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第一章 入学式


入学式の会場となっている体育館には、パイプ椅子が整然と並んでいる。

「出席番号順に詰めて座るように」

教師の指示が飛ぶ。

真新しい制服を着崩さずに着用した新入生たちが順番に席に着いていく。

席についた蒼真は、見るともなく演壇に掲げられた校旗を見ていた。直は2列ほど後ろの方に座っているはずだ。


「2.3倍だったんだってね、ココの志願倍率」

隣に座っていた女子が、脈絡なく話しかけてきた。

振り向いてみると、女子が柔らかい視線で蒼真を見ていた。

顔が小さい。肌が白い。艶のある黒髪が、背中の中ほどまで真っ直ぐに落ちている。前髪は、柳眉が隠れるあたりで揃えられていた。うっすらと化粧をしているのだろう。目元に、ほんのわずかな手が入っている。

きれいな女子に突然話しかけられるなんて経験のない蒼真は内心びっくりしたが、入学式という堅い場の空気を借りて冷静に応対した。

「競争率高かったよね。おかげで同じ中学の奴は僕ともう1人しかいないね」

「わたしなんて、1人だけだよ。みんな落ちちゃった」

「それは御愁傷様で」

「とりあえず、君が最初にして現状唯一の知り合いになったわけだけど」

「それは光栄の極み」

「わたしは久遠結月」

「神谷蒼真、よろしく」

「よろしくね、神谷君」


マイクのハウリング音。式が始まるようだ。ざわついていた体育館が静まりかえる。

蒼真も結月も当たり障りのない会話をやめて正面を向いた。


司会の人の開式の辞から始まり、途中「新入生、起立!」の掛け声に合わせて何度か立ち上がっては座るのを繰り返していくことで式は進んでいく。


「神谷君、背筋伸ばしなさいよ、ビシッと」

小声で結月が注意をしてくる。壇上では誰だか分からない来賓の挨拶が続いている。

「猫背なんだ。これが初期設定。デフォだから」

「ふーん、ビシッとしてればそれなりにカッコいいのに」

「うざ」

「なんでよ」


在校生代表の歓迎の言葉、新入生代表の誓いの言葉が続く。

「あの人たち、失敗するの怖くないのかしら」

「失敗しなきゃいいんじゃないかな」

「神谷君は優等生だな」

「久遠さんはギリギリ合格だな」

「ムカ」


担任に視線で注意された。

二人は揃ってお口にチャックのジェスチャーをした。

校歌斉唱の際も、チャックを開かなかった。



教室の前の黒板には座席表が掲示されていた。と言っても出席番号1番が左最前列で、順に並んでいるだけなのだが。

となると蒼真と結月は前と後ろの位置関係になるわけで。これからしばらくの間は、ご近所さんである。


「このクラスの担任を務める荒木恒一だ。君らはもう高校生だから細かいことはとやかく言わん。自分で考えて行動しろな」

自分の名前を黒板に書きながら、面倒くさそうに自己紹介をする担任の荒木。40代と思われる男性だ。入学式当日なのでスーツ姿だが、普段はどんな服装なんだろう。担当教科は数学だそうだ。

「では君らにも自己紹介をしてもらう。名前と一言アピールしていけ。滑っても白けても自己責任だからなー。まずは出席番号1番の大槻から」


「大槻蓮です。中学ではバスケやってました。高校でもバスケ部に入ろうと思います。このクラス、赤城とか梓川とかいないんですね。出席番号1番、なんだか緊張します。よろしくお願いします!」

スポーツをやっているだけあって立ち姿が堂々としている。新品のブレザーを着こなしている感じがする。バスケ部らしく高身長で190センチ近くありそうだ。


「次、神谷。」

そっけなく荒木が言う。


「神谷蒼真です。水泳部やってました。この学校プールないので部活は未定です。よろしくです。」

当たり障りのない、というか中身のない自己紹介をしてしまった。荒木が滑るとか白けるとか言うから意識してしまって手短に切り上げてしまった。拍手はまばらだ。


「次、わたしですね。久遠結月と言います。よろしくお願いします! 入学式の時から神谷君の猫背が気になってます。大槻君も神谷君も身長が高いので、この席視界が悪いです。」

笑いが起きる。蒼真の淡白な挨拶をフォローしてくれたのだろうか。あだ名が「猫背」になる可能性が出てきて少し怖い。

「部活のマネージャーになってみたいです。どこの部かは決めてません。同じ中学からわたし一人しかこの学校に入らなかったので今めっちゃ不安です。気軽に話しかけてくれると嬉しいです」

不安と言いながら、話し方はハキハキと元気だ。入学式の途中の雑談はヒソヒソ声だったので分からなかったが、よく通る綺麗な声をしている子だ。彼女から話しかけてきたのは不安を紛らわせるためだったのかもしれない。そう思うと少しだけ親近感が湧いた。


「相良玲奈です!レナって呼んでください!短くていい名前だと思ってます!可愛がってくださいね!よろしくお願いします!」

ああ、可愛がられるタイプっぽいし、本人も自覚してるちゃっかりさんだ。


「牧山直です。帰宅部目指してます!ちなみに猫背の神谷と同じ中学でした!」

おい直!お前まで猫背をいじるな。


「高校1年になりました!バスケ部!村井大河っス!!ポジションはパワーフォワード!好きな食べ物は肉!嫌いな食べ物は野菜!よろしくお願いしまーっす!!」

なんかゴツい体格のやつだ。そして技巧的なポジションは絶対向いてないやつだ。もうバカポジションを確保している。ある意味すごい。自己責任だからなー。


一通りの自己紹介が終わると、荒木からこれから1週間程度の予定の話、高校の勉強は自主的に行わないと授業だけでは置いていかれるから特に予習を欠かさないようにとの脅迫めいた話などがあって、ホームルームはお開きとなった。

クラスメイトのほとんどは教室に留まり、近くの人と改めて自己紹介したり、さっそく連絡先IDを交換したりしている。

蒼真は前後の席から同時に声をかけられた。

大槻蓮と久遠結月の声がユニゾンする。

「「神谷君!」」

「はい!」

「久遠さんも、改めて俺は大槻蓮。よろしく」

「大槻君も、改めてわたしは久遠結月。よろしく」

「神谷です。よろしく」

蒼真を挟んで、二人が挨拶を交わしている。蒼真も一応名乗っておく。


「神谷、ほんとに猫背だな。身長高いのにもったいないぞ!バスケ一緒にやらない?」

「あ、僕は球技がからっきしダメなんだ。ボールと友達になれたことがない。むしろ敵。だからバスケは…」

「そっかー。もったいないなー」


「大槻君はポジションどこなの?」

「ポイントフォワードって分かる?」

「うーん、アイドルグループのセンターポジ&グループリーダーみたいな役だよね」

「何となく合ってる」

蒼真の頭越しに、蓮と結月の会話が始まった。やはり蒼真はついでみたいだ。

「久遠さん、バスケ部のマネージャーやらない?やってほしい」

「バスケ部いいなと思ってた。体育館で日焼けしないし」

「それな!」


バスケ話を聞きつけたか、パワーフォワードの村井大河もやってきた。

蓮が長身で目立つタイプなら、大河はガタイの良さで目立つタイプだ。

「大槻君、中学の大会ぶりー!」

「久しぶり。相変わらずだね」

「神谷君も一緒にバスケやろうよ!高身長は正義だよ!」

「その話はもうしたよ。断られた」

蓮が言ってくれた。

「で、久遠さんはマネージャーな!」

「その話ももうしたよ。答えは聞いてない」

蓮が再び言ってくれた。

「村井君、よろしくね」

結月が微笑みながら大河に挨拶をする。この微笑みは親しみの微笑みなのか、苦笑に近いそれなのか。

大河は結月をマネージャーにしようと頑張っているが、結月はそれを華麗にかわしている。

「ピピー!大河!ファール!結月ちゃんにウザ絡み禁止!」

結月の後ろの席の相良玲奈がホイッスルを吹いた。この二人は顔見知りのようだ。大河よりも、突然下の名前で「ちゃん」呼びされた結月の方が驚いた顔をしている。

「もしかして妬いてくれてるの?」

「ただ結月ちゃんが困ってたから止めただけだわ、バカ」

「えー、そこはヤキモチ焼いてくれていいんだよ、彼女なんだから」

「彼女の前で、他の女の子にヘラヘラすんなし!」

この様子だと、どうやら大河と玲奈は付き合っているらしい。


「おい!猫背!そろそろ帰るか?おっ、もうなんかグループできてる感じ?俺は牧山直っす」

直がこちらに合流しつつ、挨拶をしている。

「猫背猫背言うなし」

蒼真にはこの言い回しに聞き覚えがあったが、玲奈たちは気付かなかったようだ。直が少しだけ残念な表情をしたのを蒼真は見逃さなかった。


「直、帰るぞ」

蒼真は直が何かを暴露し始める前に切先を制する。それを合図にするかのように蓮も結月も大河も玲奈もそろそろ帰る雰囲気になった。


「じゃ、わたしは駅まで歩きだからー。また明日ねー」

結月は自転車通学組の男子たちに軽く手を上げて、通用門に向かって歩いていった。


いろんな意味で熱烈なカップルと、家の方向が違う蓮とも分かれて、蒼真と直は朝一緒に来た道を自転車で帰っていく。


「蒼真さぁ、入学式のときから久遠さんと絡んでたよな。一目惚れか?」

「んなわけないだろ。出席番号順」

「わっかんないよー、高校生!アオハル!情熱と愛欲!」

「飛躍しすぎだ」

「またまた冷静ぶって。悪い癖出てるよ」

「うるさい」

「あ、コンビニ寄っていい?アイス食いたい」

「はいよー」

「あと、ラーメン食ってこうぜ」

「はいよー」


3


蒼真と直は上り坂の手前の交差点でいつものように「じゃ」と一声かけて別れた。蒼真は上り坂を立ち漕ぎで上がっていく。山を造成した一戸建ての並ぶ住宅街に神谷家はある。

蒼真は自転車を停めるため、自動シャッターを開ける。父の車の横の定位置に置く。


玄関で足にまだ馴染んでいないローファーを脱ぐのに手こずっていると、2階からドタドタドタとこちらに狙いをすまして突っ込んでくる輩が迫ってきた。

「おかえりぃぃぃ!」

「どう!? 高校生活どう!? 可愛い子いた!? 連絡先交換した!? 青春始まった!?」

「まだ始まってない」

「始まってないって何? 始めなよ!」

「どうやって」

「知らないけど勢いで!」


妹の神谷小春は両手を広げてくるくる回る。


「今日から兄は高校生! つまり! 恋と友情と反抗期の三点セット!」

「反抗期はもう終わった」

「じゃあ第二章!」


蒼真は2階の自室で制服のブレザーを脱いでハンガーにかける。


「で、兄よ!高校デビューには成功したかね!?」

「成功してねーし、そもそもしねーよ」

「兄には高校で頂点まで上り詰めてほしいのに!」

「エネルギーの無駄だ」

「学園を支配する生徒会長とか!」

「生徒会長は小学校でやったからもういい。ていうか、僕は学園モノのフィクションの中に生きてない」

「悪を根絶やしにする風紀委員長とか!」

「それも異世界だ」

「つまんない学校に入ったもんだねえ」

「現実の世界線の公立高校なんてつまんないもんだろう。そろそろ着替えたいから出てってくれないか?」

「おかまいなくー。妹として兄の今日のパンツを確認させていただきまーす!」

蒼真は小春の両肩をぐいと掴み、強制退出させる。


4


夕食の食卓についたのは3人。蒼真と小春、そして母だ。

「お父さんは今日も遅いの?」

小春が母に尋ねる。

「特に連絡はないけど、いつも通りでしょ」

「兄の祝いのお赤飯なのに、今日くらい早く帰ってきてもいいのに」

ちなみに、食卓にお赤飯はない。

「今日はどうだったの?」

母が問うてくる。

「直と同じクラスになった。入学式は長かった。あと、バスケ部が人気っぽい」

「そういうことじゃなくて、蒼真はどうだったのかって訊いてるの」

「どうって、どうもしないよ。たまたま席が近くなった人と挨拶して、それだけ」

「それって女子!? 可愛い子!?」

小春が割り込んでくる。

「男子と女子」

「メッセージは即レスが基本だよ! 既読つけたら『いついつ返事するね』くらいは返す! 兄は猫とかの可愛いスタンプある?」

「まだ連絡先知らない」

「兄よ、見損なったぞ」

「友達付き合いも大事だけど、勉強もちゃんとしなさいね。蒼真が選んだ高校なんだから今更言わないけど、学校のレベルに合わせてたら実力は上がらないと思ってね」

母よ、今更言わないと言いつつしっかり言っているぞ。

「分かってる」

そう、分かっているのだ。蒼真がトップの進学校をあえて選ばなかったことを母はまだ気にしている。昔なら強制的に進学先を決めかねない人だったが、最近は無理矢理に押し付けてくることは減った。しかし、完全に好きにさせてくれるわけではないようだ。

父は何も言わなかった。地域の高校のレベル感もさえ知らなさそうだ。


5


寝巻きに着替えた蒼真は、ベッドに大の字になって天井を仰いだ。「疲れたなー」と独りごちる。ハンガーにかけたブレザーを見る。1日着たくらいでは身体に馴染むわけもなく、まだ高校生という実感も追いついてこない。

妹が語るキラキラした高校生活なんて期待してない。

でも、周りは部活に熱意を燃やしたり、しっかり恋愛したり、青春というものをやっているのを見せつけられた。そんな1日だった。

「つまんないのは僕だな」

蒼真は何の恐れもなく突き進んでいく力を持っている奴らが理解できないと思いつつ、羨ましさを感じなくもない。


久遠結月の声が脳内に蘇る。

「ビシッとしてればそれなりにカッコいいのに」

蒼真はウォークインクローゼットの扉を開けて、裏についている姿見を出した。

鏡に向かって背筋を伸ばしてみる。

蒼真は自分がカッコいいなんて思ってもいなかったので、あの時は何を言われているのか理解できなかった。今も理解できていない。

「カッコいいってのはもっと強い人間のことだよ」

鏡の中の自分に話しかけるのであった。


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