浪漫怪盗9
18
暗い、全く暗い。一寸先の闇の中を手で弄りながら、徐々に進む。迷宮の中は沈み込む泥のような密度の空気が占める。
「京介、ライト持ってきてくれ。分かれ道があるから、ここにシールを貼っておくから」
怪盗が僕を呼ぶ。答えずに体を動かす、手には必要なシールを持って。
新聞部、香永遠。彼女が持っていた探索道具を少々拝借した。その一つが蓄光シール。数十秒の光に晒す事によって、数時間は小さな光を放ち続けるシールらしい。
もちろん、指先程の小さなシールでこの迷宮内を照らし続ける事は出来ないから。分かれ道に差し掛かった場所でこのシールを手持ちのライトで照らしてから壁に貼り付ける。そう言ったように目印に利用すれば、帰り道にも迷う事は無くなり、道の重複を未然に防ぐことが出来る。
そして簡略的ではあるが、本命の目的。どこでどの方向に曲ったのかをメモした地図を作り上げていく。こういった順序である。
こういった順序。これだけの単純作業。暗闇で変わり映えのしないこの景色の中にいては、そのような単純こそ、苦行になり変わる。
だが、その割に。
「随分と楽しそうだな、怪盗。飛び込みで参加した割に」
亀のようにひそりと歩く僕に対して、彼はスルスルと蜥蜴のように壁に沿って歩いていく。楽しそうに恐怖心なんて一つもないみたいに。
この不衛生で、無味乾燥の迷宮は忌避するにはあまりにピッタリな場所で、未だミノタウロスの噂が進行中な所であるのに。
気がずれる。緩みと弛みが無意識を刈り取っていく。緊張が霧散する。
「そんなに緊張する必要があるか、京介?飛び込み参加である俺がこのようなのだから、気にせず気を抜けば良いというものなのに」
「飛び込み参加の怪盗がいるから僕は緊張をしなくちゃいけないというのだけれど、そうでもなければ牛歩から打って変わって、今頃はメイズランナーだったよ」
「彼らは脱出が目的で、僕らは探索が目標だけれどね。けれど、さながらにモンスターが出てくれば、素敵だけれどね」
モンスター、ミノタウロス。人身牛頭の怪物、そんなものが現れたら実際はロマンなどとは言ってられない、倨慢、傲慢も嘘のように打ち砕かれよう。
「ミノタウロスの噂に立ち向かう。大学生らしい、じゃないか。それ以下の齢には、噂を立ち上らせる程度の事が一杯一杯だろう。大人と子供の境目だからこそのその夢だ」
また怪盗は言葉を弄ぶ。飄々とテキパキ、動きながら。
「……しかし、京介。そのような大層結構なロマンを持っているのに、鳩野女史は随分と奥手なんだな。先程も、1時間のみで調査を終わるつもりだったでは無いか」
怪盗は僕に話しかける。先程の機軸での短い論議。というよりかは問いについて。
「終わるつもり……それは違うな。調査を軽んじているというよりかは、鳩野和々、あの新聞部の先輩ちゃんは全体利益の疑義を、質問してはっきりさせておきたかった所があったのだろう。1人で行動する訳ではない、集団のリーダーとして皆の認識を検めるのは大事だから」
「ふむ、なるほど。まぁ、俺や京介みたいな一匹狼って奴には縁遠い役割だろうけれど、語るじゃないか」
「僕は集団に成れないんじゃなく、集団行動に慣れないだけだから。知らぬ存ぜぬって様な話ではない」
「俺は成れないな。怪盗のグループ、怪盗団の一員を名乗るのは肌に合わない」
「の割に、集団に溶け込んでいるじゃないか。流されるままに、流れ着くところまで行ってしまう僕とは違って、自分から意見して迷宮にまで入り込んで……」
言ったところで、怪盗は笑む。陽炎の様に表情が揺らぎ、影が顔を濁らせる。迷宮の中の湿度の低さと暗闇の作り出す高密度の黒に彼が馴染んでいく、遊ぶ様に軽やかに彼は迷宮になる。僕の目に姿が焼き付かなくなる。だが、そこに確かにいる。
言葉は返る。
「……俺は怪盗だからな。誰かに成り変わり、塊の隙間を埋める、無形の人間」
ことばの後に、姿なじろりと現れる。幾度と見た怪盗の早替わり、特性、特技、ただ揺蕩う浮き輪に乗る子供の様に、そこにいて、遊んでいる。
無名の怪盗。少なくとも僕はこの男の事を知らない。けれど、その男の動き、言葉、特技、それらの中に怪盗の、怪盗としての本物を男に見紛う。
剣呑を包み隠す鞘を用いているのか、剣呑を作り上げているだけなのか、怪盗は笑うだけ。
「なぁ、怪盗。お前の目的は何なんだ?」
「諦めない奴だな、京介。諦めない奴は嫌いじゃないが」
「目的……目的か。まぁ、言っても良からぬ事にはならないとは思うが、怪盗の作法には切って切り離せない、予告状というものもあるものだしな」
「そうか、俺の目的。ふむ」
「何なんだ、お前の目的は?」
「新聞部の女史に対してミノタウロス、自殺志願者に対して極刑、それを様式美とするならば、怪盗に対して置かれるのは、うん、そうだな、『四罪ヶ楽』。それだ」




