一章 その3
たいぶ眠っていたのか、ひどく目蓋が重い。
ゆっくりと目をあける。なかなか目の焦点があわないが、視界がだんだんとクリアになってくる。
正四角形で敷き詰められた石膏ボード材の見慣れた天井ではなく、木材の天井だった。
ここはどこだろう?
ふと、気付くと僕の右手に温かい感触がある。お母さんが手を握っていてくれているのかな?
視界を横に向けるため首を動かそうとすると、頭がクラクラとしそうになった。
かなり長い時間寝て起きた感覚だ。
僕の手を握っていた手は母ではなかった。
ウサギ族? 水色よりすこい濃い色でショートヘアの頭の上に白く長い耳にリボンを付けている。
そのウサギ族の人は僕の手を握り、椅子に座りながら居眠りをしていた。
ここは本当にどこだろう? 僕はどうして此処で寝ているのか。
寝る前……僕は……。
「あっ。起きたんだね?」
手を握ってくれていたウサギ族の人が目を覚ました。穏やかで優しそうなウサギ族の人が僕を見ている。
「ごめんね。僕が寝ちゃってて。体の方は大丈夫?」
ウサギ族の人は微笑みながら僕に謝り体調を聞いてくる。
「は、はい。大丈夫です。ここはどこですか? 僕はどうして此処に?」
体を起こそうとするけど体が酷く重い。体を起こす事はできなかった。
「無理をしちゃダメだよ。起きたばかりなんだからね? 」
ウサギ族の人は僕の背に手を当て抱き起こし、腰のあたりに枕を置いて起きた体の負担にならない様に配慮してくれた。
「ありがとうございます。」
体を起こすのを手伝ってくれたウサギ族の人にお礼を言う。
「ふふ、どういたしまして。」
ウサギ族の人は微笑んでいて、とても笑顔が綺麗な人だなと思う。
ふと、自分の服が変わっていることに気付く。木綿で作られた質素で無地のワンピース。 僕の持っている服には無かったはず……。
「ああ、キミの着てた服は汚れててね。着換えさせてもらったよ。」
どうやら寝ている間に着換えさせてくれたらしい。
「ああ!僕じゃないよ!君の手当をした、僕の母とお手伝いの女の子がね。」
慌ててウサギ族の人は言葉を続けていたけど、気になる事を言っていた。
「手当ですか? 」
「ああ……、うん。落ち着いて、聞いてね?」
すこし困った顔をして僕の手を取り、やさしく握ってくれる。
とてもあたたくて僕より少し大きい手だ。ウサギ族の人は微笑みながら言葉を続ける
「君はね? 大きいヒポグリフに乗って、この都市の近くに来たんだよ。君は気を失っていたけどね。そこで僕と他に女の子2人で見かけて、ここに連れてきたんだ。」
「大きいヒポグリフ?」
「うん……、グリフォンだったかもしれないけど……」
僕の体が強張る。それは僕の召喚獣だ。僕は確かそのグリフォンに乗って……
「おはようにゃ! 私の天使ちゃんのお加減はどうか……」
「ちょっとぉ。病人の部屋で騒ぐんじゃ、あだっ!」
突然、部屋のドアが開いて来客が来た。猫族の女の人と、もう一人の小さな子は……?
「いったぁ~。部屋入ろうとして立ち止まるんじゃ……?」
「あらあら、二人とも部屋の前でどうしたの?」
もう一人、ウサギ族の女の人が来た。僕の手を握ってくれている人に似ている。
「ああ、お母さん。それにミーシャちゃんリンちゃん。おはよう。」
「まぁ、起きたのね。どうかしら? 体の調子は大丈夫? 」
いきなり知らない沢山の人が来たせいで気が動転してしまったのか、不安になってしまった。ウサギ族の女の人が近づいてきて、手を繋いでた人の後ろについ隠れてしまう。
「大丈夫だよ。この人は僕のお母さんで、ここらで一番の治療師で薬師なんだ。
安心していいよ。それにこっちの二人はさっき言った二人の女の子でここに運んで、着換えとかも手伝ってくれた子達なんだ。」
手を握っていた人が握った手を離し、僕は少し寂しくなったが頭を撫でてくれた。頷いて返事をすると
「起きた所なら、ちょうどいいわね。ちょっと診察させてね?」
手のひらで僕の額に手を当て熱を測り、胸に手を当て深呼吸をするよう言われたり、お腹の調子などの触診と体調の様子などを聞かれ問診をされた。
まるで現実のようで……。 現実……?
ふいにメニューを呼び出す為のジェスチャーをした。見慣れたメニューが表示される。
「どうしたの?」
その言葉は僕には届かず、あるものを探す……システムタブのログアウトボタンを。
「あ……あぁ……」
体が震え、あの恐怖が蘇ってくる。あの時、探しても無くて今も、くまなく探しても見当たらない。
「あ、あの……、聞きたいことが」
「どうしたの?落 ち着いて、何を聞きたいの?」
ウサギ族の人との問診の間に、いやその前も僕の目の前にトークアシストの選択肢表示は表示されなかった。自然に会話していたはずであって、NPCじゃない。NPCじゃないのなら……。
僕は震える声で尋ねた。
「プレイヤー、ログアウトって知っていますか?」
「それは何処かの地名かしら? どなたかのお名前?」
そんな、じゃあ僕はあの時からもうこの世界に入り込んでしまったっていうことなの?
「う……、そ、そんな……あれは本当に……。ひ、ひどい……ひどいよ!あ…ああ……!」
思い出した、ゲームの皆と御別れして、しばらくして病院の中でお母さんとミナに見守られて死んだはずなんだ。
それなのに目覚めた場所は、あの瓦礫の国は本当で、アンデットに刺された時の痛みは本物で……、皆で作った国は……既に滅んだ国だっていうの?
涙が出てくる。入り込んでしまった世界は既に僕の国は無くて、あんなあんなアンデットがいるところなんて!
「そんなっ……、そんなのって……あぁ……あああ!」
ウサギ族の女の人は何も言わず、僕を抱きしめてくれた。
服の感触、そして人の温かさに鼓動、ゲームの世界じゃ絶対にありえなかった事であって、この世界に入り込んでしまった事を知らしめてくれる。
それでも突き放すことはできなくて、その人の胸の中で僕はただしばらく泣いていた。
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「落ち着いたかしら?」
しばらく泣いて、僕はその人の腕の中から出た。
「ぐすっ、はい……。すいませんでした。」
僕のお母さんでもないのに、抱きしめられて泣いてて急に恥ずかしくなってきちゃった。
顔が赤くなってるかも。
「ふふ、いいのよ。そういえばまだ自己紹介してなかったわね。私はウサギ族のサラ・ジェイル、このウサギ族の男の子は私の息子でターヤっていうの。」
「よろしくね。」
僕の手をずっと握っててくれた人はターヤさんって言うんだ。男の子だったんだね。ちょっとびっくり。
「私はミーシャ・ラヴィンって言うにゃ、よろしくにゃ。」
ネコ族の人はミーシャさんって言うんだ。語尾に「にゃ」って付けてる人ゲームの中でも結構いたなぁ。
「私はリン・ヒザクラよ。よろしく」
リンさんって言うみたい。とんがった大きい耳にとっても大きな尻尾。種族はなんだろう? ゲームの中にそんな種族いなかったし、見たことない。それに日本の名前みたいだね。
「……? キツネ族は見たことないかしら?」
「はい……。ごめんなさい。」
じっと見すぎてしまったみたい。素直に僕は謝った。
すごいおっきい尻尾だよね。リンさんと同じぐらいの身長と腰幅以上にふっくらとしておっきい尻尾だよ。
「……。」
さわりたいなぁ。触ったらとってもふかふかしてそう抱きしめてみたい。
「……触ってもいいわよ。だけど強くつかんじゃダメよ。」
わわっ。考えてたことがバレちゃったみたい。けど触って良いって言ってくれた!うれしい。
「えっ。あの……。ありがとう」
リンさんは僕が寝てるベットに座り、僕の目の前に尻尾を向けてくれた。そっと抱きかかえるように尻尾を触ってみる。
「ふわぁ~!ふかふか~。とってもさわり心地良いよ~」
すごい! なんて手触りそしてモフモフ感!僕の部屋にあった、どんなぬいぐるみよりも手触りが良い。
「ふふ、自慢のキツネ族の尻尾だもの。」
「わあ~! わあ~! 」
おそるおそる尻尾をやさしく抱きしめてみる。すごいよっ!抱き心地も最高だよ。
頬を当ててみるととっても肌触りも良い抱き枕にしたいよ~。
「んっ、えっと。あなたの自己紹介してもらっても宜しいかしら?」
はっ!尻尾に夢中になって自己紹介忘れてた。
けど、本当の名前を言った方が良いのかな……、ゲームの世界ならキャラクターネームで言った方が妥当なのかと考えて、ミコトで自己紹介することに決めた。
「あ、えっと……ごめんなさい。僕はミコト・ニューフィールドっていいます。天翼人です。」
つい、尻尾に夢中になってしまったけど、自己紹介ぐらいしっかりやらないとね。
ちょっと我を忘れてしまった自分が恥ずかしい。顔が赤くなってるかも。
「天翼人?」
天翼人が通じないなら、元の種族も言わないとダメかな?
「……もとは鳥翼人です。転生して天翼人になりました。」
「転生って?」
「天界の種となるための試練を受け達成する事です。」
うーん、聞かれるままに答えるしかないかな。
「じゃあ、鳥翼人はその天界で転生すると、翼がいっぱい増えるのかにゃ……?」
「あ、これは……。天界の種の中で神様が与える8つの試練があって、最後の試練を達成すると、織天使の称号がいただけるんです。これはその証みたいなものです。」
「織天使……まさかそれはミカエル様やラファエル様方の四大天使と同じ階位では?」
サラさんがすごい驚いた顔で聞いてくる。あ、この世界の人にとっては本当に神様と同じように敬愛する方なわけだから……。
言わない方が良かったかな……でも天輪もあって、翼も同じなわけだから……隠す事もできそうにないし。
「あ……えと、確かに階位とも言いますね……。まだ成り立てでしたので、小鳥なんて呼ばれてました。」
「「「「なっ!? 」」」」
「そうだ、思い出した。ひどいんですよ? 僕の事を、ことり、ことりちゃんとか呼んで。僕の事を名前では呼んでくれないんです。」
四大天使様たちは悪い気はあまりしないのだけれど、まるで小さな子供のように扱ってくるんだよね。
「「「「……。」」」」
「?」
なんか、みんなにすごい驚かれてる。どうしてだろう。それに抱きしめているリンさんの尻尾の毛が立っているような?
「四大天使様から、ことりちゃんって? わたしの天使ちゃんがマジ天使様だったにゃ。あだっ!?」
どうやら、リンさんがミーシャさんの脛を蹴ったみたい。痛そう。
「では、ミコトちゃ……失礼しました。ミコト様は天界の住人であらせられるのですね?」
「え? 天界の住人ではありません。それと敬語ではなくていいですよ? 」
サラさんがいきなり僕の事をミコト様なんて呼んで、敬語を使いだして驚く。ターヤさんのお母さんに、そんな風に畏まれたら困っちゃうよ
「しかし……」
「サラさんや、ターヤさん達は僕の恩人です。そんな方達に敬語や様付けで呼ばれては僕が困ってしまいます。」
「畏まりました……。では、ミコトちゃんも普通に話してもらえるかしら?」
「は、えっと。う、うん。」
サラさん達に僕が敬語を使わずに普通に喋ってって言われちゃった。いいのかな?
「織天使で、天界の住人では無いんだよね? じゃあ、ミコトちゃんはどこからやってきたの?」
ターヤさんがどこから来たのか訪ねてくる。
「空に浮いた島……。ニューフィールドと言う国は知ってる?」
「ごめんなさい。聞いたことないわね。……まって、浮島?」
サラさんが島について何か知っているみたい。
「知ってるのっ!?」
「このあたりで浮いた島って言ったら……落ち着いて聞いてね?」
不安になるけれどリンさんの尻尾を抱きしめながら気を紛らわせている。
「アンデットの戦場……、なんて言われてる所しかないわ」
あの骸骨達のことだと思う……。間違いない。
「うん……。そこだと思う。織天使になって、ご褒美に貰った島。そこに僕が建国して瓦礫になってしまった国……、アンデットが住み着いた島からやってきたの。」
「でも、今あそこは誰も生きてる人なんて居られない場所よ?」
生きてる人は居られない……、誰も生きた人はいないって事を改めて言われると胸が痛くなった。
「はい……。僕は病気で死んだはずなんです……。みんなと御別れして……。お母さんと美奈と裕と笑顔で御別れしたはずなのに……。
ふと起きたら、瓦礫ばかりで雑草が生い茂った場所に居て、最初はどこか見覚えのあるようなって思ったの。すこしあたりを見回して、あたりを飛んで回ってみると石像が崩れてるのをみつけて……近づいて見ると僕に似た石像だったの。
建国した時に建てた像とそっくりな。最初は悪い冗談だと思ったよ? けど不安になって息苦しくなってきて、怖くなって……。どこか人の居る場所に逃げようと思ったの。けどすぐには逃げれなくて……。
いつの間にかあたりに瘴気が出てたの、それに気付いたら余計に苦しくなって。すぐ保護結界をはってポーションを飲んだけど、もう体が重くて自力で脱出するのは難しくなってグリフォンを召喚したの。
そのあとすぐ骸骨、スケルトンがいっぱい……夕方になってたみたいでいっぱい出てきて、それに僕は刺されちゃって。呼んだグリフォンが刺されたスケルトンをすぐ追い払ってくれて、それで空に逃げたけど……。
空から見た光景は、確かに僕のお城があったの。しばらく呆然としてたら、逃げてきた地上から武器を当てあう音が聞こえてきてスケルトン達が戦ってた……。そしてすぐ、スケルトン達の声が聞こえてきて……」
「……声? 」
「うん。2つの声が聞こえて、殺せ殺せ殺せ、守れ守れ守れって。殺せ壊せ奪え、我らの国を守れって。我ら国と共に、我ら姫と共に、我らミコト様と共に、エンフィールドと共にって!!」
リンさんの尻尾から手を離し、頭を抱える。体の震えが止まらない、涙が止まらない、不意にサラさんが僕を抱きしめてくれて
「もういいわ、もういいから……」
「サラさん僕って、僕ってアンデットなのかな……」
僕はいま、生きてるのかな。それすら僕には解らない。
「バカいわないの! ちゃんと今、あなたの心臓は動いてるわ。私がいま確認してたでしょう?」
今までの穏やかで優しい声から、急に人が変わったかのように声が大きく鋭い怖い声に僕はびっくりしてしまった。
「けど、けど……僕は一度死んだはずなの。」
そう、死んだならアンデットでもない限り僕は生きてるのはおかしいわけで
「あなたは死んでなんかないわ。ほらこんなに温かいし、心臓の音も私が聞いて確認しているの。保障するわ、あなたは生きてるの。だからバカなことは言わないで」
サラさんは僕の頬に手を当て覗きこむ。サラさんの瞳には涙がうっすらと浮かんでいて、僕はサラさんを泣かせてしまったのかと思うと胸が痛くなってしまった。
「僕はいま生きてるの? 」
「ええ、そうよ。」
そっか、僕いま生きてるんだね。アンデットじゃないんだ
「ありがとう、サラさん…」
僕は安心すると、なんだか眠くなってきちゃった。
これ以上、お話するのは無理みたい。
「ごめんなさい。なんだか眠くなってきちゃった……。」
「ええ。まだ病み上がりなんだから、ゆっくりおやすみなさい。」
「うん……。けど手を繋いでて欲しいの怖くて……。」
眠ってしまうと、もう起きることは出来ないのではないか、また悪い夢を見てしまうのではないか。そう考えてしまうと眠ることが怖くなってしまう。
「ええ、握っててあげるわ、安心しておやすみなさい。」
サラさんが僕を手を握り、微笑んでくれた。僕は安心するともう目をあけるのが辛いほど眠くなってしまって
「ありが……とう」
上手くお礼も言えなかったけど、僕は再び眠りについた。




