Chapter 4:千年後から来た少年
楓奈が階段を下りると、一葉がちょうどセーターを編んでいて、物音を聞いて振り返った。
「楓奈、一晩中(※午前中と解釈)見てたけど、どうだった?」
「お母さん、家庭教師をお願いしたい」
「ふんふん、難しいってわかったんだね?」
「うん、本が理解できない」
「わかったわ。今すぐにでも依頼を出してみるね」
一葉は張り切って上着を取りに行った。楓奈は頭をかいた。
「お母さん、どこで先生を探すの?」
「占い師協会よ」
「占い師?」
「ええ、占い師があなたにぴったりの先生がどこにいるか予言してくれるの。たとえその先生が遠くにいても、見つけ出せるようにしてくれるわ」
「へえ」
「じゃあ行ってくるね。お昼までには戻るから」
「お母さん、遊びに行っていい?」
「どこへ?」
「家の前のあの木の下」
「うん、いいよ。でも、自分で町の外に出ちゃダメだよ。覚えててね」
「わかった」
母子は一緒に家を出て、楓の木の下で別れた。楓奈は母親に手を振り、振り返って木の下を見た。
黒い服を着た小さな男の子が、静かにそこに立っていた。彼の体の周りには、何羽かの蝶が飛んでいる。それらの蝶もまた、赤い紅葉でできていて、羽ばたきが起こす微風が、少年の黒い髪をそよがせていた。少年は空を見上げたまま、まるで彫像のように微動だにしない。
目標はすぐそこだったが、楓奈は少し躊躇した。これは彼女が異世界で両親以外に接する三人目の人間であり、同い年とはいえ、血の繋がらない赤の他人だった。
(もし本当に普通の子供なら別にいいけど、あたしが十八歳の“お姉さん”が子供と遊ぶってことになるだけだし…
でも、あの蝶が魔法なら、相手は超天才か…
それとも…
相手もあたしと同じ、転生者なのか。)
パンッ!パンッ!
楓奈は自分の頬を叩き、「怖がることなんて何もない」と自分を奮い立たせて、ゆっくりと小さな坂道を上っていった。
「おはよう」
少年は少し反応したようで、空から注意を引き戻しつつある様子だった。彼はゆっくりとうつむき、それから楓奈のほうへ向き直った。その時になって楓奈は初めて、彼の顔立ちと、漆黒の瞳をはっきりと見た。
(…ふむ、七点くらいかな。別にすごいイケメンってわけじゃないし、パパには敵わないけど、かといってブサイクでもない)
楓奈は即座に心の中で採点し、それから彼に手を振った。
「おはよう」
少年は応えた。口調はそれほど冷たくはなく、むしろ好奇心に満ちていた。
「何してるの?」
楓奈は顔を上げて空を見た。空には紫色の太陽が燦然と輝き、青空には一片の雲もなく、非常に澄み渡っていた。
「空を見ている」
「空のどこがそんなに面白いの?」
「…」
少年は黙り込んだ。
(話題をぶち壊しちゃったわね、あたし! 何か取り繕わなきゃ…)
「ここの空は…僕が前に見たのとはちょっと違うみたい」
「…ん?」
楓奈は目を細めて空を見た。太陽が違う以外、空は青いし、雲は白い…どこが違うんだろう?
(違う、前に見た…彼は他にもどこかで空を見たことがあるんだ)
「空のどこが違うの? 他にどんな空を見たことあるの?」
「ここの空には…星がない」
(星がない?それは確かに気づかなかった。夜も空は暗いって知ってるけど、ここの月は金色と銀色の二つあって、金色は満月で、銀色は三日月みたいな形で金色を半分包んでるんだよな…)
「僕は…前に、故郷で違う空を見たことがある」
「君の家ってどこ?」
「君の家の北東の方角だ」
(なるほど、あたしの家を知ってるんだ。まあ、あの時目が合ったからな…)
「いや、あたしが聞いてるのは、君の故郷はどこかってこと」
楓奈は少年の顔をじっと見つめ、その表情を観察した。
少年は少し躊躇したが、それでも言った。
「地球だ」
(…!)
楓奈が驚く間もなく、少年はすぐに彼女を見た。黒い瞳が楓奈を捉える。
「君と同じだ」
(…!!!)
少年の最初の言葉よりも、この二つ目の言葉に楓奈は震撼した。
(なんであたしが地球出身だってわかるの?
ダメだ!
今一番重要なのは、身分を明かすかどうかだ。
明かす?
明かさない?)
楓奈の心の中は大嵐が吹き荒れていた。
「あ、あなた…どうしてわかったの?」
ほんの一瞬ためらって、彼女は決めた。もうバレているなら、むしろ率直に行こう。
しかし、少年の答えは彼女を呆然とさせるものだった。
「当ててみた」
楓奈は口をとがらせて彼をにらみつけた。少年は無邪気にまばたきを返してきた。
「名前は?」
「星動」
「地球での?」
「ここでも同じ」
「同じ? 偶然名前が同じってこと?」
「ああ。君は?」
「楓奈。こっちの名前」
「地球では?」
「地球の名前は捨てた」
「なぜ?」
「教えない」
「…」
少年は顔を背け、手を差し出すと、一羽の紅葉の蝶がひらりと舞い降りた。
「君、魔法の覚え早いんだね。あたしはこれができない」
「これは魔法じゃない」
「ん? 魔法じゃないなら、魔力?」
「いや、それも違う。この世界の力じゃない」
「えっ?」
「超能力だ」
楓奈は半歩後退し、少年を上から下まで見た。
(この中身は中二病の魂?
いや、異世界なのに中二病っておかしくない?
ああ、いや、異世界にも異世界なりの特有の中二病ってあるんじゃないの…)
彼女がそんなことをあれこれ考えていると、少年は不思議そうに、いっぱいの疑問を浮かべた表情で彼女を見つめた。
「君には超能力がない」
「残念ながら、ないわ」
「どうしてないんだ? みんな持ってるよ」
「みんな持ってるって何よ。君は学園都市(小説『とある魔術の禁書目録』に登場する架空の都市)に住んでたの?」
このツッコミが少年に何かを思い出させたらしい。彼は眉をひそめ、真剣な口調で尋ねた。
「君、地球では何年に生きてた?」
付け加えた。
「西暦で」
「2024年よ」
(たぶん、平成生まれの中二病?)
楓奈は心の中でそう毒づいたが、少年が突然何かを悟ったような表情を浮かべるのを見た。
「どうしたの? 何かわかったの?」
「ずいぶん古い時代だな…知らなくても無理はない」
「何が古いのよ、あたしを時代遅れみたいに言わないでよ! じゃああなたは何年の人なの! 西暦で!」
楓奈は見よう見まねで言い返した。
「西暦3033年」
「はあ、たかが…」
思わず見下した口調で言いかけた楓奈は言葉を止め、真っ赤な瞳を大きく見開いて少年を見た。
「今、何年って言った?」
「西暦3033年」
「そんなにさりげなく繰り返さないでよ! 聞こえてたけど…でも…」
「受け入れられない?」
楓奈は彼をにらみつけた。星動という名の少年はいたって無邪気な顔で彼女を見ていた。
「マジで千年も未来から来たの?」
「嘘はつかない」
「さっきの話だと、千年後は、みんな超能力を持ってるってこと?」
「ああ。千年後、人類は星間植民をして、遺伝子改造も行われた。みんな生まれつきで、八歳ぐらいになるとランダムな超能力が発現するんだ」
楓奈は目が回りそうだった。世界がますますややこしくなった気がした。
(いやいやいや、
あたしはただのシンプルな異世界に転生しただけのはずなのに、
なんでそんなSFみたいな設定が出てくるのよ。)
そう思うと、彼女は二歩後退し、警戒した表情で少年を見た。
「何してるの?」
「感染予防」
「僕、何の感染症も持ってないわよ」
「本当に自分に中二病がうつってないって言い切れるの?」
「ない。…じゃあ、僕のこれは何だと思う?」
少年は自分の周りを飛ぶ蝶を指さした。
「魔法」
「超能力を信じないのに、魔法は信じるの?」
「だって魔法は確かに存在する。でも超能力は君の話の中にしか存在しないから」
少年は周囲を見渡した。
「なに」
周囲の状況を確認した少年は、楓奈に向かって手を上げ、虚空を掴むような動作をした。
「Show you!」
楓奈の警戒した表情が変わった。彼女は信じられないというようにうつむき、自分の体を見た。
自分の体が巨大な手に掴まれているような感覚がした。しかし振り返っても、そこには何もなかった。
その直後、彼女の足が地面から離れた。
…
「一葉さん、お幸運です。お子様に最適な先生と直接連絡が取れました。明日、ご自宅に直接お伺いするとのことです」
「それはよかった、本当にありがとうございます」
「どういたしまして。こちらでお支払いをお願いします」
一葉は小さなあずまやの前に立っていた。あずまやは木製で、魔法の呪文や星空(※バグではない)に関連する浮き彫りが彫られていた。
中には、黒いフード付きマントを羽織り、黒いヴェールで顔を覆った若い女性の占い師がいた。
一葉は金貨を一枚取り出して支払った。この種の予言占いは非常に高価だが、娘のためならそれだけの価値はあった。
女性占い師は彼女に黒いカードを渡した。これは領収書だ。
一葉は満足そうにうなずき、振り返って太陽の位置を確かめ、時間を推し量ろうとした。しかし彼女はすぐに固まってしまった。
「一葉さん、どうかなさいましたか?」
あずまやの中の女占い師は、彼女が呆然としている様子を見て、心配そうに尋ねた。
「昨日よく眠れなかったせいかしら…幻覚かしら」
「どうしてそうお思いに?」
一葉は右手を上げて、空を指さした。
「だって、私の娘が宙を舞っているのが見えるんですもの」