30:冬場ラヴァーズ
吐く息が白い。朝の横断歩道は、エンジン音と信号機のカチカチで、冬の始まりみたいな顔をしていた。修学旅行も終わり、後は年末を待つばかりと思っていた甘い学生たちを追い詰めるように、テストと言うのは容赦なく俺達に襲い掛かる。
教室に入ると、返却された答案が机の端に重なっている。赤ペンの丸は控えめ、余白は多め。余白が多い紙は、見た目ほど悪くない。と、思いたい。
「おお、善~!相変わらずだな」
神崎が俺の答案を覗き込み、にやにやする。
「覗くな。お前は自分のを見ろ」
「見た。俺も相変わらずだった」
「それで胸を張るな」
白は斜め前で、答案をふたつに折って鞄に差し込んだ。
まあ、平均点だし問題はないだろう。可もなく不可もなし、実に俺らしい平穏な点数と言える。
「うぅし、じゃあテスト終わりになったわけだが」
「んだよ」
「なんだもくそもあるか。健全な学生がテストっつう苦行を終えた後何するかなんて決まってらあ!」
「ヤな予感。」
「ゲーセン言って遊ぶべ!白もいく!んで、その後色彩で一服だ」
「ってわけで首根っこ掴まれた白ちゃんだよ。もはや逃げ場ないと思いたまえ~」
不思議なもので、こいつらの言い方ひとつで日常の輪郭が決まる。
*
「ぜってーあの箱とれねーよーになってるってぇ!」
「偉い人は言った、ありゃでっかい共用貯金箱だ。ただし開けることは出来ねーけどな」
不貞腐れた神崎が路傍の小石を蹴りながら口をとがらせる。
かれこれ一時間ほど格闘していたが、結局敗北を喫したようだ。
「まあいいやー、色彩で美味いケーキとミルク飲めば気もまぎれる!そうとなれば、早ういくぞぅ!」
*
放課後の『色彩』は、ドアベルの音がよく響く乾き具合だった。
カウンターの奥で叔母さんが湯を落としている。店内の匂いは、コーヒーとバターと、冬用の洗剤。
いつもの席に荷物を置くと、先に来ていた沖田が顔を上げた。マフラーを外す仕草が、いつもより慎重だ。
「先輩~返却、どうでした」
「紙は静かだ。俺も静かだ」
「ふふ。先輩っぽいですねえ」
それで通じるのが癪だが、通じるものは通じる。
叔母さんがカップを人数分置いた。コースターの上で、底が小さく鳴る。
何を思ったか、神崎と白は別のところに移動していきやがった。
「なぁんか、気を遣わせちゃいましたかね?」
「いーや、ありゃ揶揄いの一環だ。気にすることない」
「あはは、それもそーですねえ」
湯気を吸って、息を吐く。白く重なる。
「んで、お前はどうだったんだ?」
「はい」
「……よかったのか」
「よかったですよ。数学は花丸、英語は小丸。国語は『語彙力があるね』って書かれました。だいしょーり、です」
「素直に喜ぶとこだろうに」
「喜びました。いま喜び中です」
それでも、と彼女は声を落とした。
「一問だけ、ミスしちゃってて、完全なケアレスミス……こういうとこ、駄目だなって思って」
言い終わってから笑う。笑い方が、少し縮こまった。
俺はカップの取っ手を指で一周なぞって、一拍置く。
ミスひとつで大げさな、とは思うが、彼女にとっては違うのだろう。
ならば言うべきは。
「不注意は、気づけば半分減る。残り半分は、生まれつき。だから、気づいたぶんだけで充分、花丸とはいかずとも二重丸は付けてやりたいね」
「……はい」
すぐに答えないで、彼女は湯気を見た。湯気の先に、何もない。けれど、見ている顔だった。
「先輩に言われると、ほんとに充分な気がしてくるから困ります」
「困るほうで受け取るな。捻くれガール」
「好きな人に似ちゃったんですぅ、どっかの捻くれボーイにぃ」
窓の外を、冷たい風が一度だけ通り抜けた。
沖田が首もとをさすって、マフラーを手に取る。手袋はない。
テーブル下のリュックに入れっぱなしだったカイロをひとつ、ポケットで揉んでから出した。
「いるか」
「……えっ。私体は、わりと頑丈で」
「手は頑丈そうじゃない」
押しつけはしない。テーブルの真ん中に置く。
彼女は一瞬だけ目を伏せて、それからカイロを指先でつまんだ。
「ありがとうございます」
「歩合制だったはずだからな」
「給料は『ありがとう』でしたよね?」
「冬季の特別ボーナスだ、大盤振る舞い。しかも非課税」
叔母さんがクッキーの皿を持って来て、俺たちの会話に乗りながらそっと置いた。
「はい、期末おつかれ手当。うちの店は厚遇よ」
「助かります」
「ぜっちゃんも、言葉は少し厚遇にしなさい」
「先輩は、これで好きなんです」
即答するな。と言いたいが、それでも、救われるのは、たぶん俺のほうだ。
カップが空に近づいたころ、白と神崎が戻ってきた。
「おつかれ、優等生たち」
「お前が一番だろうに」
「週末、駅前イルミで撮るよ。ライトがきれいなうちに撮っちゃおう。」
「ついていきます!」
「俺は構図が苦手だ、被写体としても下の下、取るなら隣の美少女にしとくが吉」
「そんなぁ~~、美少女なんて照れちゃいますねえ~~」
「歩くだけでいいよ。歩く人がいる画の方が好きだから」
白はいつも、余白を撮る。余白のために、誰かを連れていく。
店を出る頃には、空気がさらに薄く冷たくなっていた。
入口のベルが鳴って、つい持ち歩いている鞄の中の鈴は鳴らない。
鳴らないのに、ある。
それで充分、今は。
「先輩、すこし歩きましょう」
「あぁ、そうだな」
吐く息と、足音と、遠いバスのブレーキ。
冬は、音がよく通る。




