人身牛頭14
…
「君は……浮向京介君だね」
四罪ヶ楽真空の後ろ姿を見送り、須臾の間ほどぼんやりとしていた所に、声がかけられる。
開け放たれた医務室の扉を閉めにきたのか、扉に手が掛けられて、今にも片側のそれを閉めようとしている姿だった。
「どうぞ、入ってくれ。私は何人の入場も拒んでいない故」
口角を少しだけ上げて、古代ギリシャ彫刻の持つような艶然な雰囲気でこちらを見る。それを見て、僕の体も自然とそちらの方に惹きつけられる、足先から恐る恐る、でも極めて抵抗無く。
「……失礼します」
先に部屋の中に戻っていった春花車菊花の背中を追って、僕は医務室の中に入る。僕の方から用向きがあったはずなのに、彼女に引っ張られている様な感覚を持って歩みを進める。
部屋の中に少し入ってから、部屋の扉を閉めることを思い出して、後ろ向きのまま扉のノブを掴んでゆっくり、カチャリと。
「そこの椅子にでも座っていてくれ」
彼女はそういうと部屋の先に進む。医務室、医療用ベッドと見られる純白のベッドがいくつか並ぶ。アルコールの匂い、薬品の匂い。奥には手術室と書かれた部屋が見える。
簡素な木の丸椅子。背もたれはついておらず、四本足でしっかりと自立している。腰を下ろすと、ギリっと最初こそ木が軋み鳴ったが微動だにしない程にバランスの取れた椅子だった。
「先ほどは申し訳無かったな。外にいたと言うのなら、彼女の怒声も聞こえた事だろう」
白い衝立の奥に春花車菊花は隠れたが、その奥から僕に聞こえる程度の直線的な声が届く。
「君は紅茶とコーヒーどちらを飲む?どちらも飲まないと言う選択肢も無くは無いが、私はコーヒーが好きだ。四罪ヶ楽真空、あの奥様は紅茶を好んでいたが」
最後の情報は必要があるのか無いのか。せめてもこう言う質問では自分の好き不好き位で締めるのが普通な気がするけれど。
「いや何、別に君がどちらを選ぼうとも構わないのだけれどね。ただ、一応ね、知っておいて損は無いとそう思っただけなんだ」
「そうですか……」
「そうだとも、決して裏なんて無いんだとも、決して」
「そうですか、……それなら、水をください」
「あぁ、そうか。了解だ」
そういう会話の後、春花車菊花は奥から現れた。グラスに注がれた水を持って。白衣の人間が、医者だろうその人が、お盆にグラスを一つ乗せて持って来るのを見ると、そこにブリスターパックに入った薬が一緒に乗せられているんじゃ無いかって言う気になる。
そういう身の回りを病院でしてくれるのは、医者では無く看護師の範疇かもしれないけれど、彼女は大病院の医者では無く、Dr.コトーなのだ。まぁ、あれにも看護師は出て来るのだけれど、孤島というか、小さな島の唯一の医者という点では同じだ。
「改めて、私は春花車菊花。先ほども挨拶はしただろうが、本当に挨拶だけだったから、もう一度しておくよ」
「僕は浮向京介、覚えてもらっている通りです」
「ふん、浮向京介、浮向京介……か。君は随分と顔色が悪いな、いや白いな。ちゃんと日頃から陽の光には浴びているか?」
「いえ、あまり陽に浴びる方ではありませんね」
「外は嫌いかい?」
「外が嫌いというか、結果的に陽は浴びてはいませんね。非難を浴びることも無いですが、もちろん、日の目を見ることもありません」
「そうか、私も医者の端くれだから、一応心身共に療養を尽くせる技術と気持ちを備えているつもりだ。火傷だろうと心傷だろうと、私の前ではすべからく対象範囲だから。君が治す意思を示してくれれば、何だってする所存だ。俗世には疎いけれど」
「すみません、気にしないで下さい。これは僕の戯言みたいなものですから、ジョークと受け取ってもらって構いませんから。これでも僕は知り合いの中ではポジティブで通っているんです、意外かも知れませんが」
「ほう、そうなのか。それは良い友達を持っているな」
そのタイミングで僕は初めて出された水に口をつける。体を冷やさない程度の常温に近い水だった。飲みやすく、何より1時間の運動後の水分補給としてはこの水は十分すぎる。
それに、言葉は饒舌になり、緊張と乾燥によって喉はゆっくりと裂け始めていた。




