56. 振り返る
シルクは玄関から外へ向かい、再び藁の箒を手にして掃除を再開する。
本来なら掃除を終わらせた状態でカネル達を出迎える予定だったが、訪問時間を勘違いしてしまっていた事でそれは叶わず。
間違いは誰にでもあるものだから特に攻める事は無い。
しかし掃除を中途半端のまま終わらせるのはシルク自身が許せない事であった。
玄関周りの次はアパートの周辺を、と玄関から離れて特に落ち葉が多い場所へと足を進める。
(若葉がだいぶ増えてきたな…)
ふと顔を上げて辺りの木々を見渡す。
此処のアパート、“ヴェール・フォレット”に入居した当日は、辺りの木々はほとんどが枯葉に近い状態であった。
木々だけでなく、本来なら綺麗に咲き誇っているであろう花や、青々と茂っているであろう草原は、色褪せて弱々しく枯れ草となっていた。
緑や森といった意味を表す“ヴェール・フォレット”と言うには名前負けしている状態となったのには、とある原因があった。
アパートの住人兼管理人である、グレイによる奇行。
グレイは魔法薬学研究者であり、界隈では天才、秀才と呼ばれている。
彼は元々研究施設にて活動していたのだが、癖が強く周りから浮きやすい存在であった。
共に過ごす研究者達とは意見のぶつかり合いが続き、彼自身が思うように研究を行えない事に窮屈さを感じていた。
最終的には個人活動の方が向いているのではと開き直り、様々な研究施設を転々としていたのをばっさりと辞め、現在は個人の研究者として興味のある研究を進めていくスタイルをとっている。
グレイが個人活動をするようになると、興味のある魔法植物を次々と取り寄せては自由に扱い続けた。
そんな中、実験により魔法植物から発生する特殊な物質が辺りを漂うようになってしまう。
様々な物質が混ざり合い、空気に運ばれて外へと流れて行く。
それは異臭騒ぎと発展してしまい、元々アパートに住んでいた他の住民のほとんどがグレイに何度もクレームをいれるも、それをすんなりと分かりましたと言うグレイではない。
好奇心旺盛で、気になる事は納得するまで追究するのがグレイの本質である。
そうして異臭は辺りの環境までにも影響を及ぼしてしまい、見事に荒れた環境へと変化してしまった。
治まらない異臭、貧相になっていく自然環境。
他の住民は悪化していく生活環境に我慢ならず、次々と退居してしまう。
最終的にはグレイ、学生のシャロンとミュスカ、その三人だけがアパートに残ることとなった。
シルクがこのアパートに来た当初も薬品の独特な異臭が漂っていたのだが、今ではその異臭は完全に消え去っている。
それは彼女が持参していた大炭草により消臭効果が発揮されたからである。
ちなみに、グレイの奇行は研究についての異臭騒ぎだけではない。
グレイは元々掃除をしない、全くできない人間だ。
取り出した物は元に戻さず放置し、書類は積み上げ放題。
何処に何があるのかを忘れてしまっては大騒ぎし、見つかったとしても破損した状態で見つかる始末。
何度注意しても言う事を聞かないグレイに、共に長く過ごしているシャロンとミュスカが呆れてしまう程であった。
しかし、そんな環境もシルクが来たことで一変する。
シルクは引っ越してきた日に劣悪な環境についてを、現在グレイが進めている研究内容を踏まえて指摘し、その翌日には大掃除が決行された。
当初グレイは指摘された時、納得できないような不貞腐れた表情を浮かべていた。
しかしグレイの意見を踏まえた上での指摘であり、一方的な攻めた言葉では無かった。
何より、研究を進めていく為にも必要な事だと説得されたのが大きかったのだろう。
なんやかんやあって大掃除は終わり、アパート内は整理整頓され綺麗な状態へと変貌した。
そうして辺りの自然は少しずつ本来の姿を取り戻そうとし始める。
そこで、シルクはとある行動をとっていた。
植物の成長を手助けする効果のある魔法薬を自ら調合し、アパート周りの植物に魔法薬を軽く振りかけたのである。
この魔法薬はグレイが現在進めている研究の過程の一つから思いつき、こっそりと自室で調合したのだ。
その効果は無事発揮され、木々からは若葉が芽生え、辺りにはぽつぽつと花の蕾が成り、新たに生えた草花が優しい風に揺られている。
そんな風景をぐるりと見渡し、シルクは薄っすらと笑みを浮かべた。
シルクは魔法使いだ。
普段は何でも屋として個人活動している。
裏魔法協会から様々な依頼を引き受け、どのような難題も最終的には解決へと導く、凄腕の魔法使いと言っても過言では無いだろう。
しかしシルク本人は、自分の事を只の魔法使いだと宣言してはそう思い込んでいる。
思い込むようにしているのには理由がある。
シルクは周りの人々とは異なる点が多くあった。
計り知れない魔力を秘めている事。
睡眠欲、食欲が異常な程に無欲に近い事。
そして…身体の成長が止まっている事。
数年、数十年…更に長い年月の中、シルクは現在の姿を維持してきた。
あまりにも遠くなるような時間を過ごしたせいか、記憶も曖昧なものとなってしまっていた。
自分が何処で生まれたのか、何者であったのか、何の為に生きているのか。
両親がどのような顔であったのかも不明であり、今の自分の年齢さえも、長い期間を過ごしすぎて覚えていない。
一体いつからこのような身体になってしまったのか、何もかもが不明の状態である。
このような体質のせいもあり、周りの人々からは距離を置かれるようになってしまう。
何でも屋として活動していくうちに様々な人々と関わってきたが、好印象を抱くような人物は稀であった。
気味悪がられることは勿論の事、逆に利用しようと下心を持たれることもあった。
多くの複雑な人間関係を積み重ねていくごとに、シルクはいつからか感情を表に出さないようになっていた。
常に無表情を貫き、悪質なストーカー行為を経験してからは素顔を晒すことに抵抗感を覚え、日常的に狐面を付けて口元はストールで覆うようになった。
そうした怪しい見た目も相まって、更に周りから距離を置かれるようになるも、人間関係に疲れ切っていたシルクにとっては距離を置かれることは好都合となっていった。
当初このアパートに決めたのも、人里離れた場所であることが理由であった。
しかしグレイと出会ったことで、シルクのこれまでの日々に変化が訪れる。
これまで思い出すことを諦めていた記憶が、少しずつ思い出せるようになったのだ。
整理整頓されていない環境が嫌いである事や、食べることが好きな事、植物が好きな事。
グレイ達と出会ってから、日常的な出来事に対して少しずつ記憶が呼び起こされるように脳裏に浮かんだのだ。
更には不思議な夢を見て、その中で過去の自分らしき人物を目撃することもあった。
(…あれから新しく思い出した記憶はまだ無いんだよなぁ)
これまでは睡眠をとらずに日々を送っていた為、これからはしっかり睡眠をとって夢を見れるようにすれば、記憶を思い出していくのではないかと考えた。
しかし、振袖を身に纏った過去の自分が出て来る夢を最後に、それ以降は全く夢を見ていない。
夢は毎回必ず見れるものでは無いし、またいずれ見ることができるだろう。
そう特に焦った様子無くシルクは日々を送っている。
ふと顔を上げ、太陽の光を眩しそうにして手で影をつくる。
優しい風が頬を撫でるように通り抜け、緩く覆っているストールが靡く。
シルクは辺りの自然を感じるかのように目を閉じて深呼吸する。
ゆっくりと目を開けた時には、薄っすらと優しい笑みを浮かべた。
グレイ達と出会ってからは、記憶だけでなく、温かな感情も少しずつではあるが取り戻しつつあった。




