19:秋風ラヴァーズ
蝉の声が途切れて、かわりに遠くで風鈴の音がする。
夏休みが終わって数日、校舎の廊下には新しい空気が流れ込んでいた。
空気が澄んでいるのか、それとも誰かの気配が変わったのか。
俺――日山善は、少しだけ息苦しさを感じていた。
教室の隅で白が、窓を開け放ちながら言う。
「ねえ、秋ってさ、こう……空気の色が変わるよね。透明になるっていうか」
「詩人だなお前。朝っぱらから」
「いや、ほんとに変わってると思わないかい?善の顔色も含めて」
「おい勝手に季節に混ぜるな」
軽口の奥で、確かに何かが変わり始めていた。
それが季節のせいなのか、俺の内側の問題なのか――まだ判断がつかない。
夏のあの日から、沖田とはあの会話をしていない。
別に喧嘩したわけじゃない。自然と、間があいた。
休みの終わりに一度だけ、神崎が言った。
「最近あいつ、元気ないぞ。お前、なんかした?」
「してねえよ」
「じゃあ、なんか『しなかった』ってわけだ」
そんな曖昧な言葉だけを残して、神崎は笑った。
アイツは普段バカのくせに稀に核心を突いてくる。
何もしないことが、時に罪になる――なんて台詞、映画でしか聞かないと思っていた。
でも今なら、少しわかる気がする。
昼休み、弁当を食べ終えた白が、自販機で買ったジュースを差し出してきた。
「ねぇ善、今度さ、みんなでどっか行かない? 秋の遠足、非公式版みたいなやつ」
「行くっつったって、どこに」
「勗が言ってたんだけどさ、市の灯籠まつり。今年は出店も増えるらしいよ」
「灯籠まつり……?」
「ほら、去年は台風で中止だったから。今年はリベンジなんだって」
灯籠。灯籠まつりねえ。
過去に目を向けて折り合いを付けようっていう今を生きる人間のエゴだと、俺はそれを解釈している。とてもひねくれた見方だとは思っている、がしかし、あの行事を素直に素敵だと思えない。
否定する気は無いし、単純に綺麗だとは思うがね。
「どうしたのさ、ぼの~っとして」
白の声で我に返る。
「いや、なんでもない」
無理に笑ってみせると、白は少しだけ微笑んだ。
「君、嘘が下手になったね。ま、いいや。ともかくなんでもないんだろう?じゃあ行こう灯籠まつり、みんなで。もし嫌がったって勗がまた引きずってくよ、どうせ」
彼の言葉の端に、なぜかほっとする自分がいた。
いつも通りの軽口が、成程どうして心地いい。
教室の外で、秋の風がカーテンを揺らす。
夏が過ぎた証のように、静かに、柔らかく。
*
九月の風は、思っていたより涼しい。
窓を開けた瞬間、カーテンがゆるやかに膨らんで、白い布の波が部屋を満たした。
それを見ていたら、夏の終わりをようやく実感した。
もう、入道雲も、蝉の声もいない。
いつも通りの少し冷たい部屋で、私は何度目かと言うため息を吐いていた。
机の上には、開きかけのノートとシャーペン。
でも、文字はほとんど進まない。まともに勉強できてない、これじゃあ休み明けのテストが思いやられる。もし、もしいつもと違い悪い点をとったら、何かが――変わるだろうか。
筆圧だけが強くなって、途中でぽきんと芯が折れた。
「……集中、できてないな~~」
またため息と共に声に出してみる。けれど返事はない。
机の隅、夏祭りで買った小さな鈴が、風に鳴る。
それだけじゃあない、サメのぬいぐるみや、少しだけ残った線香花火。夏の残り香のように休み期間の名残が部屋の隅にたたずんでいた。
どれも先輩にもらったものではない、自分で見つけたもの。
でもどうしてか、それを見ると、彼の横顔を思い出す。
――善先輩。
名前を、声に出すことはない。
でも、頭の中では何度も呼んでしまう。
スマホを手に取り、メッセージの画面を開いては閉じる。
打ちかけては消す。その繰り返し。
――送って、どうするの?
そう思ってスマホを机に置いた。
休みが終わってから、数日間会えていない。
会おうと思えばいつでも会えた。同じ学校、同じ通学路、彼の行動パターンは凡そ把握しているのだから、なんとでもできた。
なのに、私は行動しなかった。できなかった。
会う理由はいくらでもある、なのに会うことは出来なかった。
少しして、机の上の携帯が震えた。
画面には神崎さんの名前。
――『ひさびさー、灯籠まつり行こうぜ! 白も行くって!きっと善も来る!』
そう、まるで当然のように。
メッセージを読んで、思わず小さく笑った。
神崎さんらしい、一直線な誘い方だ。
返事を打つ手が、少しだけ震える。
『もちろん行きます!』とだけ打って、送信ボタンを押した。
その瞬間、窓の外を風が抜けた。
白いカーテンがふわりと持ち上がり、光が差し込む。
部屋の中が少し、ほんの少しだけれど明るくなった気がした。
――もう一度会える。
そのことが、怖くて、嬉しかった。
おもしろい、つまらない等、どんな感想・評価でもいただければ私はとてもうれしく思います。
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