化け猫
一
十一月十八日、東京都渋谷区。この日の夜はとても冷える。冬が近づいていると言う事もあるのか、気温は十度を下回っている。
四ノ宮棗は主である、安倍晴明の子孫、神崎晴一から妖怪退治の任務を承り、夜な夜な一人でネオンの輝く街並みへ赴いていた。
棗は翌年元旦、誕生日を迎えて十六歳になる、高校一年生。女の子でありながらスカートを履く事を毛嫌いし、制服以外では常にパンツを履いている。パンツに適当なシャツ、今日は冷えるので一枚、少々厚手の上着を羽織、街中を歩き回っていた。
「お嬢さん、見た所学生だね? こんな時間にこんな所で何してんのぉ?」
ガッと突然肩を抱かれ、棗は特に驚く素振りもなく声をかけて来たホスト紛いの男に目を向けた。
「もし暇なら、うちの店来ない? 未成年だからちゃんとソフトドリンクで接客させてもらうからさぁ」
「遠慮します。興味がないので」
「あー、だと思った! 何か男慣れしてなさそうだもんねぇ。大丈夫、絶対楽しめるように相手するから!」
棗が断ったと言うのに、男はめげる事無く勧誘を続ける。その間、抱いた肩は放す事をしない。
ぺちゃくちゃと棗に向かって店に来るよう言い続けているが、当の棗は聞く耳を持たず、肩を抱く離れない手に気にも留めず歩き続ける。そして一つ角を曲がり、ビルとビルの間へと男を誘い込んだ。
「お、何々? 君、実は遊び慣れてる?」
相変わらず調子のいい口調で男は棗に声をかけた。棗は何も言わず男の手を退け、男の背中をビルの壁へと着ける。
「まさか、ここでナニかするつもり?」
疑うような言葉を投げかける男の顔は、とても嬉しげで少し逸っている様子だった。
「……そうですね。取り敢えず………うるせぇから黙ってろ」
やんわりとした笑顔で口を開いたかと思えば、少し間を開けて次に出した言葉はとても重低音で鋭く尖った目つきで言い放った。
「え、何? すっごく怖げ? 大丈夫、俺がちゃんと……ひっ!」
棗の言葉もむなしく、男は飄々と声を上げたが、棗の後ろにいつの間にか立っていた男に怯えた声を漏らした。
「棗、何男連れ込んでるんだよ」
「ん? ああ、エサに丁度いいかと思って」
棗の後ろに立つ男が当然のように棗に声をかけ、棗もそれに動揺する事無く淡々と答えて見せた。
「取り敢えず、手に持ってる物を仕舞え。誰かに見られでもしたら面倒だ」
棗は後ろを振り向く事もせずに、男が何かを持っている事を察して忠告する。男は軽く舌打ちをすると怯える男に向けて持っていた物、ハンドガンを懐へと仕舞い込む。
「な、何なんだよお前ら……っ!」
先程から怯えてばかりの男が、やっと絞り出した言葉で存在を問いた。
「私たちは、ただの掃除屋だよ。あんたも掃除されたくなかったら、さっさと何処か行きな」
冷酷な視線を男へ投げかけると、すぐさまその場から立ち去って行った。
それを見て棗は一息吐くと、踵を返し、後ろに立つ男へ向き合った。
「凰巳、何故お前がここに居る?」
呆れたような表情をして、棗が男の名を語り理由を問う。
「それはこっちのセリフ! 何でお前一人でここに来てるんだよ!」
むっとした表情で男は棗に聞き返す。彼の名は、上條凰巳。高校二年生で棗と同じ高校に通う同胞だ。
「私一人でいいと判断したからだ。何か不満でもあるのか?」
「大有りだね! 今回は数が多いって聞いた。それに、こんな場所じゃお前の力は使えないでしょっ」
「力なんて使わなくても別に……」
棗は凰巳に叱られながらも表情を変えず、淡々と言葉を吐くが、ふとした拍子に言葉を切り、凰巳も一緒になって辺りを見渡した。
ザワザワとした吐き気を催すような空気が、二人の許へ流れて来る。これは二人が目的とする妖怪の妖気。棗と凰巳は目を合わせ、路地の奥へと走り出す。
妖気は纏わり付くように追いかけて来、路地を抜けるとそこはネオンの光が届かない道へと抜け出た。
「この妖気……飛縁魔か」
「凰巳、知らずにここへ来たのか?」
呆れたように言う棗の言葉に凰巳は恥ずかしげに口を開く。
「う、うるさいっ。お前が一人で行ったって聞いてすぐ出て来ちまったから、詳しい話は聞いてないんだよっ」
「お前の忠誠心の厚さには頭が下がるが、時々見せるその猪突猛進な所は褒められないな。まあいい、今回の任務は二ヶ月前から何人かの男性がある店に通った事で気が狂い、姿を消している。その原因であろう飛縁魔の排除だ」
棗の説明に凰巳が言いよどみながら頷くと、ひょっこりと誰かが姿を現した。
「あら、若いカップルじゃないの。もしかして、お邪魔だったかしら?」
フフッと笑みを零す美人で綺麗な女性が、棗と凰巳を見て声をかけて来た。凰巳は飛縁魔が来たのだと身構えたが、予想と違う人物が現れた事に目を丸くする。
「こいつと恋人同士だなんて、死んでも有り得ないよ、美人なお姉さん」
あからさまに嫌な表情をして棗は女性の言葉を否定した。
「ふふ、そうなの? じゃあその子、私のお店に貸してもらえないかしら? ちょっとノルマが足りないのよ」
困ったような表情をして頬に手を当て、事情を話す女性。話から察するに、凰巳はこの女性がキャバクラのスタッフだと言う事に気が付いた。
「いや、俺未成年だから、そう言う所には行けないですよ。と言うか、危ないから早くお店に戻った方がいいんじゃないですか?」
こんな路地裏の薄暗い道端。素行のよくない男たちにでも見つかれば、強姦被害なんて珍しくはない。凰巳はそれを思い、女性に店へ戻るよう促す。
「あなたが来てくれたら、お店に戻るわよ?」
「それは駄目だ」
笑みを零して尚も凰巳を連れて行こうとする女性に、棗がキッパリと拒絶した。それを聞いて、驚きながらも嬉しそうな視線を凰巳は棗に向ける。
「あら、どうして?」
「戯言を。貴様らに喰われるからに決まっているだろう」
「あらー、お金は頂くけれど、それ以上は何もないわよ?」
女性は驚いたとでも言いたげな表情で、棗の言葉を否定する。しかし、棗はそこで納得するわけでもなく、再び口を開いた。
「そう言って、いったい何人の男たちを食い物にした? こんな子どもまで喰うとは、相当腹を空かせているんだな」
「ふふ、知らないの? 成人した男より、青臭い子どもの方が美味しいのよ?」
「わからなくもないが、こいつはあんたの手に余る。諦めな」
棗は凰巳の手を引き、自分の後ろへと下がらせると嘲笑するかのように笑みを浮かべて言い放つ。
「聞き分けのない子どもって、好きじゃないわね」
そう女性が言った途端、ザワザワしていた妖気の感覚がドッと押し寄せて浴びるように感じ取られた。
「早くその子をこちらにお渡し?」
「嫌だと言ったら?」
「このまま食べるまでよっ」
ブワッと妖気が膨れ上がり、何処に隠れていたのかドレスに身を包んだ女性が数人現れ、瞬きをする間もなく取り囲まれてしまった。
「え、ちょ……マジかよ!」
凰巳は棗と女性の会話を聞いて薄々と理解していたが、まさかこの女性が飛縁魔だとは思いもしなかった。そして取り囲む女性たちもそれぞれ妖気を持ち、飛縁魔の部下だと言う事が窺える。
「この子たちを食べてしまいなさい、私の子猫ちゃんたちっ」
女性、もとい飛縁魔が部下に指示を出すと、一斉に棗と凰巳に向かって飛びつこうとした。しかし、パチン、と言う指を鳴らした音が聞こえたと共に、二人と飛縁魔の部下の間に筒状の真っ赤な炎の柱が轟々と現れた。
「何を、食べるって?」
背よりも高く燃え上がる炎が勢いを落とし、筒状を保ったまま棗と凰巳の顔が見える位置まで下がる。
「飛縁魔。綺麗な女の姿をして男を誘惑し、その男の心を惑わし家族をも破滅へと追い込む。そしてその男の生気だけを採るならまだしも、場合によっては食べてしまう女妖怪」
棗が淡々と飛縁魔の詳細を語る。
「な、何なのよあなたたち……っ」
異色を放つ妖力に、飛縁魔は顔を強張らせて吠えるように声を上げた。それを聞き、棗はフッと笑みを零し、見下すかのような目をして口を開く。
「陰陽師の名の許に志獅在りき。見逃してはやらないよ、お前たちの悪行を」
「し……志獅、ですって? 志獅はあくまで噂の集団なんじゃ……!」
棗の言葉を聞いて飛縁魔は愕然と顔を青ざめて二人を見る。だが、先程まで百面相の如く表情を変えていた凰巳には表情がなく、棗には冷徹な仮面でも被せたかのように冷ややかだ。
「凰巳、焼き殺せ。毛一つ残すな」
「りょーかい」
凰巳は棗からの指示に従い、右手人指し指を軽く回す。するとずっと筒状の壁となっていた炎が火力を増し、逃げ惑う部下たちを捕らえては燃やし始める。目の前の状況に愕然とする飛縁魔には、別に新たな炎を何処からともなく発生させ、彼女の体全てを覆った。
悲鳴にも似た断末魔の叫び声が、静けさ漂う道端で木霊するように響き渡った。
二
平安時代。この時代には数多の幽霊、化け物が存在した。その中でも多かったのが、妖怪である。
それらを滅する者として、陰陽師と言う者が存在した。彼らはそれらを排除する事もさる事ながら、祈祷、占術なども行っていた。
そんな彼らの中に一人、偉才を放つ者が居た。彼の名を安倍晴明と言う。彼は祈祷、占術などを行いながら人一倍の妖怪退治を行っていた。彼の母が妖怪だと言う話もしばしばあったが、果たしてそれは実話なのか、妖怪を喜々として退治する彼を見ていると怪しく思えてしまう。
ある日、晴明がいつもの如く妖怪を退治しようと、ある村へやって来た時の事だ。その村は一度入ると異様な雰囲気を醸し出していた。何故なら、その村の人たちはただの人間ではなかったからだ。いや、姿形は人間その者なのだが、所々が違うのだ。
ある者は耳が犬のように頭の上に付いており、またある者は尻から尻尾のように毛深く長い物を伸ばし、またある者は皮膚が蛇のように艶やかで滑らかだった。
晴明は一人の村人を呼び止め、事情を問うた。するとその村人は困ったような表情で口を開いた。「我々は人間と妖怪の子。そして見捨てられた者たちです」と。
その話を聞いて晴明は納得し、改めて村を見渡すと、半分妖怪とは言え、妖力は妖怪その者。しかし、妖怪のように人間に危害を加えようと殺気立つ者はおらず、穏やかな物だ。
まじまじと晴明は村を見学し、先程呼び止めた者に喜々として伝えた。「私の配下に下らぬか?」と。
当然話を聞いたその半妖怪は目を丸くして驚き、開いた口が塞がらないと言った風だった。一度村の長と話をしなければ決めかねる、と言う事だったので、晴明は日を改める事にした。
そして幾日か過ぎた頃、京の都に構える晴明の家へ、村の長と名乗る者がやって来た。晴明は快く中へ通し、返事を聞く事にした。
村の長はまだ若い女の半妖怪だった。配下に下るにあたっての様々な条件を突きつけ、晴明が二つ返事で了承すると、少し悩む素振りを見せると彼女は顔を上げ、頷いた。「承知した」と口添えて。
そうして半妖怪の村人たちは晴明の配下になり、晴明を主と置いて様々な妖怪退治を行う事になった。それはこの国全体に及ぶ物で、苦難の絶えない物ではあった。だが、半妖怪の彼らにとって、細々と暮らす村での生活より、現状の暮らしの方が生き生きと大手を振って楽しく暮らせていた。
そしてその暮らしは現代、平成の世まで続く事になる。
半妖怪だった彼らは、血脈は妖怪でありながら、すっかり姿は人間その者へと進化を遂げた。そして現在、彼らは『志獅』と言う名を語り、今尚妖怪や化け物たちを退治し続けている。
「棗ちん!」
学校へ登校しようと都内にあるマンションの一室を出た所で、筋肉があるのか疑わしい男に呼び止められた。
「何の用です、晴一様」
棗は溜め息にも似た息を吐き、その男に声をかける。
彼、神崎晴一は棗たち志獅の主である、陰陽師。そして、弱冠二十三歳にして陰陽師の現当主。彼にはそれに見合うだけの力が備わっているのだと、棗は思っている。
「様なんてやめてよ。晴一お兄様って呼んでっていつも言ってるでしょ?」
「誰が呼ぶか、気持ち悪い」
蔑むかのような目をして、僅かに頬を赤らめて言う晴一をバッサリと言葉で切り裂いた。
「棗ちん、僕の事、主だと思ってないでしょ!」
「思ってる思ってる。そのふざけた性格以外はね」
「酷いっ!」
わあっと泣く真似をして晴一は顔を両手で覆い、しばらくその場から動こうとしない。それを見て棗は慰めるような事はせず、まるで見えなくなったかのように何も言わず晴一の横を通り過ぎてしまった。
「ちょっとちょっと!」
流石にこの状況で放って行かれてしまう事に居た堪れなくなり、晴一は棗を呼び止めようと声を上げて後を追った。
棗は呼び出したエレベータに先に乗り込み、少し遅れて晴一も乗り込んだ。
「それで、何の用なんです」
改めて棗は晴一に用事を問い質す。基本、陰陽師の彼とは妖怪などを退治する任務が下る時以外、会う事はない。昔、棗がまだ幼かった頃は棗の兄と晴一と三人で遊んだ事があった。だが、晴一が陰陽師の当主に就任した日以来、三人で遊ぶような事はなくなった。そして、棗の兄は駒遣いのように晴一の命令に従い、全国を駆け巡っていた。それを棗はただ傍観する事しか出来なかった。
「うん、実は最近学生の依頼が多くてね」
「学生の?」
棗は一階のボタンを押しエレベータの扉を閉じる。エレベータが動き出し、晴一が詳しい話を始めた。
「何でも学校内で化け物が出るそうなんだ。それも日暮れ時、男女問わず追いかけて来るらしくて、学校が怖いそうだ」
「それは何処の学校ですか」
「君たちの通う、月之桜学園」
「月之桜が?」
思いもよらない学校名に、棗は耳を疑った。何故、同じ学校に通っていながら学生たちの怯える何かに気付けなかったのか不思議でならなかったからだ。
「もしかしたら、人間の悪戯なのかも知れない。その辺り、よくわからないけれど調べておいて。もし、妖怪のようであれば殺しちゃっていいから」
「承知しました」
晴一の話を聞き、了承した所でエレベータが一階へと到着した。すると晴一が立っていた場所でボンッと何かが破裂するような軽い音がし、見ると晴一の姿はなく、ヒラリと人型を模した紙が舞い落ちた。これは晴一が得意とする式神。先程の晴一は、この紙に術を施し、晴一に見立てた人間ではない物だったのだ。
陰陽師の印とも言っていい五芒星が書かれた式神を拾い、棗はエレベータから降り、学校へと向かった。
棗の通う、月之桜学園は幼稚舎から大学院まで整えられた一貫校。その高等部に通っている。学園内の生徒数はおよそ千五百人。敷地はでかいが人数はそれ程多くはない。
晴一の言っていた、何かに追われると言う話。それがどの学年で起きているのか、さっぱりと言っていい程見当がつかない。棗の通う高等部一年の中ではそんな話、一度も聞いた事がなかった。とは言え、実は密やかに広まっている噂なのかも知れない。
棗はこれからどうやってその話の真意を調べるか考える。
学園内の高等部校舎に着き、棗は自分の教室へと向かう。その間、妖気が何処かに流れていないか気を付ける。
ふと、隠しているつもりだろうが隠しきれていない妖気を感じ取った。この妖気には覚えがある。
「虎鉄、私の後ろに立つな」
棗は振り返る事もせず、妖気の持ち主であろう名前を挙げた。
「ちっ、バレてたのかよ」
悔しげに舌打ちをし、つまらなさそうに棗の隣へ歩み寄る男子生徒。彼の名は金原虎鉄。高校三年生であり、彼もまた志獅である。彼は幼い頃から棗と勝負をして一度も勝てた事がない。そのため、勝つためには手段を選ばず挑もうとするのだが、その度に止められるか、はたまた返り討ちにされるかのどちらかだった。
「バレるもなにも、妖気が隠せてない。そんなので仕事が出来るのか?」
「うっせぇな、仕事の時はもっとちゃんとするに決まってんだろっ」
「そう言っていつもヘマをするのは誰だ?」
棗の言葉に虎鉄はバツの悪そうな顔をして見せる。棗は息を吐き、廊下の壁に背を預ける。
「まぁ、丁度よかった。聞きたい事がある」
「聞きたい事? 何だよ」
改まる棗に虎鉄は眉を顰め、面倒臭そうにしながら話を促した。
「今朝、主の式神から聞いたんだが、どうやら、この学園に妙なモノが居るそうだ。何でも、男女問わず追いかけて来るのだとか。そう言う話、三年の方で聞いた事はあるか?」
「妙なモノが追いかけて来る? いや、俺は聞いた事がねぇな。男女問わずだろ、相当な変態かこっち側の奴らだよな」
棗の話を聞き、虎鉄も壁に背を預けて顎に手を当て、記憶を探るが頭を振って話す。
「もし、こちら側であれば許可は下りている。違うのであれば、まぁ、厳重注意と言った所かな」
「んー、取り敢えず智咲の奴に頼んで情報を集めてもらうか」
「そうだな、その方がよさそうだ」
棗は虎鉄の提案に頷くと、壁から背を放し、再び歩き始める。虎鉄もそれに倣い、棗の後を追う。
「屋上へ行こうか。ここだと目がありすぎる」
まるで見せ物とでも言うかのように、棗と虎鉄の視界に入る生徒たちがこちらを喜々として見つめているのがわかる。高校生と言う学生は中々好奇心が旺盛であり、男女の関係においてはとても敏感だ。棗と虎鉄の仲が例えただの友人、もしくは同胞であっても、それを周りは信じてはくれない。
棗は鞄を持ったまま屋上へと向かい、まるで犬のように虎鉄はその後を着いてくる。
屋上へ来ると、更にその上、給水塔が設置されている所へ棗は上がった。その動作に虎鉄は肩を震わせて驚き、落ちないように設けられたフェンスへと歩み寄り、校庭の方へ視線を落とす。
「智咲、起きろ。話がある」
上った先に居たのは、ヘッドフォンをしっかりと耳に着けた、大の字になって寝転ぶ女子生徒。彼女が棗と虎鉄が目当てとしていた人物だ。
「ん……なつ、め……」
薄らと目を開け、まだ眠そうな目をこすりながら上体を起こす。彼女の名は、柳浦智咲。高校三年生。彼女も志獅の一人だ。
志獅は生まれたその日から名乗る事が出来、年齢は幅広く、高齢の人も居れば、生まれたばかりの赤ん坊まで存在する。規則は大してないのだが、一つだけ、絶対の規則がある。それは、主、陰陽師の命令はどんなに腑に落ちなくても絶対に聞かなくてはならない、と言う物だ。初めて任務に就いた日から、棗は当然の事、虎鉄も智咲も、誰もがその命令には従っている。
「起こして悪いな。頼まれてくれないか?」
「ええよ。聴こえてたで、ちょっと待ってて」
棗の話を全て聞かず、智咲はそう言ってヘッドフォンを耳から外した。そして、耳の後ろに手を当て、目を閉じる。
智咲は耳がとても優れている。それは順風耳と言って、広範囲の音をどんなに小さくても聞き取る事が出来る耳の事を言う。言い換えれば地獄耳が更に地獄耳になったと言う物だ。ヘッドフォンには晴一による術が施され、聞こえすぎる順風耳を抑える効果をもたらしているそうだ。
「……ああ、噂はあるね」
しばらく聞き耳を立てていると、智咲が独特な関西弁で声を漏らした。
「大体どの辺りで目撃されているか、わかるか?」
「そうやね……、バラバラや。中等部の南校舎一階の大鏡の前、中等部の北校舎三階の女子トイレ、高等部の西校舎二階の理科室前、同じ西校舎一階の職員トイレ前……他にも色々あるわ。けど、幼稚舎と大学と院の方には出てないみたいやね」
智咲が挙げる場所は本当にバラバラで、発生条件がまるで見えてこない。棗は眉を顰めて考え込む。
「あー……これ、多分やけど、鏡やね」
「鏡?」
「うん。ほら、大鏡は当然やけど、トイレとか鏡あるやん? もしかしたら、鏡の中を移動してるんかも知れんね」
智咲は聞く事をやめ、再びヘッドフォンを装着する。
「結局の所対策が練り辛いな……」
「確かに、これだけやと探すんはえらいか知らんね」
そう言いながら智咲は大きな欠伸をして見せる。棗は気にも留める事無く再び悩みだす。
今日、またその被害があるとは限らない。しかし、あるとすれば一目散に見つけ出して捕獲する必要がある。そして、それが何の目的で人を追いかけ回しているのかを知る必要がある。
「大体わかったか?」
ひょっこりと頭を覗かせる虎鉄に棗は目を向け、ハッと思い出したように指を鳴らした。
「そうだ、東李が居るじゃないかっ」
「え、東李? あいつに何が出来るんだよ」
閃いたかのように一人の人物の名前を出す棗に、虎鉄は苦虫でも潰したかのような渋い表情をして問いかけた。
「あの人なら視えるだろ? 幸いここに出入り出来る人間は六人。とっ捕まえるだけなら申し分ない人数だ。東李の指示に従って追えば、智咲の言うように鏡の中を行き来されても捕まえる事は出来るだろ」
「まぁ、確かに……って、六人? 俺もやるのかっ?」
棗の立てる作戦に虎鉄は一度頷いて見せたが、メンバーの中に自分が含まれていると言う事に気付き声を荒げた。
「当たり前だろう? 情報が少ない上に対策がそれしかないんだ。やってくれるよな?」
「っ……しゃあねぇな。主様から下ってる物なんだろ、拒むわけにはいかねぇよ」
虎鉄の意思を聞き、棗は満足そうに笑みを零すと立ち上がり、下へと飛び降りた。それ程高くないとは言え、突然の行動に虎鉄は肩を震わせて驚き、智咲は無表情ながらに口を開けて唖然とする。
「じゃあ、東李に伝えといてくれ。今日の放課後、屋上に集合な。あとの二人は私から伝えておくよ」
「……わかった」
一拍遅れて智咲が返事をすると、軽く手を振るって棗は屋上から出て行った。未だ驚いたまま固まっている虎鉄の頭を叩き、智咲も下へと下り、屋上を後にする。
三
放課後、授業終了の鐘が鳴り、部活動に校内の学生たちが外へ出て練習を始める。
「棗、まだ探すにはちょっと早すぎるんじゃないか?」
棗の招集で虎鉄、智咲、凰巳、そして高校三年生の麻木東李、高校二年生の金原 哥白が屋上に集まった。全員そろった所で凰巳が棗にそう問いかけた。
「打ち合わせと所定の位置に着くのに時間がいるだろ」
棗は集まったみんなを前にしてフェンスに背を預け、鞄を足下へと置く。
「取り敢えず、今回の詳しい話を聞かせてもらえる?」
眼鏡をかけた、一見女子かと錯覚しそうな程可愛らしい、男子生徒用の制服を身にまとった東李が小首を傾げて問いかけて来た。
「虎鉄か智咲から聞かなかったのか?」
「いや、聞いたんだけれど要領を得なくてね……」
苦笑交じりに東李はそう言うと、棗は虎鉄と智咲を見て軽く息を吐いた。
「まぁ、東李の言う事もわからなくはないな。じゃあ、簡単に説明するか……」
そう言うと棗は事のあらましを簡単に説明し始める。事情を知っている虎鉄は面倒臭いと言わんばかりにフェンスから校庭で頑張っている学生たちを眺めた。
「つまり、僕はその何かを見つけて指示を出せばいいんだね?」
「そういう事。少し負担をかける事になるかも知れないが、まぁ、その分虎鉄と凰巳が働くだろうから、頑張ってくれ」
「んー、学園内の範囲だったらこれでも十分だよ」
自分の眼鏡に触れながら東李は笑って言って見せる。棗は少し困ったような笑みを浮かべて「そうか」と頷いた。
「んで? 誰が何処に着くんだよ。幼稚舎、中等部、高等部。それに大学と院まで含めるとギリギリな人数だぞ?」
話のキリが付いた所で、虎鉄が問いかけた。それを聞き棗が思い出したように口を開く。
「ああ、幼稚舎と大学と院は行かんでええよ。聴いてると中等部と高等部までの学生だけみたいやから」
「そういう事なら、それぞれ三人で見回ったらいいんじゃないかな?」
ずっと静かに話を聞いていた、柔らかい雰囲気を持つ虎鉄の妹、哥白が提案する。
「ああ、哥白の言う通りだな。中等部には凰巳、哥白、智咲。高等部には私と虎鉄、そして東李。中等部内での配置は三人に任せる。時間はそうだな……部活動終了後の十分後、調査を開始する」
「ちょっと待った! 何で俺とお前が一緒なんだよ!」
棗が指示したメンバーの振り分けに不服を申し立てるのは虎鉄だった。それを聞いて棗は面倒臭いと言わんばかりの表情を見せ、口を開く。
「虎鉄を哥白と一緒にしたらお前、哥白にくっついてまともに働かないだろ? まぁ、兄として、哥白に纏わりつく凰巳が同じメンバーなのが気に入らないのはわかるが……」
「そ、それもあるけど! 俺がお前と一緒なのが嫌なんだよ!」
棗が言い切る前に虎鉄が言葉を被せて本音をぶちまけた。それを聞き棗の表情が一瞬強張ったのに誰もが気付く。
「じ、じゃあ、哥白ちゃんと虎鉄さんを入れ替えたらどうかな?」
「それか棗と凰巳を入れ替えたらどうだろう?」
凰巳と東李が一緒になってメンバーの入れ替えを提案するが、棗はそれを聞き入れず口を開く。
「子どもみたいな理由で文句をつけるな、虎鉄。私が嫌いなのはこの際何も言わないけれど、仕事なんだ、好き嫌いで振り分けるわけにはいかないだろう」
棗の正当な意見に虎鉄は言葉を渋るが、ついでのように不満を漏らす。
「そうだけど……つーか棗、お前年上を敬うって事が出来ないのかよ! 俺たち全員、お前より年上なんだぞ? 普通、さんだったり、くんだったり付けるだろ!」
「それは仕方ないじゃない、お兄ちゃん。棗ちゃん、私たちのいわば上司でしょ? 志獅の頭首なんだから。それに、棗ちゃんは私たちよりすごく大人っぽくて頭がいいしっ」
虎鉄をなだめるように哥白は言い、虎鉄もさすがに言葉を渋って見せた。
志獅は全国に散らばる大きな集団。妖怪で言う所の百鬼夜行並みだ。それを束ねるために頭首を設けられるが、その頭首は任命制。それも任命するのは主である陰陽師の当代だ。もちろん、私情を挟まず現存する志獅の中から厳選した結果が、棗になっただけの事。
「それで? 他に不満はないのか、虎鉄くん?」
哥白に言われてそれ以上何も言わない虎鉄に、棗はフッと笑みを浮かべて問いかけた。
「ね……ねぇよ」
「なら、我慢するしかないな。それじゃあ、話が少し長くなったが、三人は中等部に向かってくれ。時間は予定通りだ。少々面倒だが、携帯を使って連絡を取り合う事にする」
棗の指示に従い、凰巳、哥白、智咲は中等部へと向かった。残った棗、虎鉄、東李は再び話を始めた。
「それじゃあ、私たちも適当に位置へ着くか」
「僕は何処に行こうか?」
東李が軽く頷き、配置の場所を問いかける。それを聞いて棗は考える事無く口を開いた。
「東李はここの東校舎を頼むよ。私は西校舎。虎鉄くんは東李と同じで東校舎を。暇だったら私の所へ来ても構わないよ」
「誰が行くかっ」
棗の話を聞き虎鉄はコンマ一秒の反応で否定した。
「虎鉄、そんなに棗の事嫌いなの? 昔はあんなに……」
「わぁあ! 昔の事は蒸し返すなよっ!」
呆れたように言う東李の言葉の先が予想出来たのか、虎鉄は慌てて言葉を被せて叫んで見せた。
「そうだな。昔は随分私の後を追っていて、まるで金魚の糞だとまで言われていたのに」
「棗、お前が言うなよっ! 俺の消したい記憶第一位だぞっ」
「知った事か。あの頃の可愛げはもうないな。所詮、男なんて……」
虎鉄が叫ぶのに対し、棗はあっさりと切り捨て言葉を繋げたが、全てを言い切る前に視線を落として押し黙ってしまった。しかし、すぐに視線を上げ、ニッコリと笑みを浮かべて東李の頭に手を置いた。
「まぁ、東李は相変わらず小さくて可愛いけどなっ」
頭の上に置いた手をワシワシと動かし、撫で回す。東李は面食らったかのように目を丸くし、慌てて棗の手を退けた。
「それ、言わない約束でしょっ! 棗、実は虎鉄より僕の事の方が年上だと思ってないでしょっ!」
「みんなちゃんと年上だと思ってるよ。だって、兄さんの事、私よりよく知ってるでしょう?」
フッと笑みを浮かべて否定し、何処か物悲しげに目を細めて問いかけた。その言葉を聞いて虎鉄と東李は口を閉ざし、お互いを見合わせた。
「冗談だよ、そんな顔するなよ。まるで私が二人を虐めてるみたいじゃないか」
軽く笑みを浮かべながら棗はそう言うが、二人はそんな棗にかける言葉が見つからなかった。
「さ、そろそろ部活が終わる時間だ。私たちも位置に着こう」
そう言うと棗は鞄を持ち、屋上から出て行った。虎鉄は東李と顔を合わせ、東李が苦笑して屋上から出て行くのでその後を追った。屋上を出ると既に棗の姿はなく、虎鉄は一、二階。東李は三、四階を担当する事になった。
時間まであと二十分弱。それぞれは携帯電話を片手に、今か今かと時間を確認して待った。
そして部活終了を告げる鐘が鳴り、あと十分となった。東李は目に神経を集中させ、視る事に専念し始める。これは、東李の持つ力の一つ、千里眼だ。普段は陰陽師の術によって眼鏡をかける事で力を抑えられているが、裸眼で直径千キロ前後、眼鏡でその十分の一程度の百キロ前後は建物内外問わずに視る事が出来る。だが、あまり酷使すると体力や精神力を大幅に削り取られてしまう事がある。それを気にして棗は東李を心配していたのだ。
刻々と時間は過ぎて行き、ついに予定していた十分が経った。東李は眼鏡をかけたまま学園内を隅から隅まで視る。
志獅のメンバーの位置を確認しながら、部活が終了したと言うのに、未だ学生がちらほら構内に残っている事も確認する。そしてその学生たちに注意をし、鏡がある所を重点的に視続ける。
「居た……っ!」
ハッと東李は声を上げ、携帯電話で最も近くにいた一人を呼び出す。
四
ピリリリッと携帯電話が鳴り響いた。慌てて画面を見ると、それは今回の要となる東李からだった。
「はい、哥白です」
着信を受けたのは中等部南校舎の二階で待っていた哥白。周囲に気を付けながら東李の指示を伺う。
〈哥白ちゃん、君の前方三十メートル先に曲がり角があるよね? そこを行ったトイレにそれらしき影を視つけた。まだ学生は居ないようだから、すぐに向って確保してっ〉
「わかりました!」
哥白は東李の話を聞き、すぐさま通話を終了すると走り出した。この階は教室しかなく、学生の姿はほとんどない。それなのに現れたと言う事に疑問を持ちながら、指示されたトイレへと急ぐ。
哥白がそこへ辿り着くと、そこには一匹の迷い猫が居た。灰色がかった黒い猫だ。
「猫ちゃん……? この子からはそんなに妖気は感じられないけど……」
意外な展開に哥白は驚きながらも、その猫へ近寄った。途端、猫は激しく威嚇したかと思えば哥白に向かって爪を立て、軽く飛び跳ねたかと思えば鏡に吸い込まれるかのように消えてしまった。
「う、うそぉ!」
あまりにも目の前で起きた事に驚きが隠せず、声を上げてその場に座り込んでしまった。
次に携帯電話が鳴ったのは、中等部北校舎の一階を見て歩いていた凰巳。画面を確認する事もなく着信を受ける。
〈さっき、哥白ちゃんの所に居た奴がそっちの階に出た! 職員トイレ前! ああっ、動いた! 同じ階の学生用トイレだよ!〉
「了解」
凰巳はそう言って通話を終了すると、すぐさま学生用のトイレへと向かう。そこに居たのは、哥白の場所にいたあの猫だ。するりと今にも鏡から出ようとしている所だった。
「見つけたっ!」
そう声を上げて猫へ手を伸ばすが噛みつかれ、鏡の中へと戻って行ってしまった。
「クソッ!」
結局凰巳の所でも捕まえる事が出来ず、猫はまた別の所に現れた。
次に猫が現れたのは、高等部西校舎三階。これだけ動き回られては上手く捉える事すら出来ない。棗もまた、哥白と凰巳同様に連絡を受け、その場所へと向かう。
「居た……」
猫は廊下をうろついていた。脅かす人間を探しているのか、はたまた警戒しているのか、辺りを見回しながら歩いている。
その猫に妖気は感じられない。だが、何故鏡の中を通って動き回る事が出来るのか考えさせられる。
「おい、そこの猫」
棗がそう声をかけると猫はビクリと跳ね上がり、棗の方を見てすぐに教室と廊下を隔てる窓へ飛んだ。
まさか。そう思った途端に猫は窓の中へ吸い込まれていく。
「景色を映す物、全てに入り込む事が出来るのか……?」
もしそうとなればかなり厄介である。鏡はもちろんの事、窓や水溜りでさえ行き来出来ると言う事なのだから。窓や水溜りまで追うとなると、六人ではあまりにも人手不足。
棗は眉を顰め、傍の壁に背を預けた。腕を組み、対策を練り直す。
まずは出入口が多いのを減らした方が賢明だ。今と同じように張り込んでいても、また逃げられてしまい、東李の負担を増やすだけだ。その出入口を封鎖させるためには、布なり紙なりで閉じてしまわなければならない。
「ふぅ……掃除が面倒になるな」
棗は頭を抱え、そう言うと携帯電話を取り出した。メールの画面を立ち上げ、メンバー全員に屋上へ集合する事を送信する。それが終わると棗も屋上へと向かった。
屋上へ着くと、中等部へ向かっていた凰巳、哥白、智咲の三人が遅れて戻って来た。
「あの猫ちゃん捕まえたの、棗ちゃん?」
哥白が戻ってくるとほぼ同時に問いかけた。
「いや、捕まえてない」
「え、何、学生追いかけてた奴って猫だったのか?」
哥白と棗の話を聞き、虎鉄は驚いたように声を上げた。
「ああ。多分、少し暗くなっている所で威嚇して追いかけて来るから、学生はそれが猫だとは気付かなかったんだろうな。それに、霊力でも無ければ猫の姿は確認出来ないだろうし」
棗は再びフェンスに背中を預け、腕を組んで話を続ける。
「あの猫、事情はわからないが鏡だけでなく、窓や水溜り、鏡になりうる物全てを行き来するようだ。さっき、私の目の前でその猫が景色を映した窓を通り抜けた」
「じゃあどうすんだよ! これじゃあずっと堂々巡りになるんじゃねぇのか?」
虎鉄の言う通り、間違いなく堂々巡りになるだろう。
「棗、考えはあるの?」
虎鉄の言葉に反応をしない棗に、凰巳が問いかける。
「……哥白、君、確か少し風を操れたよね?」
棗はしばらく黙った後、そう切り出すと哥白は何度か頷いて見せた。
「よし。じゃあ夜にまた来よう。今はまだ生徒が残っているし、教師の目が邪魔になる。まぁ、夜に現れたと言う話は聞かないが、炙り出す事くらい出来るだろう」
「……どうするつもり……?」
智咲が怪訝な表情をして問いかける。棗は少し不敵な笑みを浮かべて何も語らなかった。
その後、しばらく構内を見回り、一時帰宅した。
その日の夜、深夜二時十分前。再び志獅のメンバーは屋上に集まった。
「つか棗、よくここに入れるよな? 普通、セキュリティとかあるだろ?」
集まって早々、虎鉄が声を上げた。
確かに、虎鉄の言う通りだ。こんな夜中にセキュリティもなく校内へ忍び込む事など到底出来ない。最近は女子学生の体操着を盗んでいく輩が居るくらいだ、少なくとも、泥棒などの対策がされているはずだ。
棗は虎鉄の言い分を聞いてゆっくりと口を開いた。
「ああ、セキュリティは少しいじったんだ。ここはナンバーロック式のセキュリティだから、番号さえ知っていれば簡単に操作出来る。まぁ、一週間に一度の割合で変更されているようだが、そこは東李に頼めば視てくれるからな」
「……それ、犯罪にならないのか?」
悪びれる事無く言う棗に、顔をひきつらせて凰巳が問う。
「それをして何か盗んだりするなら犯罪だろうが、私たちは学生の安全を思っての行動だ、何の問題もないだろう?」
「そ、そうだな。……しかし、こんだけ暗かったら窓は入れないんじゃないか?」
変わらず言い切る棗の言葉に言葉を詰まらせながら、再び凰巳が首を傾げる。それを聞き素早く東李が声を上げた。
「馬鹿、外の光が反射して外に面した窓が鏡になる。それじゃあ猫は逃げちゃうでしょ」
「東李の言う通りだ。ま、手っ取り早くやるか。哥白、悪いけど構内の鏡のあるドアを全て開けてくれ」
棗に指示を受け、哥白は軽く頷く。息を少し吐き、両手を内側へ振るって口の前で輪を作り、その中へ息を吹き込んだ。すると校内の何処かのドアが開く、バンッと言う音が何度も鳴り響いた。
「虎鉄くん、下に降りて中等部と高等部の校庭側の窓を一つずつ開けてほしい。終わったら連絡をくれ」
虎鉄は嫌そうな表情を一度見せると、すぐに屋上から出てそれぞれの校舎の窓を一つ開けた。それが終わるとすぐに携帯電話で棗にワンコール入れた。
ワンコールを受けると棗は校庭を前にして右手を前に突き出し、掌を上にして広げるとグッと上へ上げる。すると校庭の砂が持ち上がるようにして浮き上がる。棗はそれを見ると右手を右へ振り、それに釣られるようにして校舎へと砂が勢いよく向かう。
「なるほど、砂で窓をコーティングして、光を遮断するわけか。そして開けた窓からは校内の鏡へ同じようにするつもりか」
棗の動きを見て凰巳が納得するように話す。
「片付けはかなり面倒だがな」
凰巳の話を聞いて棗は全部の窓や鏡を覆うと、一筋の汗を流しながら不敵に笑んで見せた。すると虎鉄が砂だらけになって戻って来た。
「棗っ! お前これはわざとか!」
「ああ、悪い。そこまで気を付けてはなかったよ」
さらりと謝る棗に、虎鉄はそれ以上怒る気が失せてしまった。
「下のトイレの鏡だけ開けてあるから、そこへ行こう」
虎鉄が大人しくなった所で棗がそう切り出し、メンバーは棗の示すトイレへと向かう。校内は外の窓全てに砂が覆われてしまい、光一つ入らず真っ暗だ。
「凰巳、少し灯りを作ってもらっていいか?」
棗に言われ、凰巳が軽く頷くと右手の掌の上に拳大の炎を生み出した。それによって辺りが明るくなり、前後二メートルが把握出来るようになった。
トイレの前。ドアが開けられ、トイレ内が容易に覗く事が出来る。手洗い場が三つある上に鏡が三枚ある。その内の一枚だけ砂が覆われず綺麗なまま残されている。その下の手洗い場に猫が丸まって眠っている。
「寝てる……」
哥白が興味津々に近付き、そっと猫に触れてみる。その瞬間、猫が体を震わせ起き上がり、囲まれている状況に驚いて鏡へ戻ろうとした。それを阻止するかのように棗が砂で鏡を覆う。
「やはり、妖気は感じられないな……。お前、浮遊霊か?」
猫の首根っこを左手で掴み、持ち上げて声をかける。猫はフーッと威嚇するように牙を見せる。
「浮遊霊となると、何だ? 除霊って事になるのか?」
「そうなるな。それはさすがに私たちの手に余るな」
凰巳の言葉に猫を持ち上げたまま棗は息を吐き、困ったように言う。
「取り敢えず、捕獲は出来た。砂を落とすから、それが終わったら虎鉄くん……」
虎鉄へ指示を促そうとした途端、激しい妖気を感じ取った。棗は猫を一瞬疑ったが、猫からはやはり妖気を感じない。だが、激しい妖気は校内から感じられる。
「……もしかして、他にも居たのかな?」
東李が真剣な顔をして棗に声をかける。
「……そのようだな。東李、そいつの場所、特定出来るか?」
「やってみるよ」
東李は頷くと目に神経を集中させ、校内を隈なく視る。
「ああ……でかいのが居るねぇ……」
「……騒音。これ着けとってもすごくうるさい」
東李が場所を特定すると同時に、智咲が眉を顰めてヘッドフォンに触れながら声を上げた。
「校庭へ運び出すか……正確な位置は?」
「この校舎一階の踊り場だね」
東李から聞くと、棗は右手人差し指と中指を立てると砂が動き出す。棗の前に校内にあった砂が集まる。
「移動してる。こ、こっちに来てるよっ!」
「ガラス割っちゃうなぁ……」
棗はそう呟きながら指を立てた右手で前を示した。すると集まった砂が全て棗の示す方へと勢いよく動き出す。
「三階の南側の階段まで来てるっ!」
「………捕まえた」
右手を拳に変え、校庭側の窓へとその拳を振り投げた。その瞬間、何かが割れる大きな音が聞こえると、大きな砂の塊が校庭に飛び出した。
「はー……今の、何枚割れた?」
「た、多分五、六枚?」
「んな事よりアイツどうすんだよ!」
溜め息を漏らす棗とその問いかけに答える東李に、虎鉄が吠えるように問いかけた。
校庭には砂に包まれた大きな塊がポツリと存在し、中から砂の塊を攻撃している音が密やかに聞こえてきている。
「棗、このまま潰す事出来ないのか?」
「それが出来るなら捕らえた時に潰してるよ」
凰巳が校庭を見ながら問うと、棗はグッと右手を握って見せる。すると砂の塊がギュッと小さくなり捕らえた何かを潰そうとする。だが、その何かの形を模るだけで潰れる様子がない。
「あれくらいじゃ殺せないのか……」
「そうらしい。みんな、出るぞ」
棗は窓を開け、そこから校庭へ飛び降りた。それに続き、他のメンバーも飛び降りる。
砂の塊となっている何かを前にし、棗は哥白へ猫を投げ渡す。
「哥白、君はこれ抱えて離れてな」
「わ、わかった」
投げられた猫を慌てて受け取り、優しく抱えると少しばかりその場から離れる。
「さて、準備はいいかな?」
棗の声に哥白以外のメンバーは軽く頷き、少し構えた。それを見ると棗は右手の拳を緩めた。それと同時に砂がサラサラと落ち、捉えていた何かが姿を現した。その姿はまるで大きな猫。所謂化け猫である。化け猫は毛を逆立て牙をむき出しにし、智咲の言う騒音を浴びせて威嚇してくる。ブワリと妖気が溢れるようにして棗たちを覆う。それを受けて眉を顰めて目を細める。
「中々怨念を持ってる奴だな」
「結構苦しいね」
虎鉄の言葉に頷き、東李が呟いた。化け猫はひたすらにこちらを威嚇してくる。まるでこちらの出方を見ているようだ。
「猫……か。化け猫のようだから動きは俊敏だよな、面倒臭い……」
棗は化け猫を見上げながら溜め息交じりに言葉を吐いた。
「動きを抑えればいいんだろ?」
パキパキと手の関節を鳴らし、虎鉄は今にも襲い掛かろうとする。
「だが、砂で潰したくらいじゃ殺せないぞ?」
「じゃあ、猫の丸焼きなんてのはどう?」
「ふむ……やってみるか」
凰巳の提案に棗は賛同し、それに合わせて虎鉄が飛び出した。素早い動きで虎鉄は化け猫に得意の体術で襲い掛かるが、警戒していた化け猫は俊敏に逃げ惑う。それを見て棗が妖力を使って砂を集め、化け猫の足を捕らえるが化け猫の力が強いのか上手く抑える事が出来ない。
「凰巳くん、虎鉄を援護して!」
「了解っ」
東李に言われ、凰巳は再び学校へ来る際に持ってきていたハンドガンをホルダーから抜き、化け猫が虎鉄の攻撃を避けようとする方へ射撃する。逃げ場を失った化け猫は虎鉄の右ストレートをもろに食らう。ズシャアッと滑りながら倒れ込む化け猫を、すぐさま東李が何もない校庭から木を生やして地面へと抑え付ける。じたばたと化け猫は暴れるが、そこへ凰巳が炎を放つ。抑え付ける木に引火した炎は轟々と燃え盛る。けたたましい化け猫の叫び声が聞こえて来る。だが、感じる妖気は減りも増えもしない。
「あまり妖力が衰えないな……」
「……まだ息しとる」
棗の言葉を聞いて智咲が耳を澄まし、化け猫の生死を確認する。
「な、棗ちゃんっ!」
「どうした、哥白?」
突然呼ばれ、棗は哥白の方を見る。哥白は血相を変えて猫を抱え、棗の許へやってくる。
「この子、凄く弱ってきてるっ! もしかしたらその猫と繋がってるのかも知れないっ」
「何……?」
一瞬哥白の言っている事が理解出来なかったが、猫を見てすぐに理解した。
「智咲、消火作業だ」
指示を出され、智咲を小さく頷いて手を振るう。すると何処から集めて来たのか化け猫の上に大きな水の塊が出来、智咲が手を下ろすと水の塊が一気に落下し消化する。シュオォッと少し焦げ臭い臭いを漂わせながら消化され、今尚威嚇する化け猫に目を凝らす。
「ごめんね……っ」
哥白がそう言って猫を抱えながら化け猫の方へ駆け寄った。弱る抱えられた猫をジッと化け猫が見つめたかと思うと、猫の体に頭から吸い込まれ、化け猫の姿は消えてなくなった。哥白はそっと猫を撫でると弱っていたのが嘘かのように起き上がり、哥白の頬にすり寄った。そして、その猫が哥白の胸の中へと入って行ってしまう。
「哥白っ! 大丈夫かっ」
その様子を一部始終見ていた虎鉄が慌てて哥白へ駆け寄り、肩を掴んで問いかけた。哥白は唖然とした表情で虎鉄を見る。
「哥白、体は何ともないか?」
棗や智咲たちも哥白の許へ駆け寄ると体調を問う。
「……大丈夫。何ともないよ。何か、この猫ちゃん、私の中に入って溶けて一体になった感じだよ」
自分の胸の辺りを触り、哥白は感じ取った感覚を素直に伝えた。それを聞いて棗は一息吐き、軽く笑みを作って口を開く。
「憑りついたわけではないようだな。もし何かあるようなら主様に払ってもらおう」
「うん、そうだね。でも多分、この猫ちゃん何もしないと思うよ。入り込んだ時、嫌な感じしなかったし」
哥白は柔らかい笑みを見せて言う。虎鉄は激しく心配げに見つめるが、棗や東李たちは安堵して見せる。
「報告は私からしておく。みんなは先に帰っていてくれ」
棗がそう言うとメンバーは頷き、それぞれの家へと帰って行った。
みんなが帰るのを見届けると、朝晴一の姿をしてやって来た式神を取り出し、棗の妖力をそれに浴びせた。するとそれに反応した式神が真っ二つに破れ、携帯電話が鳴り響いた。
〈やあ、棗ちん。頼み事は終わったのかな?〉
携帯電話を取ると、悠長な言葉遣いで浮足立つような声が聞こえて来た。それが晴一の声だとわかると、棗は報告を始める。
「終わりました。目的とするものは化け猫の類だと思われます。それが哥白の中に入って行ったのですが、哥白自身、それに左右される心配はないと言っているので経過観察としました。ただ……」
〈そう。それは少し気になるけれど、棗ちんがそう言うのならそれでいいよ。それで?〉
言葉を続けようとするのを遮り、晴一は納得するように言って続きを促した。
「ただ、その化け猫と対峙する際、窓ガラスを六枚程割ってしまいました。その辺りの修復をお願いしたいのですが」
〈わかった。それだけで済んだんだね。すぐに手配するよ。報告は以上かな?〉
「以上です」
〈うん、お疲れ様。今式神を向かわせたから、あと十分もしたら到着すると思う。悪いけれど少し待っていてくれるかな?〉
「承知しました」
棗はそう言うと、電話の向こうから声が聞こえてきたがすぐに通話を切り、晴一が向かわせたと言う式神を待つ事にした。開けた窓を閉めに校内へ入る。所々持ち込んだ砂が落ちているのに気付き、棗はそれを自分の妖力で拾って外へ出す。三階の割った窓の近くまで来ると、誰かが立っていた。
「……あんたが晴一の寄越した式神か?」
棗が声をかけると、その人はゆっくりとこちらを向いた。
「初めまして。窓を修復しに来ましたっ」
見た事のある顔に、ひらひらのワンピース。可愛らしく笑顔を振りまいて式神はそう言った。棗はその顔に目を細め、目を逸らすと口を開いた。
「見ての通りだ、そこの修復を頼む。私は少し中を見回るから、それが終わったら帰ってもらって構わないよ」
「わかりましたっ」
また可愛らしく笑顔に敬礼のポーズをする式神を背に、棗は開けた窓を閉めに歩く。
気が付けばもう深夜三時を回っている。窓を修復するのに二十分もあれば終わるだろう。高等部の窓を閉めたら、中等部。それらの移動時間などを考えても二十分程度で終わる。時間的にはどちらも丁度いい具合だ。
「晴一の奴……何故式神をあの顔で出したんだ……」
ふと、先程の式神を思い出す。あの顔。可愛らしく笑むあの式神の顔は、明らかに棗と同じ顔だった。何の悪戯なのかわからないが、思い出すだけで胸がムカムカとする。
棗はそんな思いを抱えながら、この校舎内の窓を閉める。その後、チラリと修復する式神を目端に捉え、中等部の虎鉄が開けたであろう窓の場所へと向かう。中等部の校舎に入ると、校庭に面した窓を注意深く見るのと合わせ、砂をまとめながら歩く。四階まで上がると一か所だけ窓が開いているのを見つけた。そこからまとめ歩いた砂を校庭へ投げ、窓を閉めた。
ぐるりと校内を見て回り、問題がなさそうなのを確認し、高等部へ戻って式神が帰ったのかを確認する。割ってしまった窓は綺麗に修復され、式神の姿がない代わりに、朝と同じ式神が落ちていた。棗はそれを回収し、ようやく自分の家へと帰った。




