二
「童子め、許さん! 神のくせに、卑怯もんめ」
生乾きの着物を肩にひっかけ、タツは怒りながら歩を進めた。結局、二度目の騙し討ちに遭ったことで、今日はもうやっていられないとタツがへそを曲げたのだ。帰るぞ、と告げられたので、ミチはおとなしくついていく。今日は二戦を交えてしまったので、いつもより遅くなってしまったことも事実だ。すでに昼どきを過ぎている。
「ミチ、いいたいことがあんなら、いえ。聞いてやる」
何をいおうというつもりもなかったが、タツがちらりと振り返り、そんなことをいってきた。ミチは少し考えて、うなずく。
「じゃあ、いうわ」
足を速め、タツの隣に並ぶ。タツは緊張しているのか、こちらを見るようで見ない。
ミチは息を吸い込んだ。
「あのな、正直いって、タツ兄がいかんと思うわ。なんでいっつも騙されんの」
「……!」
やんわりといったつもりだったが、タツは衝撃を受けたようだった。頭がぐらりと傾く。しかし跳ね返るようにミチを見据え、威勢良く切り返した。
「何を生意気な! おまえには、男の心意気ってのがわかっとらん。腹を下したといわれて、問答無用でやるわけにはいかんだろうが!」
「見え透いた演技だったがあ」
「本当だったらどうする! 大体、水神童子だぞ、神なんだぞ、そんな下らん嘘つかんだろうがよ」
「はいはい」
彼のいっていることはまるで正論のようだったが、それにしてもタツは水神童子のことをどう思っているのかわからない。神として認めているのか認めていないのかすら、あやふやだ。
「いま、水神童子って、いったか」
不意に、低い声が降りてきた。
タツとミチは驚いて立ち止まる。いつの間にか、すぐ後ろに籠を背負った大男が立っていた。
「お、おじさん」
ミチは思わず首をすくめる。タツの父親の、サキチだ。小さい頃から世話になっていて、本当は優しい人だということは知っていたが、大きな身体にふさわしい筋肉と、顔を覆う髭とが、どうしようもない威圧感を放っている。
ミチは、タツの腕をつかんだ。
「あの、こんにちは、おじさん」
「ああ、こんにちは」
サキチはにこりと笑う。しかしすぐに厳しい顔になって、タツを見下ろした。
「タツ、いまおまえ、水神童子といったな。ここんとこ朝にいなくなると思ったら、水神童子に会いにいっとったんか」
「い、いっとらんよ」
タツが首を横に振る。ミチはびっくりして、タツの横顔を見上げた。なぜ嘘を吐くのだろう。
「ふん、わかるわ。そうか、おまえもミっちゃんも、童子に会ったか。そんで、どこだ。いま童子は、どこにいる」
サキチはすべてお見通しとでもいうように、腰を屈めてタツの顔をのぞき込む。その目がミチを見たので、ミチは慌てて俯いた。あの大きな三角の目に見られたら、たとえ言葉にしなくとも、すべて知られてしまいそうだ。
「本当に、知らん」
タツが急いでいう。サキチが何もいわないからか、取り繕うように続けた。
「もし知っとったって、童子は村中移り住むんだろ。たとえばさっきそこの川にいたって、もういまは違うとこにいっとるかもしれんが」
「だから、いま聞いとるんだ。早く答えんか」
タツは黙った。ミチは俯いたままそっとタツを見上げて、その手を握る。どうしようどうしよう、と答えの出ない問いばかりが腹を巡る。
正直にいったら、どうなるのだろう──混乱する頭で、それでもミチは懸命に考えた。サキチの剣幕を見れば、タツが本当のことをいわないのもわかるような気がした。サキチの表情からは焦りのようなものが滲み出ていて、こちらまで気が急いていきそうだ。
水神童子が泣けば雨が降る。村の人間は皆そういっている。ということは、水神童子を泣かせようというのだろうか。タツのように。
「た、退治とか、せんよね」
様々な可能性を考え抜いたはずなのに、いざ口を開けると、出てきたのは迂闊な言葉だった。
「ねえ、でも、だって、雨降らんの、水神様のせいじゃないもん。降らせるもんなら降らせるて、今日もいっとったもん。退治なんかせんよね。なあ、タツ兄……」
「ミチ!」
鋭く叱咤され、ミチははっとする。
とんでもないことをいってしまったのだと、気付いた。せっかくタツが知られないようにしていたのに。
「ミっちゃん」
「あの、いまのは……」
慌ててごまかそうとするが、もちろん無駄だった。サキチは鼻の頭にしわをよせ、諭すような哀れむような、複雑な顔をした。
「今日は胡瓜、五本。毎日のように畑から野菜が消えて、オレらが気づかないと思っとんのか。ミっちゃんとこの親御さんはな、知ってて知らないふりしとるんだ。ミっちゃんを信じとるからな。もちろん、心配もしとる。オレも同じだが──」
サキチは、タツに視線を移した。息子の頭に大きな手を乗せる。
「──おまえが連れ回しとんのなら、責任ってもんがある。わかっとんな。タツ、おまえは、責任のとれん男か」
「向こうの、林を越えたところの、小さな池!」
ミチは思わず叫んでいた。まるで、自分たちのしでかしたことすべてがタツのせいになってしまうようで、居ても立ってもいられなかったのだ。
「タツ兄、うち……」
ミチは急いでタツを見上げたが、タツは怒ってはいなかった。ただ渋い顔をして、唇を噛んでいる。
「ミダマ池か。わかった、ありがとうな」
サキチが微笑んだような気がしたが、ミチにはそれを見ることができなかった。タツがミチの手をつかみ、回れ右をして走り出したのだ。
「タツ兄、ごめん、どうしよう」
「ミチは悪くないわ。親父が卑怯なんだ」
タツがきっぱりとそういうので、否定も、それ以上の謝罪もできなくなってしまう。
汗ばんだ手が、ミチの手を強く握りしめた。
「童子に、教えんと」
鬼気迫る様子でそう呟くタツに、ミチは一生懸命頷いた。