36. 固着
身支度を整えて食卓のある部屋へと辿り着くと、シャロンとグレイが既に着席していた。
シャロンは寝癖が残っている為か普段のくせ毛がより跳ね上がっており、グレイは未だに眠たそうに目を閉じて欠伸をしている。
「あ…おはようシルク~。よく眠れたようだね、ミュスカから聞いてるよ」
「はい、ありがとうございます…博士はあまり眠れなかったんですか?」
「先生は相変わらずの夜更かしだよ、研究が一段落するまでは続くだろうな」
「まぁ、完全に徹夜されるよりはマシですけどね」
ミュスカが人数分の皿を運びながら会話に加わる。
徹夜を続けていた時ほどの隈はできていないため、それなりに睡眠はとれたのかとシルクは静かに安堵する。睡眠に関して一番心配されているのはシルクの方なのだが、本人にとっては未だに違和感でしかなかった。
そのまま朝食が始まり、合間に今日の予定についてグレイが1つ提案した。
「そうそう、街に行くついでに僕の買い物も済ませてしまって良いかい?ヘリオスフラワーを開花させるのに必要な肥料を調達したくてね」
「良いですけど、単独では行動しないで下さいよ。先生は目を離すと好き勝手行動しだすんですから」
「しっかり手綱を掴んでおかないと何をしだすか分からねぇしな」
「心外だなぁ…僕は言う事を聞かない犬じゃないんだよ?」
好き勝手行動するという言葉にシルクは静かに納得してしまう。
気になる事を気が済むまで追求したくなる性格や好きな事に対する執着さを考慮すれば、確かに単独行動させると何をしでかすか分からない。
グレイが奇行を起こすかもしれないという不安要素があるものの、シルクにとってはこれから街へと向かう事に対しての緊張が一番強くなっている。そんな緊張を落ち着かせるようにコーンスープを静かに飲み干した。
セイボリーという都市の近くに、クイチェという街がある。
クイチェは様々な商業施設が揃っており、多くの者が行き来する街だ。
セイボリー程では無いが人が多く集まりやすい場所であるため、シルクは素顔を出した状態でその中へと向かうのかとつい考えてしまう。
依頼による潜入捜査以外で存在を消さずに多くの人が集まる場所に立つのは本当に久しぶりだった。
「それじゃあ各自準備が整ったら広間に集合だね。ところでシルクは普段からそういった服装なのかい?」
グレイは純粋な疑問としてシルクに問いかける。
シルクは昨日と同様に白いシャツと黒いズボンを着用している。全く同じ物ではないのだが、同じ系統の服装であるためつい同様の物に見えてしまう。
「そうですね…この方が落ち着きますし、動きやすいので」
「見た目より動きやすさ重視か」
「お洒落にはあまり興味が無い感じですか?」
「お洒落…ですか」
シルクはあまりピンときてないような様子で首を傾げる。
仕事一筋で暮らしていた為か、お洒落について考えることは全く無かったのだ。
それも相まってか現在シルクは化粧にすら関心を抱いていない。洗顔と保湿、日焼け止め、軽くアイブロウを使用しているくらいの、最低限と言うにも足りないくらいの状態だ。
それでも整った顔をしているため、元の素材が良いのだろう。そもそも普段から顔を隠しているのもあって必要性をあまり感じていない。
依頼の内容によっては化粧を必要とする場面もあり、一応化粧の流れは知っている。その際は化粧と言うより変装と考えていて、完全に仕事の一部として固着してしまっていた。
シルクはハッとした表情をして1つの考えを思いつく。
仕事と考えて行動すれば、この緊張感は和らぐのではないか。
普段の仕事でもそれなりに緊張感はあるのだが、今回の場合は余計な不安感が渦巻いている。仕事だと思えば割り切れる為、余計な緊張感を感じずに過ごせられるのではないか。
「シルクは立派な女性なんだし、もう少しお洒落に興味を持っても良いと思うけどなぁ。いっその事これを機に色んな店を見て回るのも良いかもね」
「…頑張って遂行します」
「待って下さい、遂行って言ってますけどこれは仕事ではありませんからね?」
「…そう考えないと不安で押しつぶされそうです」
「相当重症だなこりゃ」
グレイ達は苦笑いでシルクの固まった表情を見つめる。
仕事脳をそう簡単に和らげるのは困難であり、プライベートと区別を付けられるようになるまで、まだまだ時間がかかりそうである。




