28:居残りラヴァー
朝、校門の前で一度だけ立ち止まった。
通学路のざわめきはいつもと変わらないのに、空気の粒が少し大きい気がする。二年生がいないだけで、学校ってこんなに静かなんだ。
昇降口まで歩いて、二年生の靴箱がぎっしり空いているのを横目で見た。空白って、並ぶと“音”がする。からんと、遠くで金属が触れ合うみたいな、薄い音。
教室。席はいつも通り埋まっていて、いつも通りざわついている。
私の机に鞄を置いて、窓側を一瞥する。そこで止まらないように、視線をすぐ戻す。かっこわるぅ……今の私。
ホームルームは短く、午前の授業は淡々と進んだ。黒板に白い文字、ノートに走る鉛筆、ページの紙の音。ぜんぶ“いつも通り”。いつも通りは、安心させる。けれど少し物足りない。
昼は購買のコッペパン。焼きそばパン。今日はマヨ少なめだなぁと思いながら、一緒に買った紅茶と一緒に流し込む。彼の家で飲んだ味とは、全く違う味がした。
窓際に移って、渡り廊下の向こうの銀杏を見た。ほんの少し、色が変わりはじめている。
スマホを開く。朝の「いってらっしゃい、先輩」の下に、新しい吹き出しはない。
——うん、知ってる。彼は軽い言葉を嫌う。曖昧な「ありがと」を投げるくらいなら、黙る人。
画面を閉じる前に、彼の名前の行を親指で1回だけ撫でる。撫でる理由は、どこにもない。だからこそ、いまはそれでいい。
放課後。
帰り道を少しだけ遠回りして、商店街を抜ける。季節外れに風鈴を提げた雑貨屋の前で足が止まる。
紫と赤色の紐の小さな一対の鈴が、光をひとくちだけ食べていた。
手を伸ばして、引っ込める。買わない。
すでに『お揃い』はある。私はスマホにつけているハート型のキーホルダーを見やる。
これ以上は、彼の速度を急かす形になる。今それをするのは悪手だ。
私はまた、彼の速度を急かしたくない。
代わりに、同じ紫の包み紙の飴をひとつだけ買った。口に入れて、甘さが消えるのを待つ。
その足で『色彩』へ。
*
ドアのベルが鳴り、その音が頭から体の中へ入ってくる。
「いらっしゃぁ~い、あらぁ、おきちゃん」
「えへへ、来ちゃいました」
「うんうん、来ちゃいなさい来ちゃいなさい。今日はシフォンケーキがふわっふわなの、半分こしちゃう?」
「しちゃいます!」
柔らかい生地にフォークを入れると、溜息みたいに沈む。
文さんは紅茶をふたつ淹れて、カップの取っ手を私のほうに向けて置いた。
「ぜっちゃん、今ごろどこかな」
「きっと鳥居のところです。多分、『数えてみろよ』って神崎さんに言ってます」
「あはは。目に浮かぶわあ」
しばらく他愛ない話。お店の新しいカップのこととか、常連さんの近況とか。
文さんは私を『客』だけではない者として扱ってくれる。そこが嬉しいし、そこに甘えすぎちゃいけないって、ちょっとだけ怖い。
文さんがふっと声を落とした。
「ねえ沖ちゃん、無理しないのがいっちばんえらいって、おばさんそー思うな」
「……ちょっと前、先輩にも似たようなこと言われた気がします」
「あは、やっぱり似るもんだねえ」
文さんの言葉には濁して答えた。
自分では無理をしているつもりはないし、仮に疲れていたとしても覚られないよう努めていたつもりだ。けれど、彼女や先輩の慧眼は私の欺瞞なんて容易く看破してしまうのだろう。
言葉に詰まっていると、文さんがシフォンを私の口に突っ込んできた。
「も、も」
「どう?おいしい?」
目をぱちくりとさせながら咀嚼して飲み込む。
「は、はい。おいしいです」
「ならばよぉ~~し!いいこと沖ちゃん、きっと今頑張ればって思ってるかもしれないけれど、そういった頑張りはもっと求められちゃうものよ。ひとつがんばったら次はふたつ。ふたつがんばったら次はみっつ。みっつ、よっつ、いつつ。それに際限はない、決して悪いことじゃあないけれど、無理してやることじゃあないと私は思うなあ」
初めて、そういわれた。
彼よりも鋭く。
「でも、止まっちゃったら、怖いんです。動いていないと足が凍てついてもう追いつけなくなっちゃう気がして。せっかく、ようやく手の届く範囲にこれたんです。だから」
「だぁから頼れる人に頼っちゃないなよ、YOU♪」
首をかしげて片目を瞑って、おどけたように私を見つめる文さん。
その様子に、私は笑ってしまった。
そうか、そんなんで、いいんだ。
「ありがとう、ございます」
「ふふ、それほどでもあるかな」
店を出る前、レジ横の小さな鈴が鳴った。さっきの雑貨屋の紫の鈴と、似た音。
手を振って外へ。夕方の光が水あめみたいにゆっくり色を変えていく。
家。
ダイニングに置きっぱなしのマグ、冷蔵庫のモーター音。テレビはつけない。
制服をハンガーにかけ、机に向かう。英単語をいくつか覚えて、ノートを閉じる。
スマホが震きそうになる前に、引き出しの奥へしまった。
視界から消すだけで少し楽になる。自分の癖を自分で知ってるのは、強さ。
窓を少し開けると、夜の匂いが入ってきた。どこかで風鈴が一度だけ鳴る。気のせいかもしれない。どっちでもいい。私は、音があるほうを信じる。
*
翌日。
校庭に斜めの光、体育の笛が遠くで優しく切れる。
放課後はまっすぐ家へ。今日は『色彩』には寄らなかった。
夕飯の支度の音はしない。冷蔵庫の白い光、流しの銀色。
宿題を数ページ分だけして、ペンを置く。
引き出しからスマホを取り出して、写真フォルダを開く。
春の観覧車、ゴンドラの中の横顔。
ピントが少し甘い、だからこそ、ちょうどいい。
送らない。
送らないけど、画面の明かりを頬で感じる。
「おかえり、先輩」
出さない声で言う。出さないけど、言う。
窓を少し開けると、どこかの家の風鈴が、ほんの一度だけ鳴った。
それが私のための音じゃないって分かってる。
でも、同じくらいの小さな音が、今、遠い場所でも鳴ってる。
そう思うだけで、二日間は思ったよりずっと短くなった気がする。
おもしろい、つまらない等、どんな感想・評価でもいただければ私はとてもうれしく思います。
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