85. 不機嫌真っ最中
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誰かの声が聞こえる。
辺りは暗い中、その声がする方へと向かって歩いて行く。
呟くように、震えた声が少しずつ近くなっていく。
「……い。……さい」
その声主はどうやら泣いているようで、途中で嗚咽が混じるような声を上げている。
そのまま歩みを進めて行く。
暗くて道も無い場所を、只真っ直ぐに、声のする方へと歩いて行く。
「…ごめんなさい。…ごめん、なさい」
歩みを止めた。
女の子の謝罪の言葉が頭の中で反響する。
歩みを止めたというのに、女の子の声はどんどん大きく響いて来るように頭の中で渦巻いていく。
思わず耳を両手で塞ぎ、ぎゅっと目を閉じる。
一体何に対して謝っているのだろうか。
どうして泣いているのか。
何か悪いことをしたというのか。
何も分からないまま、耳を塞ぎ続ける。
しかし女の子の声は続けて頭の中で響いていく。
ごめんなさい。
ごめんなさい、ごめんなさい。
……――、ごめんなさい。
途中で別の言葉が聞こえた気がした。
しかし直ぐに謝罪の言葉だけに戻ってしまい、何と言っていたのか分からなくなってしまった。
その後ぐにゃりと目の前が歪むような感覚に襲われ、女の子の声は段々遠のいて行った。
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――
「……」
かくんと身体が前に軽く揺れると同時に、シルクは目を覚ました。
どうやらいつの間にか眠っていたようだ。
「あ、丁度良いタイミングで起きたな」
隣でシャロンがシルクの様子に気付いて声をかける。
サイドウィンドウは叩きつけられたように濡れた雨粒で景色が歪んで見えているが、よくよく見れば魔法防衛省の前に到着していた。
「…すみません、うたた寝をしてしまって」
「気にするな。本気の魔力をぶつけたり回復魔法を使ったりと、だいぶ魔力を消費したんだからな」
「そうそう、良ければシルクさんも僕お気に入りの栄養剤飲む?甘くてキマるよ~」
「…遠慮しておきます」
身体に悪そうな色をしている、とつっこまれていたのを思い出しながらシルクは断りを入れた。
(また…不思議な夢)
今回の夢は声だけのようなものであった為、夢と言っても良いのだろうかと複雑な気持ちになる。
若干頭がぼーっとしながらも、シルクは自家用車から降りて魔法防衛省前に足を止めた。
幸い雨を凌げる場所に車を停められた為、誰も濡れずに済んだ。
運転していた執事に礼を言い、シルク達は魔法防衛省の玄関へと足を踏み入れた。
すると受付嬢の女性がペーシェとプラットの姿を見ると、安心と焦りを入り混ぜた様な表情を浮かべながら声をかけた。
「フレッチェ様、スペアル様」
「やっほー、どうしたのそんな慌てた様子で」
ペーシェが疑問符を浮かべながら受付嬢に返答する。
受付嬢は冷や汗を流し、申し訳なさそうに言葉を続けた。
「カネル様各位もお戻りになられているのですが…その、お気を付け下さいませ」
シルクとシャロンは互いに顔を見合わせた。
一瞬嫌な予感がし、同時に遠くの方を見るように視線を逸らした。
――
――
会議室の扉を開け、目の前に飛び込んできた光景。
レザンは魂が抜けた様に脱力して作業机に突っ伏しており、ミュスカは眼鏡をずらしたまま崩れた状態で椅子に座っている。
シルク達が戻って来たのに気付いたカネルがこちらに振り向くも、明らかに疲れた様子。
アベルは警戒態勢を崩さないまま会議室の隅に視線を向け続けている。
そして、アベルの視線の先にいるのは、どんよりとした空気を纏っているグレイの後ろ姿。
会議室の隅に向かって何かをぶつぶつと呟いており、ペーシェとプラットは背筋を震わせた。
突然の状況にシルクとシャロンも驚くも、すぐさまグレイに駆け寄って声をかける。
「おい先生どうしたんだ、よ…」
グレイに近付いた事でぼそぼそと呟いている言葉がはっきりと聞きとられ、シャロンはぴしりと固まった。
「あんのクソ野郎、絶対許さないからな…次会ったら絶対燃やす。ふふふ、一気にどかんと燃やしちゃおっかな?…はぁー…潰してやる」
突然笑い出したと思えば再び低音で呟くのを繰り返しており、兎に角黒い感情が分かりやすく背中から雰囲気として滲み出ている。
流石に心配になったシルクが声をかけようと手を伸ばすが、シャロンが横からシルクの手首を掴んで制した。
「流石に今話しかけるのはマズい。先生が落ち着くのを静かに待っていた方が良い」
「シャロンの言う通りだ。それでもまた暴れそうになった時は僕達で抑えるから」
カネルがこちらに来るようにと手招きしながらそう説明する。
また、というところから何度か暴れたのだろう。
それによってレザンとミュスカが疲れ切ってしまったのか、とシャロンは心の中で静かに合掌した。
「あー…この様子だともしかして、許可を得るのに失敗した?」
「失敗というより、保留だな。現状厳しい状況ではあるんだが…参ったな」
「うがああぁぁぁっ!!あんのクソ野郎が施設長だなんてどうかしてるよ!誰がテメェなんかの許可を得るために頭下げなきゃならないんだバアアァァカ!!」
グレイが突然奇声を上げながら振り向き、怒りの形相を露わにする。
アイデンティティの一つである伊達眼鏡は着けておらず、こめかみには血管が浮き出ていてだいぶ興奮状態である。
しかしシルクとシャロンが戻ってきている事に気付くと、グレイはぴたりと動きを止めてから身体を震わせ、目元に涙をじんわりと浮かべだした。
シャロンは引き攣った表情で、シルクは真顔で固まったまま動けずにいる。
「二人ともぉぉぉ!!聞いてくれよぉぉぉぉ!!」
そう言いながら二人に突撃しようとするも、再び暴れ出そうとしていると判断したアベルがグレイを背後から羽交い絞めするように取り押さえた。
「離せぇ!僕はただぁ、話を聞いてほしいだけなんだぁぁ!!」
「ならまずは落ち着いてから話せ、今の状態でまともに話せないだろうが」
「うぎぎぎぃぃ、一緒に燃やしに行こうよぉぉぉ…」
「物騒な事言うな馬鹿」
カネルが呆れた表情で注意し、アベルは無言で羽交い絞めを解かずに固定したまま軽く溜息を吐いた。




