護衛騎士は永遠を生きる ~愛する令嬢を守る、たった一つの方法~
「陛下、全ては誤解でございます!」
「うるさい、お前の話などもう聞きたくはない!!」
我が主の悲痛な訴えは、国王陛下の一喝によって阻まれてしまった。
本来ならば、陛下と並んで玉座の隣に座するべき人物──我がボネット王国の王妃クレア・ボネット陛下。
そんな彼女が、罪人のように槍を突きつけられて、冷たい床に膝をついている。
「貴様は私との子を成し、その子供に王位を継がせ、王政を思うがままにしようとした。その罪、万死に値する!」
「違います、陛下! 私はただ陛下のお世継ぎがほしいだけで──」
「ええい、連れていけ!!」
クレア王妃陛下の言葉は、もはや国王陛下には届かない。
彼には、幾人もの愛妾が居る。
華やかな女性達と豪遊するために、生真面目な性格のクレア様が邪魔になったのだ。
クレア様は、反逆を企てたことなどない。
それは彼女の護衛騎士である私ロジャー・リグリーだけでなく、王城で働く誰もが知っている。
彼女はただ国のためを思い、世継ぎとなる子を欲しただけなのだ。
顔を合わせる度に王妃に苦言を呈される国王には、それすらも不快だったのだろう。
無論、苦言を呈すのにはそれだけの理由があってのことだが、甘い言葉にのみ耳を傾ける陛下には、そんなクレア様の心は通じない。
そうして、私がお仕えする王妃クレア様は、城の地下牢に幽閉されることになってしまった──。
「クレア様」
鉄格子越しに声を掛ければ、石畳の上の毛布がピクリと揺れた。
……なんというお粗末な牢屋だろう。
仮にも一国の王妃を収監するような牢ではない。
これも全て、クレア様を厭う国王陛下の指示によるものだろう。
「その声は……ロジャー?」
「はい、私でございます」
弱々しい声音ながら、返事があったことにホッと胸を撫で下ろす。
しばらくして、むくりと起き上がった毛布が、ずるずると端を引きずるようにしてこちらに近付いてきた。
「なんとお労しい……これからご実家に向かい、伯爵様にクレア様釈放の手続きをとってもらうよう、掛け合ってみるつもりです」
「いいのよ、そんなことしなくても……どうせ、無駄に終わるから」
「クレア様……」
返ってきたのは、全てを諦めたような儚い笑みだった。
クレア様のご実家ソーンダイク伯爵家は、クレア様のお父上が治めている。
お母上はクレア様が生まれた際に亡くなり、その後すぐに伯爵様は後妻を迎えられた。
新しい伯爵夫人との間には、一男一女が生まれた。
特に自分と同じ髪色、同じ瞳の色をした次女のネリー様を、伯爵様は大層可愛がられた。
新しい伯爵夫人とそのお子達が寵愛を受ければ受けるほど、ソーンダイク伯爵家で、クレア様の居場所はなくなっていった。
そうして、時の王太子殿下がクレア様の母譲りの美貌を見初めると、伯爵様はクレア様の意思も確かめずに王家に嫁がせたのだ。
……いや、クレア様の意思を軽んじたのは、私も同じだ。
あの時、不安そうなクレア様を勇気づけ、背中を押した。
継母と異母弟妹に虐められながら伯爵家に居るより、王家に嫁いだ方がずっと良いと……当時は考えたのだ。
それが、どうだ。
好色な王太子殿下はすぐ他の女性に目移りし、即位した後も女癖の悪さは治らなかった。
そうして邪魔になったクレア様に冤罪をかけ、冷たい地下牢に幽閉したのだ。
「無駄かどうかは、掛け合ってみなければ分かりません。可能性が少しでもあるならば」
「ロジャー……」
鉄格子の向こうで、藍色の瞳が涙を湛える。
零れ落ちる涙を、拭い去ることさえ出来ない……私はなんと無力なのだろう。
「すぐに戻って参ります。どうか、それまでお気を確かに」
私の父は、前伯爵夫人の護衛騎士だった。
その縁あって長年クレア様の護衛騎士を務めていた私は、幸いにしてソーンダイク伯爵家には顔が利く。
どうにか伯爵様に話を聞いていただき、クレア様の窮地を救っていただきたい。
その一心で馬を走らせ、どうにか伯爵様から陛下への書状をお預かりしてきたところで──、
王城に戻ってきた私を待っていたのは、冷たく変わり果てたクレア様のお姿だった。
「どう、して……」
王城の地下。
冷たい石畳の上に横たわるクレア様の顔は、薄汚れた布で覆われていた。
白い肌は土気色に変わり、指先は紫色に染まっている。
この冷え切った地下牢で、彼女は何を思い、最期の時を過ごしたのだろう。
こんなことならば、伯爵領になど向かわず、ずっと彼女の側に居れば良かった。
そうすれば──何かが変わっただろうか。
後悔しても、しきれない。
心の中で、どす黒い憎悪だけが渦巻いていく。
『たかが罪人が一人、衰弱死しただけだ』
そんな看守の笑い声に、握りしめた指先から、血が滲む。
罪人の亡骸と一緒に墓地にうち捨てられたクレア様の遺体を抱きかかえ、一人、素手で土を掘る。
婚約話が持ち上がった時、クレア様が見せた不安げな表情を、どうして汲んであげられなかったのだろう。
どうして──私は自分の恋心を押し殺してまで、クレア様を王家に嫁がせてしまったのだろう。
どうして。
どうして……。
墓地の片隅。
大きくもない穴を掘り終え、クレア様の遺体を抱き上げ──そっと、唇を押し当てた。
……冷たい。
僅かな温もりも、感じることは出来ない。
「クレア様、少しの間だけ、一人にすることをお許しください」
物言わぬ躯を横たえ、静かに土をかける。
私の指先は、血と泥に塗れていた。
いや……私の手が血に彩られるのは、これからだ。
「このロジャー、あなたを一人で眠らせはしません」
誰も居ない、深夜の墓地。
独白のような言葉を咎める者など、誰も居ない。
「敵わずとも、せめて──」
「国王を討つつもりか? やめておけ」
返る声は、虚空から降り注いだ。
焦りと共に、夜空を見上げる。
誰の気配も無かったはずだ。
クレア様の護衛騎士を拝命して以来、一日たりとも剣の修行を欠かせたことはない。
そんな私が、人の気配に気付かなかっただと──?
「魔術師か? ……降りてこい」
腰から下げた剣の柄に手を掛け、上空を睨み据える。
夜空に浮かぶは、ボロを纏ったような姿。
「分かっているのだろう、一人で暗殺を企てたところで、犬死にするのが落ちだ」
大地に降り立ったのは、まるで躯のように痩せこけた男だった。
指先は枯れ木のように肉がそげ落ち、目は落ち窪み、ニィ……と笑った口元は歯茎が剥き出しになっている。
「それならそれで……クレア様の後を追うまでだ」
ああ、そうだ。
復讐に走ったとして、本懐を遂げられるとは思わない。
そんなことは、分かっている。
それでも……彼女の居ないこの世界を、憎しみを抱えたまま一人で生きるのは、辛すぎる。
こんな思い、彼女に知られたなら……怒られるだろうか。
「それよりも……一つ、取引をしないか」
「取引だと?」
嗄れた声は、まるで地獄の悪魔に誘われているかのようだ。
「人としての生を全うした後、その魂を捧げよ。さすれば、其方にやり直す機会を与えよう」
「はっ」
男の言葉は、文字通り悪魔の声だった。
「やり直す機会だと? そんなもの、どうやって与えてくれるというのだ」
既に、クレア様は死んでしまった。
私にできることは、彼女の仇を討つか、彼女の後を追うことのみだ。
「私にはできると言ったら?」
「本当にできるのなら……私の命でも魂でも、何でも捧げてやる」
ああ、悪魔との契約というのは、こうして結ばれるのだろうな……ふと、そんなことを思ってしまった。
クレア様を助けてくれるならば、悪魔でも何でもいい。
誰にだって魂を売るし、何にだって縋り付こう。
ただ──もう一度、クレア様に会いたい。
会って、彼女の窮状を救いたい。
彼女に幸せになってほしい。
「その願い、確かに聞き届けた」
声が響いた瞬間、周囲の景色が一変した。
色が消え、音が消え、空気が消え──、
「──ハッ!?」
私は、懐かしいソーンダイク伯爵家の騎士団寮自室で目を覚ました。
まるで、信じられなかった。
鏡を覗き込めば、そこには成人したての若々しい頃の自分が立っていた。
ブルーグレーの瞳を丸くして、信じられないといった面持ちでこちらを見つめている。
本当に若返ったのか?
それとも、夢を見ていたのだろうか。
「そうだ、クレア様は……っ」
私は急ぎ身支度を調え、クレア様の自室へと走った。
「まぁ、どうしたのロジャー。今日はお出かけする予定も無いのだけれど」
そこには、私と同じく若い頃の──私よりも一回り年若い、少女と呼ばれる年頃を脱したばかりのクレア様が居た。
母君譲りの目映い銀髪を靡かせ、藍色の瞳を細め、ふわりと微笑んでいる。
「せっかくだから、お茶でも飲む?」
「は……」
ソファーから立ち上がったクレア様が、手ずから紅茶を煎れてくださる。
懐かしい……伯爵家に居た頃は、使用人達も前妻の子供であるクレア様には冷たい態度を取っていた。
だからクレア様は侍女には頼らず、自分で何でもする術を身に付けたのだ。
「実は……妙な夢を見まして」
「夢?」
「ええ、落ち着かずにクレア様の無事を確かめるために、走ってきた次第です」
「まぁ」
ころころと、鈴を転がすような声が響く。
クレア様がこんな風に笑いかける相手は、この家では私だけだ。
「ロジャーにも、そんなところがあるのね」
「お恥ずかしい限りです」
本当のことは、とても言えない。
あなたが死んでしまった世界のことなんて……夢だろうと何であろうと、思い出したくもない。
「ねぇ、ロジャー」
「はい」
ティーカップを置いて、クレア様がこちらを見つめる。
「昨夜の話、覚えている?」
「は……」
昨夜の話と言われて、内心の動揺をひた隠しにする。
……クレア様にとっては昨夜かもしれないが、私にとって、伯爵邸で暮らしていた頃の記憶は、もう何年も前のことだ。
昨夜というのがいつを指すのかも分からない。
「王太子殿下との婚約だけれど……」
続く言葉に、心臓が鷲掴みにされた気がした。
そうだ、どうして気付かなかったのか。
クレア様が成人して間もなく……王家主催のパーティーで見初められて、王太子との婚約話が持ち上がったんじゃないか。
「私、本当を言うとね……殿下の目が、怖かったの」
「怖い……と申しますと?」
「ゾッとするというか、背筋が震えるというか……あの人と結婚しても、幸せになれない気がして……」
かつて相談を受けた時、私は間髪入れずに『王城に向かうべきだ』と進言してしまった。
もしその先を聞いていたならば……クレア様は彼の人柄を最初から見抜いていたのではないか。
「だからって、どうしてみようも無いんだけどね」
全てを諦めきったような、クレア様の表情。
相手は、この国を統べる王家だ。
正式な打診を受けたなら、伯爵家が断れるはずもない。
「ロジャーは、どう思う?」
藍色の瞳が、じっとこちらを見つめる。
その瞳に、どうしようもなく心が揺さぶられた。
「お嬢様の、思うがままに。あなたが不安を感じるならば、きっと間違ってはいないでしょう」
そうだ。
ここで婚約を食い止められれば、最悪の未来は回避できる。
私の魂は悪魔に囚われようとも……クレア様だけは、お救いすることができるのだ。
「お断り、できるかしら……」
不安げな、クレア様の声。
あの国王──現王太子は、強欲な男だ。
クレア様を娶った後も、力尽くで何人もの女達を物にした。
一度欲したが最後、手に入れるまで諦めない──そんな蛇のような執念深さと、飽きたらすぐさま投げ捨てる軽薄さを併せ持っている。
もし、ここでクレア様を攫って逃げたとして……相手は、一国の支配者だ。
すぐに捕まり、クレア様は連れ戻されることだろう。
私だけならば良いが、旅慣れていないクレア様を連れてどれだけ逃げられるか、定かでは無い。
となれば──。
「クレア様……どのような手段を選んででも、お断りしたいとお考えですか?」
私の問いに、クレア様は小さく頷いた。
真っ直ぐこちらを見据える瞳には、強い光が宿っている。
こんなことが許されるとは思わない。
護衛騎士失格──事が露見すれば、私は伯爵家から追放されることだろう。
それでも……確実に彼女を守るためには、これ以外の方法が思いつかなかった。
「ロジャー……?」
きょとんとこちらを見上げるクレア様の頬を、そっと指先で撫でる。
ピクンと、細い肩が震えた。
「私を……恨んでくださっても、構いません」
こんな方法でしか、あなたを助ける方法を……婚約を回避する方法を思いつかなかった私を、どうか恨んでください。
未来を知ってしまった以上、私には他に選択肢がないのです。
「きゃっ」
クレア様の体を抱きかかえ、ベッドのある寝室へと向かう。
私の腕の中で、クレア様は不安げに私の服を握りしめていた。
「怖い……けれど、あなたが相手ならば……」
「クレア様……」
その囁きが、私の罪を後押しした。
どさりと、ベッドを僅かに弾ませて、クレア様を下ろす。
……こんな形で、想いを遂げたくはなかった。
でも──、
処女を失ったならば、世継ぎを産む王太子の婚約者にはなれないのだから。
シーツに残った破瓜の血は騒動を巻き起こし、私は伯爵家の騎士団を追放された。
追放されただけで済んだのは、幸いだったと思うべきだろう。
本来なら、処刑されてもおかしくはなかった。
そんな私の助命を願ってくれたのは──勿論、クレア様だ。
少ない荷物を纏め、一人、伯爵家を後にする。
見送る者は、誰も居ない。
懇意にしていた者も居はするが、罪を犯して追放される私を、誰が見送ろうというのか。
これでいい。
少なくとも、クレア様が王家に嫁ぎ、獄中で死亡する未来は回避できた。
伯爵家に残る彼女のことを思えば、胸は痛むが──もう、私は彼女の側に居ることさえ、許されないのだから。
ガサリと草を踏んで、歩き出す。
いつまでもこの場に残っていては、恋しさで後ろ髪が引かれるばかりだ。
「待って、ロジャー!」
そんな私の耳に──恋しい御方の声が響いてきた。
信じられなくて、ゆっくりと背後を振り返る。
そこには、旅装に身を固めたクレア様の姿があった。
「私も……一緒に、連れていって」
思いがけない言葉だった。
クレア様が、私と一緒に……来てくださると……?
「どう、して……」
「私も、家を追い出されたの」
そう言って笑うクレア様の顔に、暗い陰りは見えない。
どこまでも澄み渡った、青空のように晴れやかな笑顔だった。
「本当に……私と一緒で、よろしいのですか?」
問いかける声は、震えていた。
「当たり前じゃない!」
対するクレア様は、僅かに頬を膨らませている。
「私を一人にしないでよ……」
「はっ」
思わず姿勢を正してしまうのは、長年護衛騎士として仕えてきた習慣だ。
そんな私の様子を見て、クレア様が声を上げて笑う。
「もう、そんなに畏まる必要はないのよ」
……夢みたいだ。
クレア様が、私の隣を歩いている。
これから、二人の生活が始まる。
たとえ未来に何が待ち受けていようとも、私の魂が闇に囚われることになったとしても、今この瞬間が訪れたことを、神に──いや、この奇跡を与えた“何か”に感謝したい気分だった。
◇◆◇◆◇
ソーンダイク伯爵家から放たれた刺客は、標的の元に辿り着くより先に、その体を大地に横たえていた。
傍らには、死神に似た痩せこけた男が立っている。
「これは、ほんのサービスだ」
嗄れた声は、誰の耳に届くこともなく、虚空に掻き消える。
倒れた刺客達は、全員息絶えていた。
気が遠くなるほどの長い年月を経て、朽ち果てる寸前の肉体。
落ち窪んだ眼窩の奥で、ロジャーと同じブルーグレーの瞳が鈍い光を湛えた。
「幸せな時間は、そう長くはないが……せいぜい、今を大事にするがいい」
呟いた言葉は、かつての自分に向けたもの。
永遠と呼べる命の中、魔術を極め、時空さえも超越した。
それだけの年月を耐えてこれたのは、ひとえに──幸せな記憶が残っていたからに他ならない。
「さて、また時空を越えるとするか……」
目指すは、別の世界線。
異なる時間。
無力だった自分を救うべく、時を翔る。
かくして、護衛騎士は永遠と呼べる時間を生きた。









