Chapter 5:夜空下、約束
(あたし、飛んでる…)
楓奈は眼下に広がる楓の樹冠と家々の屋根を見下ろしながら、まるで夢を見ているような感覚に囚われていた。
彼女は手を伸ばし、空に触れようとした。
しかし、すぐに引きずり下ろされ、地面にそっと降ろされた。
「もう一回! もう一回お願い! 頼む!」
彼女は星動の腕を掴み、懇願した。
「シーッ。誰か来る」
星動が前方を指さして知らせた。
「あっ、ママだ」
一葉が駆け寄ってきた。遠くから様子を窺い、目をこすり、そして速足で近づいてきた。
「フフ、大丈夫?」
「え? どうしたの、ママ?」
一葉は楓奈を上から下までくまなく見回し、細かく調べた。
「さっきお前、空を飛んでるのが見えたんだけど…飛行魔法なんか習ったりしてないわよね?」
「してないよ、ママ、見間違いだよ」
「本当にしてない? 飛行魔法みたいな危険な魔法は監督者がいる時に習うものよ。ママも使えないんだから、絶対に一人で試したりしちゃダメよ。先生も見つけたばかりなんだから、明日会ったら先生に習いなさい」
「本当にしてないってば、ママ。見間違いだよ」
「でも、はっきりお前が空を飛んでるのが見えたんだけど…」
「鳥じゃない?」
「でも赤いドレスを着てたのよ。お前が今着てるのと同じ」
「それって、紅葉だったんじゃない?」
「…私、本当に見間違えたのかしら?」
「本当だよ。友達が証言してくれるよ」
楓奈が星動を指さした。一葉はとっくに彼の存在に気づいていたが、まだ尋ねる機会がなかった。
「この子は?」
「ママ、これはさっきできた友達の星動くん」
一葉が星動を見ると、彼はちょうど頷きながら自己紹介を始めた。
「こんにちは、お姉さん。僕、星動といいます。あそこの家の者です」
彼は楓奈の家からそう遠くない一軒の家を指さした。一葉はそれを見て、うなずいた。
「なるほど、熱血さんのご子息ね。お父様と楓奈の父は狩猟隊でも顔なじみなのよ」
「そうなの? ママ」
「ええ。パパもこの数日、ご家族を家に招待しようって話してたところよ」
「はい。父は鍛冶屋で、最近楓奈さんのお父様の武器の手入れをしたばかりです」
「それはどうもお父様に感謝しなくちゃ。今日楓奈のパパとも相談して、ご家族との会食のことを決めさせてもらうわ」
「お手数おかけします、お姉さん」
「お姉さんだなんて、本当にお行儀がいいのね」
一葉はにこにこと笑った。この種のお世辞は、どんな女性にも効くようだ。
楓奈は一葉の袖を引っ張った。
「ママ、お腹すいた。そろそろお昼の時間じゃない?」
「ええ、そうね。じゃあ、星動君にお別れを言いましょう」
「はい。じゃあね、星動君」
「またね、楓奈さん。また遊ぼうね」
楓奈は手を振りながら、彼に向かってウインクした。
…
夜、星動は楓の木の下の草地に静かに横たわり、両手を頭の後ろで組んでいた。
ササッ
足音が聞こえ、やがて一つの顔が、彼が見上げていた夜空の視界を遮った。
「おい、お前、何歳だ」
「二歳だよ」
「今の話じゃない。転生前に何歳だったかだ」
「十歳」
「プッ、ガキかよ」
楓奈は声をあげて笑った。
星動は少し呆れたように手を振った。
「名前は教えただろ?」
「ふんふん、ちゃんと名前で呼んでほしければ、代償を払ってもらうわよ」
「何だ?」
楓奈は星動の隣に座り、星のようにはっきりと輝く星動の瞳を見つめた。
「あたしも超能力が欲しいの。何とかしてくれない?」
「無理だ」
「なんで無理なの?」
「さっきも言っただろ、遺伝子改造の産物だって。僕にはできないよ」
楓奈は小さな鼻をしかめた。
「嘘つかないでよ!」
「どうした?」
「遺伝子改造の産物だって? お前、今は転生してるんだぞ? じゃあこの超能力はどうやって持ってきたんだよ?」
星動は黙り込んだ。
「どうして黙るのよ」
「もし僕が、実はこれがどういうことなのか、自分でもわかってないって言ったら?」
「はあ、嘘でしょ。言いたくないなら言わなきゃいいじゃん」
楓奈は腕を組み、そっぽを向いた。
しばらくして、彼女は振り向いた。
「…本当にわからないの?」
「なぜ超能力が転生についてきたのか、本当にわからないんだ。理論的には遺伝子改造でできたものだから。たぶん…僕の能力に関係があるんだろう」
「君の能力って何? 人を飛ばすやつ?」
「引力」
「引力?」
「うん。引力は理論上、時間と空間を越えられる。三次元時空の影響を受けない。たぶんそのせいで、一緒に現れたんだろう」
「すごいじゃん! じゃあその能力で、帰れるんじゃないの?」
「理論上はね」
「そういえば聞くの忘れてた。どうやって転生してきたの?」
「僕も…よくわからない。覚えているのは、寝てたことだけ。君は?」
「あたし…あたしも忘れた」
星動は起き上がり、楓奈を一瞥すると、ため息をついてまた横になった。
「何よ」
「僕ら、どっちもどっちだなって思った」
「誰がお前とどっちもどっちよ」
楓奈はむっとしたように、星動の隣にごろんと横になった。
夜空の下の草地で、転生してきた少年と少女が肩を並べて横たわっている。
「嘘つき」
「何が?」
「星なんてないって言ったくせに! こっちの星の方が日本で見たよりずっと多いじゃない!」
楓奈は右手を上げ、人差し指で夜空にきらめく無数の星明りを指さした。
星動は答えなかった。
「どうして黙るのよ? なんでそんなすぐバレる嘘をつくの?」
「あれは星じゃない」
「…は?」
「本当に星じゃない。僕の超能力がそう教えてる」
楓奈は手を下ろした。
(理科は得意じゃなかったけど、確かに似たような理論を聞いたことがある。
質量が大きいほど、生み出す引力も大きい。
もしこの十歳のガキンチョの言うことが本当で、彼の能力が本当に引力なら、
夜空のあれに質量を感じられないのも当然か…)
「夜空に質量が何も感じられないってこと?」
「ああ。引力はまったく存在しない。何もないんだ」
楓奈は顎に手を当て、探偵のように考え込んだ。
「仮に君の言うことが本当だとすると、あたしたちが見ているこれらの『星』は何なんだろう?」
「わからない」
「嘘はついてないんだろうね?」
「昼間、君も体験しただろ?」
楓奈はまばたきをし、両手を胸の前で組み合わせた。
「…わかったわ。信じてあげる」
「ありがとう」
「お礼はまだ早いわ。その超能力、もうちょっと貸して遊ばせてよ」
星動は吹き出した。
「どうやって僕の超能力を貸して遊ぶんだよ?」
「あたしが何をしろって言ったら、それに従うってことよ」
「随分と都合のいいことを」
「ふん、受け入れないなら、君が超能力持ってるってみんなに言っちゃうからね」
「じゃあ僕は、それは魔法だって言うよ」
「ごまかすってわけ?」
「もちろんさ」
楓奈はふんふんと鼻を鳴らした。
「でも…できないこともない」
「え?」
「君のママから聞いたけど、明日家庭教師が来て魔法を教えるんだって?」
「うん」
「僕にも教えてもらえないかな?」
「なんで? 超能力あるくせに魔法も習いたいの?」
「別に矛盾しないでしょ」
星動は苦笑した。
「実は…魔力を増やしたいんだ。そうすれば、僕の超能力も一緒に強化されるかもしれないから」
「魔力?」
「正直に言うとね、未来の人間は超能力の他に、この世界の『魔力』に非常によく似たエネルギーも制御しているんだ。そのエネルギーが増えると、人の超能力も強化される。だから、こっちの魔力でも同じことができるか試してみたいんだ」
「超能力が強くなったら、何がしたいの?」
「家に帰る」
(やっぱりな)
「故郷には、やらなきゃいけないことがあるんだ。こんなに簡単に去るわけにはいかない。だから…強くならなきゃ」
星動は横を向き、楓奈の横顔を見た。
「手伝いたくないわけじゃないんだ。でもママがあたしのために見つけた先生は、あたしを主体に占っても見つけられた先生だから、君に合うかどうかはわからない」
「そうか…」
「だから、君は自分で両親に頼んで、君にぴったりの先生を探してもらった方がいいよ」
「そうだね」
楓奈は立ち上がり、赤いドレスの裾についた雑草をパタパタと払い落とした。
「明日先生が来るから、早く寝ないと」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
歩み去る音がなかなか聞こえてこない。星動が起き上がると、楓奈が奇妙な様子で立っているのを見つけた。
「どうした?」
楓奈は夜空を見上げていた。夜の闇が彼女の赤い瞳に映っている。
「…千年後の世界、実はあたしも見てみたいんだ」
星動はまばたきをした。
「そうか」
「だからさ、その時は…あたしが君を助ける。君が帰るのを。その時は忘れないで、あたしを君の故郷、つまり千年後のあたしの故郷に連れて行ってよ」
楓奈はうつむき、振り向いて星動の黒い瞳をじっと見つめた。
星動は笑った。彼は手を差し出した。
「ああ。約束だ。楓奈さん」
楓奈も笑顔を浮かべ、その手を握り返した。
「約束よ、星動君」