第六章 8月10日
1
蒼真がベッドでゴロゴロしている時にメッセージアプリの通知が届いた。「新しいクーポンがあります」というファミリーレストランのメッセージ通知だった。面倒だと思いながらもアプリを開いてクーポンを既読にしていると、「誕生日が近い友だち」に「久遠結月」の名とハトのアイコンが表示されていた。
友達の誕生日など祝ったこともなければ記憶してもいない蒼真だったが、この情報は無視してはならないと感じた。だが、それをどう取り扱ってよいのかは全く分からない。
分からない理由は2つある。1つは誕生日というものがおめでたいものだと思わない蒼真の「誕生日観」のため。生まれてきた日、もっと言えば生まれてきたことがおめでたいとは感じないのだ。もう1つは、家族以外の女子の誕生日を意識したこと自体、生まれて初めてだったため。中学時代にも仲の良い女子はいたが、誕生日を覚えていなかった。
蒼真はしばらく考慮時間を要した後に、メッセージアプリを再び開いた。そして6人組のグループメッセージに情報共有することにした。
蒼真「結月、8月10日が誕生日なんだな」
結月「そうだよー ハトの日で覚えてね」
玲奈「知ってた」
直 「おめでとう!」
蒼真「まだ早い」
大河「おめでとう!何歳になるの?」
玲奈「バカ!16歳に決まってるでしょ!」
蓮 「練習試合の日だ」
練習試合の日では、誕生日会はやらないだろうと思った。そもそも高校生にもなって誕生日会などやるものなのか?蒼真にはそういうことが分からない。
誕生日といえばプレゼントか。蒼真は自然に連想した。
友達の誕生日プレゼントの相場っていくらくらいなんだろう?とか、女子の誕生日プレゼントってどんなものを贈るものなんだろう?とか、もしかしたら常識レベルのことかもしれないことを蒼真は知らない。
夕食の席でも、どうしたものかと答えのない問いを頭の中にぐるぐる回転させていた。すると目の前に座っていた小春が怪訝な顔で蒼真を覗き込んでくる。
「兄よ、何を悩んでおる?顔がキモいぞ!」
「『顔が』じゃなくて『表情が』にしてくれ」
「表情キモくしてる理由を小春に白状しなさい!」
「友達の誕生日が近いんだ」
「女子?!」
「女子」
「勉強会の時の?!」
「勉強会の時の」
「どっちと付き合うことになったの?!」
「友達だってさっき言った」
「じゃあ、これを機に!」
「何も起きない」
「つまんない男だよ、兄は」
「うるさい」
夕食後、リビングで「女子 プレゼント 3000円」など検索していたところを小春に見られた。
「小春が選んであげよっか?」
「助太刀不要だ」
「彼女は何が好き?どんな子?ご趣味は?特技は?お好きな料理は?休日は何をしてお過ごしですの?」
「お見合いか!」
「何か1つくらい知らないの?」
「強いて言うなら、責任感が強い子」
「残念な男だよ、兄は」
「うるさい」
2
8月10日。
蒼真は半月ぶりに制服に袖を通した。バスケ部の練習試合を観に行くことにした。なんとなく行ってみることにした。
朝8時過ぎだというのに、日差しは容赦がない。自転車で走っても爽快さはなく、蒸し蒸しした空気がまとわりついてくるだけだ。アスファルトには逃げ水が見える。
朝明川の水面は強い陽に照らされてきらきらと眩しい。堤防の上に出ると、青々としながらも確実に穂を重くしている稲が弱い風に揺れている。その向こう側に白い校舎が光っている。
額の汗を腕で雑に拭いながら自転車を駐めると、体育館からは喧騒が聞こえてきた。見慣れないユニフォームの生徒が所々に集まっていたりして、いつもの学校の中に少しの非日常があった。
スポーツドリンクを入れるのであろう、大きなウォータージャグを運んでいる結月の姿が見えた。ストレートの黒髪を高めに結ったポニーテールを揺らしながら、渡り廊下を小走りで駆けていく。ああやって忙しい感じで早朝から働き回っているのだろう。健気に仕事をしている人を蒼真のような暇人が邪魔するものではないと思い、蒼真は結月を遠目で見るだけにした。
3
体育館の出入口は試合を見ようと集まった人が群がっている。圧倒的に女子が多い。試合運びに合わせて「キャー」とか「あー」とか声が上がっている。蒼真はそこに割って入ることはできないなと別の出入口を探して体育館を一周したが、どこも先客でいっぱいだった。
蒼真は体育館の2階に上がった。2階と言っても観客席などがあるわけではなく、窓やカーテンを開け閉めするための作業用通路のようなものだ。ちらほらと洲原高校の制服姿の生徒がいる。蒼真が立った場所からは洲原バスケ部のベンチがよく見える。蒼真は手すりに身体を預けて様子を見渡した。今はコート上に蓮も大河もいない。ベンチで懸命に声出ししている。大河の声がバカでかい。結月は先輩マネージャーの指示を受けて、体育館の外に駆けていった。何かの連絡のためか、物品の補充のためか。
試合はハーフタイムに入った。結月はいつの間にか戻ってきていて、選手たちにタオルを渡しつつ一言ずつねぎらいの言葉をかけている。それが終わると、コーチを囲んだ選手たちに混じって、コーチの指示をメモに取っているようだった。一言も聞き漏らさないという真剣な顔をしている。
「蒼真君いたー」
玲奈が唐突に横から声をかけてきた。
「レナ、いたのか」
「そりゃいるでしょ。彼氏の勇姿は見ておかないと」
「その彼氏は今のところベンチで大声出してるだけだぞ」
「後半はコートに入れると思うよ。蓮も」
「あいつら実は強いのか?」
「1年の中ではかなり」
「そりゃ楽しみだ」
ハーフタイムが終わってホイッスルが鳴る。第3クォーターが開始された。玲奈の予言通り蓮と大河がコートに入っている。結月はノートを持っている。スコアをつける係だろう。
「大河クーン!」
玲奈は恥ずかしげもなく彼氏に声援を送っている。
どこからか、女子が蓮の名前を呼んでいるのが聞こえてくる。
「蓮ってモテるんだな」
「地味に人気株だよ」
玲奈が教えてくれる。絶妙な評価をする。
結月が声出ししながら真剣に試合を記録している。前髪は汗で額に貼り付いている。マネージャーもきちんと水分補給はしているんだろうかと蒼真は心配してしまう。
「大河クーン!ナイスブロック!」
玲奈が歓声を上げる。
「蒼真君!大河君今日調子いいよね!」
「ああ、うん」
「見てなかったでしょ」
「う、うん」
蒼真の視線がベンチに向いていたことを玲奈に悟られてしまったようだ。
「この前『ちゃんと見ててあげなよ』って言ったけど、ストーカーしろとは言ってないんだけど」
「ストーカーじゃない」
「帰宅部がわざわざ夏休みに学校来てるのに?」
蒼真は返す言葉がない。
「あたしね、バスケしてる時の大河君が好き。普段はバカだし、なんで付き合ってるんだろって思うこともあるけど」
「あるのか」
「でもね、コートの中の大河君は別人なの。あの必死な姿を見ると、ああこの人のこと好きだって思うんだよね」
玲奈は自然に言ってのける。蒼真は玲奈の気持ちの強さの源がどの辺にあるのか分からない。しかし、大河のプレイを見つめる玲奈の目は本物だと思った。
蓮が交代でベンチに戻る。結月が蓮にタオルとドリンクを渡しながら「ナイスプレー」とねぎらいの言葉をかけ、蓮が「ありがとう」と応じている。
「蓮君、結月の前ではいつも頑張るよね」
「そうかもな」
蓮は何事にもひたむきに取り組む強さがあるんだろう。強くなりたい、上手くなりたいというエネルギーがある。蒼真は今それを眺めている。ただ眺めている。コートサイドに下がった蓮のやり切った表情は蒼真にとってあまりに眩しくて、そして絶望に近いものを感じさせるものだった。
4
午前の試合後、蒼真は渡り廊下で結月の雑事が片付くのを待っていた。やっと一区切りついて休憩に入るであろう結月に、蒼真は声をかけた。
「結月、誕生日おめでとう」
「え?来てたの?わざわざありがとう」
「うん」
結月は両手で何かを受けるようなジェスチャーをする。
「プレゼントは?」
「いや、結月が何が好きかとか全然分からなくて…」
「分からなくて?」
「何も用意しなかった」
「まじかー!期待したのに!蒼真君なにそれ!ツボった!」
結月は腹を抱えては笑い始めてしまった。
蒼真はその笑い声が心臓に刺さるような気がした。
結月の笑い声を聞きつけてか、蓮がこちらに向かって走ってくる。ユニフォームからTシャツに着替えているものの、まだ汗が引いてない。手には淡い水色の紙袋。
「結月、誕生日おめでとう。これ、よかったら」
結月のために用意したプレゼントを差し出す。
「ありがとう。開けてもいい?」
「どうぞ」
「あーロクシタンのハンドクリームじゃん!嬉しい!」
「香りとかよく分からなくて…」
「よく分からなくて?」
「『限定商品』って書いてあるのにした」
「てきとー!でも、ありがと。蓮君はいつも優しいね」
地味に人気株のひたむき努力家は心遣いもバッチリだと蒼真が感心していると、蓮がこちらを向く。
「2階にいたよな。観に来てくれてありがとう」
蓮はそれだけ言って、仲間のいる方向へ走っていった。
いつもの朴訥な蓮らしい言葉。しかし、蓮の目が違った。試合中の真剣な強い目をしていた気がした。
5
昼食の持ち合わせがない蒼真は午前の観戦だけで帰ろうと自転車置き場に向かった。午後2時前。暑さのピークだ。ショッピングモールのフードコートにでも立ち寄ろうかと考えていたら後ろから声をかけられた。
「蒼真も相当なバカだね」
玲奈だ。どうやら、プレゼントを用意してこなかったことを結月が玲奈に話したんだろう。玲奈の表情がクズ男を蔑んでいるようだ。
「ちなみにレナはプレゼント何にした?」
「バスソルトだよ。長風呂の結月にいいかなと思って」
「長風呂なんだ。知らなかった」
「ほんっと蒼真君はさぁ」
蒼真はバシッっと背中に平手を食らった。本気のやつだ。普段なら大河がくらってるやつだ。そして玲奈の目が怒っている。
「ちゃんと学んだって!来年はちゃんとするから」
「来年どうなってるかなんて分かんないよ?」
玲奈の目はまだ攻撃色を失っていない。
「しっかりしろ!バカ!」
言い捨てて玲奈は踵を返してスタスタと行ってしまった。
蒼真はショッピングモールに寄り道することをすっかり忘れて、背中の痛みの余韻を感じながら、いつも通りの通学路を帰っていた。自転車のペダルをゆっくりと漕いでいた。頭がぼーっとしているのは暑さのせいだけではなかっただろう。
「結月のこと、何も知らないな。知りたいな」
セミの鳴き声にかき消されるくらいの微かな声で蒼真は独りごちた。




