捨てないでくれ
というアレで、第三話はじめます。
「ねえ、お父さん」
「ん?」
「お母さんとは、やり直せないの?」
有希に連れられて寂しい遊園地を歩いて、ジェットコースターに乗ろうとしていた瞬間、そんなことを言われた。
遊園地でデート。
馬鹿らしい。
いかにも中学生になったばかりの女の子が考えそうな、陳腐でしょうがないデートコースだ。
しかし、ちょっと安心していた。
外見ばっかり綺麗になっていっても、まだまだ子供らしい。
そんな子供と一日一緒に過ごすのも、たまには、悪くないものだ。
「そもそも別れてないよ、俺達」
「でも、離婚した」
有希が、口を膨らませて、そう指摘した。
「ああ、そうだな」
「そういうの、別れたとは言わないの?」
「世間では言うかもしれないね。でも、俺はそうは思わないけど?」
「屁理屈ね」
有希が吐き捨てた。
「美幸は、たぶん、俺以外の男は愛せない」
「自信家ね」
「俺だって、たぶん、美幸以外の女は愛せない」
俺は、きっぱりとはっきりと言った。
「――じゃあ、なんで別れたの?」
「別れてない、と俺はさっきも言った」
「じゃあ、なんで離婚したの?」
「美幸がそうしようと言ったからだ」
有希が黙り込んだ。
可愛い娘だ。
目を伏せたその表情は、呆れるほど母親似だ。
俺はこっそりとほほえんだ。
「ねえ、なんで、お母さんはそんなことを言ったの?」
「さあね、お前の母親に聞けよ」
「お母さんはねえ、お父さんのこと大好きなんだ。そんなこと、私にだって見てれば判るよ。私だって、お父さんとお母さんが好きだもん――世界で一番、好き」
「そいつは、光栄至極」
「――ねえ、なんで、お母さんはそんなことを言ったの?」
理解し難いという感じで、有希はため息交じりに呟いた。
「――おそらく、俺のためだ……」と俺はいった。
そんな会話をしながら、俺達はがらがらのジェットコースターに乗り込んだ。
最前列のジェットコースターははっきり言って、とても怖かった。
三半規管がぶっ壊れそうになった。
しかし、有希は楽しそうに笑っている。
こいつ、本当に俺の娘なのかと、思わず疑った。
空を飛びたい有希は、そういうジェットコースターみたいなものが大好きだ。
空を翔る感じが良いらしい。
将来はパイロットになりたいらしい。
だったら、なればいい。
パイロットにでも、宇宙飛行士にでも、制服が可愛い客室乗務員にでも、なればいいんだ。
「おい」
「なに?」
「女の子なんだから、演技でもなんでも、次からはもう少し怖がれ。大和撫子風に」
ジェットコースターで可愛らしく怖がっている若いお姉さんを見ながら、俺はそう提案してみた。
それにしても、あのお姉さんも暇だな。
こんな寂れた遊園地に平日に遊びに来るなんて。
「イヤ」
「あ、そう」
「そんな演技しなくても、たぶん、わたしは祐輔さんの好みのど真ん中」
「自信家だな」
「誰に似たのかしらねえ」
「誰に似たのだろうねえ」
「わたしはお母さんの外見にそっくりだし、自信家なのはお父さん似だよ。それはわたしのせいじゃないもん」
概ね、有希の言う事は正しいだろう。
有希は、俺と彼女の娘だから。
しかし、有希は彼女の外見に似ているようで、決定的に似ていない所が一つあるのを知っていた。
ただ、わざわざ、それを有希に教えようとは俺は思わなかった。
明るく茶色がかった鳶色の瞳に向かって、それを教えようとは思わなかった。
俺の帰国を聞いて「たまには会ってあげて欲しい」と言ったのは彼女だ。
電話越しの凛とした声は、昔とちっとも変わらない。
まるで彼女は歳をとらないようだ。
そんな馬鹿なことを考える自分に、苦笑した。
「有希は、ちょっと、大人になったわ」
「そうか」
「父親の助けが、必要なの――別に貴方じゃなくても良いかもしれないけれど」
駆け引きは、苦手じゃない。
ランナーなんて、マラソンレース中は常に駆け引きしているようなものだ。
だから、駆け引きなんて、むしろ得意じゃなきゃ、やってられない。
でも、彼女との駆け引きは、いつだって苦手だった。
「捨てないでくれ、生ゴミみたいに」
とりあえず、そう言ってみた。
「捨てられるようなこと、したの?」
彼女が、電話越しにくすっと笑ったような気がした。
「いや、してない。俺の潔白はテレパシーで君に伝わっているものだと思っていた。届いていなかったのかい?」
「残念。三十六の不幸な女には、貴方のテレパシーは届かないようね」
「ちゃんと周波数を合わせておいてくれよな、テレパシーの」
「手入れもされずに放っておかれたら、壊れるものなのよ。なにもかも」
どうやら彼女の機嫌は悪いようだった。
「俺だって君に逢いたいさ」
と正直に俺も告白した。
「――今日は、やけに素直なのね……、祐ちゃん」
素直になったご褒美のつもりなのか、彼女が懐かしい呼び方をした。
そして、それを懐かしく思う自分に、苦笑した。
「俺はいつだって、君に対しては素直だ」
「そうだったかしら」
「そうだったはずさ」
「忘れちゃったわ、そんなこと。昔過ぎて」
二人とも同時に溜息が零れた。
「疲れてる?」と呟くように、彼女が言った「ちゃんと休まなきゃ」
たぶん、疲れているのは俺じゃない。
彼女の方だ。
そんなことを思った。
彼女のことなら、たとえ地球の裏側にいたとしても、ほとんど判ってしまう。
「疲れているよ、君に逢えないから」
「そう」
「疲れて、もう、走れない」
「弱音なら聞きたくないわ。電話、切るわよ」
「あいかわらず、君は俺には厳しいね。冷たいね。意地悪だね」
「ふふん」
でも、まあ、大人になって他人に愛想よく振舞うことも覚えた彼女が、それでも昔どおりに厳しく接するのが自分だけなら、それはそれで嬉しい。
俺が彼女の特別なら、それは嬉しい。
「――逢いたい。話したいことがあるんだ……」
言っておきたいと思った。
彼女だけには言っておきたいと思った。
「電話じゃ、話せないことなの?」
「電話じゃ、話したくないことだ」
「そう」
彼女が電話の向こうで黙った。
おそらく、俺の言いたいことに勘付いているのだろう。
「まあ、とりあえず有希に会ってあげて欲しい。貴方の都合の良い日を教えて」
「わかった」
平日に有希と会うことになった。
つまり、有希に学校をサボらせるわけだ。
でも、たまには、そういうこともいいかもしれないと思った。
いけない親もあったものだ。
次話はすこし甘いです。