23:帰り道ラヴァーズ
先の紅葉狩り(仮)から一週間、季節はあっという間に進んでいった。
みんな秋冬服に衣替えを済ませ、植物たちもいっそう実ってきている。
放課後、俺は職員室に寄って用事を済ませたあと、いつもの帰り道を歩いていた。
今日はバイトもないのでゆったりとした足取りで空を見上げながら歩く。
その途中で、ふと見覚えのある後ろ姿を見つけた。
橋の欄干にもたれかかっている、淡い栗色の髪。
「……沖田?」
「あ、先輩。帰りですか?少し遅いですね」
いつもと、どこか違う。具体的に何が違うとは言えないが、決定的な何かが違っていた。
「あぁ、ちょっとした野暮用ってやつだ。沖田こそどうした、見るだに俺を待っていたわけでもあるまいに」
「そうですねえ。私もちょっとした、野暮用ってやつですよ。奇遇ですね」
嘘だ。以前、彼女は俺の虚言を見抜いて見せたが自分の嘘を誤魔化すのは下手らしい。
物憂げな表情が、嘘であることを雄弁に語っていた。
何故、どうしてコイツは嘘を吐いた。虚勢を張った。俺に心配をかけさせないため?それなら俺と遭遇するかもしれない通学路で佇んでいるわけがない。
理由はきっと、彼女の中で矛盾を抱えているからだ。
俺や他人に心配をかけたくない。けれど自分ではどうしようもない問題を解決してほしい。そんな矛盾が、彼女をここに突っ立たせていたに違いない。
だがしかし。
嘘であると見抜いたとて、それを看破したとて俺に出来ることを俺は全く分からない。何をすればいい、彼女の抱えている問題とは何だ。
「空、綺麗になったな」
「空ですか?」
「あぁ、見てみろ。空気が澄んできて高く見えるようになった。この時期の今の時間帯が、一年で一番美しい空だと俺は思う。」
逃げ場を求め俺は視線を上に誘導する。
黄昏時の蘇芳色の空。少しでも気晴らしになればいいが。
「もう、日暮れでしたか。いやですねえ、時間が早く感じてしまって。気付いたらおいてかれてしまいそうです。」
瞬間、沖田は俺の目を見る。
それを俺は、彼女からのパスだと受け取ってすかさず口を開いた。
「何にだ」
「全部にです、時間、友達――家族にも」
風が吹いた。
橋の下を流れる川が、灰色にきらめく。
その音に、俺は言葉を失った。
「先輩」
「なんだ」
「この前言いましたよね、秋の空の方が好きだって」
「あぁ、言ってたな」
「でも好きであるのと同時に、少し怖いんです。静かで、高くて、吸い込まれてしまいそうなこの空が」
二人の間を風が通り抜ける。その音が嫌に耳に響いた。
「ほら、風の音がこんなに強く。静かすぎるって、すごく怖いんですよ。」
「沖田……」
彼女は俯いて、袖で目元を押さえた。
その仕草が、やけに幼く見えた。
「それで言うと、私の家も怖いですねー。とっても、本当にとても静かなんです。みんな揃ってるのに、耳鳴りがするぐらい。お母さんもお父さんも、同じ屋根の下にいるのにまるで別の世界にいるみたいで。笑ってても喋ってても、言葉が届かない感じ。だから――」
言葉が途切れる。
その一瞬、風が止まった。
「だから、誰かといるときに静かでも、ちゃんと音があると、安心するんです。……変ですよね」
彼女は小さく笑った。
それが痛いほど優しい笑みで、俺はどう返せばいいかわからなかった。
俺の知る痛みとは別種の、また違った痛み。俺の拙い語彙力ではそれを言語化できずに固まった。
数秒遅れて、俺は口を開く。
模範解答が解らなくとも、たとえ丸がつくような回答でなくとも、俺はこの問題、沖田の吐露された感情について答えねばならない。
「変じゃ、ねえだろうよ」
「そうですか?」
精一杯、足りない脳を全力で回し、月並みな言葉を紡いだ。
「皆それぞれなにかしら『ある』もんだ、俺もお前も、似たようなもんさ」
「似たようなって……先輩――」
「……いや、昔の話だ。くだらねぇこと」
喉の奥でノイズが鳴る。
思い出そうとすると、視界の端が白く滲む。
心臓が、何かに触れたように跳ねた。
「先輩……大丈夫ですか?」
「平気だ」
「ほんとに?」
「ああ。俺は、強いからな」
その強がりに、沖田は小さく首を振った。
秋の風が、また戻ってくる。
それは優しいようで、少し冷たかった。
「……ありがと、ございます」
「ん?」
「先輩が言ってくれたから。変じゃないって。それだけで、なんか少し救われた気がします」
「そんな大層なこと言ってねぇけど」
「いいんです。……そういう人だから、先輩は」
沈黙。
風の音。
遠くでカラスの鳴き声。
やがて、沖田が言った。
「ねえ、先輩」
「なんだ」
「春先に言いそびれたこと、今言いますね」
記憶を巡らせる。
あれは観覧車の中。ゴンドラの揺れで言わずじまいになった言葉があったことを思い出した。
「あぁ、あの時の」
「もし――ですよ。もし、全部が嫌になったら。私のところに逃げてきてください」
その声は穏やかで、静かで、でもどこか祈るようだった。
俺は言葉をなくし、ようやく「……馬鹿言うな」と小さく呟いた。
彼女を助けるつもりが、なるほどどうして、旨く行かんものだ。
けれど、心の奥のどこかが確かに震えた。
何かが少しだけ、動いた。
止まっていた風が、また流れ出すみたいに。
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