第三章 数学の宿題
1
担任のアラーキーこと荒木恒一は、いつも通り適当に出席を確認して、適当に連絡事項を伝えて、朝のホームルームを終えた。
「久遠、数学のプリントを授業前に集めておいてくれ」
そう一言声をかけてアラーキーは教室を出て行った。
大河が結月のところに駆け寄ってきて、スライディング土下座をキメる。
「久遠さん、数学の宿題写させてください!お願いします!」
結月はアハハと苦笑する。
「結月、甘やかしたらダメだからね!大河も結月を便利に使うのはダメ!自分のためにならないでしょ!」
玲奈が彼氏である大河の土下座を踏みつけながら強く言う。
「玲奈がダメって言うならダメだねえ」
結月はほっとしたような表情をする。
「なになに?土下座?レナは女王様プレイ?」
騒がしさに引き寄せられて直がやってくる。
「発想が変態!」
玲奈が直をにらむ。
「牧山君、数学の宿題を」
大河が直に懇願しようとしたとき、
「ダメダメ!同じところを同じように間違えてたら写したのも写させたのもバレちゃうじゃん!」
と、独特の理由で直が即座に断る。
「なあ神谷君。神谷君は俺のピンチを救ってくれるよね?」
大河は次に蒼真に泣きつく。
玲奈が「だーかーらー」と説教を再開しようとしたとき、蒼真が言う。
「ごめん、僕もやってない」
玲奈がそれまで土下座の彼氏に向けていた冷ややかな目線のまま蒼真を一瞥する。
事の成り行きを静観していた蓮がやれやれというジェスチャーだけでお気持ちを表明する。
結月は言う。
「大河君、プリントは持ってきてるの?」
「あ、家にある!じゃあそもそも写せないじゃん!」
そこで1時間目開始のチャイムが鳴った。
2
1時間目は現国。論述文の授業だ。
「論述文は、序論で問題提起、考察と進み、最終的に結論をまとめる構成になっており」
授業は淡々と進んでいく。
授業の終盤、蒼真が教師に指名された。
「ここまで読んできて筆者の一番伝えたいことは何ですか?」
蒼真は答える。
「考察中に何度か否定している経済への悪影響は主な趣旨ではなく、文中で『つまり』の後で述べられている先進国と途上国の不均衡が最も言いたいことになります」
教師はうんうんと頷きながら、
「説明も含めて正解ですね。皆さん『つまり』や『しかし』という語に注目して…」
3
2時間目は古文。枕草子。
「次は神谷君、『月の頃はさらなり』を現代語に訳してください」
「直前に『夏は夜』とあり、それを受けて『月の綺麗な夜は言うまでもなくよい』、という意味になります」
「はい、正解ですね」
4
3時間目は数学。
「久遠、プリント回収ありがとな」
アラーキーが日直の結月をねぎらう。
「で、この中でプリントを出さなかった、出せなかった者は正直に手を挙げなさい」
アラーキーが教室中を見渡すと、極めて小さく手を挙げている者がいる。大河だ。
「村井、プリントを忘れたのか?」
「はい、すみません」
「ちなみに、宿題をしたのに忘れたのか、宿題をしないまま忘れたのか、どっちだ?」
「やってません」
「そうか。出す出さないは君の自主性に任せるが、明日の朝までなら受け付けよう」
アラーキーの温情に平伏する大河。
そして、大河が歓喜の思いを蒼真にぶつける。
「神谷君!良かったな!俺たち助かった!」
「神谷、君もプリント提出してないのか?」
「いえ、出しました」
しれっと蒼真は言う。
アラーキーがプリントをめくって、確かに提出されていることを確認した。
「あれ? 神谷君? 神谷くーん! どういうことー?」
混乱のままに叫ぶ大河のことを蒼真はスルーした。
5
昼休み。
大河は蒼真に勢いよく駆け寄る。
「宿題やってきてたのなら、朝そう言えばよかったのに!」
蒼真は困り顔をしながら謝る。
「ごめんね、ほんとごめんね」
玲奈が周囲を代表して素朴な疑問を口に出す。
「なんで宿題やってあったのに嘘ついたの?」
「嘘というか、そのときは本当というか」
蒼真は歯切れが悪いことをボソボソと呟いている。
「わたし、全部見てました」
と、手を挙げる結月。
「久遠結月さん、発言を許可します」
玲奈が議長なのか裁判官なのか分からないキャラで仕切り始める。
「神谷蒼真さんは、朝の時点では宿題をしていませんでした」
玲奈に乗っかる形で結月も話す。
「彼は数学の宿題を古文の授業中にやっていたのです。わたし、後ろの席なので全部見えてました」
「裁判長!」
突然、直が検察だか弁護人だか分からないキャラで参戦してくる。
「しかし、神谷蒼真は古文の時間に先生に当てられても完璧に答えていました!」
「確かに。弁護人、何か反論は?」
ああ裁判だったんだ。結月が蒼真の弁護をしてるんだ。設定が固まってきた。
「実は」
結月が弁論する。
「被告人は現国の時間に古文の予習をしていました。これも後ろから全部見えてました」
すっかり被告人になった蒼真は、どう弁解したものか分からず、モジモジしているだけで視線を泳がせるしかなかった。
教室中に広がるマジかよという空気を感じた。
「マジかよ!」
大河が代表して声に出した。そして大河が詰め寄る。
「現国も当てられてたよね?なんかしっかり答えてたよね?」
蒼真がようやく話し始める。
「現国の教科書はもう全部読んじゃったからさ」
しばしの沈黙。
「何じゃそりゃー」
「何者だこいつ」
「信じられん」
「一周回って頭おかしい」
などと散々な言葉が飛び交った。
「ところで裁判長、僕の判決は?」
恐る恐る確認する蒼真。
「当然!ギルティーです!」
玲奈裁判長が判決を下した。
「控訴します!信じてください!ただ家で宿題をしたくないだけなんです!」
6
4時間目開始の直前。
結月が蒼真の背中をちょんちょんとつつき話しかける。
「あれ、先生にもたぶんバレてるよ」
「だろうね」
「あとね、」
「なに?」
「器用だなとは思うけど、わたしはすごいとは思わない、かな」
「そう、そうだね」




