表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
志獅  作者: 長村 侑真
3/5

巫蠱


     一


 翌日、仕事もなくゆっくりとした休息を取る事が出来た棗は、少しばかり清々しく登校した。

「棗ちゃんっ」

「ああ、哥白。おはよう。虎鉄も一緒か」

 名前を呼ばれ振り返ると、そこには哥白と隣に虎鉄が並んで立っていた。

「今日はアイツ、来てねぇのか?」

「アイツ? 凰巳ならまだだが?」

「違うっ! 中坊だよっ」

 無表情ながらもすっとぼけた答えが返って来、虎鉄は吠えるようにして訂正する。それを聞いて棗は「ああ」と声を漏らし、来ていない事を伝えた。

「さすがにもう来ない……っ」

 いつぞやの出来事を思い出させる勢いで、ドンッと背後に何かがぶつかり、腰に手が巻き付いて来た。棗は嫌な予感がし、ふと虎鉄の顔を見ると明らかに不機嫌そうな表情を見せ、哥白は少々青ざめた顔をして見せた。

「おはようございます、棗さんっ」

「君……何のつもりで……」

 高らかに聞こえて来た、耳障りに思え始めている久田の声。棗は眉間にしわを寄せ、理由を問いかけた。

「だって、棗さん、この人やもう一人の人の事好きな訳じゃないんでしょう? だったら、僕の入る余地ありますよねっ」

 自信満々に言い切る久田。確かに、虎鉄や凰巳の事は好きではないと言ったのは棗だ。それを今更否定するつもりもない。だが、あの時納得してもう係わる事がないと思っていたのに、この状況だ。棗は溜め息を大きく吐いた。

「おいコラ中坊。その手を放せ」

 ズイッと虎鉄が久田に顔を近づける。明らかに不機嫌そうな声色を聞かせ、何をしでかすかわからない状態になっている。だが、それを棗は止める気も起きず、哥白もまた気を揉んでいるようだが止める様子はない。

「嫌ですよ。だって僕、棗さんの事好きですもん。先輩は棗さんの事、好きじゃないんでしょう?」

「ぐ……それは……」

 虎鉄が言いよどむと、久田は嘲笑交じりに屈託のない笑みを見せる。

「僕はまだ中学生で棗さんの頼りになる人物かどうかはっきりしていません。だから棗さんは僕を拒絶しますが、これから頼りになる人物だと認識してもらえれば、傍にいる事が出来るって事ですよね。なら、そうなるように僕は努力するつもりですよ」

 虎鉄に臆する事無く久田はハッキリと言い放ち、宣言した。その言葉を聞いて次に口を開いたのは、虎鉄ではなく、哥白だった。

「棗ちゃんは私たちのなの! 君だけの人になったりはしないのっ! それに、棗ちゃんは気付いてないけど、好きな人がちゃんと居るんだからっ!」

 そう言った哥白の言葉に、久田だけではなく、棗と虎鉄、周囲で聞き耳を立てていた生徒たちが驚愕の声を上げた。

「だ、誰なの、金原さんっ! 嘘じゃないよねっ!」

「それってやっぱり、金原か上條の事かっ?」

「意外と麻木くんだったりするのっ?」

 怒涛のように問い質す生徒たちに哥白は目を回し、息をするので精いっぱいになり始める。それを見た棗は軽く息を吐き、久田の抱き付く手を放すと、哥白の手を引いた。

「な、棗ちゃん……」

「全く。私が誰を好きになろうがどうだっていい事じゃないのか? いくら虎鉄や凰巳、東李と仲がいいからって気になるものなのか?」

 哥白を生徒の群れから救出し、その生徒たちへ問いかける。問われた生徒たちはこぞって頷いて見せた。

「……まぁ、確かに一年が先輩たちを連れて歩くなんて異様な光景を作り出しているのも、問題の一つなのだろう。それがあるからこそ気になる事だろうから」

 冷静に淡々と今までの事を振り返り、棗は顎に手を当てる。

「そうだな……、哥白が言った事は間違いじゃないかも知れない。確かに、好きな人は居るよ」

 少し考えると、棗はそう切り出し、生徒たちは各々の顔を見合わせ、それが誰なのか答えを待った。

「哥白、虎鉄、凰巳、東李、智咲。私はこの五人を好きだと思っているだろうね。じゃなければ長年一緒に居る事もないだろう。とても大事な友人だよ」

 フッと見せた笑顔とその言葉に、誰もが息を呑み、言葉を発する事を躊躇った。虎鉄や哥白も同様で、そう思われていた事に喜びを表情ににじませていた。

 ただ一人、納得していないのが久田だった。

「……それ、好きな人ってい言いませんよね。好きな人って言うのはもっと、恋人になりたいだとかそう言った人の事じゃないんですか?」

「好きと言うのも形が様々だろう? ならば、私の言う好きな人はこれであっているんだよ、久田くん」

 納得いかない。そんな表情を浮かばせ、久田はその場から立ち去ってしまった。

 その後、棗は生徒たちの質問攻めに遭い、いつからの付き合いなのかだとか、本命は誰なのかとか、様々な事を根掘り葉掘り問い質される。一つ一つに対応するのはとても面倒で、棗は適当にあしらう。

 とは言え、相手は同級生も交じってはいるが、ほとんどが先輩ばかり。当然、虎鉄や哥白と接するようにあしらう訳にもいかず、棗は相当な精神をすり減らした。

 教室へ辿り着く頃にはへとへとになっており、噂を聞きつけたクラスメートたちは何かを聞きたそうに棗を見ていた。

「おはよう、四ノ宮さんっ」

「ああ、おはよう。学校にはもう慣れた?」

 席へ着くとほぼ同時に堀本がやってきた。棗は鞄を机の横へ掛けながらそう問いかける。

「うん、少しだけね。制服も今週中には出来るそうだし、あとちょっとで馴染めるよ」

「そうか、それはよかった」

 嬉しそうに答える堀本に軽く笑みを作って納得して見せると、堀本は机に両手をついて口を開いた。

「ねぇ、四ノ宮さん。みんな噂してるけど、四ノ宮さんの本命は幼馴染の誰かだって言うの、本当?」

 何がどうなってそう言う噂になってしまったのか、棗には理解出来ず、すぐには答える事が出来なかった。

「四ノ宮さんが好きなのって、金原先輩じゃなかったの?」

 信じて疑わない。そんな目をして堀本が問いかけて来る。

 棗は一息吐き、ゆっくりと口を開いた。

「違う。確かに、幼馴染である虎鉄、凰巳、東李の事は好きだ。それは友人として、仲間として好きなだけで、君たちが思っているような感情ではないよ」

「でも上條先輩も言ってたけど、四ノ宮さんは金原先輩の事好きなんだと思うけど……」

「どうだろうね。それに私は今、愛だの恋だのと現を抜かしている暇はないんだ。例えそうだとして、私はそれ一筋に何かをするつもりはないよ」

 棗は真剣な表情をし、ハッキリとした口調で言い切った。それを聞いた堀本は言葉を詰まらせ、それ以上何も言う事が出来なかった。

 あと五分で始業の鐘が鳴ると言う時に、教室の外が随分と騒がしくなった。教室内に入っていた生徒たちも何事かと外を覗き込む。

 ザワザワとした騒ぎが棗のクラスの前で一番騒ぎ出した。ガラリと教室と廊下をつなぐ引き戸が開けられた。

 女子生徒たちが黄色い声を上げながら、現れた人物が誰なのかと噂を始める。同時に男子生徒もそれが誰なのかお互いが知っているかの確認を始め、好奇な目でその人物を見る。

「棗ちんっ」

 そう声が聞こえた瞬間、棗は眉間にしわを寄せ、ゆっくりとした動作でその方を見た。 そこに居たのは、他でもない主、晴一の姿。どういうつもりでここに来ているのかわからないが、あまり係わりたくない。同時に、ただ騒いでいた声がただ事ではない雰囲気を滲ませる。

「棗ちーん、無視しないでよっ」

 晴一は躊躇いもなく教室へ踏み込み、棗の前までやって来る。

「……どうしてここへ? 用があるならいつものようにすれば……」

「いつもの程度では済まされない用事なんだよねぇ」

 ニッコリと笑みを浮かべる晴一。彼からは式神特有の霊力を感じる事が出来ない。つまり、今目の前にしている晴一は式神ではなく、本物だと言う事だ。

「……ああ、なるほど……」

 晴一の言わんとしている事に思い当たる節があり、棗は軽く頭を掻いて見せた。

「申し訳ないけど、堀本さん。私、帰るから先生にその事言っておいてくれない?」

「え? あ、うん、いいけど……その人は?」

 晴一に見惚れていた堀本は、跳ねるようにして棗の頼みに頷き、晴一の事を問う。棗は答え辛そうにして鞄を取った。

「私の逆らえない人だよ」

 そう言うと棗は晴一と一緒に教室を出て行った。生徒たちに盛大な謎を残したまま。


     二


 晴一と棗は学校を出ると、学校から直線距離で二十キロほど離れた山奥へとやって来ていた。

 森を登り、開けた所には手入れの行き届いた平屋建ての大きな屋敷が佇んでいた。その敷地へ二人は躊躇う事無く入り込み、玄関の鍵を棗が慣れた手つきで開けて見せる。

 実はこの屋敷、四ノ宮家本家。今は誰も住まず空き家となっているが、時折こうして棗が戻り、軽く掃除をしていつでもまた住めるように整えている。

 二人は中へ入ると、二十畳ほどの一室へと足を運び、晴一を上座に、棗は晴一の正面へ座る形で腰を落ち着けた。

「さて、落ち着けた所で本題に入ろうか」

 ニッコリと晴一が笑みを作り、棗はそれをジッと見据えた。

「何故僕がわざわざ足を運んだのか、理由はわかるね?」

「蘇芳の寺院の事でしょうか」

 晴一に問われ、棗は躊躇わずに淡々と礼儀正しくも聞き返す。それを聞き、晴一は軽く頷いて見せた。

「そう。おかしいよね、僕は排除命令を下したはずだ。何故奴らがそこに居る?」

 笑みの中に見え隠れする憤怒の雰囲気。棗はそれから目を逸らす事無く見つめ、口を開く。

「奴らは人間に危害を加えない約束で、蘇芳の許にやりました。当然、害を成すようであれば排除するとの警告付きで……」

「そういう事を聞いてるんじゃないよ。棗、僕の言っている事を理解出来ない?」

「……いえ」

「なら、正直に答えなさい。まさか棗、君は妖怪を排除する事に良心が痛むとか言う理由でこんな事をしたわけではないだろうね」

 ひしひしと伝わる晴一の怒り。棗は軽く首を横に振り、改めて晴一の顔を見つめる。

「有り得ません。奴らにそう言う処置を施したのには理由があります。どうやら、人間が意図的に妖怪を生み出すため、妖怪を食い物にしているそうです。未だ詳しい情報は手に入っていません。蘇芳の許へ集めた妖怪たち全て、同じ事を言うだけで、それ以外の情報が中々得られず、晴一様への報告が遅れてしまいました」

 目を逸らす事無く、ひたすらに晴一を見つめたまま淡々と事情を説明した。

 それを聞き、晴一は驚く事も頷く事もして見せない。ほんの少し目を細め、棗をまるで見下すかのように見つめるばかりだ。

「……そう。わかったよ。ごめんね、怒るような形になっちゃって」

「いえ、私の不手際です」

 再び首を横に振り、棗は晴一の言葉を否定し、自分に非がある事を口にする。

「この話はこれくらいにして……棗、下の者たちには君が頭首になった事は伝えたのかい?」

「いえ、まだ……。哥白や智咲たちには伝えてありますが、それ以外は機会もなく」

 三度棗は首を振り、無表情にも理由を添えて答えた。それを聞き晴一は前のめりになって口を開いた。

「早く言わなくちゃダメだよっ! 志獅頭首は基本、君たちの主である陰陽師当代の僕が任命する事になってるんだよっ、僕はもう任命してるんだから、早く伝えなさいっ」

「……それは、志獅の古株にアプローチを受けるのが面倒臭いと聞こえるのですが?」

 冷ややかな目をして棗が晴一を見ると、晴一はヘラッと作り笑いを見せて「そんな事ない」と否定して見せる。だが、その様子は明らかに肯定しているも同然で、棗は軽く息を吐いた。

「わかりました。近々先程の件も合わせて招集する事にします。それだけですか?」

 話の内容があまりにも薄っぺらく、わざわざ屋敷まで戻って来た意味が、棗には理解出来なかった。何か他に話があるのだと思えてならない。

「あ、そうだ。棗ちん、今から時間ある?」

「は? そりゃ学校休みましたし、時間はありますが……」

「今から、京都行かない?」

 あっさりととんでもない事を言ってのける晴一に、棗は呆気にとられて思考が一時停止してしまった。

 了解をする間もなく、晴一は立ち上がり、棗の腕を引いて屋敷を出る。

 二人が表に出ると、外には黒いワンピースを身に纏った一人の女性がお淑やかな雰囲気で立っていた。

「みこっちゃん、頼めるかな?」

 その女性に晴一が声をかけると、女性は軽く頷き、屋敷の玄関に向かって立つ。少しの間、何も言わず立ち尽くすと、玄関の戸を引いた。その先にあったのは、屋敷の内装ではなく、何処かの外へと繋がっていた。

 その一部始終を目の当たりにし、棗は声を上げた。

「……ああ、思い出した。(わたり)一族の(みこと)さんか」

「はい。お久しゅうございます」

 晴一がニックネームで彼女を呼ぶので一瞬わからなかったが、彼女は陰陽師の一人、渡命。陰陽師の中でも特殊な空間を繋げる事が出来る術を扱える。これが出来るのは渡一族のみであり、当主である晴一であってもやる事が出来ない。その代り、渡一族は短命で、齢三十に満たない内にこの世を去ってしまう。

 その今居る一族で彼女は中間くらい。棗が記憶している中では二十歳を超えたばかりだったはずだ。

「命さん、体に異常は?」

「いえ、今の所は。お気遣い、ありがとうございます」

 ゆったりとした口調で、軽く命は頭を下げた。

「さ、行くよ、棗ちん」

「はいはい。てか、その呼び名、やめてよね」

 面倒臭いと言わんばかりの表情を見せ、棗は先を行く晴一の後に続き、空間を繋ぐ玄関を渡った。最後に命が通り、玄関とは違った戸を閉めると、次に開けた時にはそこは物置と化していた。

「それで、ここは?」

「京都、僕の別邸の離れだね」

 見渡すと、鬱蒼と茂る木々に囲まれ、少々高い塀がこの敷地を取り囲んでいる。よく見ると棗たちが出て来た戸のある建物はこじんまりとしていて、古めかしくも味のある日本家屋だった。そこから西へいくらか離れた所にここよりも二倍近く大きな同じ造りの建物があった。

「何故母屋ではないのです」

 当然のように隣に立ち、肩を抱いてくる晴一に眉を顰めながら、棗は問う。晴一は相も変わらずニコニコと笑みを浮かべていた。

「母屋だと乳母がうるさいからさぁ」

「ああ、なるほど。で、京都へ来た目的は?」

「そうそ、それね。ちょぉっと仕事があるんだけど、どうにも僕だけだと面倒そうでね。手伝ってよ」

 断るつもりは毛頭なかったが、こうもマイペースな話をされると棗は頭を抱えた。

「妖怪絡みですか?」

「うん。どうも家屋に何匹も憑りついて、そいつらが家主たちに乗り移ってるみたいでね。それの霊媒だよ。場合によっては外部からの攻撃や、その人が暴れたりした時のための頼み綱って事」

 その程度の仕事なら、棗にも軽く出来る事ではあるが、志獅は全国に散らばる集団だ。当然、京都にも居る。金儲けばかりの中高年であまり人のいい奴ではないが、使えないわけではない。

「それなら何も、こっちの志獅に頼めば……」

「嫌だよ、あんなおっさんおばさん! ちょっと声かけると調子に乗って頭首にしてくれるんですかぁとか何とかうるさいんだからっ」

 ポロッと口を吐いた本音。棗は顔には出さないが、やはりか、と納得した。だからわざわざ全員に伝えさせるような真似をさせようとしていたのだろう。

「はぁ……それで、依頼は何時です」

「昼前だよ。相手がお腹空いてる時の方が術を掛けやすいから、昼は食べないよう言ってある。その代り、僕たちはたんまり食べてから行こうねっ」

 浮足立つような歩みに身を任せ、晴一は棗の手を引いて歩き出す。頭を下げて見送る命に、棗は軽く頭を下げた。


     三


「何ぃ、あの人が棗を連れてっただとっ!」

 学校ではイケメン、もとい晴一が棗を連れ去った話で持ちきりになり、当然その話は虎鉄や凰巳たちにも知れ渡る事となった。

 志獅の五人は屋上へと集い、その事実関係を東李と智咲に聞いていた。

「うん、そうみたい。軽く視たけど、棗は本家に主様と戻って行くのが視えたよ」

「……私も、主様の声が聴こえた……。棗から進んで早退しとった」

 東李と智咲が暴れんばかりの虎鉄に事実を伝える。

「けど、どうしてあの人がここへ? いつもなら式神とか出すよね?」

 話を聞いて不審に思った凰巳が、四人へ問いかける。それを聞いて哥白も頷き、残り三人へ事情を聞く。

「もしかすると、この間の任務じゃないかな……」

 しばらくそれぞれが思い当たる事を考えると、不意に東李が声を上げた。その話を聞き、虎鉄も「それだっ」と声を荒げて言う。

「え? 何かあったの?」

 二人だけの会話に着いて行けない哥白が問うと、食い入るように凰巳と智咲も二人を見つめた。

「ん、まぁね……ちょっとした任務放棄って奴かな。与えられた任務自体は完遂してはいるんだけど、その経緯がちょっとね……」

 東李は全てを言う訳でなく、大まかにあらましだけを説明する。この説明では三人は納得するわけでもなく、その先を聞こうとしたが、それは虎鉄によって阻まれてしまった。

「っつーか、棗の奴、あの人に話してなかったのかよ」

「恐らくね。棗の事だし、面倒臭がって言わなかったんじゃないかな。それが蘇芳によって知られる事になった……」

「蘇芳? それって確か、主様の分家に当たる人だよね。どうしてその人が出て来るの?」

 また凰巳が怪訝に問いかけて来る。これを問われては東李と虎鉄も全てを話さなくてはいけなくなる。

 しかし、ここは公衆のど真ん中。いくら屋上に人が居ないとは言え、何処で何を聞かれているかわからない。さらに言えば、志獅はこの筋の人間だけ知っていればいい存在だ。闇雲に一般人に知られるわけにもいかない。

「詳しい事はまた帰ってから話すよ。一応警戒してはいるけど、聞かれたらまずいから」

「……私たちも、あの人の所へ行こう……?」

 クンッと智咲がそう言って東李の裾を引っ張る。

「さすがに僕たちまで学校を休むわけには……」

「いや、行こうっ! だってあの人だよっ! 棗に何するかわからないよ!」

 大した理由もなく早退する事に東李は嫌がって見せるが、そんな事お構いなしに凰巳が声を上げた。

 確かに、棗が小さい頃から晴一と同い年の棗の兄と三人で居るのをよく見かけた。その度に棗は晴一に追いかけ回され、抱き上げられ、頭を撫で回され、危なくファーストキスまで奪われそうになった関係だ。

 この事もあってか、棗の性格はどんどん冷たくなっていき、小学校高学年になる頃には今の性格が出来上がっていた。

 晴一がその事に気付いているかどうかわからないが、もし万が一の事があっては暴れ出すだろう人間が居るために、どうしたものかと思ってしまう。

「まぁ、その気持ちもわからなくはないけど、公私混同するような人じゃ……」

「なくねぇだろ」

 言い切る前に、随分とトーンの落ちた虎鉄の声が聞こえて来た。見ると、沸々とした怒りが込み上げているのがよくわかる。

 東李は一度全員の顔を見渡すと、誰もが行く気満々でこちらを見つめていた。

「はぁ……わかった、行くよ。虎鉄と凰巳の言う事も確かだし」

 こうしてそれぞれは自分の担任へ早退する事を伝え、棗の向かった本家へと足を向ける。だが、そこには棗どころか晴一も居ない。

「鍵はかかってねぇみたいだが、居ねぇな。何処行ったんだ……?」

 軽く玄関の戸を引いただけで開ける事が出来た。不用心の何物でもないが、こんな場所、誰かが来るような事はないし、一応四ノ宮が所有している私有地だ。それに、志獅関連でない一般人には見つからないよう、念のため結界も張ってある。忍び込まれる事はまずない。

 とは言え、鍵もかけずマンション住まいの棗が本家を放ったらかしにする事は考え辛い。つまり、急用でもなければこんな状況はまずあり得ないのだ。

「あの人に何処か連れて行かれたんじゃ……」

「今昼前だし、早めのお昼ご飯、食べに行ってるんじゃないかな?」

 顔を青くする凰巳に、東李が苦笑を零しながら言って見せる。だが、それを素直に聞き入れなかった凰巳は、携帯電話を取り出し、棗へ電話をかける。

 だが、コール音だけで棗の声は聞こえてこない。

「棗、どうして出ないんだよ……」

「その内帰って来るんじゃないのかな」

「東李っ! お前さっきから随分と他人事じゃねぇか。棗がどうなってもいいってのかっ」

 東李は虎鉄にグッと襟首を掴まれ、軽く体が浮く。それを見た哥白が慌てて虎鉄の腕を掴んだ。

「お兄ちゃんっ、東李さんを放してっ! じゃないと……」

「……虎鉄、泳げたっけ?」

 哥白が何かを言いかけると、智咲がポツリと呟いた。その頭上には何処からかき集めたのか、四方二メートルはあろう水の塊があった。それを見た虎鉄は顔をひきつらせ、東李の襟首から手を放した。

「と、とにかく、喧嘩してても始まらないし、棗と連絡取れるようにしないと」

 そう凰巳が声を上げると、凰巳の携帯電話が振動した。


     四


 棗と晴一はファミレスに入り、昼食を取っていた。とは言え、棗は昼食を取らないため、晴一が美味そうに食べているのをソフトドリンクを飲みながら眺めているだけだ。

「本当に食べないのかい?」

「結構です。昼はあまり、食欲がないので」

 ストロー伝いにソフトドリンクを飲み、窓の外を見る。昼時だと言うのに学生らしき人間や、主婦、子ども、サラリーマンなどが行きかっている。

「ああ、そうだ。(あおい)の事だけど」

 晴一が昼食に頼んだ食事を一通り食べ終えると、箸を置き、思い出したように口走った。その一言を聞いて棗は視線を晴一に戻す。

「見つかったんですか?」

「いや……その逆だよ。相変わらず一切手がかりが掴めていない。東李くんや智咲ちゃんが見聞きして見つからないんだ、僕がそう簡単に見つけられるはずもないよ」

 苦笑いを浮かべ、晴一は軽く首を横に振る。それを見て棗は目を細め、再び窓の外へ視線を流す。

 葵とは、棗の兄の名前だ。両親が他界して一年目の頃、葵は忽然と姿を消した。初めは任務だと思っていた棗だったが、晴一に葵の居場所を問われて初めて、葵が行方不明になった事に気が付いた。

 任務で長期間家を空ける事なんて珍しくなかった。そのために気付くのが遅れた。その頃にはもう、東李や智咲では見つけられないほど、何処かへと行ってしまった後だった。

 当時棗はまだ中学校に上がったばかりで、晴一が酷く心配し、妹のように面倒を見てくれた。だが、志獅の大人たちは棗を煙たがり、一度もコンタクトを取らないまま、高校へと上がり、頭首と言う地位を与えられた。

 そして、気が付けばもうすぐ四年目の失踪を迎えようとしていた。ここまで来ると、もう葵は死んでしまったのだと思わざる負えない。だが、全国各地で葵の遺体が見つかったと言う情報もなければ、身元不明の遺体が発見されたと言う報道もされない。

 生きているのか死んでいるのか。それすらもはっきりしない状態。晴一も葵を探す事に協力してくれているが、依然、情報は得られていない。

「……諦めた方がいいのかな」

 ポツリと漏らした棗の言葉。それを否定する事も肯定する事も、晴一にはどちらが正しいのか判断出来かねないようで、何も言葉をかける事はなかった。

「どんな形であれ、家に戻って来てくれるといいんだけど。まぁ、生きていてくれた方が当然嬉しいんだけど」

「……そうだね。あいつならきっと、何処かで生きてるよ」

 晴一の気遣いに棗は薄く笑みを浮かべ、再びドリンクを口にした。

 棗は晴一の言葉を聞き軽く笑みを作ると、時間を確かめるためにカバンから携帯電話を取り出した。すると、二分前に凰巳から着信があった事に気付いた。

「……ちょっと電話していいですか? 何か、着信入ってたんで」

 棗はそう言うとすぐにリダイヤルする。数回のコール音がすると、持ち主の凰巳が出た。

〈あ、棗っ! 今何処に居るのっ〉

「何処って……晴一様と京都に居るが。それがどうかしたのか?」

 出てすぐに現在地を問われ、怪訝に思いながらも棗は素直に答えた。電話の向こうで何やら話し合う声が聞こえると、次に聞こえて来たのは東李だった。

〈東李だけど。京都って、仕事か何かあるの?〉

「ああ、大した事ないんだが、ちょっとな。今日中には……あ、ちょっと!」

 棗が東京へ戻る時間を伝えようとした所、携帯電話を晴一に取られた。

「あ、僕だよ。君たち、こっちへ来るかい? うん、ちょっと頼みたい事があるんだ。……うん。そう、よかった。そっちに遣いを出すから、その人に着いて来て。あ、棗に代わるね。はい、棗」

 ニコニコと何を嬉しそうにしているのかわからない笑顔で、晴一は棗から取り上げた携帯電話を返す。

「あ、もしもし? 何かよくわからないけど、来るメンバーは東李、智咲、虎鉄でいいかな。凰巳と哥白は一応、そっちで何もないよう残ってくれ」

〈ダメだっ! 凰巳と哥白を残すのは絶対ダメだっ!〉

 鼓膜が破れるかと思える大音量の虎鉄の声が耳を突く。

「はぁ……わかった、ではこうしよう。虎鉄、君と哥白を入れ替えよう。それで文句はないだろう?」

〈なっ、それは……〉

 棗の言葉に虎鉄が言葉を渋った。答えが返ってこない。棗は痺れをを切らし、東李に代わるよう言い渡すと、電話口に東李が出た。

「話は聞いていたよね? 哥白か虎鉄。どっちでもいいんだけど、そこへ残して置いてくれるね。最悪、三人置いて来ていいから」

〈う、うん、わかったよ。じゃあ、また後で〉

 棗はそれを聞くと電話を切り、鞄の中へと仕舞った。それを見ると、晴一が口を開いた。

「みんな来てもいいのに。どうしてわざわざ残すんだい?」

「まぁ、別段、東京に残す必要性はないのですが、皆無と言うわけじゃないのでね。屋敷で話したように、寺院へ集めた妖怪たちの言っている事が本当なら、放っておく事は出来ない。また、その妖怪たちが人間へ危害を加えない保証もないわけですから」

 棗はそう言うとドリンクを口に含んだ。それを聞き、晴一は軽く手を叩いて納得して見せた。

「それより、遣いの者は出したんですか?」

「ああ、棗ちんに電話を返した時にメールでね。命に出したから、また隠れ家に戻らないと」

 そう言うと晴一は伝票を取り、席を立つ。それに続いて棗も立ち、勘定を済ませて店を出た。


     五


 棗の電話を切ると、携帯電話を凰巳へ返した。みんながこちらに視線を投げかける。

「取り敢えず、僕と智咲は行くけど、虎鉄はどうする? 哥白ちゃんと代わってこっちに残る?」

 電話で揉めていた事。その事に触れると、虎鉄が眉間を顰めて必死に考えているようだった。

「哥白ちゃんはどうしたい? 凰巳と一緒に残るか、棗の所へ行くか。凰巳はあまり選択権ないけど、我慢してくれるよね」

 東李の言葉に凰巳は頷き、哥白も虎鉄同様悩んでいる様子だ。

 二人とも、晴一と一緒に居る棗の事が気がかりなのだろう。東李自身、それはわからなくもない。だが、棗からの言い渡しだ。虎鉄か哥白。どちらかを連れて行くか、どちらも置いていくか、決めなければならない。

「……私、残る。仕事の内容はわからないけど、戦闘となれば私は戦力不足だから」

 言い淀んでいた哥白が、困ったように眉を下げ、笑みを零した。

 事実、哥白は戦力不足だ。決して使えないメンバーではないが、彼女は心が優し過ぎる上に、戦いを好まない。能力は申し分ないのだが、性質の問題だ。

 その点、虎鉄は戦いを好み、先陣切って突っ込んでいく。後先考えないのは欠点だが、それに助けられる事もままある。能力を使わずして妖怪を倒せるだけの体術も持ち合わせている。

「わかった。じゃあ、哥白ちゃんは凰巳と残ってね。何かあったらすぐに僕か棗に連絡する事。凰巳に変な事されたって連絡でもいいから」

 東李は哥白の手を握り、微笑んだ。虎鉄は凰巳をしきりに睨みつけ、凰巳は顔をひきつらせて笑って見せる。

「……お迎えに参りました」

 ガラリと玄関の戸が開き、東李たちは肩を震わせて驚いて見せる。

「初めまして。私、陰陽師の渡命と申します」

「陰陽師の渡……ああ、短命で空間繋ぐ、特殊人員やね」

 渡の自己紹介にいち早く反応したのは智咲だった。その反応に東李や虎鉄たちは驚くが、耳聡い智咲の事だ、知らないはずの事を知っていてもおかしくはない。

「晴一様と棗様がお待ちです」

 そう言って渡は玄関を通るよう促した。

「じゃあ、哥白ちゃん、凰巳。何もないとは思うけど、こっちの事は頼んだよ」

 東李の言葉に哥白と凰巳が頷くと、三人は玄関をくぐり、京都へと辿り着く。

 潜り抜けた先に待ち構えていたのは、棗と晴一。晴一は爛々と笑みを浮かべているが、棗は面倒臭そうに立っている。

「棗っ! お前、何もされてねぇかっ」

 棗の姿を見るや否や、虎鉄が肩を掴んで問い質す。さすがにそれは想定外だったのか、棗は目を丸くして驚いていた。

「見ての通りだ。ちょっと食事して戻って来ただけだ。誘拐されたわけじゃないんだ、そんなに心配するなよ」

「心配するよ、棗。僕たちに何も言わずあの屋敷へ帰るんだもん。晴一様が一緒だとは噂で聞いていたけど、それが逆に心配を煽ると言うか……」

 東李がそう言うと、後方で智咲が何度か頷いて見せた。

「君たちは本当に棗が大切なんだねぇ、僕よりも」

 東李たちの会話を聞き、まるで皮肉めいた言葉が投げかけられた。それを聞き東李が慌てて弁解する。

「そ、そう言うつもりではないですよ。ただ、棗は僕たちの要。この子が僕たちの前から姿を消す事は許されないんです」

「……それは知らなかったな。私は常にお前たちに見張られているのか」

 東李が言った言葉に、意気揚々と棗が言って見せる。その時の表情がまるでおもちゃを見つけた子どものように笑みを浮かべていた。

「棗! 面白がってるでしょっ」

 東李が棗に突っかかるが、棗は東李の頭を撫でて軽く笑っている。遊ばれているのが眼に見えてわかる。東李はそれ以上何も言わず、改めて口を開いた。

「それで、仕事っていったい……?」

「ああ、除霊をちょっとね。場所はここからだと車で二十分くらいで着くから」

「車って誰が運転するんです。確か、晴一様は免許を持っていませんでしたよね?」

 陽気に答える晴一に東李は続けて問いかける。すると晴一はニッコリ笑みを浮かべて誰かを指差した。

「命さん? まさか、力で移動するつもりですか? でも渡の力は……」

 指差す先を見て立っていたのは命だった。それを見て棗が怪訝に問いかける。

「そう、限定条件がある。一度行った事のある場所でなければ移動は出来ない。そして、何かしらの扉がなければいけないしね。だから、力は使わないよ。命は免許持ってるから乗せてもらうんだよ」


     六


 十一時四十分、晴一と棗たち志獅は、命の車に乗って除霊を行う家へと辿り着いた。そこは晴れた昼間だと言うのに、住宅地から離れた林の中にあり、随分と薄暗い一軒家だった。

 呼び鈴を鳴らし、家主を訪ねる。出て来た男性に連れられ奥へと入ると、布団で簀巻きにされた女性が畳の上に転がっている。

「……棗、この人……」

「ああ……、ちょっと所じゃ済まなさそうだ」

 東李の言葉に棗は全てを察したかのように頷き、東李と虎鉄を家の外へ出した。

「陰陽師様、私の家内は助かるんでしょうか……」

 男性が苦しげに眉を顰め、漏らすように問いかけて来た。

「悪霊程度ならすぐに何とか出来たんですけどねぇ。思った通り、これは妖怪の類ですね」

 相も変わらずヘラッとした態度で晴一が言うと、男性の表情が見る見る青ざめて行く。

「妖怪っ? こんな時代にそんなものが実在するんですかっ!」

「実在するも何も、今目の前にしてるじゃないですか」

 男性の言葉を晴一は一笑し、簀巻きにされた女性と棗と智咲を指差した。

「家内はわかりますが、何故この子たちも……?」

「私たちの先祖は妖怪と人間なんですよ、ご主人」

「……棗、外が騒がしい」

 智咲がヘッドフォンの片方を外し、外へ耳を傾けていた。

「晴一様、事が荒立つ前に……」

 棗に言われ、晴一が窓の外を見ると、一度頷き、女性へと近づいた。そして一枚の札を取り出し、女性の体へ貼り付ける。その瞬間、静電気にも似た稲妻がバチバチと音を立て、女性は悲鳴にも聞こえる声を上げる。その声の大音量さに智咲は眉を顰めた。

『っ……主ら、我を誰と心得ている……!』

 苦しみながらも、息絶え絶えに女性の中に居る妖怪が話しかけて来た。

「誰でもいいからそこから早く出て来なよ。もっと苦しみたいなら構わないけど」

「ちょ、ちょっと陰陽師様! こんなことをして家内は大丈夫なのですかっ!」

 あまりにも容赦のないやり方に男性が声を上げた。途端、目の前に作り上げた氷が現れ、勢いよく何かがぶつかる音がし、ビキビキとヒビが入った。

『ぐおぉぉ……っ、何故だ……!』

 ひびの入った氷の壁の前に、黒く蠢く物体が声を漏らす。

「……何や、これ……」

 見た事も聞いた事もないそれの姿に、智咲が絶句した。

「これは、巫蠱(ふこ)だな。……ああ、なるほど、そういう事か。それでお前、何体喰った?」

 棗は何かに納得すると、巫蠱と呼んだそれに問いかけた。

『さぁな……一々覚えておらぬわ』

 巫蠱はモゾモゾと虫が集まるように動き、まるで人の形を模した姿へと変貌した。

「概ね二十体くらいみたいだねぇ。まだ姿が完全じゃない。君、あと何体喰うつもり?」

『喰えるだけ』

 黒いままの人の姿をした巫蠱は真っ黒な歯を見せてニタリと笑って言った。

「棗……巫蠱って何」

 話についていけない智咲と呆然とし尽す男性。智咲に問われ、棗がゆっくりと口を開いた。

「巫蠱と言うのは、通称、蠱毒(こどく)。これは本来、誰かを呪い殺すための禁術であり、そう簡単に出来る術ではない。やり方としては様々あるが、こいつの場合、妖怪か霊体を百体かき集め、一体だけ残るまで争わせ、喰わせたのだろう」

「じゃあ、喰った言うんは……?」

「巫蠱は、育てなくてはいけない生き物なんだ。ほら、さっき二十体と言ったろ? 術者が百以上集める事が出来なかったんだろ。あと八十体は最低でも必要だと言う事だ。そこで、私や虎鉄、東李が受けた任務に居た妖怪たち、食い物にされると言うのが、巫蠱の所為だったと言う所か」

「でも、ここは京都や。任務があったんは東京やろ……」

「ああ……つまり、巫蠱はこいつ一体ではないと言う事だよ」

 棗の話に、智咲は眉を顰め、表情を歪ませる。傍で聞いていた晴一は満足気に何度も頷いていた。


     七


 東京で待つ事になった凰巳と哥白。四ノ宮家の屋敷で待っていても仕方ないので、一時解散する事となり、それぞれの家へと帰った。

 凰巳の実家は郊外にある四百坪ほどの日本家屋。先祖代々ここに拠点を置き、とある事を引き継いでいる。

「あら、凰巳坊ちゃん、任務はもう終わりになったんですか?」

 志獅の中から雇っている家政婦が、早く帰って来た凰巳に驚き、抱えた片付け物もそのままに近寄って来た。

「任務? 今日は学校……、どういう事?」

「ニュースでバンバンやってますよ? 都心の方で異常気象発生って。まだ秋だと言うのに雪が降って降って積もってるんですよ。奥様は妖怪の仕業だとぼやいていらっしゃいましたけど」

 家政婦は首を傾げながら怪訝な表情をして見せる。凰巳はすぐに居間へと入り、テレビをつけ、ニュース番組をつけた。

「何だこれ……」

 ニュースでは都心で雪が降り、十センチ以上の積雪を報道している。目の疑うような状況に、凰巳が絶句していると、ポケットにしまっていた携帯電話が鳴った。

〈ニュース観てる?〉

 聞こえて来た声は哥白だった。

「観てるよ、哥白ちゃん。妖怪の姿は見当たらないけれど、母さんがそうじゃないかって言ってるらしい」

〈どうしよう……、私たちで退治出来るかな〉

「妖怪の姿がテレビじゃ確認出来ない。とにかく集まって、話はそれからにしよう」

 哥白は凰巳の言葉に頷くと、電話を切り、凰巳は居間を出る。するとまた家政婦と出くわした。

「坊ちゃん、何処か行かれるんですか?」

「うん。都心の異常気象の確認をしてくるよ。もし母さんの言う通り、妖怪だったら退治してくる」

「わかりました。お気を付けて」

 頭を下げる家政婦に軽く返事をしながら、家を出、問題の都心へと向かった。

 辿り着くと、そこは東京中心地と言うのに、ニュースにあったように十センチ以上の積雪が見受けられる。突然の雪に歩行者は傘を差し、車は路側に停め立ち往生しているようだった。

「凰巳くん、あそこ……狐、かな?」

 人目の少ないビルの屋上へ集まって早々、哥白がそう言って空を指差した。その先には、青白い狐の姿があった。

「妖怪だ。あいつの所為でこの異常気象が起きているようだね」

「どうしよう、棗ちゃんたちに連絡しないと……っ」

 そう言って哥白は携帯電話を取り出して棗へ連絡する。だが、電源が切られているのか繋がらず、それをすぐに切ると、東李へと電話をかける。

「繋がりそう?」

「……ダメ、コールは何回もするのに、全然出てくれない」

 哥白は眉間にしわを寄せ、携帯電話を切り、ポケットの中へとしまった。

「仕方ない、俺たちだけで退治するしかないね。とにかく、この状況を止めないといけない。溶かせるかやってみるよ」

 凰巳はそう言って笑うと、得意の炎で雪を溶かそうと試みる。だが、雪の勢いの方が強く、中々溶かす事が出来ない。

「凰巳くん、もっと勢いよくやらないと無理みたいだよっ!」

「こ、哥白ちゃん、これ結構限界なんだけど……!」

 火力を増し、精神が擦り切れそうな程炎を噴射する。だが、異常気象が起こっている範囲が広すぎるのか、やはり凰巳一人では溶かす事が出来ない。

   我を出せ……。

 凰巳の脳内に、そう言葉が木霊した。

「お前……っ、嫌だね。お前に体を乗っ取られるくらいなら、あの狐を捕らえて止めるまでだよ!」

   馬鹿者めが……。

 そう今度は聞こえると、脳内が静けさを取り戻した。

「哥白ちゃん、あの狐を捕まえよう。そうしたらこの雪も止まるだろうし」

「うん、わかった。あの子、とにかく何処かに誘導しよう!」

「そうだね。ここから少し遠いけど、四ノ宮の敷地まで行こう。あそこなら結界もあって人は入り込めないし。じゃあ、俺が追うから、哥白ちゃんは捕獲の準備しておいて」

 そう言うと凰巳は背中に火で作られた翼を背負う。雪を溶かそうと思って放った火が消えてしまうほどの雪の威力。何処まで耐えられるかはわからないが、凰巳はその翼をはばたかせ、狐の許へと飛び立つ。狐は凰巳の姿に気付くと、その場から動き出し、上空を走り始める。凰巳は構う事無く追い、四ノ宮の私有地である山へと誘導する。

 狐が移動する度にその場所へ雪が降り注がれる。

 何とか敷地に追い込むと、哥白の姿を探す。だが、狐へ視線を外してしまうと何処へ行ってしまうかわからない。

「とにかく降ろさないと」

 凰巳はそう呟くと狐の上へ回り込む。

炎丸(えんがん)……っ!」

 掌の上に直径五センチくらいの火の玉をいくつも作り上げ、それらを一気に狐の上に打ち込んだ。今までと違った突然の上空からの攻撃に、狐は驚き、二、三発直撃した。するとそのまま落下し、山の中へと落ちて行く。凰巳も落下位置へと降り立つ。

「凰巳くんっ、こっち!」

 そう哥白の声が聞こえ、凰巳は狐の姿を視界に捉え、上空と同じように誘導をする。狐の居た所が凍り付いている。上空とは違い、狐の歩く場所が全て凍り付き、スケートリンクのように氷張りになっている。凰巳はその場所を避け、狐を追って哥白の場所まで追い込む。

(こう)……」

 哥白の姿が見えると、角瓶に入った銀色の液体を地面へと垂らし、まるで操り人形のように手を動かして檻の形を模って行く。

「さあ、潮時だよ」

 凰巳は狙いを澄まし、再び火の玉を、今度は五センチではなく直径四十センチの大きさを一つ作り、一気に狐の後方へ放つ。それは狐の尻に当たり、勢いよく哥白の許へと向かっていく。待ち構えた哥白は檻で狐を捕獲する。

「やったねっ!」

 捕まえると哥白が嬉しげに笑みを浮かべた。凰巳も頷き、哥白の許へと歩み寄る。

「手間が少なくてよかった。もっと強い妖怪だったら俺たちだけじゃ太刀打ち出来なかったよ。さて、可哀想だけどこいつを殺して雪を溶かさないと」

 凰巳はそう言い、腰に忍ばせていたハンドガンを抜き取り、銃口を狐へと向ける。すると狐は突然ガンガンと檻を攻撃して、何とか抜け出そうと試みている。引き金に指をかけ、力を入れる。発砲まであと僅かと言った所で狐の攻撃が変わり、氷の塊が檻へと放たれ、一瞬にして檻の原型なく崩れた。

「やばいっ!」

 逃げられる。そう思い、すぐさま発砲したが、弾道の先に狐は居なかった。

「凰巳くん、上!」

 そう哥白の声が聞こえ見上げると、先程の氷塊が無数に勢いよく襲い掛かって来た。凰巳は炎の壁で身を守ろうとしたが、氷塊はそれを貫き、凰巳へと直撃する。一向に降り止む気配がなく、凰巳の体力がどんどん削られていく。哥白は無事かと盗み見ると、どうやら哥白の方には降り注いでおらず、この状況に戸惑っているようだ。

   我と代われ……。

 再び脳に声が響いた。凰巳は首を横に振る。

   今のお前は弱い。あの子は守れぬぞ……。

 その言葉に、言い返す事が出来なかった。図星だったからだ。いくら強がっていても、虎鉄のように素手で戦える程強くないし、東李のように頭がよく妖力を使いこなせるわけでもない。まして、棗のような指導者としてのカリスマ性、妖怪を手にかける非道性、感情をコントロールする精神の強さは足下にも及ばない。

「……哥白ちゃん。ごめん、何としてでも棗に連絡取ってくれる?」

 降り注ぐ氷塊に耐えながら、凰巳は哥白にそう笑顔で頼んだ。哥白は意味が分かっていないようだったが、説明している暇はない。

「……頼んだよ、聖禽(せいきん)……」

 そう言うと凰巳はふらりと体を揺らし、ゆっくりと前のめりに倒れて行く。それを見た哥白が慌てて凰巳に近付こうとすると、ブワッと凰巳の体周辺が火の海と化した。それは先程までの勢いとは比にならず、また、炎の色がとても澄み、鮮やかだ。

「あなた……誰?」

 ポツリと呟いた哥白の声に、凰巳はゆっくりと振り向いた。見た目は凰巳その者だが、目の色が金色になり、真っ赤な髪へ変色し、そして赤く帯状のアザが全身に広がっていた。

「我が名は聖禽。凰巳の体に巣食う、五獣なり」

 炎の勢いが落ち着くと、無数に降り注いでいた氷塊が跡形もなく消えていた。

「そこの氷狐。お前を我の久方振りのエサにしてやろうか」

 凰巳、もとい聖禽の言葉を理解したのか、狐は怯え、再び街の方へと逃げてしまった。

「哥白だったな。お前はここに居ろ。すぐに戻る」

 そう言うと聖禽は炎の翼を広げ、その場から飛び立ち、狐を追った。


     八


 外に出ていた東李と虎鉄は、家の中から禍々しい妖気を感じ取った。同時に、何体もの妖怪たちがその妖気に魅せられて周囲に集まろうとしていた。

「いっぱい来るね。僕たちはこいつらの排除のために来させられたんだね」

「さっさと片付けるぞっ」

 呆れて言う東李を尻目に、虎鉄が先陣切って集まって来る妖怪を倒しにかかる。それに続き、東李も妖怪たちに対峙する。

 住宅地から離れ、林の中だとは言っても、今は昼間。下手すれば一般人に見られ、騒ぎになっては困る。この状態では思うように力を使えない。虎鉄は持ち前の体術で応戦し、東李は何処に隠し持っていたのか何本もの錐で妖怪たちの心臓を一突きする。数は多いが全てが小物。体力が続く限り負けはしない。

 すると、家の方からドンッと言う大きな物音がした。二人は驚いて振り返ると、屋根の上に真っ黒な人が立っている。そしてその人から放たれる夥しい程の苦しくなるような妖気。集まった妖怪たちが吸い込まれるようにして黒い人の所へ向かっていく。すると、黒い人がすっぽりと氷の中へ閉じ込められてしまった。

「虎鉄! 止めを刺せ!」

 何処からともなく棗の声が聴こえ、虎鉄は氷漬けになった黒い人を砕きに向かう。だが、虎鉄が触れる前に氷にヒビが入り、その人は脱出し、手近に居た妖怪一体を丸呑みして見せた。その瞬間、ボコボコと黒い人の体が蠢き、ピタリと止まったかと思えば、随分と筋肉質な体になっていた。続けてもう一体、更にもう一体と妖怪を呑み込んでいく。次第に黒かった人は、黒味がなくなり、人間さながらの姿になって行く。

「くそっ……! 砂刀(さとう)っ」

 棗の舌打ちが聞こえると、僅かな砂をかき集めて固めると、刀の形にして見せる。それを構え、黒かった人へと接近する。砂刀を振り、その人の腹を目がける。だが、それは軽く跳ね返され、棗は東李たちの前に退いた。

「おい棗っ! あれは何だっ」

「巫蠱だよ……」

「巫蠱、だって? そんな、まさか……」

 棗の言葉に東李が過剰なまでに反応した。だが、聞いた当人、虎鉄は理解出来ていなかった。

「東李、虎鉄への説明を頼む。巫蠱が恐らく、逃げ惑う妖怪たちの原因だ」

 そう言い残すと、再び棗は黒かった人、巫蠱の許へと行ってしまう。

「どういう事だよ、東李」

「詳しい事は後にしよう、虎鉄。とにかくあいつを先に倒さなければいけない……!」

 東李は錐を取り出し、棗のサポートに回る。虎鉄も訳がわからないまま、東李同様サポートへ着いた。

『何故邪魔をする……』

「何故も何も、お前は人間や妖怪にとって悪にしかなりえないからだよ」

 棗は砂刀で巫蠱の腕を目がけるが、やはり避けられ、棗の腹部へと拳が命中した。棗が痛みに顔を歪めると、巫蠱は棗の両腕を掴み、臭いを嗅いだ。

『お前、いい匂いがするな。美味そうだ』

「はんっ、私を喰ったら腹を壊すぞ」

 棗は臭いを嗅ぐ巫蠱に不敵な笑みを見せる。捕らえられた棗を助けようと試みるが、棗を楯にされそうな状況で、東李と虎鉄は手が出せないでいた。

『いただきます』

 そう言うと巫蠱は棗の左肩にかぶりついた。棗の悲鳴にも似た叫び声が聞こえる。左肩から巫蠱が離れると、口の形に肉が削がれ、薄らと骨が見えている。滴り落ちる血。棗の服が一瞬にして真っ赤に染まる。

「はぁ、はぁ……ふっ、馬鹿だな、お前。言ったろ、腹を壊すって……」

 痛みに顔を歪ませながらも、必死に不敵な笑みを作って言って見せた。巫蠱は怪訝な表情をして見せる。

「っ……やれ、智咲」

 そう呟くと、その瞬間、巫蠱は腹部の辺りから体内から外へ血と氷を吹き出し、棗を捕まえる力が弱まった事で棗が落下する。それを見て東李が理解したように声を上げる。

「智咲の水を水蒸気にして吸わせていたのか……っ!」

「ふっ……今度こそ潰せよ、虎鉄」

 落下しながら不敵な笑みを浮かべる棗と入れ替えに、虎鉄が巫蠱の許へと向かう。巫蠱が虎鉄の姿に気付くと同時に虎鉄は巫蠱の頭を掴み、首の骨を捻ってへし折り、止めに胸に素手で突き刺し心臓を抜き取った。

『ぐぉ……っ、きさ、ま……!』

 胸を貫く虎鉄の腕を掴み、歯切れ悪くも口を開き、巫蠱は虎鉄を睨みつける。虎鉄は掌に乗った巫蠱の心臓をそのまま握り潰し、強引に胸を引き抜く。すると巫蠱はブクブクと泡立ち、再び黒味を帯びて液体となって朽ち果てた。

「うげっ、気持ち悪ぃ……!」

 ベチャベチャと地面へと落ちた黒い液体。家の玄関先から晴一と家主が出て来、終わった事を確認する。

「棗っ、棗! しっかりしてよ!」

 東李の声が周囲に反響した。虎鉄は慌てて東李の許へと駆け寄る。そこには東李に抱えられ、脂汗を浮かべて笑みを浮かべる棗、必死に謝る智咲の姿があった。

「棗、ごめん……ごめんっ!」

 見ると、棗の体には無数の傷跡が付いている。その姿を見て、虎鉄は記憶を甦らせる。それは先程の智咲の攻撃で受けた傷だろう。智咲の目が珍しくも潤んでいる。

「平気だ……治癒が、間に合っていないだけだ」

 辛そうに顔を歪めながら、棗は智咲と東李に気遣って見せる。その棗に晴一が近寄り、傷の具合を覗き見る。志獅である者独特の回復能力で、僅かに見えていた骨は見えなくなり、筋肉も半分近く回復していた。だが、回復速度はそれ以上上がる事もなく、ゆっくりと行われていた。

「出血も酷いが、何より傷口だね。あの巫蠱、面倒な事してくれたよ……」

 傷口に触れ、晴一が眉を顰めながら呟く。

「どういう事ですか、晴一様」

「ん? ほら、血でわかりにくいけど、棗ちんの皮膚、黒ずんでるでしょ? 恐らく、噛みついた時に(しゅ)が入り込んだんだ。おかげで治癒が遅れてるんだろうね。下手に治癒力を加速させるのは危険だ。智咲ちゃん、棗の傷口を一時、凍らせておいてくれる?」

 東李に問われ、晴一は詳しく説明し、智咲に頼んだ。智咲は小さく頷き、棗の左肩を凍らせた。

「けど、何で凍らせるんだ……?」

 晴一の指示に虎鉄が首を傾げる。それを聞いて晴一はやんわりと笑み、答えた。

「そのままにしておくより、一時細胞を眠らせるんだよ。そうすれば回復が止まり、止血にもなるでしょう? 東京へ戻ったら呪を何とかするよ」

 晴一の案に、全員が頷く。すると、虎鉄の携帯電話がけたたましくも鳴り響いた。虎鉄は驚き、画面を見ると、哥白からだった。

「どうした、哥白っ!」

〈お兄ちゃん、どうしようっ……凰巳くんが……凰巳くんが戻らなくなっちゃったよっ!〉

「戻らないってどういう事だ! 何かあったのかっ!」

 虎鉄の慌てる姿に、棗が眉を顰め、電話を代わるように言ってきた。虎鉄は一瞬渋ったが、素直に代わった。棗は電話を代わると、一言、二言話し、電話を切った。

「何があったの……?」

「凰巳の意識が飛んだ。すぐに東京へ戻らないと、東京が火の海になる」

 怪訝に問いかける晴一に、棗は表情もなく深刻に言い切った。

「命に言って東京へ戻ろう。僕は呪を解く準備をするから、悪いけど凰巳くんの事は頼んだよ」

 そう言うと晴一は呆然とする男性に声をかけ、命の力で東京へと戻った。


     九


 東京都中心地。棗たちは哥白と合流し、凰巳を探した。概ねの事情を哥白から聞き、棗は頭を抱える。哥白は棗と東李、それぞれに連絡したと言う。携帯電話を確認すると、棗のは電池が切れたのか電源が切れており、東李は命の車の中に居る時にマナーモードにしたため、二回の着信に気付かなかった。

「あいつ……どうして聖禽に意識を……っ」

 中々見つからず、棗がぼやく。苛立ちのあまり右手でビルの壁を殴った。同時に凍らせた傷口に響き、激痛が走る。

「棗っ、凰巳くんの姿、この先に視えるよっ」

 東李の案内に全員が頷き、先導する東李に着いて行き、その場所へと移動する。辿り着いたその場所の上空に凰巳の姿が見受けられた。

「あの馬鹿……! 完全に乗っ取られてやがるっ」

 棗は舌打ちをし、凰巳の姿に頭を掻き毟る。

 今凰巳の居る高さはおよそ五百メートル。この周辺にその高さまで行ける手立てがない。

「棗ちゃん、どうしよう……っ」

「とにかく、あいつを引き摺り下ろさないと。こちらに気付かせるだけでいい。当てても構わない。全員であいつに向かって攻撃しろっ」

 棗はそう言うと右手に少ない砂をかき集め、いくつかの球に丸めると一気にそれを凰巳に浴びせる。同時に他の四人も思い思いに攻撃する。五百メートル先の上空へ攻撃が飛ぶことがなく、途中で落下してしまう攻撃も少なくない。また、命中率が悪く、凰巳よりいくぶんか離れた所を通り過ぎるものもあった。

 棗が再び砂を集め、同じように凰巳へ攻撃する。すると、突然目眩に襲われた。棗は立っていられず、その場に膝を着いた。左肩が異常に熱く、太い釘でも刺し打たれているような痛みが襲う。

「棗っ!」

 周りに居た四人が慌てて棗に駆け寄った。突然攻撃の手が止まった事に気付いた凰巳が急降下し、棗の許へと降り立った。

「貴殿、呪に侵されているではないか……っ」

「っ……そんな事より聖禽、貴様何故表へ出ている……。凰巳はまだ器が出来ていないのを、わかっているだろう……」

 慌てる凰巳、もとい聖禽に棗は痛みに耐えながら胸倉を掴み事情を問う。

「そこの娘と凰巳では氷孤を排除し切れなかったのだ」

 痛い所を突かれたのか、聖禽は素直に事情を話した。棗は舌打ちをして手を放す。

「棗……痛むの?」

 二人の会話に東李が割って入り、その横で智咲が哀しげに見つめている。

「どうやら、力を使った事で呪が進行したらしい……」

「我に見せてみよ」

 そう言うと聖禽は躊躇う事無く左肩側のシャツを破き、傷の具合を診る。傷の大きさ、深さは凍らせた時と変わらない。だが、呪と思われる黒味が左肘から首の左半分まで浸食している。

「晴一様が何とかしてくれるはずだよ。今その準備をしてるって……」

「その陰陽師だけで何とかなすとは思えない。これは呪術だ。呪詛返しと言うのもあるが、そう易々と出来る事ではない。術者が解くか、死ぬかしなければ棗が死んでしまうぞ」

 東李の言葉を聖禽がぴしゃりと否定する。

「聖禽の言う通りだ。晴一様と言えど、恐らくは精々この呪を抑えておく程度だ」

 棗が眉を顰め、嘲笑気味に笑う。

「だが、呪をある程度まで軽くする事は出来る」

 聖禽の言葉に、棗以外の全員がその話に食いついた。

「我に喰わせろ。全てとはいかぬが、半分以上は喰らう事が出来る」

「聖獣様だからか? ……いいだろう。ただし、喰った後、その体を凰巳に返すんだ」

 上から目線で言う聖禽に負けず劣らず、棗も不敵に笑んで条件を付けた。聖禽は「仕方ない」と呟き、承諾した。

 聖禽は凍りついた棗の左肩に手をかざす。左肩と右手の間に黒い球が発生し、それは徐々に大きくなっていく。同時に棗に浸食していた黒味が引いて行くのが目に見えてわかる。

「しかし、何故呪に侵された……?」

「巫蠱は知っているな。それが量産されているらしくてね。その内の一体に喰われた。妖怪を喰って肉体を作っている。同時に能力が高まり、身体能力も上がっている。砂縛(さばく)で締め上げてもよかったんだが、そんな余裕もなくてね」

 あの場所は周囲が砂に囲まれてはいたが、あの巫蠱を取り押さえ、圧死させるほどの量はなかった。また、巫蠱の成長が早く、残りの妖怪たちを喰われては、智咲や虎鉄の攻撃だけで済んだかもわからない。

 黒い球が直径四センチ程度膨れ上がると、それ以上は大きくならなくなった。それを見ると聖禽は球を摘み上げ、口に含んで丸呑みした。

「これで大方取り除けただろう。だが、全てではない。無理はするな」

 そう言うと聖禽は軽く棗の頭を撫でた。

「棗ちゃん、この人何なのっ? 五獣って何っ」

 哥白が不安そうに眉間を顰め、珍しくも取り乱しながら聞いてくる。

「そう言えば、お前たちは知らなかったんだな」

 そう言うと棗は、肩の具合を診ながら聖禽の事を話し始める。

 聖禽は上條家が護る、五獣、方角の守護神。俗に言う四神と言う物だ。そして、聖禽はその中の朱雀に当たる。過去、どんな経緯があって守護しているのかはわからない。この事があり、凰巳は先代から聖禽を継承した。継承時期は、子どもの能力が聖禽と同属性であるとわかってから。属性が違えば継承はしない。そのためか、この継承は凰巳を含め、これで十代目と言う。継承する子どもが居ない時、一時的に大人の体を転々とする。その理由は器と関係している。

 器とは、聖禽をコントロール出来る精神と、聖禽の炎に耐えうる肉体。精神ばかりは本人次第だが、肉体は今凰巳の体に浮き出ている帯状の赤いアザが肉体を護っている。全身にあるとは言え、帯状になっているのは同じ属性だからこそ。これが異なる属性であると全身が真っ赤に染まり、それでさえ耐える事が出来ずに肉体が焼け爛れてしまう。

「聖禽は四神の中で最も気性の荒い神なんだ。かなりの頻度で脳へ語り掛けて来ると、凰巳が言っていた」

 棗は一息吐く。肩の痛みは当然だが、呪から来る痛みはない。

「どうして棗はその話を知っているの?」

「尤もな意見だな。私は両親や晴一様から聞いているんだよ。継承には陰陽師も係わっているそうでな。両親からは噂程度に聞いていただけだったが、初めて会った時、納得したよ」

 四人は棗の言っている事を半分は理解出来たが、後の一言だけ理解出来なかったようだった。

「こいつ、凰巳が継承して、私と凰巳が初めて対面して以来、時折私の所へ来るんだ。凰巳が寝静まった後にな」

「どうして会いに……?」

 素朴な疑問。東李の言葉に棗は何も言わず、聖禽を見た。

「昔の知り合いに似ていてな。たまに会いたくなるのだよ」

 そう言うと聖禽は再び棗の頭を撫でる。すると途端に手が跳ね除けられた。見ると、虎鉄が聖禽の手を弾いたのだ。

「んな事より、あの人の所へ早く行こうぜ。呪とか言うの、まだ残ってんだろ」

「ああ、そうだな。聖禽、もういいだろう。凰巳に体を返すんだ」

 棗に言われ、聖禽は仕方ないと肩を竦めると軽く目を閉じた。少しずつ赤いアザが消えていき、フラッと凰巳の体が揺らいだ。近くに居た智咲が慌てて支えると、ゆっくりと目を開けた。

「……ごめん、棗……」

 開口一番、凰巳は謝った。棗は呆れたような目で凰巳を見ると、溜め息交じりに口を開く。

「まったくだ。智咲、ついでで悪いが凰巳を頼む。あれだけ派手に動いていたんだ、何処かしら火傷しているかも知れない」

「……わかった」

 智咲は不服気にも頷き、了承した。それを見ると、棗たちは晴一のマツ四ノ宮本家へと足を向けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ