第三話 美しき潔白の娘、攫わりけり(1)
私は、雪女。
来る人の精気を吸い、魂を根こそぎ取っていく、恐ろしい存在。
それが、私。それが私の使命。
けれど、いつのまにか私は、人間を食い殺せなくなった。
いえ、食い殺してはいるけれど、若い男には手を出せなくなっていたの。昔は誰だろうと、私の視界に入ったものは全て襲い掛かっていたというのに。
それはきっと・・・若い男がいちいち『あの方』に映ってしまうからだわ。だから手が出せないの。
だれも最愛の人を殺す覚悟なんてできっこしないわ。私にとって、それが報われない恋なら尚更よ。
・・・ねえ、御頭様。
あなたはいつになったら私を振り向いてくれるのかしら。
★
「った・・・」
目覚めたら僕は、見知らぬ場所にいた。
正にファンタジー小説のよくあるシチュエーション。そんな展開。
けれど目の前に広がる風景は、異世界でもなければ夢の王国のようなものでもない。
『物語の世界』と聞いて凄く幻想的な世界を想像してしまった僕は、ここで失望することになった。
のどかな田舎風景。だがしかし、見る角度を変えれば、それは貧困な村とも見える。どこか寂しげな村、とも言い換えることができる。
僕らは今、その村の入り口付近にいて、入り口にはここから入るであろう大きな木の扉が無防備に開いてあった。
時代劇に出てくるような扉だ。そう思いながら、僕はこの村に少しの違和感を感じた。
通常なら入り口に門番の一人や二人、いてもおかしくないというのにそれがいない。
時折村の中からここの住人らしい人たちが入り口の門を通りすぎるが、彼らは僕たちに気がついていないよう。
ここは普通の貧しい村ではない、と感じた。
「ってぇ・・・どこだここ?」
「神楽さん!」
そうして村を唖然として見ていた僕に、後ろから見知った声が響く。
思わず吃驚して、上擦った声を出して後ろを向くと、そこは、神楽さん以外の人たちが次々と目を覚ましている最中にあった。
彼らもこの世界に入るのは始めてのようで、懐かしい、と言いながらも物珍しそうにあたりを見回している。
「・・・成功したみたいだな」
いつの間にか僕の隣に来た聡駕さんが、ポツリとつぶやいた。
成功した、というのは物語の世界に入れたことに対してだろう。
ここまで夢のない物語の世界は見たことがないが、とにかく僕たちは本当に、彼らの言う通りにこの世界に入れたわけだ。
しかし不思議と、実感がわかない。なんというか・・・この状態に驚いてはいるが、夢見心地なのである。
そういえば、何故この世界に飛ぶ前に全身が痛んだのだろう。それに何かが体に入ってくるような感覚もしたし。
そしてその『何か』は、今も僕の体の中にいるような気がする。
「お、その姿も結構似合うじゃないか、杏璃」
「へ?」
考えていると、心得がどこか感心したようにそう言ってきた。
それに僕は首を傾げるしかない。あのナルシストな心得にほめられるのは変な気分になるが、第一僕はこの世界へ飛ばされる前となんの変化もしていないはずだ。服も制服にエプロン、下駄という、いつものままの服装。
そういえばこの前承安さんが去ったあと、心得が、僕の服装も彼に匹敵するほど変だ、といってきたのだが、そんなはずはない。ぼくの服装は至って普通の日本男子高校生の私服だ。・・・・・・そう、思いたい。
それに僕は承安さんの和服が変だと思ったのではなく、控えめだがやはり目立ってしまう赤の着物と薄緑の羽織という色合いの問題について言っているのだ。
僕はファッションセンスはない方かもしれないが、さすがにあんな分かりやすい『色音痴』ではない。
再度言うが、あんな派手且つ不協和な色の衣服を着るほど僕は変ではないのだ。
だから、変化なんて全然ないはずなのだが・・・さっきからやけに頭が重い。
病気とかそんなのじゃなくて、軽かった頭に重みが増した・・・とでもいうのだろうか。
変だと思って、自分の頭に触れてみる。問題はなかった。脳みそが重くなったとか、そんなのではないらしい。
そもそも脳みそは重くなるものなのだろうか。軽くなるのは阿呆ってことだから、重くなるのは一体・・・?
「もしかして気づいてないの?君、髪が長くなってるんだよ」
「え・・・!?あ、本当だ・・・」
能さんにいわれて、初めて気づいたのは自分でも自分が鈍感だと思った。
自分の髪を見ると、なんと薄茶が腰まで伸びていたのだ。
「お前、さっき全身が急に痛くなったろ?その髪も、それと関係あるんだよ。・・・まあ、そんなぴったり融合するとは思わなかったけどな」
「・・・どういうことですか?」
「んー・・・なんつっかなあ。まあ一言で言えば、お前は今、妖怪に取り憑かれてんだ」
「え・・・・!!取り憑かれてるって・・・そんなにしらっと日常の如く言って良いものなんですか!?」
あー道路にごみがポイ捨てされてるなぁ的な感じで重大なことを言ってますよ今!
「で、でもなんで妖怪が、」
「安心しろ~妖怪っつても無害だ。この世界に入るためには奴が必要だからよ。ちと力ぁ貸してもらったんだ。お前、文車妖妃って知ってるか?」
「聞いたことはありますけど・・・妖怪の一種なんですよね?」
妖怪が憧れ、というか大好きな香織姉さんが昔、僕を親戚から引き受けたとき、警戒心むき出しの僕にいろんな妖怪話をしたことがあった。どこで情報を得たかわからない、本にもどこにも載ってない妖怪たちの裏話とやらも知っていた。
一言で言えば、姉さんは妖怪のことは知り尽くしている。だからそれを聞いていた僕も妖怪の話については人並み、いや、それ以上に知っていると断言できるのだ。
その中でも、文車妖妃は僕にとって興味をそそられる対象だった。
なにせ、本や文の執念によって生まれる妖怪、いわゆる付喪神であるからだ。まさに僕の身近に起こっている現象。それを言えば心得も文車妖妃のようなものかもしれないが、少し違う気がする。否、否定する理由なんてどこにもない。僕が単純に、心得に神なんて言葉は似合わないと思っているだけだ。
「その文車妖妃が、今お前の体の中にいるわけだ。こいつとお前が一つになったから、髪が長くなったんだよ」
「は、はあ・・・そうですか・・・。そんなことが可能なんですね・・・」
妖怪三人衆の話によると、物語の世界に生身の人間は入れないらしい。妖怪、もしくはそれにとり憑かれた人間だけが入れるような構造になっている。
そしてこのように妖怪にとり憑かれる人間たちは皆、僕のように、平凡ならぬ能力を持っている人だけに限定されるそうだ。
簡単に言えば、妖怪にとり憑かれるのは超能力者だけで、平凡な人間に妖怪との接触はありえない。
僕はそれを聞いて、承安さんがなぜ自分を『古書直し』に選んだかをわかった気がした。
僕は自分で言ってもなんだが超能力者だ。それに加えて運よくその能力の内容が本の『声』が聞こえるということと、承安さんが本当に面倒臭がり屋なら、近所に引っ越した僕が丁度超能力者で、丁度彼の旧友の親戚だったから頼んだのだろう。
承安さんが何故会ったこともない、姉さんしか知らない僕の能力に気づいたのか。何故彼が物語の世界というものを知っていて、古い本をそんなに完璧に保存できていて、そしてあろう事か妖怪を配下に下すことができるのか。
彼は一体何者なのか。
問いたいことは山ほどあるけれど、彼がなぞだらけで、そのなぞを追求できる力を僕が持ち合わせていないことは初対面のときにはっきりと分からされた。
だからもうこれを考えるのは止めようと思う。考えるだけ無駄だ。
それよりも僕は、この世界に入るために必要とはいえど、妖怪が自分の体内に入っているなんて突拍子のない言葉についていけなかった。
体に違和感があるけれど、ふつうに自分の意思通りに体が動くし、髪が長くなったことを除けばなんの不自由もない。
妖怪にとり憑かれれば体が思うように動かないのだと思っていた僕はそれに吃驚仰天した。
神楽さんたちの話では、この文車妖妃は人間の体に入るときだけはその体に激痛を感じさせ、その後はなにもしないらしい。
本当にこの世界に人間を入らせるためだけの妖怪でしかないのだ。本当の意味でとり憑くのではなく、ただの通路としてこの妖怪は存在している。
三人衆によると僕の体の中にいる『彼女』は、彼らと同じく承安さんの配下で、文車妖妃としての能力を半分削がしているようだ。能力を低下することによって、とり憑く人間の体の負担を少なくさせ、尚且つその体とすばやく一体化することができるらしい。
三人ならず四人以上の妖怪を部下にしているとか・・・承安さん、恐るべき。
というか、それを説明する前に本人にも言わずに実践するとは、なんて勝手で強引な人たちなんだ。
子は親に似る、と同じように、従者は主に似るようなものなのか?
「でも・・・驚きました。付喪神は人の体にとり憑くことができるんですね。・・・初耳です」
「まあな!!おれら妖怪に不可能はねえぜ!やろうと思えばできるんだよ!ははっ!」
「はあ・・・」
別に褒めてはないんですけど。
ともあれ、ここからの問題は物語の修正をどうやってするのか、である。
あれからまた一説明をされ、僕はこの物足りなげな村が『雪女』とその夫が住んでいる村だとわかった。
実を言うと、小泉八雲の『雪女』を僕は読んだことがない。内容は知ってはいるが。
まあ、本が苦手なのだから当然だ。触れるだけで嫌になる。
だからその話も姉さんが昔、聞かせてくれたのだ。そしてその姉さんの話では、『雪女』の住んでいる村はもっと明るい村だったが・・・気のせいなのだろうか。僕が想像している活発な農村的な雰囲気は、この村には全くない。
「いや・・・気のせいではない」
まるで僕の考えを読んだかのように――、(いや、実際読んだのかもしれない。神楽さんの話からすれば妖怪はなんでもありなのだから)無表情に聡駕さんがそう言った。
「本のページを破られたことによって、物語の世界には歪みが生じてしまう。・・・よって、もともと活発に溢れた村がなんらかの原因でこうなってしまった・・・ということになるのだろう」
それにいち早く能さんが肯定する。
「あー。確かそんなこと言ってたっけ?承安の旦那。うん、もし君のその推理が正しければ、僕たちは村が醜くなってしまった原因を探せばいいわけ?」
「左様」
「醜いって・・・お前いくらなんでもそりゃねえだろ・・・。まあでも、なんだかやる気が出てきたぜ!要するに俺達は村を荒らした悪党を探せばいいわけだな!うっし、この九尾の末っ子の正義の力、存分に見せ付けてやるぜ!!」
「誰も悪党がやったなんて言ってないでしょ、この低能が。君もこの村と同じレベル、いやそれ以上に醜いよ」
「なっ・・・!てめぇ、誰が低能だ誰が!!殺されてぇのか!!」
「いやだな・・・さすがに聞き飽きたよ、その脅し文句。っていうか、醜いのは認めるんだね~」
「・・・・・・はっ、誰が認めたかこの野郎!それこそ俺はそれを認めるなんて一言も言ってねえ!低能はお前だ!お前!」
「なーに。その間?まあさすがに君がそれを言い返すのは吃驚したけどさあ・・・付け上がるのも大概にしてよね!」
例の如く始まった言い合い。しかしこれは・・・本格的にやばいのかもしれない。
能さんはいつもどおりの喧嘩腰だけど、前の二回の飄々とした感じではなく、冗談半分に本気半分でやっているみたいだ。その印に、いつもの余裕に満ちている顔ではなく、眉をやや顰めている。
それでもその顔が綺麗に映るのは彼の天性故なのだろう。
・・・いや、僕は決して『そっち形』ではないから誤解しないで欲しい。
そうして、彼ら二人の攻防戦をまた見る羽目になった、僕と心得と聡駕さん。
いい加減心得も見飽きたのか、それとも単に眠いのか、今回ははやしたてずに「面倒臭い奴らだ」と言うだけに止めていた。
そんな面倒くさい奴らをはやしたてていたのはどこの誰だよ。
相変わらずの上から目線だ。今更それを指摘しても無駄なのはわかっているが、思わずため息が出そうになる。
聡駕さんといえば、相変わらずの無表情で、しかし冷めた目で彼らを見ていた。
何度も言うことになるが、なんか可哀想だ。
「あ、あのぉ」
と、しばらくそのままの状態でいた僕らに、別の声がかかってきた。
聞いたこともない老人の声だ。
その声に妖怪二人は喧嘩を止め、聡駕さんと心得も声の主の方へ目を向く。
ここの住人なのだろうか。まあ、自分たちの村の入り口付近でわいわいぎゃあぎゃあと騒いでいる若者たちをみれば注意でもしたくなるのだろう。
そう考えると、また僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
・・・が。
「っ、」
目の前の風景に、僕たちは絶句する他なかった。
なにせ、滅多に人が通らない入り口の扉の前で、さっきは僕たちに全く気づく様子がない村人たちがどうしたものか、百人、いや千人と集合して、何故か各自農具をもって僕らを見つめていたのだ。
それも、目に殺気を篭って。
「あんたら、なにをやってんの?」
あの老人はこの村の長なのだろうか。集まる村人の真ん中に堂々と立って、よくみると彼だけが農具を持っていない。
まさか素手で農作業をしているのだろうか。農具なしで?
それはなんだか強そうだ。
しかしその割には、老人はおどおどとした雰囲気で、お世辞にも強そうとは言えない。
彼の隣に立つ、鎌を肩に置いてこちらを睨んでいる褐色の肌の青年のほうが、彼よりよっぽど強そうである。
まあ、人は見かけによらないから、外見だけでものを言うのもなんだけど。
そんなことより――
「なあ、俺達なんかやばくね?」
ごもっとも。
僕は心の中で神楽さんの言葉にうなずいた。
村人たちの殺気がかった目、それに今にも振り上げられそうな農具。
僕たちはたった今、なぜかは分からないが・・・
殺されそうな窮地に陥られているのだった。
やっと三話に入りました~。
今回からやっと、物語の軸になる小泉八雲さんの「雪女」について触れていきます!
本文で延々と説明してしまいましたが、物語の世界の原理やらなにやら、皆さん、理解していただけたでしょうか?
構造が複雑ですみません(汗)もし分からない箇所があったらどうかお伝えください!
相変わらずの駄文ですが、次話も期待してくれるとうれしいです!