逆ギレをされるとは薄々思っていたが、それどころか、謝って力になりたかったと言っている。棗のように付き合いが長いわけでも、東李のように心が広く優しいわけでもないのに、何故、謝られるのか理解出来なかった。

「あ、その顔、驚いてる? 俺たちだって智咲さんとは付き合い長いじゃん! まぁ、能力とかはイマイチ理解出来てないけど、智咲さんの事くらい、少しはわかってるつもりだよ?」

 そう言って凰巳は近寄って手を握る。

「そりゃ智咲さん、普段無口で何考えてるのかわからないけど、仲間じゃん」

「そうそ。お前、よく俺を睨むけど、その耳の事よくわかってねぇのが原因だし。あとは俺自身の性格の問題とこいつの所為だが」

「ちょっと、俺別に好きで虎鉄さんの事怒らせてるわけっ……っと、ごめんね、智咲さん。また大声出しそうになった」

 声を荒げかけた凰巳だが、すぐに自嘲して謝って見せた。

 何を考えているのかわからないのは、智咲自身が思っていた事だ。この二人が考えている事など、わかりたくないし、わかろうともしていない。ただ、智咲は棗の指示と、東李の指示さえあれば、素直に聞くし、何も思わない。智咲の中では棗たちは特別で掛け替えのない存在だからだ。

「今だから言うけど、俺ね、智咲さんと任務してみたかったんだよね。智咲さんがどんな風に任務をこなすのか、俺知らないから」

 困ったような表情で、フワッと笑みを見せる凰巳。それを見て智咲はどう答えたらいいのかわからない。

 すると、会話を中断させるかのように、智咲の携帯電話が鳴り響いた。ビクリと肩を震わせ、凰巳の手を振りほどくと、携帯電話を取り出して着信を受ける。

〈智咲、そっちの様子はどうだ?〉

「棗っ!」

 特に画面を見ずに着信を取ったため、相手が棗だった事に相当驚いた。

「か、肩の具合はどうなんっ?」

〈問題ない。さっき、晴一様に抑えてもらった。そんな事より、そこに居る巫蠱の事だが、切り上げて東京に戻ってこい。術者を早急に探さなければならなくなった〉

「……やっぱり、肩が……」

 棗の突然の命令に、智咲の中に不安がどっと押し寄せる。

 棗は智咲の中では晴一などと言う主より遥か上の存在。智咲の中の絶対的主なのだ。その棗を無くしてしまうとあれば、正気を保って居られる自信がない。

〈それもあるが、これ以上巫蠱を増やしてしまわないようにだ。まぁ、正直に言えば、東李の奴が私を学校に行かせないと言うので、そっちのが心配なだけだが〉

 きっぱりと否定した後、軽く溜め息を吐いて本音が零れて来た。いつだって妖怪優先の棗だが、学校の事を気に掛ける余裕があると言う事に、智咲は少しホッとした。

「けど、術者を見つけるやなんて、そう簡単に……」

〈まぁ、実の所、当てがないわけじゃないんだ。まだ確証ではないんだが〉

「当て……?」

〈詳しい話は戻ってからにしよう。そっちの事は、そっちの陰陽師と志獅に任せる事になっている。お前たちは引き上げて来い〉

「……了解」

 智咲はそう言うと電話を切り、食い入るようにこちらを見つめる凰巳と虎鉄に向き合った。

「……さっきは取り乱してごめん。見つからん事に焦っとった」

 智咲がそう謝ると、凰巳は軽く首を振り、笑みを見せる。虎鉄も満足そうに笑みを見せて、智咲を許してくれたようだった。

「さっきの棗からの電話やけど、ここはこっちの陰陽師と志獅に任せる事になった。私らは東京に戻って、術者を探す」

「了解、智咲さん!」

「大元を絶つってわけだな!」

 先程謝っていた内容は何処へ行ったのか、張りきった声で二人は頷いた。当然その声は耳に響き過ぎるくらいの音量。だが、不思議と不快な気にはならなかった。

 智咲は軽く笑んで頷くと、足下に小さな亀がのろのろと歩いている事に気付いた。

「……亀?」

「あ、本当だ。けど、何で? ここ、海からかなり離れてるのに。飼い主から逃げて来たのかな?」

 凰巳の言う通り、ここは海からは随分と離れている。見た所、甲羅の所に大きな切り傷があるが、歩ける所を見れば深くはないようだ。

 智咲はその場にしゃがみ、その亀を拾い上げる。

「え、持って帰るの? 飼い主が居たら……」

「けど、その飼い主もいつ戻るかわからんやろ。こんなちっこい亀一匹じゃ、見つからず死んでまうかもわからん」

 優しく包み持ち上げると、智咲は立ち上がって凰巳に反論する。

 傷は深くない。だが、そこから甲羅が壊死してしまえば、結局は死に至ってしまう。

「ここの志獅に言うて、亀探しとるようなら返すし。それまで預かるだけや」

「まぁ、それなら、いっか」

 智咲の言葉に納得したのか、凰巳は軽く笑ってそう言った。

「じゃ、戻ろう」

 そうして三人は東京へと戻る。


     十


 北陸の大地震から三日。あの日、戻った智咲たちと東李たちを四ノ宮の屋敷に集め、棗を上座に座らせて五人は棗の話に聞き入った。

 それは、智咲との電話で言っていた、「当て」の事だ。まだ推測の域を脱していない事なのでとても話せなかったと前置きをし、ゆっくりと話し出した。

「月之桜学園に、異質な妖気が微かだが感じられる。まだ調べられていないが、恐らく転入してきた四人に関係しているだろう。彼らが何者なのかわからないが、あまり深く係わらない方が得策だろう。もし術者と繋がっていれば、余計な情報を与えかねない。それが弱味となるか、強味となるかはわからないが、下手な事は出来ない。私が学校を休む間に調べ上げる。それが吉と出るか凶と出るかはわからないが、まずはそこから調べる。その間、お前たちには普段通り、学校と妖怪退治をやっていてもらいたい」

 そう棗は言い切ると、五人は驚いた顔を引き締め、一度ばかり深く頷いた。

 棗は自分で言った事を実行するため、しばらく四ノ宮の屋敷に寝泊りすると宣言し、転入生四人の素性を調べる事にした。

 調べると言っても、そう簡単に出来る事ではない。彼らがまず、何処の学校に通っていたのか、その辺りから調べる必要がある。幸い、四人の以前の制服を目にする事が出来ている。そこから辿る。棗は暇そうな各地の志獅を集め、調べるように告げた。

 今の棗では人と接触するにはあまりにも異質で、誰かの記憶に留められては困る。そうなれば調べられている事が何かの拍子にバレてしまう可能性も出て来る。

「結局他人任せになるんだよな……」

 兄の葵の事もそうだ。自分で探し出すのには限界があった。結局晴一や各地に散らばる陰陽師、東李や智咲に頼るばかりで自分では探せない。こういう時、自分の無力さが嫌と言う程感じられてしまう。

 棗は軽く頭を振り、今の自分に出来る事を思い返す。志獅たちが制服頼りに調べている間、棗は学園に散らばる異質な妖気の詮索をする。

 順風耳や千里眼がなくても、妖気を手探りする事くらいなら、距離がなければある程度は出来る。棗は屋敷を抜け、学園の人目のつかない時計塔へ潜り込む。仮定が間違っていないのなら、昼間の間、異質な妖気は学園内に留まり、授業が終われば外へ出る。その妖気を辿り、本拠地を探し出す。

 妖気を手探ると言うのは容易な事ではない。それも、広範囲となれば、それ相応の精神力と体力を奪われる。妖力を使うわけではないが、呪の浸食に不安がないわけではない。だが、やらねばどの道助からないのだ。呪なんかに構っている場合ではない。

 そうして異質な妖気を探っていると、一つ、見つける事が出来た。それ以外は上手く隠され、ほんの微量しか掴む事が出来ず、それも残り香程度のものだ。だが、今見つけた妖気は移動している。つまり、目的とする者が見つかったわけだ。

 棗はその妖気を逃がさないよう、しっかりと監視する。

 夕方になると、その妖気は外に出た。そのまま棗は時計塔に残り、精神力をすり減らして追いかける。すると、妖気は一度何処かに留まり、また移動した。それを何度か繰り返すと、夜も更け、真夜中に差し掛かった所で再び動き出した。

 棗の体にはボタボタと大量の汗が流れ、息も少し荒くなっている。体力と精神力が限界に近付いている。

 だが、この行動が最後だろう。今までと違い、動きが明らかに変わっている。素早い動きをした後、ぴったりと動かなくなった。

 棗は意を決し、時計塔を出ると、その妖気の場所を探し出す。あまり近づき過ぎてこちらの気配を気取られては厄介だ。ある一定の距離を置いて、大方の見当をつける。その場所は住宅地の一角。集合住宅がいくつかある場所だ。棗はそれだけを見ると、素直に四ノ宮の屋敷へと戻った。

 翌日、昼を回った頃、携帯電話が鳴り響き、そこから聞こえて来た声は東李だった。


     十一


 東李たちは普段通り登校する。唯一違うのは、棗が居ないと言う事だけ。五人の表情にはこれと言って棗を危惧するような表情はない。

 教室で普段通りに友人たちの会話を楽しんでいた凰巳だが、突如として教室のドアが開かれ、クラスメートたちは何事かとその方を見る。すると、そこには堀本が立っており、凰巳を呼びつけた。

「どうしたの、堀本ちゃん。そんな血相変えて……」

「上條先輩、四ノ宮さん、大丈夫なんですかっ!」

 傍に寄って来た凰巳のシャツを掴み、心配げな表情を見せて問いかけて来た。それを聞いた周辺の生徒たちがざわつき始める。その生徒たちは口々に「そう言えば最近、金原先輩静かだよな」「上條くんもあまり四ノ宮さんの所行かないよね」などと、相変わらずのメンバーの名前と一緒に棗を心配する声が聞こえて来る。

「ごめんね、棗今、遠い親戚の所に行ってるんだよ。何でも、その親戚に不幸があったみたいでね」

 凰巳は困ったように事情を話す。この創り上げられた理由は、五人が振り絞って出した棗の休学理由だ。親戚の不幸とあれば、それ以上突っ込まれる事もない。だが、生徒たちの声を聞いていると、普段通りにしているつもりでも、やはり無理が生じている事がわからざる負えない。

「不幸……それならいいんです……四ノ宮さん、ご飯をあまり食べてないみたいだったから、もしかしたら倒れてたりしたらと思っただけなので……」

「ありがとう、堀本ちゃん。棗は元気だよ。まぁ、俺たちは棗が居ない事でちょっと元気ないけど」

 ケロッとした表情で言う凰巳に、堀本は笑って見せた。

「何処が元気ないんですかぁ?」

「元気ないよぉ。だから堀本ちゃん、俺を慰めてくれる?」

「先輩の好きな金原先輩にしてもらってくださいよ」

 コロコロと笑みを浮かべる堀本。その堀本がもしかすると術者の一人かも知れないと言うのはあまりにも考えにくい。だが、棗が言うのだから、否定も出来ない。

「あ、そうだ、上條先輩。今一年のクラスでかなり噂になってるんですけど、これ、知ってます……?」

 そう切り出した堀本の話の内容は、あまり無視出来るようなものではなかった。


     十二


 昼休み、東李たちは凰巳の声かけによって屋上に集まっていた。

「それで凰巳、話って?」

 棗以外の全員が集まると、東李が話を促した。凰巳は一度頷き、ゆっくりと口を開く。

「今、一年のクラスでかなり噂になってる事があるらしいんだ。それが、お化けが出るって噂なんだけど……」

「お化けだぁ? んなもん、見間違いだろっ」

「虎鉄は黙ってて」

 凰巳の話を聞いて反発するように言う虎鉄を、ぴしゃりと東李が黙らせる。

「二年のクラスではそんな話聞かないから、多分、一年の階だけが起きてる事だと思う。実際、その噂が流れだしたのは棗が休みだした日かららしい。俺も驚いて前の休憩で行ってみたんだけど、薄らと妖気を感じた。何の妖気かわからないけど、もしかすると、一年生に危害が出るかも知れない」

 凰巳の話を聞いて東李が一度考える素振りを見せると、智咲を呼び寄せる。智咲は相も変わらず給水塔の方に上っており、顔をひょっこりと出すだけだ。

「智咲、さっきの話は聞いていたよね? 三年のクラスにもその噂は広がってる? ついでに中等部なども聴いてほしい」

 そう東李が問うと、智咲はしばらく黙ると首を横に振った。

「どうやら、本当に一年だけのようだね。どういう事だろう。棗が居なくなった事で、燻っていた何かの妖怪が動き出したと言うのかな」

「わからない。でも、可能性はなくもない。自分より強い妖気に怯えていたら、その妖気が姿を見せないから出て来たのかも」

「まぁ、とにかく、今夜調べてみよう。一応、棗にも報告はしておくから」

 東李の判断を聞き、全員が一度頷く。そして夜、出直す事になった。

 夜、満月が傾き始めた一時半頃。校庭に棗も釛釖を持って集まった。

「何で棗が来てんだよ!」

「一年だけにそんな噂が立っているんだ。気にならないわけがないだろう?」

 虎鉄の怒り交じりの問いに、棗は涼しい顔で答えた。それを聞いてそれ以上何も言えず、虎鉄は舌打ちをして顔を逸らす。

「それで、見当はついているのか?」

「一年の階に居る事はわかってるんだけど、どんな奴かまでは……」

 棗に問われ、凰巳が素直に答える。棗は「そうか」と一言零すと、東李に視線を向けた。

「それなら、一年の階を凰巳と虎鉄、それと哥白が調べてくれ。智咲は念のため二年と三年の階を。東李はここから見つけた妖怪の動きを探ってくれ。私は中等部の方を見て来る」

「一年の階にそんなにも人員がいるかな?」

「ま、念には念を、だな。哥白は二人の制御だが……出来るか?」

 東李の問いに、棗は肩を竦めて答え、哥白を見た。

「た、戦わなくていいのなら……」

「構わない。お前が無理をする必要はない。その為に相性は別として、凰巳と虎鉄を組ませるんだ」

 フッと笑んだ棗に、哥白は小さく頷いた。

「では、探し出そうか、そのお化けとやらを」

 棗の言葉に、全員が散り散りに持ち場へと向かう。東李は任された校庭からそれぞれの校舎を見張る。と言っても、その目的とする妖怪が見つからなければ仕事は始まらない。

 棗の言った配置はいつもながら適格と言える。凰巳と虎鉄は明らかな戦闘要員。そこに宛がう哥白は、明らかに二人の口論を招くが、二人を完璧に制御しようと思えば棗が行かなくてはならない。それは棗の負担になり、呪への影響を及ぼしかねない。その為、ある程度制御の出来る哥白を選んだ。智咲は舞い込んでいた妖怪を追うだけなら申し分ない。棗は中等部。噂は広がっていないが、同じ念を置くためであれば、棗一人でも問題はない。そして東李。いつもながら妖怪の動きを監視するためだが、それだけでも中々な労働だ。付け加えて戦闘となると少々骨が折れる。

 東李はそんな事を考えて校庭に立ち尽くしていると、フッと、人の気配を感じた。慌ててその方を見ると、一人の女子生徒が立っているのに気付いた。

「……栗原さん……?」

 満月の灯りでその生徒が誰なのかを認識させる。

「あら、麻木くん。あなた、どうしてここに?」

「いや、ちょっと探し物をね……。栗原さんは?」

「私は忘れ物を取りに来たのよ」

 柔らかな雰囲気で周りの空気すらも落ち着かせているようだ。東李は栗原の近くへ寄ると、再び問う。

「忘れ物? こんな時間にわざわざ?」

「ええ。とても大事なものなの」

 にこやかな笑みに気を取られていると、突然、腹部に激しい痛みが走る。何が起きたのかわからず、東李は自分の腹に目を向ける。すると、そこには根深く刺さったナイフの柄が見える。

「栗、原さん……?」

「ごめんなさい、麻木くん。あなたたちを叩くには、今しかないのよ」

 ポタリと地面に血が垂れる。痛みで意識が混濁する。

 このナイフは、どれくらいの長さがある? 内臓まで行かなければいいのだが……。

 混濁しながらも東李はそう考える。だが、限界も近く、膝から崩れ落ちた。

「東李っ!」

 そう声がした。この声は、智咲だ。ゆっくりとその声が聞こえる方に頭ごと目を向けると、血相を変えてこちらに向かって来ている。

「ふふっ、もう一人……」

 そう囁くように聞こえた栗原の声に、東李は声を荒げる。

「来るなっ、智咲っ!」


     十三


 一年のクラスがある階で、凰巳と虎鉄、そして哥白は辺りを見回しながら歩く。だが、妖気の気配は感じられるものの、それらしき姿は一切見えない。

「おい、凰巳、何処に居るんだよ、その妖怪」

「わからないから探してるんでしょ? 虎鉄さん、もうちょっと真剣にやってよ」

 面倒臭いと言わんばかりに言ってくる虎鉄に、凰巳はため息交じりに言う。それが虎鉄の怒りの片鱗に触れたのか、ピタリと動きが止まり、睨みつけて来る。

「あ? 何でテメーに指図されなきゃならねぇんだ?」

「ちょ、ちょっと、お兄ちゃん……っ!」

 哥白は慌てて虎鉄の腕を引き、何とか抑制しようとする。

「指図とかじゃなくて、これは一つの任務なんだよ? 棗が居ないと真剣に出来ないとでも言うわけ?」

 哥白の思いを無視するかのように、凰巳がそう言うと、より一層虎鉄の表情が険しくなる。

「何でそこで棗が出てくんだよ! 関係ねぇだろうがっ」

「虎鉄さん、いつもそうだよね。棗が見てないとそうやって面倒臭がる。この仕事、舐めてるといつか死ぬよ?」

「あ? もっぺん言ってみろやっ!」

 哥白の制止もむなしく、虎鉄は凰巳の胸倉を掴み上げる。哥白は慌てて虎鉄の腕を引っ張るが、力の差が大きく、中々手を離さない。

 ふと、せせら笑う声が哥白には聞こえた気がした。ハッキリと聞こえたわけではない。もしかしたら風の音だったかも知れない。だが、二度目のその声で、それが風ではない事がわかる。

「ふふっ……」

 哥白は踵を返し、その声がする方を向く。その先は月明かりも届かない廊下の角。誰かが立っているのはぼんやりとだが見える。

「……誰?」

 哥白の動きに気付いた凰巳と虎鉄は言い争うのをやめ、哥白の向く先に視線をやる。

「やだ、私よ、金原さん」

 スッと躊躇いもなく表れたのは、同じクラスの沼津。その姿を見て哥白は一瞬高みへ上った緊張を一気に解く。

「沼津さん……どうしてここに?」

「ちょっと、忘れ物をしちゃって」

 困ったような表情でこちらまで歩み寄ってくる。すると、虎鉄が哥白の腕を引き、後ろへと回した。そして虎鉄と並ぶように凰巳が前へ出る。

「あら、上條くんと金原先輩。こんばんは」

 ふわっと柔らかい動きで沼津は頭を下げ、挨拶をする。だが、凰巳も虎鉄もジッと沼津を見るばかりで反応はしない。

「あら、私は嫌われているのかしら……」

 右手を頬に当て、小さく首を傾げながらそう言ってみせる。

「まぁ、いいわ。そろそろ忘れ物を取りに行かないと。ね?」

 ニコッと沼津が微笑んだ瞬間、哥白の背中に激しい痛みが走り、痛みから悲鳴が上がる。それを聞いた凰巳と虎鉄は驚き、哥白の方を向くと、背中がザックリと斬られている。そこからはダラダラと血が溢れる。

「言ったじゃない、加減しなさいって」

 そう声が聞こえ、哥白たちは沼津の方に目を向ける。沼津の隣には体格のよい人が、右手の指先を血に濡らして立っていた。

 何処から現れ、どうしてそこに立っていて、何故哥白の背中が斬られているのかがわからない。

「コレ、私のペットなの。可愛いでしょう?」

 そう言ってせせら笑う沼津だが、目が一切笑わず、随分と冷え切っていた。


     十四


 棗は中等部の一階を見終わり、二階へ向かおうと階段を上がっていた。

 お化けが出たくらいでわざわざ棗が出向く必要はなかった。だが、まるで誘われているような気がしたのだ。

 あまりにも偶然過ぎる。棗が休み始めた時期とほぼ同時に、お化けなどと言う不確定な噂が、それも一年のクラスだけに出回っていると言うのが。しかもこの噂は、晴一は認知していないと言う。更に言えば、棗が通っている間、一年の階に妖気や霊気などと言ったものは一切感じられなかった。気付いていれば退治するなり、追い払うなりやっている。

 本当は一年の階を回りたかったが、肩の事もあり、自ら出向いたら東李がうるさく文句を言うだろうと思い、自粛した。

 念には念を、と言う事で中等部を見回りに来たが、ざっと中等部全体の妖気を探った感じでは何も居ない。やはり、噂は噂でしかなかったと言う事なのだろうか。

 棗が階段を上り切ろうとした時、コロコロと何かが目の前に転がってきた。

「……ボール?」

 それはサッカーボールのようだった。何故、そんな物がここで独りでに転がっているのか。まさにお化けの仕業と言う事なのだろうか。

 階段を上がり切り、そのボールを手に取る。その瞬間、ブワッとボールが転がってきた方から強い妖気を感じ取った。棗はすぐにその方を向き、身構える。

「あっ、棗さんだぁ!」

「四ノ宮さん……」

 そう言う声には随分と聞き覚えがあった。

「……久田くんと、堀本さん……。その後ろに佇む奴は、巫蠱かな?」

 並んで立つ久田と堀本。そして夥しいほど溢れる妖気をまとう人物。

 推測は、間違っていなかったと言う事か。

「まぁ、みえみえだったよね? 転校生が一気に四人。しっかも各学年ってさ。うちの主様も頭悪いんだからっ」

 ケラケラと笑って見せる久田。棗はジッと三人を見据えるばかりで何も言わない。

「あ、紹介が遅れたね。こいつは、旧鼠(きゅうそ)の巫蠱だよ。よろしくねっ」

 旧鼠。その名を聞き、棗は眉を顰める。

 旧鼠は妖怪としてはさほど強いものではない。だが、その生態は異様で、猫を育てては食い、人間に害を及ぼす。体が六十センチメートル、尾も六十センチメートルと言う、通常よりもかなりの大きさを持っている。そして天敵であるはずの猫をも喰らう獰猛さ。それが巫蠱となり、今目の前に佇んでいる。

「……一筋縄では行かなさそうだな」

 軽く息を吐き、口角を吊り上げて見せた。

「勝つ気でいるっ! 絶対無理だって! ねぇ、堀本さんっ」

「うん。四ノ宮さん、その黒い痣は、呪よね? 私たちの主が仕掛けた呪に染まって、侵食している。護符を張って凌いでいるようだけど、力を使えば一気に侵食し、命はないわよ」

 堀本は目を細め、棗の首から顔に侵食しかけた呪を見つめながらそう言って見せた。しかし、棗は軽く肩を竦め、手に持っていたボールを堀本たちの許へ投げ転がす。

「力なんて、必要だろうか?」

 フッと、まるで嘲笑うように笑みを見せる。

「ムカツクーッ! 旧鼠、やっちゃえっ!」

 後ろで佇むだけだった、旧鼠の面影を無くした巫蠱が軽く頷いた。その瞬間、旧鼠は堀本たちの背後から消える。何処へ行ったのかと思う間もなく、右横腹に激痛を感じ、体が横へ振られる。体を廊下の壁に打ち付け、痛みに身じろぎ、自分が立っていた場所に目をやると、そこに旧鼠が立っている。

 堀本たちから棗の立っていた位置は、およそ十メートル先。その距離を一瞬にして詰め寄り、攻撃してきたと言う事か。

「ハハッ……本当、一筋縄では行きそうにないな」

 釛釖を杖にして立ち上がり、鞘を抜いて構えて見せた。この状況下、誰と対峙すればいいのかわからない。だが、今は目の前にいる旧鼠を優先すべきだろう。完全に変化してしまった巫蠱だ、簡単に行くわけがない。

「さぁ、始めようか」


     十五


「来るなっ、智咲っ!」

 滅多に叫ぶ事のない東李が叫び、智咲を制止させる。その東李は腹部からポタポタと血を垂らし、眉を顰めてこちらに目を向けている。

「何で……何でやのっ!」

「っ……大丈夫、僕なら、大丈夫だから」

 ゆっくりとした動作で東李は立ち上がって見せた。だが、息をするのに肩を大きく動かしている。足も力が入り辛いのか、僅かに震えているのが見て取れた。

「本当、柳浦さんは麻木くんの事が好きなのねぇ?」

 智咲が突然現れた事に驚く様子もなく、栗原はニッコリと微笑んで見せる。それが智咲の怒りを逆撫でした。

「許さん……」

 智咲はそう呟くと走り出し、栗原を殴りつけようと振りかぶる。だが、その瞬間左側から強い衝撃を受け、体ごと飛ばされてしまった。何が起きたのかわからなかった。智咲は体全身で着地する前に体制を整え、砂埃を巻き上げて足で滑りながら着地する。

「ダメじゃない、狒々(ひひ)。女の子は大事に扱わなくてはダメよ?」

『すまん……』

 栗原が向く方には、二メートルは越えているだろうと言う大柄な男が立っている。

 いつの間に。先程までは誰も何もなかった場所に、音もなくいつの間にかその男が現れていた。一体何処から現れたと言うのか。

「狒々、やと……」

 妖怪の知識は豊富だと自負しているが、今目の前に居る狒々と呼ばれた妖怪は、あまりにも姿が違う。

 狒々はゴリラ以上に大型な猿の妖怪。とても獰猛で、人間の女性を好んで襲い、人間を見ては笑う妖怪のはず。それが人と変わらぬ姿で佇み、冷静にも言葉を理解している。

「私を許さないのなら、まずはこの子を倒してからにして頂戴?」

 そう言って笑む栗原の姿があまりにも苛立たしい。立つだけでやっとの東李は苦しげな表情をしてこちらを見つめ、何かを言いたげにしている。

「私やったら大丈夫や。こいつを倒して、そこに居る女をぶっ倒すっ!」

 そう言うと智咲は腰に忍ばせていた短刀を引き抜き、狒々と呼ばれた男へと立ち向かう。だが、狒々の強さは異常そのもの。動きは素早く、一撃がかなり重い。まともに受ければ骨の二、三本は簡単に折れる勢いだ。

 智咲は眉を顰め、乱れ突く狒々からの攻撃をギリギリで交わすのに必死で、こちらから攻撃するなどと言う余裕が全くない。せめて、水場が近くにあればもう少しは戦いやすいのだが、あるとしても水道くらいだ。そこから水を引くのには時間がかかりすぎる。東李と二人係りであれば、もう少しは攻撃しやすくなるのだが。

 そんな事を考えていると、眼前に狒々の拳が迫っていた。


     十六


「この子はね、虎猫と言って、とても可愛い猫なのよ」

 そう言って隣に立つ人の頭を軽く撫でる。

「トラネコだぁ……?」

 あまり聞いた事のない名前に、虎鉄が言葉を漏らす。

「聞いた事があるよ。虎猫は全国に散らばり存在していて、それぞれの持つ特性は個々によって違うんだ。だから、これと言う明確な特性がなくて、彼女の言う虎猫の特性はわからない……」

 凰巳が反応して説明すると、沼津がクスリと軽く笑う。

「特性が知りたければ、戦って知る事ね。わざわざ教えてあげる程、私は優しくないわよ?」

「言われなくたって……わかってるよっ!」

 沼津の言葉に反抗するように、凰巳は声を上げて得意の炎を用い、沼津、虎猫に向かって放つ。だが、虎猫は当然の事、沼津にも軽く避けられてしまう。

「ちっ、すばしっこい奴らだな。凰巳、お前はあの沼津とか言う奴を哥白と一緒に捕まえろ。俺はあっちのを倒す」

「了解っ」

 口論していたはずの二人だったが、状況が状況なために、言い合う事もなく虎鉄の指示通り、凰巳は哥白と協力して沼津を追う。

「背中は大丈夫、哥白ちゃん」

「うん……痛みにもだいぶ慣れて来たよ」

 ザックリと斬られた痛々しい背中に凰巳は眉を顰め、哥白は無理矢理笑みを作って見せた。

 沼津を追うと、校庭へと出てきた。するとそこには大きな人物と、見た事のある顔が、東李と智咲の二人と対峙していた。

「どうなってるんだよ……」

 思わず漏れる言葉。現状を理解しようとした所で、大きな人物によって智咲が吹き飛ばされていた。

「智咲さんっ!」

「上條くんは私が相手でしょう?」

 まるで囁くように耳元でそう声がし、凰巳は慌ててその方を向くが、誰も居ない。だが、その後方、哥白が居るはずの所で、沼津が哥白の首に己の爪を立てていた。

「余所見はダメよ、上條くん。大事な大事な金原さんが死肉と化しちゃうわよ?」

 プツリと哥白の首に爪が刺さり、一本の縦筋を作って血が垂れる。

「迂闊よねぇ、この子をこんな場所に連れてくるなんて。あなたたちの指導者は頭が悪いのかしら?」

「棗ちゃんの事を悪く言わないでっ!」

 沼津の言葉に反応し、哥白が声を荒げて言うと、刺さった爪にグッと力が入る。その瞬間、哥白の表情が険しくなった。

「あなたは黙って人質になっていればいいのよ、金原さん。あなたのお兄さんは時期に完璧となった巫蠱の虎猫にやられて餌になるわ。その次は上條くん。そして最後はあなたよ、金原さん」

 完璧となった巫蠱。その言葉を聞き、哥白だけでなく、凰巳まで血の気が引くような、ザァッと言う音が聞こえた気がした。

 瞬間、激しいガラスの割れる音が聞こえ、その方を見ると誰かが校舎から飛び出してきていた。攻撃によるものなのか、退避によるものなのか判別がつかないが、その誰かは虎鉄だった。砂埃を巻き上げ、虎鉄が校庭で踏み止まると、割れた所から虎猫が飛び出してきた。素早い動きに合わせ、攻撃も早い。虎鉄は苦戦を強いられている様子だった。

「くそっ……」

 凰巳はどうすればいいのか考えた。だが、いい答えが見つからない。今自分が動けば哥白の身が危険に晒される。ただでさえ現時点で危険だと言うのに、これ以上危険にさせるわけにはいかない。かと言って、離れた所で攻防を繰り広げている東李たちに助けを求める余裕もない。

 ――何を悩んでいる。我を出せばいい。

 脳内にそう言葉が木霊した。それは紛れもなく聖禽の声。凰巳は眉をグッといつもより一層顰め、首を振る。

 ――手段を選んでいる暇などなかろう。

 聖禽の言葉が魅力的に聞こえてならない。このまま語らせていれば、心が揺らぎ、精神を持って行かれるかも知れない。

 凰巳は首が取れるかも知れない程強く大きく横に振り、哥白を人質にする沼津を見つめる。

「あら、私を攻撃するつもりなのかしら?」

 されるわけがないと言う自信からか、憎たらしい程微笑んでいる。その彼女の腕の中に哥白が困惑した表情でこちらを見つめていた。

「……哥白ちゃん、すぐ、助けるからね」

 凰巳はそう言って笑むと、地面を蹴った。


     十七


 速すぎる旧鼠の攻撃。一つ一つは軽いが、一度に十発以上の攻撃を仕掛けてくる。棗は釛釖と己の素早さを駆使し、何とか避けるが、一、二発は体をかすねる。

「あー、面倒臭い」

 押され気味な事に加え、こちらからの攻撃は簡単に避けられてしまう。能力を使う事は許されず、相手の動きを止める事も出来ない状態では、勝てる要素を見い出せない。

「棗さん、ギブアップする?」

「ちょっと黙ってな、久田くん」

 横槍を入れるように、うずうずと体を揺らしながら笑む久田に、棗はピシャリと言い放つ。

 完全なる巫蠱なだけあって、素早さは尋常ではない。元々旧鼠だ、素早さはそれなりにあっただろう。だが、巫蠱となった今、その倍以上の素早さで対峙している。通常なら精々二、三発なのを、一番多くて十七発は突いてくる。釛釖だけで裁くのはさすがに厳しく、気が付けば服があちこち破れているではないか。

 棗は旧鼠と距離を置くと、破れた個所に目を向け、軽く溜め息を吐く。

「ふ、む……」

 よく見れば、破れている箇所が集中している。左半身を中心に攻撃を食らっているのがわかる。これは自分の鈍臭さが原因なのか、はたまた旧鼠の癖なのか。

「さっさとやっちゃえよ、旧鼠! 呪を増やせばすぐに終わるんだから!」

 呪を増やす。棗は言っている事が理解出来なかったが、旧鼠は一度頷き、こちらへ向かってくる。意識して攻撃を受けて見れば、やはり左半身を重点的に攻められているのがすぐにわかった。

「呪を増やす、ね……」

 元々、左肩には京都の時に仕込まれた呪が存在する。今は護符で押さえつけられているが、今まで放っておけば全身まで回っていたのは間違いないだろう。つまり、この護符を剥がすのが目的か、はたまた新しく呪を流し込もうと言った作戦なのだろう。

「ハハッ……そう言う事か」

 久田の失言により、意図が見えた気がした。そうとなれば、それの対策を練ればいいだけの事。棗は乱れ突く旧鼠の攻撃を外へと逃がし、やむを得ない場合を除き、体をかすらせる。

 旧鼠の攻撃は単純だ。ただただひたすらに鋭くした爪を使って乱れ突く攻撃してくるだけだ。わかってはいるのだが、素早すぎるのが難点。何かでこいつの動きを止めるとまで行かなくても、一瞬でも鈍らせる事が出来たら、すぐにでも終わらせる事が出来るだろう。とは言え、ここは中等部校舎の廊下。何があるわけでもなく、閑散としている。

 ふと、目に留まったものがあった。それは、各廊下に最低一本は常駐してある消火器。消火器には種類があるが、学校に置いてあるものは大抵、粉を使ったもの。棗は軽く笑みを作り、その消火器がある所まで、旧鼠の攻撃に耐えながら誘導し、向かう。

 何とか近くまで来たのはいいが、やはり消化器を手に取るまでの余裕が与えられない。すると、消化器に意識を取られ過ぎたのか、向かってくる旧鼠の乱れ突きを五発、腹部に直撃した。勢い余って廊下の端へと飛ばされ、背中で床に着地する。肺の酸素が一気に外へと排出され、息が上手く出来ずに咳き込んでしまう。その間にも旧鼠は出来た間を詰め、マウントポジションを取って襲い来る。


     十八


 狒々の拳が迫る。防御が間に合わない。すると、突然目の前に何かが現れた。狒々の拳が何かにぶち当たり、草木の揺れる音が間近に響いた。それは、一本の太い木だった。

「っ……それは(けやき)だから、そう簡単には折れないよ」

 ふらりと立ち上がり、東李の息苦しげな声を出す。

 欅は昔から家屋、家具に使われる木材。年輪が樒なほど木と言うのは固さを増す。更に、欅は強靭性と耐久性に優れている。一発程度の攻撃を凌ぐのには十分だ。

「東李っ……傷はっ」

「深いけど、平気だよ。急所じゃない」

 刺さったナイフをそのままに、東李は笑んで見せる。ナイフを抜けば出血が止まらないのは明白。今でさえ出血しているのに、これ以上増やす意味がない。

 ついさっき、校舎の窓ガラスをぶち破って虎鉄が出て来るのが視えた。攻撃的な虎鉄が退避してくると言うのは相当珍しい。また、哥白が人質に取られ、凰巳の身動きが取れない状態だ。ここまで来ると、棗にも同じように敵が現れているだろう。あまりこの戦いを長引かせるのは得策ではない。

「智咲、よく聴くんだ」

 東李が囁くように口を動かす。すると、智咲は狒々と対峙しながら小さく頷く。

「虎鉄や棗たちにも危険が及んでいる。この状況を長引かせるわけにはいかない。ざっと視ると、久田と堀本が棗の所へ行っている。更に狒々のような何かを連れているようだ、棗は劣勢になっていると思う。棗を助けるためにも、すぐに終わらせるよ」

 東李の言葉に智咲は大きく頷くと、周辺から掻き集めた水で狒々と対峙している。

「……栗原さん、君たちの望みは何だい? これだけの事をしているんだ、何かあるはずだろう」

 傍に立つ栗原に、東李は問いかける。すると、栗原はニッコリと微笑み、口を開いた。

「あなたたち志獅の破壊と、陰陽師の破壊よ。私たち、陰陽師が大嫌いなのよね。私たちの親は陰陽師に滅され、人間の親には先立たれ、孤児となった。全て、あなたたちが悪いのよ」

 笑みを浮かべたままそう正直に話され、東李の中に新たな疑問が浮上した。

「人間の親……君たちは半妖なのか?」

「そうよ」

 東李の問いに、栗原は間髪入れず答えた。その答えに、驚かずにはいられなかった。

 まさか、自分たち以外に妖怪と人間の子が他に居たとは知らなかったからだ。まして、未だにそのような状況が起こりうるなど、想定外。この事は、志獅の頭首である棗や、陰陽師当代の晴一は知っているのだろうか。もし、このような半妖が彼女たち以外にも存在するとすれば、今回だけでは済まない事になる。

「本当、憎らしいわね、その顔。全く知らなかったと言わんばかりじゃない。私たちと同じ半妖だと言うのに、あなたたちはぬくぬくと育ち、私たちは地獄のような日々を送ったわ。これを許しておけるかしら?」

 もし、自分が彼女たちと同じ状況なら、きっと許せるわけがない。生まれ落ちた場所が悪かったのは承知の上だが、同じ半妖が差別を受けるような状況であれば、志獅や親である妖怪を滅する陰陽師を許しておけるはずがないのだから。

「陰陽師はこの事を知っているわよ。晴一とか言ったかしら? 彼は幼い頃に当時の当主と一緒に私たち家族の所へ来たもの。そこで父である妖怪を笑みながら滅し、半妖である私と、人間の母を残して去って行ったわ。その頃の私は妖力はあるものの、父と同じ力をまだ使う事が出来なかったから見逃されたのね。でも、それでも、父と慕っていた人を殺され、恨まない日なんてなかったわよ」

 栗原の言葉が突き刺さる。何とも言えない思いが込み上げるが、同情していては彼女たちを倒す事など出来ない。その刹那、智咲の悲鳴が聞こえた。栗原から目を放し、智咲の方へ目を向けると、智咲が盛大に吹き飛ばされ、校庭に張られたフェンスへと突っ込んでいた。

 どうすればいいのかわからない。いや、わかっている。ただ、彼女たちを倒せばいいだけの事だ。だが、躊躇いが見え隠れする。本当にこのまま倒してしまっていいのだろうかと言う躊躇いだ。しかし、今の彼女たちは話し合った所で理解してもらえる余地はないだろう。

「……栗原さん、志獅や陰陽師を破壊した所で何も変わらないよ」

「わかっているわ。これは私たちの復讐。その先の事なんてどうでもいいもの」

 期待さえ抱かせてもらえない。智咲は狒々との戦いに苦戦を強いられているようだ。当然だ、彼女は攻撃に向いていない。だが、今は彼女に頼るしかない。

 少しでも彼女たちから逃れられる方法があれば……。

「……智咲、濃霧は作れるかい……」


     十九


 虎猫の素早さは並み以上の物を持っている。こちらからの体術を駆使した攻撃は簡単に受け止められ、流される。時折そのまま腕を掴まれ、腹部に二、三発殴られ、同時に体内に電気のようなものが流れて一時的に体が麻痺する。その隙を突かれて連打的に全身を攻撃されてしまう。殴る、蹴る、引っ掻くは当たり前。加えてパリパリと音をさせて電気のようなもので体を焼いてくる。

 校舎から飛び出した時、哥白の姿が見えた。沼津とか言う女に捕まり、首に手をかけられていた。哥白の身が危険に晒されているのは明白だった。

「ちっ、手段は選ばねぇって事かよ」

 虎鉄は眉を顰め、ポケットから手袋を出して両手にはめると、次は一本の透明な瓶を取り出した。中には銀色の液体がタプンと音をさせて入っている。ビンの蓋を開け、中身を右手に零しながら垂れ流す。

「汞……クレイモア」

 右手から零れ落ちた液体がスルスルと逆再生するかのように虎鉄の右手へと戻り、一つの形を模って行く。そして現れたのは、全長二メートル程あり、刃幅が三十センチメートル程ある、銀色の大きな剣。

「ったく、久々だぜ、これを出すのは。大体、汞ってのは水銀だからな、テメーみたいな電気野郎には使いたくなかったんだが、こっちも手段を選んでられねぇからな」

 一刻も早く倒し、哥白を助けに行かなければならない。

 汞、もとい水銀は常温、常圧では凝固しない金属元素。金属であれば電気を通すし、下手すれば虎鉄自身の命も危なくなる代物。

 だが、虎鉄は重量感のある大剣、クレイモアを軽々と振るい、切っ先を虎猫へ向ける。虎猫は玩具が玩具を持ち出したと思う程度に表情を変えない。

 虎鉄は軽く舌打ちをすると、地面を蹴り、クレイモアを振り上げて虎猫に振るう。ヴォンッと言う風切音を響かせ、虎猫の首を狙った。だが、虎猫の素早さが勝ち、寸での所で交わされてしまう。この素早さをどうにかしなければ、こちらの攻撃は一つも通らない。虎鉄はクレイモアの一部を取り除き、虎猫に向けて投げつける。当然、そんな単純な攻撃は避けられ、投げつけた汞は地面へと散らばる。虎鉄は構わず虎猫に突っ込み、クレイモアで乱れ突く。だが、予想通り全て避けられ、尚且つクレイモアを通して電気が送り込まれる。

『………?』

 電気を流したはずだが、虎鉄は何の反応を見せない。今までであれば、麻痺をして動きが一時的に止まっていたと言うのに、不敵にも笑みを浮かべていた。

「お前も相当頭が悪いんだな。俺が何で手袋をしたのかわかってねぇのか?」

 虎鉄の言葉に、虎猫は怪訝にして見せる。

「今時の手袋ってのはな、伸縮性を持たせるためにゴムやビニールが使われてるんだよ。まぁ、俺はこのクレイモアを使いやすくするために着けてるだけだがな。とは言え、ちっとも利いてねぇわけじゃねぇ。多少通電による痛みはあるが、さっき程じゃねぇよっ」

 そう言い切るが早いか、虎鉄は虎猫の足を狙って横へクレイモアを振るった。虎猫は飛び上がり、後方へと逃れる。地面へ足を着けた途端、ガシャンと言う音が二つ聞こえる。

「ま、古典的な罠って奴だ。確かそれの名前、トラバサミって奴だったか?」

 それは狩猟で使われる、ばね仕掛けで二つの金属板を使って捕獲する、日本では禁止されている罠だ。それが虎猫の両足にそれぞれかっている。

『これ……さっきの……』

「ご明察。さっき投げた水銀だ。金属は俺の得意分野だ。水銀となればいとも簡単に操る事が出来る。お前が何処へ逃げようと、その足下にはそいつが居る事を忠告してやるよ」

 虎鉄は不敵な笑みを浮かべ、身動きが取れなくなった事をいい事に、一気に虎猫までの距離を詰めてクレイモアを振るい上げる。


     二十


 ドゴォッと言う音が聞こえると、堀本と久田は、旧鼠が棗を仕留めたのだと笑みが零れる。だが、体を揺らして旧鼠は焦っている様子を見せている。その瞬間、旧鼠は体を大きく横に振られ、棗が起き上がった。

「さっきのは、正直やばかったな」

 勢いよく棗へ突きを入れようとしたまではよかったが、それを交わされ、その攻撃が床へ突き刺さり、旧鼠の右手が抜けなくなったようだ。

「木造校舎ならすぐにでも抜けただろうが、残念ながらコンクリートだ。そう簡単には抜けないよ」

 軽く息を吐いて立ち上がってそう言うと、メキメキと異様な音が聞こえて来た。見れば旧鼠が強引に腕を引き抜こうとしているのがわかる。

「仕方ないな、手伝ってやるよ」

 ピッと振るわれた釛釖により、旧鼠の抜けなくなった右腕が肩から斬り離される。その事に旧鼠は表情を歪める事無く、ボタボタと血を滴り落とし、棗に対峙してくる。取り残された旧鼠の腕は、ドロリと溶け、黒い液体になった。

「再生は出来ないのか。それはいい事を知ったな」

 京都で出会った巫蠱は体を作っている最中だったために、再生を容易としていたが、完璧に体が出来上がった今は違うようだ。だが、不安がない訳ではない。もし、ここで妖怪が現れ、それを喰われでもしたら、再生してしまうかも知れない。そうなる前に倒す。

 左腕だけとなった旧鼠は、臆する事無く棗へと向かってくる。だが、片腕がなくなった今、先程までの攻撃性が弱まった。確かに素早さは変わらないが、両手で十発以上だったものが、今や五発が限度。それでも多いが、捌き切り、攻撃を仕掛ける余裕が出て来た。

 棗は攻撃を捌いてはこちら側からも仕掛け、左腕を徐々に斬りつける。そして、左頬を旧鼠の突きがかすねた所で棗は釛釖を横に寝かせたまま振り上げる。伸び切った旧鼠の左腕は格好の餌食。ズブリと旧鼠の二の腕に刃が入り、そのまま釛釖を振るう。肉を断ち、骨を断ち、ゴトッと旧鼠の左腕が床へと落ちる。それも右腕同様、黒い液体と化した。

「なっ……何やってるんだよ!」

「やっぱり旧鼠くらいじゃダメかぁ……」

 諦めの声が聞こえて来る。事実、もう旧鼠は攻撃する事が出来ない。だが、足は生き残っている。素早さだけは残り、残り一太刀と言う所で旧鼠は逃げ惑い、隙あらばと蹴りを見舞ってくる。

「面倒臭いなぁ……」

 能力は使えない。使いたくてもこの場所では使いようがない。まして、呪の事もあり、無暗にも使えない。

 棗は再び消化器へ目を向ける。逃げるだけとなった旧鼠にはこれで足止めをするしかない。すぐに棗は消火器を取ると、旧鼠ではなく床一面に向かって全て噴射した。それにより、床にはピンク交じりの白い粉が敷かれる。その状態で棗は旧鼠に釛釖を振るって対峙する。棗の意図がわからない旧鼠はひたすらに逃げる。だが、消火剤が撒かれた所に足を置き、再び逃げようとした瞬間、足を取られ、その場に倒れ込んだ。立ち上がろうと体を動かすが、妙に滑って立ち上がれない。

「消火剤って言うのは、シリコーン処理がされていて粉が固まらないようになっているんだ。つまり、常にサラサラで滑りやすくなっているわけだ。これでようやく終われるよ」

 足下に細心の注意を払いながら棗は消火剤に足を踏み入れ、倒れる旧鼠の許へと歩み寄る。パクパクと旧鼠は何かを言いたげだが、棗はニッコリと笑んで釛釖を振り上げる。

「聞こえないな」

 ズブリと旧鼠の喉元に突き刺した。しばらく旧鼠は悶えていたが、動きが止まるとじわじわと黒い液体へとなっていき、消火剤に紛れていった。

「私さ、昔から面倒事って好きじゃないんだよね」

 釛釖についた黒い液体を払いながら、棗は堀本と久田へと近づいていく。

「さっさとあんたたちの主を連れておいで。そうしたら助けてやらなくもない。でなければ、君たちを殺さなくてはならない」

 チャキッと切っ先を二人へ向ける。だが、久田は嬉しそうに笑むばかりで、堀本は困ったようにしているばかりだ。棗は軽く肩を竦め、口を開く。

「あんたたち、半妖だろ? 学校では上手く隠されていて気付かなかったよ。私たちだって情がないわけじゃない。それは堀本さん、あんたなら何となくわかるだろ? 助けるって言うのは、ただ命拾いさせるわけじゃない。私たち、志獅へ迎え入れると言う事だ。生活は保障する。どういう経緯でこうなっているのかわからないが、私たちは人間でもあるあんたたちを殺す義務はない」

 そう言うと棗は釛釖を降ろし、ジッと二人を見据えた。

 半妖と言う存在は、自分たち以外に居ると言う事を一度、聞いた事があった。それは両親や当主になる前の晴一、そして兄の葵から。幼心にもその半妖たちをこの志獅へと招き入れるんだと言う意思を持っていた。それは、今も変わらない。

「私は正直、半妖なんて言うのは貴重な存在だと思っているよ。だが、その存在は人間と妖怪自身には受け入れられない存在でもある。けれど、半妖同士なら違うだろう? お互いを受け入れ、尊重出来る。傷の舐め合いだと言われてしまえばそれまでだが、お互いを必要と出来るはずだと思っている」

 珍しくも棗は淡々としながらもよく話す。すると、堀本が一歩後ろへ引いた。それに気付いた久田がチラリと堀本に目を向けた。

「逃げるの?」

「ち、ちが……」

「本当、あんたは可愛くないよね。棗さんに温情をかけられて動かされてる」

 久田が無表情に堀本を責めたてる。堀本は首を何度も振り、違うと言い続ける。

「忘れたの? 僕たちの親は、あいつら志獅に殺されたんだよ? それなのに、許せるわけ?」

「忘れてないよっ!」

 久田の言葉に、間髪入れず堀本が叫ぶ。棗は久田の言っている事の真実を知らない。口を挟める状況ではない事から、ジッと黙って見つめる外なかった。

「……じゃあ、あんたが次、戦いなよ。中途半端な事したら、僕が……」

 堀本は眉を顰め、一度棗を見ると、小さく頷いた。久田の前に出ると、堀本は目を閉じて息を深く吸い、吐く。ゆっくりと開けた堀本の目には、戸惑いを見せるような色はなく、彼女の中に隠された妖気が徐々に露わになって行く。妖気が溢れると共に、彼女の背後に三本の太く毛深い物が現れた。棗は軽く舌打ちをして堀本たちからある程度の距離を取る。

「……私は九尾の狐と人間の半妖。母の恨み、晴らさせてもらうよ、四ノ宮さん」

 三本の尾を使い、尾先にパキパキと氷の塊が創り上げられる。三つの氷を一つに合わせ、大きな固体にしていく。直径七十センチメートルはある氷の塊を作ると、それを躊躇いなく棗へと投げつける。一つだけなら避けられる。棗は向かってくる氷塊から身を翻して避けて見せた。だが、その塊は一つだけでなく、早い速度で生成され、いくつも投げつけて来る。棗は釛釖で氷塊を斬っては壊し、避けて行く。単純な攻撃ならば、簡単に避けられる。そう思っていた。

「結っ……浮、飛っ!」

 そう堀本が叫ぶと、斬ったはずの氷塊がまるで生きているかのように切り口を合わせて元の姿に戻ると、浮かび上がり、棗に向かって飛び出した。想定外の事に棗は防御が遅れ、いくつかの氷塊を正面から受けた。その勢いで窓へと飛ばされ、窓を破って外へと投げ出された。棗たちが居た階は二階。地面へ着地するにはいくらかの高さがある。また、空中では防御が取りにくい事をいい事に、堀本の攻撃の手は止まらなかった。氷塊が、宙に浮かぶ棗の体を地面に叩きつけるように降り注ぐ。一気に地面へ叩きつけられ、追い打ちをかけるように氷塊が襲う。氷塊が治まると、棗は激しく咳き込み、ゆっくりと立ち上がって口の中に溜まった血を吐き出した。

「旧鼠も中々だったけど、やっぱり強いね」

 口角から垂れた血を指先で拭い取ると、棗はぼやくように言った。


     二十一


 東李の意図がわからなかった。ただの目暗ましなのだろうが、どれだけの範囲を囲めばいいのかわからない。すると、激しい音を立てて、今度は中等部の方から誰かが飛び出してきた。遠くて誰なのかはわからない。だが、中等部は棗が向かった所だ。棗かも知れないし、同じように巫蠱かも知れない。

「……僕たちの部分だけでいい。今のままじゃ不利だ。態勢を立て直すよ」

 激しい物音に気を取られていると、東李の声が聞こえ、智咲は頷いた。狒々からの攻撃は一つ一つが重すぎる。また、錯乱しているのではないかと思うほど攻撃はでたらめで、何が次に出て来るのかなど予想を立てる事が出来ない。智咲はひたすらに避けるが、それでも間に合わなかった攻撃に吹き飛ばされてしまう。そんな中、ゆっくりと水蒸気を集め、徐々に辺りを白く霞ませる。その濃度を上げて行き、次第に一メートル先の景色すら見えなくなる。

「おいで、智咲」

 狒々は智咲の姿が見えなくなった事で、手当たり次第に攻撃する音が聞こえて来る。だが、その場所に智咲は居ない。智咲は東李の声がする方に移動する。傍には栗原が居たはずだが、その様子もない。東李自身が移動したのか。東李の許へ来ると、グッと手を掴まれ、思わず肩が震える。

「僕だよ。いい、智咲。今の僕らじゃあの狒々には立ち向かえない。この隙に人質になっている哥白ちゃんを助けるよ」

 智咲は頷き、東李を連れて哥白たちの許へと向かい、先を行かせるように濃霧も流す。濃霧がすっぽり哥白たちを取り囲むと、沼津は突然の事に驚いて気が緩んだのか、簡単に哥白を取り返す事が出来た。

「大丈夫、哥白ちゃん」

「東李さん、智咲ちゃん……ありがとうっ」

 沼津から距離を置いた所で、哥白がそう声を上げた。三人は凰巳の許へと向かう。哥白が無事に戻った事に凰巳はホッとした様子を見せる。四人を囲む形で智咲は濃霧を払う。

「東李、どうするん、これから……」

 虎鉄や棗の様子も気になる。音しか聞こえない智咲には、現状がどうなっているのかわからない。

「虎鉄は苦戦しながらも大丈夫そうだし、棗も狒々同様の敵を倒して、今は堀本さんと戦ってる。僕たちは何とかして、あの狒々と栗原さん、沼津さんを倒さないと。もう少し粘れば虎鉄が戻って来るはず、だ……」

 東李が突然歯切れ悪く言葉を切った。それと同時に、ボタボタと何かが垂れる音が聞こえてきた。智咲たちはその音がする方に目を向けると、東李の腹部から手が伸び、その手には腹に刺さっていたナイフが握られている。三人は口々に声を荒げた。

「嫌だわ、私とした事がこんな乱暴な事しちゃうなんて」

 そうゆったりとした声が、東李の後方から聞こえた。そして、ズルリと手が引っ込み、立って居られなくなった東李が倒れると、沼津が灰色の犬のような尖らせた耳と太い尾を揺らし、妖艶な笑みを浮かべて姿を現した。

「ちょっと油断しちゃったわ。まさかこんな霧ごときで逃げられちゃうなんて、私も甘いわね」

 クルリとナイフを持ち直し、沼津はそう言う。すると、突然突風が吹き荒れ、囲んでいた濃霧が風になびいて晴らされていく。

「まだ狒々を倒してもいないのに逃げるだなんて、許せないわ」

 サァッと晴れた濃霧。そう声がする方に目を向けると、黒く大きな羽を羽ばたかせる栗原の姿があった。栗原の許へ沼津がトントンと軽快な動きで近寄って行く。狒々も智咲が居ない事に気付いて栗原の許へ戻って行く。

「まさか、それが君たちの本来の姿……?」

 凰巳が顔をひきつらせて問いかける。栗原と沼津は「そう」と声を揃えて頷いた。

 智咲はそんな事に構わず、東李の様子を窺う。腹部にぽっかりと開いた穴は、徐々に治癒されていき、内臓の治癒は何とか終わっているようだった。だが、出血が酷く、あまり長くこのままにしておくと最悪の場合、死に至ってしまう危険がある。

「東李さん、しっかりしてっ!」

 哥白が東李の傍らでそう叫ぶ。だが、東李の意識はもうなくなっており、何の反応も示さない。ふと、東李の体に触れると、僅かに冷えて来ているのがわかった。その瞬間、背筋に何かが走った。治癒が少しずつ遅くなって行くのがわかる。

 嫌だ……。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ!

 ――力を、貸そうか?

 フッと、まるで風が吹いたかのように声が聞こえた。弾かれるように智咲は顔を上げ、辺りを見渡す。だが、誰かがそう言った様子は何処にもない。

 ――彼を助けたいなら、ワシの手を取りなさい……。

 また、声が聞こえた。今度はハッキリと、足下からだ。目を向けると、そこには部屋に置いてきたはずの亀がうろついている。

「自分か……?」

 そっと拾い上げ、智咲はジッと見つめる。ゴウッと紅い炎が辺りを囲んだ。途端に突風が吹き、まるで炎を消そうと勢いは増す。

 ――ワシの名は、帝将(ていしょう)。水を司る、五獣の一人……。

 スゥッと辺りの景色が変わる。川のせせらう音に、柔らかい風がそよぐ。手に持っていたはずの亀が姿を消し、誰かが後方に立っている事に気付いた。慌てて智咲は振り返ると、その人は若い男で、黒い着物に身を包み、二メートルはあろう大蛇を首から下げて優しく撫でていた。

「……あんたは……?」

「初めまして、智咲殿。改めて、ワシは帝将。五獣の一人、玄武です。ここはワシの創った世界ですよ」

 スルスルと大蛇が地面へと下り、こちらへ向かってくる。

「あの日、ワシを拾ってくれた事を感謝します。あのままでは恐らく、ワシは死んでいたでしょうね」

 あの日。それは北陸の地震の事を言っているのだろうか。智咲はそう思いながら、言葉を続ける帝将と言う男の言葉に耳を貸す。

「君には恩義があります。だから、ワシのこの力を君に貸し与える事にします」

「この力……?」

 そう問うと、向かって来ていた大蛇が足を伝い、体を這って来る。だが、不思議と重みはなく、大蛇は体に巻き付いた。

「今日から君は、ワシの主――」

 そう声が聞こえると、辺りが霧がかり、真っ白になってしまう。何処か遠くから、智咲を呼ぶ声が聞こえる。白んでいた辺りがゆっくりと何かの形を捕らえ、ハッキリとしていく。

「智咲ちゃんっ! しっかりしてっ」

 半分、いや、完全に涙目になってしまっている哥白が体を揺すっていた。体に巻き付いていた大蛇の姿はなく、手に持っていた亀も居なくなってしまった。夢でも見ていたのだろうか。そう思えてならない。

「ごめん、哥白……」

 心配する哥白に一言謝り、倒れる東李を見て心が荒む。

 ――落ち着いて。

 また、声がした。この声は、先程の帝将と名乗る男の声だ。先程のは夢ではなかった。

 ――ワシに心を許しなさい。力を開放します。

 この言葉を信じていいのかわからない。凰巳の抱える聖禽と同じ五獣だ。もしかすると精神を乗っ取られるかも知れない。まして、彼の力が強すぎてその力に呑み込まれてしまったら。そう思うと、簡単には許す事が出来ない。

 ――大丈夫。あなたを呑み込むような事はしませんよ、智咲殿。

 考えを読まれたのか、風が吹くような優しげな声でそう頭に響いた。

 彼の言っている事を鵜吞みにする事は出来ない。だが、現状、手段を選んでいられる状況でもない。凰巳がいつの間にか狒々と対峙している。そして、未だに智咲たちを囲うように炎が燃えている。

 智咲は軽く息を吐き、体の力を抜いた。その瞬間、体の奥底から体外へ一気に流れるように何かが押し寄せて来た。


     二十二


 虎鉄は勢いよくクレイモアを振り下ろした。だが、虎猫は慌てた素振りを見せず、クレイモアの刃を両手で押さえ、攻撃を阻止した。

「白刃取り、だと……っ」

 トラバサミによって素早さは奪ったものの、腕が両方とも残っていた事が、虎鉄にとって仇となり、虎猫にとって救いとなった。

 虎鉄は舌打ちをして虎猫の手の中からクレイモアを強引に引き離すと、少し後ろへ後退する。すると、虎猫はその場へしゃがみ込み、左足を挟むトラバサミに手をかける。そして強引に刃を開き、左足を外へ出す。獲物を失ったトラバサミは激しい金属音を立てて再び閉じる。右足も同様、トラバサミの外へと出してしまった。虎猫の両足は挟まれていた部分からダラダラと血のような液体を垂れ流している。だが、それも一時的な物で、間もなく傷が塞がり、液体が出る事はなくなった。

「ちっ、振り出しかよ」

 こうなってしまえば、手足を斬り離してしまわなければ勝機は見い出せない。だが、どうすれば出来るのか。頭の悪い虎鉄はどれだけ考えても答えが出ない。その隙を突いて虎猫が向かってくる。素早い連撃に対応するばかりで、こちらからの攻撃の隙が見当たらない。また、連撃に合わせて電気を流してくる。あまり攻撃を受け続けるのは、身が持たなくなってしまう。虎鉄は舌打ちをして大きく虎猫の連撃を跳ね返す。その反動で僅かに虎猫が大勢を崩した。

 しめた。そう思い、虎鉄はクレイモアを右へ振り抜く。腕一本でも斬り落とす事が出来れば少しはやりやすくなる。そう思っていたが、クレイモアは虎猫の腕を斬りつけるが途中で留まってしまった。その瞬間、中等部の方から激しい物音が聞こえて来た。思わずその方に目を向けると、棗が校舎から投げ出され、校庭に叩きつけられている。

「っ……棗っ!」

『余所見とは、関心しないな……』

 そう声が聞こえると、五本の爪を一つにまとめた右手が目の前にまで迫っていた。

『っ! 何っ……』


     二十三


「棗っ!」

 そう虎鉄の声がした気がした。降り注いだ氷塊によって舞い上がった砂埃が薄れる中、その方を見ると、虎鉄がこちらを向いて大口を開けている。そして迫る、旧鼠と同じような巫蠱の存在。

「チッ……馬鹿がっ」

 先程の攻撃で全身が軋むように痛む。だが、そんな事に構わず、右手を振り出した。その瞬間、校庭の砂が一気に掻き集まり、虎鉄が対峙する巫蠱を砂の球体に入れ込んだ。突然の事で砂の中から巫蠱が攻撃している音がする。

「砂縛……」

 晴一の声が脳裏に過ぎる。「何考えてるの」と言う、そう冷たい声だ。棗は失笑し、ゆっくりとだが立ち上がる。

「本当……手のかかる奴だよ……」

 ギュッと拳を握ると、砂の球体が一気に小さくなり、黒い液体を滲ませて砂が地面へと戻る。ズキンッと刺すような痛みが一度だけ左肩を襲う。

「あら……、結局使っちゃったんだね、四ノ宮さん」

 ふわりと三本の尾を揺らしながら降り立った堀本が、そう声をかけて来る。

「出来の悪い部下が居たもんでね……」

 棗は左肩に手を置いて左肩を軽く回し、問題がないかを確認する。特に痛みはなく、正常に動くようだった。棗は釛釖を構え、堀本に切っ先を向ける。

「まだその刀でやるつもりなの? 折角あなたの領域に出してあげたんだから、諦めて使っちゃいなよ」

 呆れるような声で堀本が言ってくる。その口車に乗っては身の破滅。呪を抑える護符の意味を無くし、呪の進行に歯止めがかからない。

「それは出来ない相談だ。私は君たちを殺したいわけじゃないんでね」

 フッと笑みを零し、あくまでも彼女たちを説得すると言う方向を選んで見せる。

「棗っ……お前、何してんだよ!」

 虎鉄がこちらへ駆け寄って来たかと思えば、開口一番、喧嘩口調だ。

「お前を助けただけだろう、怒られる筋合いはないと思うが」

 虎鉄の顔は随分真剣だ。心配してくれているのはわかる。

「ふざけんなっ! お前が力を使う度、その呪が進行する事は俺だってわかってんだ! 俺を馬鹿にするのも大概にしろよっ! 俺がどれだけ心配してるか、お前にはわかんねぇだろうけど、少しは俺たちを信用しろよ!」

 虎鉄が勢いよく言い切ると、棗は言葉を失い、何も言い返す事が出来なかった。僅かに静まり返った後、口を開いたのは堀本だった。

「……やっぱり、金原先輩は四ノ宮さんの事、好きなんですねっ」

 キラキラと輝かせる堀本の目。先程まで見せていた鬼気迫る雰囲気も払拭され、昼間学校で会う時のような雰囲気になっていた。

「なっ……別に俺はこいつの事……」

「えーっ、本当ですか? じゃあ、四ノ宮さんが他の人と付き合ったりしても平気なんですか?」

「こいつに限ってありえねぇよ」

 やけに自信たっぷりに虎鉄が言い切った。堀本は驚いたようだったが、すぐに笑み、また楽しげに口を開く。

「どうしてそう言えるんですか? 四ノ宮さんだって女の子だし、いずれは結婚するんですよ? なくない話じゃないですか」

「それは……」

 自信は何処へ行ったのか、虎鉄は言葉を渋って見せる。

 ……何だこれは。棗はそう思いながらも状況の把握に努める。中等部に残っている久田はこちらをジッと見つめるばかりで何も干渉してこない。堀本の出方を監視しているようだった。その堀本と虎鉄はいつかの話をぶり返して、勝手に盛り上がっている。智咲や凰巳たちは巫蠱や栗原たちと対峙しているようだった。

「……?」

 ふと、智咲に目が行った。哥白が傍で心配そうに智咲に声をかけている。その傍らには東李が倒れている。何があったんだ。智咲の様子がおかしい。東李に何かあったのか。

「……堀本さん」

 棗は堀本に目を戻し、声をかける。虎鉄と言い合っていたが、二人ともピタリと口を閉ざし、棗の言葉を待った。

「私は君たちと戦いたくない。同じ半妖だろう? 君たちの過去に何があったかは、私では正直わからない。だが、君たちは被害者だ。加害者になる必要はない。私も、両親が居ない。唯一の身内も何処かへ行ってしまって、今は一人だ。だが、こんな奴でも仲間が居るから、今までやって来れた。……その仲間に、君たちも加わってほしい」

「っ……四ノ宮、さん……」

 堀本が言葉を渋る。堀本なら、わかってくれる気がした。元々乗り気ではなかった様子を見せていた。説得すれば、わかってくれる。

「出来ないよ、棗さん」

 そう久田の声が聞こえたと思えば、目の前に降り立った。

「僕とこの人の妖怪の親は、志獅に殺されたんだ。この恨みを忘れられるわけがない」

「……元を正せば、当時の陰陽師がそう指示を出したんだろう。君たちの妖怪である親は人間に害を出しているわけではなかった。志獅が殺す必要もなかっただろう。私がその時頭首であれば、見逃していた。そして、今は私が頭首だ。害を成さない妖怪を、私は無暗に殺したりはしない」

 久田を説き伏せるかのように、棗が言う。

「でも、陰陽師が命じれば、志獅はそれに従う事しか出来ないはず……」

「それを何度破った事か。なぁ、虎鉄」

 棗に問われ、虎鉄はガシガシと頭を掻きながら強く頷いた。命令を破った事で棗自身は咎を受けた。それを物ともせず、それを繰り返そうと言うのだ。

「でも……でも!」

「私はいずれ、この志獅を壊すつもりだ。それが出来る位置に、私は就いた。君たちのような半妖の子を不幸にしないためにも、妖怪との共存を望んでいる」

 棗の言葉に、久田だけでなく堀本も絶句した。だが、虎鉄だけは不敵に笑んで見せた。

「これは幼い頃、このメンバーで話し合って決めた事だ。だから、君たちも他の志獅は恨んで構わないが、このメンバーだけは信用してほしい。少なくとも私は、君たちを殺したくはない」

 ハッキリとした物言い。それに気圧され、久田が一歩後ろへ足を動かした。


     二十四


 体中を何かが駆け巡る。耳には先程の川のせせらぎが聞こえる。力が、溢れる――。

 ドウッ、そう音がすると、哥白、東李を包んで巨大な水の柱が立ち上った。哥白たちは水の浮力に従って浮き上がる。哥白は何が起きたのかわからず、必死に口を押さえ、息を止めて見せる。水柱は勢いの割に、中はゆったりとしていて、東李が水の流れに合わせて揺らめいていた。辺りを見ると、自分たちが居る高さは校舎の屋上を超えている。

「……哥白、手を放しても大丈夫や」

 そう言われ、哥白はゆっくりと手を放すと、水の中だと言うのに息が出来る。

「帝将、どうしたらええ……」

 智咲がそう呟いた。よく見れば、目の色や髪の色が変わって行き、真っ黒に染まって行く。いつも無口で眠たげな智咲の雰囲気が、凛として見える。

 しばらく智咲が何かを呟いていると、東李を引き寄せ、治癒が止まりかけていた腹部に手をかざす。ポウッと淡い光が智咲の手に現れ、みるみる東李の傷が治って行く。途端、パシャッと水柱が形を留める事を止め、地面へ流れ落ちてしまう。取り残された哥白たちは重力に従って地面へと一気に降下する。あまりの怖さに悲鳴すら上がらず、目を固く閉ざすばかり。地面へ激突する。そう思っていると、柔らかな何かに体が包まれ、トンッと地面に足が着いた。

「怖かったか?」

 そう智咲の声が聞こえ、目を開けると、智咲は東李をゆっくりと地面へ寝かせていた。

「ちょ、ちょっと……」

 何が起きたのかわからない。智咲が、智咲のようではない気がする。この感覚は知っている。あの時の、凰巳と同じだ。

「智咲ちゃん……まさか……」

 哥白が言葉を渋っていると、智咲がフッと珍しくも不敵に笑んだ。

「凰巳とほぼ同じや」

 確かに、智咲の言葉は間違っていない気がする。雰囲気は変わったものの、話し方が変わっていない。精神を乗っ取られているわけではないようだ。

「凰巳とは勝手がちゃうからかな。五獣はちゃんと、中に居るけど、私は私のままや」

 よくしゃべる。そして、何処か生き生きとしている。これが、本来の智咲と言う事なのか。

「傷は治ったけど、意識が戻ってへん。悪いけど、東李を頼んでええか?」

 哥白は何度も頷き、東李の傍らへと寄った。智咲はそれを見ると、凰巳と対峙する狒々の許へと向かっていく。智咲は凰巳の傍へと寄ると、何かを言った。凰巳は必死に拒否しているように見えたが、凰巳が狒々たちから離れ、凰巳の周りに青い炎が立ち上る。

「っ……聖禽……」

 ゾクリと背筋に何かが走った。何故、智咲は聖禽を呼んだのかわからない。けれど、あのままでは凰巳は苦戦するばかりで勝機を見い出せていなかった。聖禽に身を譲った凰巳は、あの赤い帯を全身に這わせ、目の色を変えて再び狒々の許へ向かった。


     二十五


 智咲が、雰囲気を変えて参戦してきた。何が起きたのかわからなかった。だが、話してみると智咲その者で、聖禽を出せと言ってきた。最初は渋ったが、聖禽もまた脳内で珍しく騒ぎ立てた。そのまま抑えておける自信がなく、已む無く聖禽へ体を明け渡した。

「久し振りだな、帝将」

「私は帝将やない。まぁ、中には居るけど」

 ギッと智咲は聖禽となった凰巳を睨み上げる。だが、聖禽は笑んでいるだけで何の反応もしない。

「相変わらず優しい奴だ」

 聖禽はそう呟くように言うと、狒々に向かって青い球、炎丸をいくつも創り上げ、狒々へと投げつける。狒々は不敵に笑み、それを全て受け止めた。だが、炎丸は消える事無く狒々の体で燃え続け、狒々は雄叫びのように声を上げる。

「馬鹿め。凰巳の炎と同じと思っていたのか」

 狒々は炎丸を払い退けると、目の色を変え、歯をむき出しにして向かってきた。殴りの連撃を見舞ってくる。それを智咲が水で作った壁で防御する。その隙に聖禽が狒々の後ろへ回り、狒々の頭を掴んで地面へと叩きつけた。その状態で智咲が狒々を地面に氷で縛り付け、動きを封じる。じたばたと暴れるが、一向に氷が壊れず、そこから脱出出来ない。

「さすが帝将。お前の防御能力は神羅(しんら)様の折り紙つきだ」

「……神羅様?」

「貴様に言ったわけではない。止めを刺すぞ」

 聖禽は眉を顰め言うと、炎で創る槍を出し、狒々の心臓に向かって突き刺した。狒々は声を荒げると刺された場所から黒く染まり、液体となって消えた。

「……あっけないな」

「まだ終わってへん」

 呆れたように聖禽が言うと、智咲が釘を刺すように言った。その瞬間、突風が吹き荒れた。智咲は再び水で壁を作る。

「残念だわ、狒々を倒しちゃったのね」

「私の虎猫ちゃんも四ノ宮さんに壊されてしまいました……」

 栗原と沼津がそう口々に言う。虎鉄が対峙していた巫蠱を、棗が倒したと聞き、聖禽の口角が緩む。

「さすが棗だ。昔から変わらぬな」

「その昔って言うのは、あなたがまだそこに縛られる前の事を言っているのですか?」

 智咲の口調が変わり、目を向けると、帝将が表に出てきているようだった。

「あの子は、あの時の少女ではありませんよ、聖禽」

「わかっている。だが、やはり似ているだろう?」

「まぁ、それは認めますがね」

 そう言うと帝将はまた中へ戻って行った。

「誰やねん、あの時の少女って……」

 開口一番、智咲が問いかけて来た。聖禽は鼻で笑い、「教えるものか」と言って栗原たちへと突っ込んでいった。智咲は慌てて聖禽の足を水の紐で引っ張り、足止めをする。

「何をするっ!」

「殺したらあかんねん。棗が、そう言うとる」

 そう智咲が見据えて言ってきた。棗が言っていると聞き、聖禽の動きも鈍くなる。

「栗原さん、沼津さん……、私たちは同胞として、あんたらを殺したくない」


     二十六


「悪いけど、君たちの素性は調べさせてもらった」

 一歩下がる久田に、棗が追い打ちをかけるように声を上げた。

「ここへ来る前に、全国の志獅に言い渡し、それの報告が夕方にあった。久田くん、君は父であった妖怪を殺されたのは、二年前。埼玉に住んでいて、母には見限られ、施設へと送られた。父は天邪鬼(あまのじゃく)だね。三人で住んでいたアパートに志獅が入り込み、君と母の目の前で殺された。その報告は、兄が受けていて、私は知らなかったよ」

 久田は歯を食いしばり、棗を睨みつける。それを意に返さず、棗は堀本に目を向けた。

「堀本さん、君は神奈川出身で九尾の狐の母を持っていた。志獅は九尾を誘い出し、惨殺。それを知った山奥で陶芸家をしていた父は初老で、九尾の死を知って持病の心臓が悪化し、去年亡くなっているね。その頃、まだ志獅の頭首が決まっていなくて、報告はそのまま陰陽師当代へ行われているんだ」

 棗の言葉に堀本は眉を顰め、下を向く。

「知らなかったでは済まされないだろう。調べれば調べるほど、君たちの親は人間の害になっていない事がわかっていくばかりだった。私はそれが悔しくてならない。そして同時に、私の意思は固くなったよ」

 一呼吸を置き、再び棗は口を開く。

「私は、志獅を壊す。過去、陰陽師とどういう契約をされているのかは知らない。知る術もない。だが、それだからこそ出来る事でもある」

 淡々と話す棗の言葉に、久田や堀本は翻弄されるばかり。棗の言っている事は本当なのか。信用してもいい事なのか。二人にはそれを判断する意思がない。

「……四ノ宮さん、志獅に迎え入れるって言ったよね? でも、その志獅を壊すとも言った。それじゃあ、私たちはまた一人になるよ」

 堀本の意見はもっともだ。これでは矛盾している。棗は軽く笑みを零した。

「志獅を壊し、新たな志獅を作るつもりだ。妖怪と人間が共存出来る、自警団のようなものだ。ただ闇雲に妖怪を退治するのではない。妖怪たちを吟味し、統治する。容易には出来ないだろうが、人間の害がないように、私は努力する」

 ハッキリとした物言いに、迷いは一切感じられなかった。棗の隣に立つ虎鉄も、強く頷き、棗の意見に納得しているようだ。

「今、君たちは巫蠱の力を借りて人間に害を及ぼしている。だが、根源は違うだろう? 君たちは誰かに言われてやっている。君たちの恨みや憎しみを利用してだ。そして、君たち自身は何も害を出していない。なら、私は君たちを倒す理由がない」

 甘い。とてつもなく甘い判断だ。これ程甘い判断で、志獅を壊し、新しい志獅を作ると言うのか。それがどれだけ大変かは想像出来ない。それなのに、棗の発言は久田たちの心を揺るがす。

「金原先輩は、この話、納得してるんですか?」

「あん? 納得も何も、棗が言うんだから、やるしかねぇだろ。俺は別に、志獅なんてどうだっていい。ただ、言える事は、俺らの主様が気に喰わねぇ」

 堀本の質問に、虎鉄は鼻で笑ってそう答えた。虎鉄の意思は、棗在りきのようだ。自分は何も考えず、棗にただ従っていれば間違いはない。そう言っているも同然だ。

 堀本は思わず笑って見せた。そして、ゆっくりとした口調で言う。

「私、四ノ宮さんたちについて行く」

「お前っ、裏切るのか!」

 堀本の言葉に、久田が過剰に反応する。だが、堀本は落ち着いた表情で久田に目を向けた。

「久田くんも、そう思い始めてるよね? 確かに、志獅や陰陽師には恨みがある。けれど、それは四ノ宮さんたちじゃない。私たちの両親を殺した、当事者の志獅と、陰陽師にだけだよね」

「っ……それは……」

「四ノ宮さんは今の志獅を壊すって言ってる。私たちみたいな被害者は、これ以上出なくなる。そうだよね、四ノ宮さん」

「ああ、約束するよ」

 堀本に話を振られ、棗は頷きながら答えた。それを聞いて堀本は嬉しそうに微笑み、久田は眉を顰めて答えを渋る。その瞬間、智咲たちの居る方向からドウッ、と音が聞こえ、その方を見ると、太く長い水の柱が立ち上っている。だが、それに構う事無く棗は口を開き、言葉を続けた。

「すぐに答えが欲しいわけじゃない。今は、君たちが素直に引き下がってくれればいい。そして、君たちの主をここへ連れて来てくる。それだけでいい。答えはその後、じっくり考えてくれ」

 棗はゆっくりと久田に近付き、顔を覗き込んで笑って見せた。ビクリと久田は体を震わせ、言葉を詰まらせる。ジッと棗と顔を見合うと、口を一の字に結び、頷いた。

「……行くよ」

「うん! 四ノ宮さん、行ってくるね!」

 久田の言葉に堀本は嬉しそうに笑い、そう言って二人はその場から立ち去った。棗はそれを見届けると、表情を無へと変え、踵を返した。

「……虎鉄、非常事態だ」

「非常事態? 何が」

 見れば、水柱はなくなり、異様な妖気が感じ取られる。この妖気は覚えがある。

「……聖禽だ。もう一つはわからない。だが、智咲の様子がおかしかった事を考えると、嫌な予感しかしない」

「聖禽って、この間のだよな! あんな化け物、また出したのかよっ」

 虎鉄も棗の話を聞いて焦りを見せる。だが、どれだけ焦った所で聖禽が居なくなるわけではない。

「とにかく、状況把握が必要だ。哥白たちの所へ行くぞ。聖禽の事は後だ」

 そう言うと棗は地面を蹴り、哥白の許へと急いだ。


     二十七


 智咲と凰巳の姿、妖気が一変してしまった。哥白はただただ東李を傍に置き、見つめる事しか出来なかった。東李は未だ目を覚まさない。揺すり起こしたい気持ちもあるけれど、休ませておいた方がいいのは間違いない。哥白は東李を気にしながらも、智咲たちに目を向けた。

「哥白、何があった」

 すると、後ろから棗の声が聞こえ、ドッと安堵が溢れて来た。目頭が熱くなり、哥白は棗に飛びついた。

「棗ちゃんっ……」

「泣くのは構わないが、今は状況を説明してくれ。智咲に何があった」

 棗は軽く哥白の頭を撫でる。哥白は涙を拭い、息を整えて口を開く。

「そ、それが……突然智咲ちゃんがボーッとしちゃったと思ったら、何かブツブツ呟いて、大きな水の柱を作ったの。そうしたら、智咲ちゃん、髪や目が真っ黒になってて……聞いたら、凰巳くんとほとんど同じって言うの」

「ほとんど……?」

「うん。智咲ちゃん、凰巳くんとは違って、意識は智咲ちゃんのままなの。でも、妖気は違う人みたいになってて、東李さん、お腹に大きな傷負って瀕死になってたんだけど、綺麗に治癒してくれた。今は意識がなくて眠ってる」

 哥白は整理のついていない状況をとにかく棗に伝える。それが正確に伝わっているのかは定かではない。けれど、棗はジッと何かを考えていた。

「……聖禽が出て来たのはどういう事だ?」

「それは、わからない……。智咲ちゃんと凰巳くんが何か話してるのが見えたから、多分、智咲ちゃんに言われてだと思うけど……」

「……そうか。智咲が智咲なら大丈夫だと思うが、あまり長引かせるわけにはいかないな」

 棗は眉を顰め、哥白の頭を再び撫でると、後ろに立っていた虎鉄と向き合った。

「状況はわかった。だが、聖禽の事がある。あのままにしておけば、栗原さんと沼津さんが殺されかねない」

「じゃあどうすんだよ。聖禽を止めるのか? それとも、その二人を逃がすのかよ」

「何が有効手段なのかは判断に悩むが、その両方をやる」

 そう言うと虎鉄は軽く溜め息交じりに「はいはい」と答えた。哥白はただ二人のやり取りを見つめるだけで、その中には入って行けない。自分には何も出来ないからだ。戦えと言われたらやる。けれど、戦いたくない。

「……足手まといだなぁ……」

 思わず言葉が漏れた。どうして自分は志獅の親を持ったのだろう。どうしてそこに生まれて来たのだろう。選べるのなら、一般的な家に生まれたかった。

「哥白?」

 漏れた言葉が聞こえたのか、棗が怪訝にこちらを見て来る。哥白は頭を左右に振り、微笑んで何でもない事を伝えた。棗は納得いっていないようだったが、「そうか」と納得してくれた。

「哥白、悪いがここに居てくれ。なるべく早く終わらせる」

「うん、わかった。東李くんの事は任せて」

 自分にはこれくらいしか出来ない。哥白は棗の指示に頷き、微笑んだ。それを見ると、棗と虎鉄は智咲たちの許へと急いで行った。


     二十八


「殺したくないだなんて、随分甘いのね」

 智咲の言葉に、栗原が口を開く。だが、聴こえて来た棗たちの会話は、間違いなく殺さない方向の話だ。棗がそう言っているのだ、反論はしない。

「棗がそう言うんや。自分らは半妖やろ? 私らも半妖や。自分ら状況を自分の立場に置き換えたら、同情もする」

 栗原たちは肩を竦め、話にならないと言った様子を見せる。

「今、自分らを倒すんは簡単や。けど、それじゃああかんねん。これからのためにも」

 智咲は含みのある言い方をして言葉を切る。栗原と沼津は顔を見合い、眉を顰める。だが、智咲自身も眉を顰めていた。聴こえて来る、堀本と久田を説得する棗の言葉。それはあまりにも彼女たちが悲劇な人生を送っている事だった。まだ、目の前の二人の事情は把握出来ていない。けれど、昔の智咲以上に彼女たちは辛い人生を歩んでいる事は、容易に想像出来た。

「自分ら、今までに人間を殺したりした事はあるか?」

「ないわ。ずっと陰陽師を敵にしていたのだから、その他大勢なんて、興味がないもの」

 キッパリと言い放たれた。その言葉を信じるとすれば、間違いなく、この二人を倒す理由がない。

「だから何だと言うのだ? 今、現状、こ奴らは被害を出しかけているのだ、関係ないだろう」

「聖禽、自分は黙っとれ。棗に言うで」

 まるでそれが切り札だと言わんばかりに棗の名前を出す。すると、聖禽は舌打ちをして面倒臭そうに顔を背けた。

「……あら、どうやら、堀本さんと久田くんはあなたたちの手に落ちたようね」

 ピクリと尖った耳を揺らし、沼津が言う。智咲にも聞こえて来た。二人が棗に言われ、術者を連れにこの場から立ち去る声と音が。

「さすが。その耳は飾りやなかったんやね」

 沼津はニッコリ笑って見せる。見た所、犬か狼のどちらかの類の耳だ。どちらにせよ、素早さと攻撃力は持ち合わせている。栗原は何の半妖なのか、未だに理解出来ない。彼女の背中に生える羽。それが何なのかわからない。

「ふふっ、お待ちかねの四ノ宮さんが来るわよ」

 哥白としばらく話すと、こちらへ向かってきた。聖禽は嬉しそうに棗の方を見る。何故そこまで棗を気にするのかもわからない。過去の少女の存在が気になるが、聖禽は答えてくれない。帝将も、聞いては見たがだんまりだ。

「智咲、大丈夫なのかっ」

 待ち構える聖禽を他所に、棗は智咲に言い寄った。

「問題ない。それより、あの二人……」

「ああ、そうだな……」

 智咲の言葉に棗は頷き、栗原と沼津に目を向ける。

「聴いたわよ、あなた、私たちの事を調べたんですって? 是非、その報告を聞いて見たいわ」

 沼津は笑みを絶やさずに棗へ報告を促した。彼女が何を考えているのかはわからないが、棗は少し黙って考えて見せ、ゆっくりと話し始める。

「そうだな、まずは沼津亜紀さん。あなたの事から話そうか」

 そう言い、棗は沼津の調べた事を話し始める。

 彼女の両親は、父が人狼、母が人間の半妖。元々石川に住んでいた。人を愛した父は人間の仕事に就き、懸命に働いていたが、陰陽師がそれに気付き、職場から呼び出して滅した。彼女が生まれた時、既に耳と尾が生えており、母の身内は勘当同然で連絡がつかなくなり、父を失ってからは心身ともに荒んで行き、酒の量が増え、揚句自殺。取り残された幼い沼津は施設へ送られた。

 続いて、栗原の話へと移った。

 栗原の両親は、父が吸血鬼、母が人間。住んでいた場所は沼津と同じ石川。吸血鬼と言っても、父の半分の血しか引かない彼女は、日中外へ出る事は問題なかった。血を欲すこともなく、人間と何ら変わらぬ人生だった。しかし、父が陰陽師に見つかり、室内で彼女たちの目があるのも気に留めず、滅してしまう。その時、傍らには晴一が居た。晴一本人に話を聞く事は出来ないが、その事実は石川に住む志獅が把握している。その後、彼女はしばらく母と暮らしていたが、心労が溜まり、過労で入院。その後、衰弱は進行する一方で、回復する事無く死んだ。残された栗原は一時親戚の所で過ごしていたが、半妖である事がバレ、施設へと送られる。

「よく調べたわね」

 しばらくの間を置き、栗原がそう言った。

「志獅は全国に居るからな。時間は多少かかったが、半日もあれば情報は集まる。だが、何故あなたたち四人が集まったのかまでは調べられなかった。おかげで、私を苦しめる術者はわからず仕舞いだ。まぁ、何処に居るのかはおおよその見当がついているが」

「あら、そうなの? 私たちを尾行でもしたのかしら? 気付かなかったわ」

 思い当たる節でもあるのか、栗原が悠長に答える。棗は一言、「まあな」と言って見せるだけだ。

「私たちは主様直々に声をかけられたのよ。志獅と陰陽師に恨みのある半妖を集めていると言われてね。最初は半信半疑だったけれど、施設で出会ったこの子と一緒に呼ばれたから、ついて行った。そして東京に来て、堀本さんと久田くんに出会ったわ。話を聞けば、二人も相当な恨みを持っていた。志獅と陰陽師を潰すために、主様は得意の呪術で陥れると、計画を実行し始めた」

「……それが巫蠱か」

「ええ。思いの外メンバーが集まらなかったから、戦闘要員として作り始めた。その為には志獅に邪魔されないよう行動を把握し、妖怪を食べさせる必要があった。けれど、中々上手く行かないものね。主様はあなたが頭首である事を知っていたから、東京を避け、地方へ巫蠱の一部を撒いたのに、殺されてしまったわ。おかげで残ったのは、連れて来た三体だけ。完全体だったのに倒されてしまったわ。知能が低すぎたのね」

 栗原は淡々と話す。知能が低すぎたと言うけれど、完全体であった巫蠱は強敵その物だった。各々苦戦を強いられていたのは聴いていればわかった。恐らく、通常の妖怪の三倍は身体能力が上がり、巫蠱となった妖怪自身が持っていた力も同等に強くなっていた。狒々を倒せたのは、智咲と凰巳が持つ五獣の力があったからだ。もし、それがなければ今頃、全滅も有り得た。

「知能が低かったとは言え、私たちは苦戦したよ。私にはハンデもある。簡単には行かなかった。あなたたち二人の実力がどれ程のものか、私はわからないが、それを知りたいとも思わない」

「逃げるのかしら?」

「違う。あなたたちと戦った所で無意味だからだ。例え私たちが戦いに破れた所で、志獅や陰陽師が潰れるわけではない。頭首を失えば、新たな頭首が選ばれるだけだ。陰陽師も同じ。同じ事を繰り返していれば対策も立てられてしまう。そうなれば、あなたたちはいつか無駄死にする」

 ハッキリとした口調で棗は言い切った。棗の言う事は尤もだ。頭首の棗を失った所で、志獅はまだたくさん健在している。その中から誰かが選ばれ、同じ事を繰り返すだけ。終わりの見えない戦いになる。

 ふと、妙な違和感を覚えた。周囲の音がざわつき始めている。ただの風かとも思ったが、それとは違うようだった。草木の霊気が怯えている。空気が徐々に重く、体に圧し掛かるようにして淀んで行くのがわかる。何が起きているのかわからない。それを伝えようと棗に目を向けると、ジワジワと全身から汗を流し、ゆっくりとだが呪が浸食しているのが見て取れた。

「棗……っ」

「彼女たちの主、術者が近づいているんだろうな……」

 眉を顰め、押し殺すような声で言う。

「帝将、棗の呪は取り除けへんのっ」

 智咲は中に居る帝将に問いかける。だが、帝将は首を振っている。ここまで浸食した呪は取り除けないと、一言添えて。

「全く、まさか裏切られるとは思わなかったよ」

 そう言って現れたのは、一人の青年。栗原と沼津はその場に跪き、首を垂れる。

「……堀本さんと久田くんはどうした」

「ここに居るよ」

 青年は微笑み、指を鳴らした。すると、空間が裂けると言った方が正しいのか、景色に切れ目が入り、それが開かれると暗い空間が現れ、そこに堀本と久田が棗と同じような呪に蝕まれている姿が見えた。

「貴様……」

 ギリッ、と棗が歯を食いしばる。だが、棗の呪も、護符の効力とは無関係に浸食し、徐々に全身へ回ろうとしている。

「俺は国江(くにえ)精次(せいじ)と言う。知っての通り、呪術師だ。君の肩に張られているのは、晴一の創った護符かな? 忌々しい……」

 国江。その名は聞いた事があった。幼い頃に陰陽道から逸脱した家を破門したと聞いた。その家の名が、それだった。

「っ……なるほど、追放者の反乱、と言った所か」

 絞り出すような声で、棗が言う。聖禽と虎鉄が、棗と国江の間に立ち塞がる。

「君、あの五獣か? 哀れな物だな、半妖の体に縛り付けられるなどとは。思うように力も使えないだろうに」

 憐みの表情を、聖禽に向ける。だが、聖禽は意に返していないのか、何の反応も見せない。

「まぁいい。あまり下手に動かない方がいい。そこの二人がどうなってもいいのなら、話は別だけどね」

 ニッコリと笑みを浮かべる国江。その言葉は棗に向けられた言葉。そして、その意味を成す人質は、紛れもなく久田と堀本の事だ。

 これでは思うように動く事が出来ない。棗の呪もかなり進行している。力を使うどころか、釛釖すら振るう余裕もないだろう。もしこのまま、国江の言いなりになってしまっては、棗の命が危険に晒される。例え、それで久田と堀本が救えたとしても、棗以上の命は他にはないのだ。

 智咲の思考がグルグルと回る。どうすれば三人を問題なく呪から解放する事が出来るのか。その為には術者の国江を倒すしかないのは明白。だが、ここから一歩でも動けば、棗たちの命が危なくなる。

 考え悩んでいる内に、栗原と沼津が国江の傍に寄り、守るように立ちはだかった。

「…………ハッ、つまらぬなぁ……」

 そう言葉を漏らしたのは、他でもない聖禽だった。何を考えているのかわからない、聖禽の言動に、誰もが目を向けた。

「何がつまらないんだい?」

 たまらず国江が聖禽に問いかけた。聖禽は悪戯げに笑みながら、軽く肩を竦めて見せる。

「何がって、この現状が、だ。人質? 我には関係ないな。棗さえ助かれば問題ないのだから」

 そう言って聖禽は右手を突出して見せた。誰もが眉を顰め、何をしたいのかが理解出来ない。だが、棗だけは違ったようだった。

「やめ、ろ……っ!」

 そう、漏れるような棗の声が聞こえたが、それで制止する事無く、聖禽は指を鳴らした。


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