極刑島5
怪盗・影路陽牢は小さく笑う。不気味な存在、綺麗な顔をした怪盗、美青年というか、背丈は大人に近いのだが、顔つきがまるで子供の様でその真の様相たるやも僕という変装を解いた後でも認識がしにくかった。
「影路陽牢、お前は一体ここへ何をしに来たのかな?」
対して、怪盗はまたクスリと笑う。
「何をしに来たって、そんな事は分かりきっている事だろう?浮向京介、君がそうである様に。彼女達も同じである様に。島に行くつもりなのだよ」
つらつらと怪盗は捲し立てる。
「島に行くつもりと行ったが、まぁ、もちろんの事、目的はバラバラなのだろうけれど。俺は俺のやるべき事をやりに行くだけさ」
「怪盗であるべくしてやる事か?」
「あぁ、もちろんそうだ。俺は金持ちでも無ければ、VIPでも無いからね。島に行くと言ってもバカンスを取りに行くという訳にはいかない。前古未曾有の名怪盗なのだから、盗る物は未だかつて無いロマンスだ」
キラキラとさせた目のまま、その意識というのは黒目の中の先の先の光に引っ張られて、存在を見失いそうになる。彼は確かにロマンスをただ純粋に追い掛けているだけの怪盗を名乗る男だと僕は思わされた。
「いや、人の名前など騙るような男にロマンスを語られたくは無いが、君に必要なのはバカンスの前にコンプライアンスじゃ無いのかい」
「はっは、俺にコンプライアンスは必要無い。そんなお堅い週刊誌みたいな事言うなよ、寒いだろう。俺に必要なのはオーディエンスとロマンスだけだ」
「無知蒙昧な怪盗の君に必要なのはインテリジェンスとフェンスだよ」
「口が達者だな、嫌いじゃ無い。ロマンスもそう言った遊び心と人の思いだったりするからな」
「片思いじゃ無いか?ロマンスのカケラも無いようなね。僕はあまり君の事は好かないからね」
「はっは、なに、片思いだってロマンスさ」
そこまで言って、怪盗はつっと立ち上がる。立ち上がると僕よりも背丈が高い事が分かる。黒と白を基調としたゆったりとしたコートを外側に、動きやすいランニングウェアのような服を内側に着込んでいる。チグハグだ、全くのチグハグ。
「浮向京介、これから同じ時間を共にするんだ。ツアーが終わるまで仲良くしようじゃ無いか。お前とは仲良く出来そうだ」
そう言って、怪盗は怪盗らしく音も立てずに外に出ていく。置いて行かれた扉が後から急に音を思い出したかのようにガチャリと音を出していた。
4
怪盗が姿を船内から消して甲板に出て行った後、僕の周りには静けさが充満していた。女子大生が2人と僕が1人。状況も状況だからそう言った気が起こりそうだとか流れるような思考は一切出てこなかった。単純に気まずい。
彼女達は少なくとも僕だと思い込んでいた怪盗とある程度の会話を行った事が想像できる。であれば、自分達の話、自分達しか知り得ない話も織り交ぜて会話していたかもしれない。それを話してしまっていて、気落ちでもしていないか心配である。
そのような考えも相まって少しばかり「大丈夫かい?」と質問する。質問に対して、存外気にしていないような素振りが見える。ただのマジシャンのマジックに驚いた位の仰天がまだ頭を掠めていると言ったようだった。
「改めて、僕は浮向京介だ。正真正銘の本物の。君たちの知り合いであろう彼女の友達の僕だ」
そう言うと、ポニーテールの彼女が言葉を返す。
「申し訳ない。勘違いしてしまっていたようで、取り乱してしまっていた。君が本当に本物の浮向京介、その人なんだね」
一度騙された手前、彼女は念を押すように、自分に問いかけるように言葉を選ぶ。
「私は鳩野和々。君の言うとおり、〇〇大学新聞部2年、鳩野でもなんでも、わわさんでもなんでも、呼び方は気にしない。おすすめは平和さんだ」
なんだって、平和さんだって?あんまり呼び名としては馴染みが無い名前だけれど、そもそも今さっき出会った所の女子大生をあだ名で呼ぶってのも抵抗があると言うのに。
ポニーテールに眼鏡。一見して、真面目な印象を受けてしまうセットアップなんだけれど、それに惑わされてはいけない。しかし、そも平和とは世界的に認知されるべき言葉であり、象徴と親交の先の真なる言葉だと言える。目指すべき目標である言葉だ。その言葉の巨大さによってあまり自己を表す言葉に利用したりしないけれど、ある種一番それを蔑ろにしているのは『平和さん』とあだ名で呼ぶのは変だと言う意識を持っている僕なのでは無いのだろうか。
ポニーテールに眼鏡。間違いなくそれは真面目と逸れない普通の一般名詞のような、あまり奇を衒うつもりは無いけれどノーマルを守るという偏見を持っていそうなものだけれど。
だからこそ、そのポニーテールのゴムがただ普通の黒色のゴムという所に特別に違和感を感じる。真面目であるなら、突き通して欲しい。大学生デビューをしなかった高校生ないし、社会人みたいな角張った見た目なのだから。『平和さん』などと僕に呼ばせないで欲しい。
それこそ、意見の不調和で僕と戦争をしなくてはならなくなってしまう。親交の前に進行しなければいけなくなる。だからこそ。
「じょあ、わわさんと呼ばせてもらおうかな」
よろしくねと付け足し。
「……わわさんで良いのね?本当に?」
脅すんじゃ無い。まるで僕が間違った選択をしているみたいに。その行動の一つ一つが平和的じゃ無い事をまず理解した方が良いと思うよ。平和を名乗りたいと言うのなら、まず言葉を大事にしなさい、マザーテレサも言っているから。
「私のマザーはテレサじゃない。もちろん、ピーチ姫でも無いけれど。母親は今は1人で家でテレビを見ながら掃除機をかけている。どれに似ているかと言われればウェンディに似ている」
「具体的なキャラクターの名前を出さないの。色々な方面に敵を作ろうとしないの。平和を名乗るつもりなら。そもそも、マザーとは指導的立場の修道女に対する敬称であって、母親の意味とはまた別だ」
「私は親交を大事にしても、信仰を持っている訳ではないから知らないな。だから、そう平和とは親交の真なる言葉であって、信仰の神なる言葉では無いと言う事だ。マザーテレサが何と言おうと、私は変わらない。私のマザーはただ1人なんだ」
なおも平和論で譲ろうとしない彼女だった。それはもう沸々と、轟々となんでも応えてやるぜと言わんばかりの満ち満ちた表情をしている気がした。実際はひどく無表情に近い、最低限のものだったけれど。
「でも私は思うのだけれど、母親がどう言う人間かと言うのは大きい問題だと思うのよ。それこそ人生を良くも悪くも狂わせていくものだと……」
彼女の言葉が終わった時、僕も一瞬だけ、自分の物思いに耽る。自分と母親の関係性について。
「さ、で私の自己紹介はいいとして、この子の事も……」
「ワタシを乗せないなんてどう言う了見だって聞いているのよ。この泥ガキが」
と、その時、船外から女の異様な金切り声のような劈くような物申しが聞こえた。