勘違いラヴァー
朝の驚天動地の一幕とは打って変わって、午前中の授業は素晴らしく穏やかなものだった。
開始こそ件のやり取りのせいで遅刻ギリギリになったが、それ以降は至って平穏そのもの。俺の望むいつも通りがそこにはあった。
まぁ、放課後には色々と頭を悩ませる火種が待ち構えているのだが。
*
「やぁ、善。告白を受けたんだって?いやぁ、やるねえ君も。」
「誰から聞いた、そんな荒唐無稽な話」
昼食後の散歩から教室に戻ると、中学生来の親友である結城白が俺を迎えた。
こつこつと俺の脇腹を小突きながらにやけている。
こいつのこのノリはいつものことだが、今日は嫌にテンションが高いな。そんなに面白いネタかね、この俺が告白されたというのは。
「へぇ~、違うんだ?」
上目遣いで俺を見つめる白。
くぅ、逐一行動があざとい奴め。そしてそれを自分で理解しているのがこれまた憎たらしい。
「ふふん、それこそが僕の魅力なのサ」
心を読んだかのように鼻高々と微笑む白の顔は、何かの絵画になりそうなほど端麗だ。俺には理解が及ばない。神がいるのならば、何故こいつにこんな可愛さと鬱陶しさを与えたのだと問い質したいところだ。
「で、どうなのさ善。結果は」
「結果も何も、そんな事実はない。事実がないのだから、答えようがない」
「ほんとかなぁ?僕はどうも、君が嘘を言っているように見えるけど?」
「そうかそうか、白ちゃんのお目々はそんなに節穴になってしまわれたのね。かなしいわねえ」
俺の周りをくるくると回りながらジト目で見つめてくる白。
ここは何とかしらを切って見せないと。彼女の真意がはっきりしていない以上、この口の軽い小悪魔に白状してしまえば何が起こるかわかったもんじゃない。
「おのれら入り口で白昼堂々痴話げんかか?他所でやってくれや」
「げえ……」
「人の顔見るなりげえとは随分な挨拶だなぁ、どうしたんだよ」
後ろからの声に反応し振り返ると、高身長の男が立っていた。俺と白の共通の友である神崎勗だ。
これはまた、面倒なことになったぞ……。
「やあ、勗。とっても面白いネタを仕入れてね。」
「ほぉ、きこうじゃねえのよ」
「おいこら、面倒な方向に舵きってんじゃないよアンタ」
こうなってしまってはしらを切るのは少し難しくなってきた。こいつらはかなりの頑固者だから、一度スイッチが入ってしまうとなかなか引き下がらないのだ。事実、白が神崎に事情を説明している今も俺が逃げないように入り口を体で防いでいる。大雑把な性格のくせに、嫌らしいことしやがるぜ。
「……で、何もなかったってのが容疑者である彼の言。どう思お?」
「黒だな、白」
「ややこしい言い方しないでと、突っ込みたいところだけどそれは置いておくとして」
二人ともこちらを向いてにっこりと微笑んだ。
うん、もはやここまでだな。これ以上誤魔化すのは逆に変な噂を掻き立てそうで怖い。
「わぁーった、とりあえず席につかせてくれ。話はそれからだ」
これ以上変なことを人の往来が激しいここで言われぬよう、両手をあげて降参の意を示した。
それを見た二人は満足げにその手を引いて俺を席まで連れていく。さながら警察官に連行される容疑者だ。
席に着いた白と神崎は、俺を席に座らせてその両脇に陣取った。
いや、座らせてくれと頼んだのは俺だが、こんな尋問のようなシチュエーションは望んじゃあいないぞ。
「吐く気になったのなら上々だ、さっさと楽になっちまいな!」
「そうだそうだー!」
警察ムーブに拍車がかかった二人は、机を叩いて問い詰めてくる。
悪乗りが過ぎるぜ親友どもよ。
「田舎のおっかさんが……」
「勗、やめな」
凛とした声で神崎を制止させた白。こいつ、普段はいい性格してやがるくせに、変に気を遣うなってのに。優しい奴め。
「す、すまん。つい勢いで言っちまった……」
「気にするなよ、別に何とも思ってねえよ」
「はい、じゃあ閑話休題ってことで。張り切って暴露してね?」
訂正、やっぱり優しくないこいつ。
「ふふ、勗の悪ノリに乗じて切り抜けられると思った?そうは問屋が卸さないよ」
「わぁ~ってらい。ただし、打ち明けるとしたら小声でだ。そして、言うまでもないが他言無用で頼むぞ」
そうして、逃げ場を完全に防がれた俺は朝での一幕を神崎と白に話す。
許せ沖田……、是非もないことなのだ……。
*
「それで、今日の放課後、沖田ともう一度話し合うってことになったんだよ。そんだけだ」
「善お前、それ本気で言ってんの?」
「やめな勗、善ちゃんの悪癖が発動してしまったようだ」
俺の話を聞いた二人は、あきれたように手を肩のところまで上げた。
こいつら人のことを何だと思っていやがるのだ。
「黙れ」
「ハハッ、拗ねるなよ。俺も、白もお前を面白がって……もとい。応援してっからよ!」
「神崎お前、ほんとそういう所だぞ」
昼休みの終わりを告げる予鈴がなり、神崎と白はようやく俺を解放した。
「んだよう、もう終わりかぁ」
「もっと善であそんで……もとい善と遊んでいたかったのにねえ」
「もうそれ言い直した意味ないからな?元の言葉まるっきり俺に聞かれてるからな?」
そんな俺の嘆きは聞かずに二人は各々の席へと戻っていく。
ったく、騒がしい奴らだ。
*
「いよぅし、ほんなら始めんでぇ~――――」
胡散臭い関西弁の教師の言葉を聞きながら、教科書やらノートやらの準備を整える。
直前まで白や神崎のおもちゃとなり遊ばれていたせいで、授業の準備が全くできていなかったのだ。
「前の時に話したけどォ、ここが重要で――――」
つらつらと内容を黒板に書き連ねる教師。
素晴らしい、いつも通りの日常だ。今朝の非日常から一変。俺の愛する日常が戻ってきたのだ。
そんな日常の中、俺はふと窓へ目をやる。
「うげえ、曇天……」
今朝の晴天とは打って変わって、暗い灰色の雲が空のおおよそを覆っていた。もうすぐ雨が降り始めるんじゃあないだろうか。
小説やドラマなんかだと、曇天や雨ってのは不吉や物語の流れが悪い方へ転がっていくことの暗喩として描かれることがあるのだが、成程どうして……不安が大きくなってきたな。
*
「たはぁ、やっぱりかぁ。」
放課後、物憂げに空を見上げて俺はつぶやく。
基本的に俺は置き傘などはしない主義なので、こういった急な雨には弱い。
天気予報でも今日は晴れと言っていた気がするんだが、困ったもんだ。
「さて、どうしたものか」
あごに手をやり考えあぐねていると、後ろからはつらつとした声が届く。
「先輩っ!どうしたんですか?」
「んぉ、沖田……君か」
波乱の火種、沖田少女が立っていた。全く気が付かなかったがこいつ、気配を消すのがやたらうまいな。そこまで鈍いわけではないが、凡そウィングスパンほどの距離だというのに一切気が付かなかった。
「んもう、沖田君だなんて、先輩水臭いですよぅ?」
人差し指でわき腹を突っついてくる沖田。
「やめい、こそばいわ」
「ふふっ、恥ずかしがらなくていいんですよ~?」
「君は俺のどこに羞恥心を見出したのだね、俺は指でつつくのをやめろといったにすぎんわ」
ぐいぐいと迫ってくる沖田の顔を指で軽く小突き、距離を取らせる。
「顔、赤いですよぉ~にやにや」
「んぐ……」
痛いところを突かれ、押し黙る。
しょうがないだろう、一般的な学生である俺にとって、少女とこんな至近距離で会話をするなんて言う経験は稀どころか初めてのレベルなのだ。少々血流の流れが速くなるのは自明の理といえる。
「んふふふ、先輩ってば初心なんですねえか~~わいっ」
「やかぁしい、だぁっとれい」
何も言い返せなくなった俺は、得も言われぬ恥ずかしさから逃げるように早足で立ち去った。
その後ろをすたすたとついてくる沖田。
「そういえば先輩、傘、持ってないんですか?」
「ん、まあそうだな。濡れて帰るか、先公の置き傘をパクッてやるかのどちらかだ」
照れ隠しに少々悪ぶって伝えると、
「きゃぁ、先輩ったらワイルド~!」
と喜ばれてしまった。なんとも分からんやつである。
「ま、というわけだ。少々待っていてくれ。さっきのは冗談として何とか傘を見繕ってくるから」
「必要ないですよ?」
わけのわからないことを言う沖田に、俺は首をもたげた。
「何を言うか、さすがにこの雨の中走って帰るのは御免だぞ。待たせるのは悪いが……」
「私の傘に入ればもーまんたい!です!」
沖田の言葉をかみ砕くのに、数秒間の時間を要した。
つまりコイツは置き傘をしており、それを貸してくれるというわけだろう。
成程気が利くやつだ、ここは売店ですごい高い傘でも買おうと思っていたのだが、正直助かったぜ。
「渡りに船だな、多くない小遣いを消費したくなかったから助かるわ。」
「いえいえ!私も相々傘ができるのでウィンウィンですよ~!」
あいあいがさ……?
またまた沖田の言葉にフリーズする。
先ほどは数秒で理解できたが、今の言葉は完全に飲み込めない。何を言っているのだコイツは。
「さ、先輩。帰りましょう、時間は有限っ、有意義に使ってあげた方が時間も喜ぶってもんです!」
「な、なんだその言い分は。と言うより!あいあいがさってのはなんだ?!」
「何と言われましても……、ご存じ『相々傘』ですよぅ。愛しの先輩と1つ傘の下、肩を寄せ合って……」
「待て、待ってくれ沖田女史。君の突飛な発言に私ついていけておりませんのよ」
この美少女はあろうことか、人目の多い通学路をラブラブカップル御用達の相々傘で帰ると言い出した。