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人助けラヴァーズ  作者: 鯱眼シーデン
疑似ラヴァーズ

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22/28

21:過去ラヴァーズ

 宵の街が、やわらかな橙に染まっていた。

 川沿いには人が溢れ、風に乗って線香花火の香りが漂う。提灯の灯りを見上げながら、私は隣を歩く先輩に声をかけた。


 彼はポケットに手を突っ込んだまま、少しだけ息を吐く。


「すごい人混みですね、神崎さんの方」

「そりゃそうだ。地元のイベントじゃこれが一番でかい。……人混み、苦手だろ?」

「えっ、そんなこと……ありますけど」


 図星だった。

 人が多いと、息が詰まる。肩がぶつかるたび、無意識に身をすくめてしまう。

 でも、今は。


「先輩が一緒なら、平気です」


 そう言うと、先輩が少しだけ目を細めた。

 呆れたように笑って、それでも何も言わず歩幅を合わせてくれる。


 風が吹いて、服の裾が揺れた。

 川面に浮かぶ灯籠の光が、ふたりの影を細く長く伸ばしていく。


「……綺麗、ですね」

「そうだな、毎年ボランティアのやつらが流してるんだが、正直ここまで綺麗なのは知らなかった」


 先輩の声は穏やかだった。

 でも私は、その穏やかさがどこか切なく思えて、口を開く。


「先輩……あの、ちょっと、聞いてもいいですか」

「ん?」


 ――あぁ、駄目だ。


 「先輩って、家族ってどう思いますか?」


 彼の肩が、ほんの少しだけ動いた。

 返事を待たずに、私は笑ってごまかした。


「変な質問ですよね。えっと、私……あんまり、うまくいってなくて」


 手にしていた金魚すくいの袋が、かすかに震える。

 ああ、いけない。またこうやって、情けない話をしてしまう。


「昔から、家の中が静かなんです。怒鳴り声とか、喧嘩とか、そういうのもないんですけど……誰も、誰のことも見てないっていうか」


 灯籠の光が、水面で揺れた。

 まるで私の声が、その波に溶けて消えていくみたいだった。


「母も父も、それぞれ自分のことで手一杯でして。私が何を考えてるかとか、どんな顔してるかなんて、気にもしてない感じで。……だからかな。あの頃、先輩が話を聞いてくれたとき、ちょっとだけ救われたんです」


 その言葉を出した瞬間、胸がきゅっと縮んだ。

 先輩は黙っていた。

 無言のまま、川を見つめていた。


 ああ、言わなきゃよかった。

 思い出さないようにしているはずなのに。勝手に掘り返して。


 決めていたのに。彼が私を忘れていることを知って、このことは蓋をしてもう掘り返さないでおこうって決めたのに。


 なのに私の体は勝手に口を開いた。


「……ごめんなさい、変な話して。せっかくの祭りなのに」

「いや」


 短く否定の声が落ちた。

 いつもより少しだけ、低い声で。


「――――俺も、人に見てもらえるってのは、そう簡単なもんじゃねぇと思ってる」


 彼は、ゆっくりと視線をこちらに戻す。

 その目が真っすぐで、息が詰まりそうになった。


「けどな。お前が誰に見てもらえなくても、俺は、見てるから」


 灯籠の光が、彼の横顔を照らしていた。

 まるでそれが、夜に浮かぶ唯一の灯みたいに思えた。

 すごく優しい、朧気で淡い光。私はソレに吸い寄せられるかのように彼にもたれかかった。


「……先輩、ずるいです」

「は?」

「そんなこと言われたら、泣いちゃうじゃないですか」


 笑って誤魔化したけれど、視界が滲んでいた。

 先輩は気づいていないふりをして、代わりに金魚の入った袋を指でつついた。


「ほら。こいつ、帰るまでに死なせんなよ」

「もー、そこ心配ですか?」

「そりゃそうだ。責任感ないと金魚にも嫌われる」


 軽口を叩き合ううちに、胸の奥が少しだけ軽くなった。

 灯籠の流れる音が静かに続いている。


 ――あの日、誰も見てくれなかった私を、この人だけが見つけてくれた。

 手を、握ってくれた。

 


 その事実を、今も信じていいのだと。

 この夏の終わりに、ようやく思えた気がした。


 *


 祭りの喧噪が、ゆるやかに遠のいていく。

 提灯の列が途切れ、川の流れがふたたび夜の音を取り戻す。


 俺たちは、屋台の片隅のベンチに腰を下ろしていた。

 人の波が去っていくのを、ただ黙って見ていた。


「……結構、泣いてたな」

「な、泣いてないです」

「いや、泣いてた」


 俺がそう言うと、沖田は頬をふくらませて視線を逸らす。

 その顔を見たら、もう何も言えなくなった。


 ……あんなふうに泣く奴、久しぶりに見た。


「もー、人前で泣きじゃくるのって結構恥ずかしいんですよぅ」

「いいんじゃないか。泣きたいときに泣ける奴は、強いよ」

 

 言いながら、自分でも妙なことを言ったと思った。

 強い、なんて。 泣くことが、強さになるなんて。


 胸の奥で、何かがきしんだ。

 痛みではない。けれど、鈍い音が確かにした。


 ――思い出すな。


 頭のどこかで、そう囁く声がした。

 ざらつくノイズが、視界の端に走る。

 紙灯籠の列が、一瞬、ぼやけた。

 川面の光が、乱反射して、歪んだ顔を映す。


 誰の顔だ。一体なんだ。

 

 知らないはずの――。


 ……やめろ。考えるのをすぐやめた。


 軽く頭を振る。

 瞬間、景色が戻った。

 沖田の横顔がそこにあった。

 灯籠の橙色が頬を照らして、穏やかに笑っている。


「……先輩?」

「ああ。なんでもない」


 言葉が勝手に口をついて出た。

 『なんでもない』――便利な言葉だ。

 何も言いたくない時も、何も言えない時もそれひとつで全部、覆い隠せる。


 川の流れが、遠くで小さく音を立てていた。

 灯籠の光が、夜風に揺れる。


「――先輩」

「本当だ。なんでも、無い。何もないんだ。大丈夫だ」

 

 沖田がきょとんとした顔をして、それから、柔らかく笑った。


「……そうですか。ならいいです、私は先輩の彼女(仮)ですから、信じましょうとも」


 その笑顔に、胸のざらつきが少しだけ和らいだ。

 けれど、ノイズの残響はまだ奥底にあった。

 波の下に沈んで消えない、鈍い金属音みたいに。


 灯籠が最後のひとつになった。

 小さく揺れて、闇の中へ吸い込まれていく。


 ――それを、俺は最後まで見届けなかった。

 見たらいけないような気がした。

 

おもしろい、つまらない等、どんな感想・評価でもいただければ私はとてもうれしく思います。


もしよろしければぜひともお願いいたします。

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