17:初夏ラヴァーズ
夏の朝は、いつもより静かだ。
学校がないと、世界が半分止まってるような錯覚を覚える。
でも、俺には止まっている余裕なんてなかった。
叔父さんと叔母さんに世話をかけさせている身だ。せめて少しでも家計を軽くしようと、前々からしていたバイトのシフトを増やした。昼は掃除、夜は皿洗いとホール。
そんな生活にも、だんだん慣れてきた。
それでも、夏の空気には何か不思議な魔力がある。汗ばんだシャツが乾くころ、思い出したように誰かの顔が浮かぶ。そう、沖田栞――あいつの顔だ。
俺の中でのあいつは、日に日に大きさを増していく。
*
昼下がり、バイト前の休憩を公園のベンチで取っていた。自販機で買った紅茶のペットボトルを片手に、少しだけ風に当たる。
蝉の声が遠くで響いて、頭がぼうっとしていた。
汗がじんわりと滲み、額から流れていく。
「せ〜んぱ〜いっ!」
声が聞こえた瞬間、ペットボトルを落としそうになった。
麦わら帽子を抱えた沖田が、真っ白なワンピース姿で立っていた。
前突撃してきた時道を覚えていたのか、抜け目ない奴め。
「おまえ、なんでここに」
「えへへ、近くまで来たんです。先輩がここで休憩してるかなーって思って」
「……思って、来たのか」
「はいっ!あと差し入れです!」
彼女の手には、小さな包み。リボンをほどくと、中からレモンケーキが2つ出てきた。
少し焦げているところを見るに、恐らく彼女の手作りであろう。
「これ、作ったのか?」
「そうです!自信作ですよっ! 叔母さんに教えてもらって!」
「叔母さんって、『色彩』のか?」
「ええ、この前ご挨拶して以来、ちょこちょことお話ししているんです!」
……なんか、こうして繋がっていくのが妙に気恥ずかしい。
バイトの合間に、こんな風に声をかけられるなんて思ってもみなかった。
「ありがとな。マジでうまい」
「ほんとですか?ふふ、よかったぁ~~」
ケーキを口に運ぶと、酸味が少し強い。でも、それがなんだか沖田らしい。
甘いより、ちょっとだけ刺激が残る感じ。
*
夜。バイト中。
夏休みのせいか、店はやけに混んでいた。皿洗いの音と、油の弾ける音で頭がくらくらする。
ようやく人の波が落ち着いた頃、裏口のドアが小さくノックされた。
「……沖田?」
まさかと思い俺は店長の一言いれて裏口へ向かう。
覗くと、そこに本当に沖田がいた。
制服でもなく、昼間と違う少し落ち着いた服。
そして手には、コンビニの袋。
「先輩、差し入れ!冷たいお茶です!」
「わざわざ……夜だぞ。俺の忠告を忘れたのか」
「えへへ、先輩が頑張ってるの見たかったもので。まあいいじゃないですか~、まだまだ日は長いんですから」
店長が「彼女?」と茶化して笑う。
俺は「違います!」と反射的に答えたが、沖田は「いずれそうなりますよ!」と笑い返した。
場の空気が一気に明るくなる。けれど、俺の心臓はそれ以上にうるさかった。
*
日々はそんな風に、少しずつ積み重なっていった。
そんな中、白と神崎が呼び出してきた。
いつものメンツが揃うと、自然と騒がしくなる。
「補習の役六割を終えた俺は、向かう所敵なし!ってことで!行くぞ!夏祭り!!!」
何がという事でなのか、敢えてツッコむことはしまい。
「勿論沖田ちゃんもつれて来いよ」
「分かってるよ、ってか俺が言うまでもなくついてくる気だろうよ、あいつなら」
「そうじゃあないんだよ善。君は(仮)でも沖田ちゃんの彼氏なんだろう?デートのお誘いぐらい男がしなくっちゃ」
「そういうもんかねえ」
「そうだよ、ほら僕が手取り足取り誘い方を教えてあげようねえ」
「うるせ、触んじゃない」
くだらない会話。だけど、こういう何気なさが案外、救いになる。
夏の空気がほんの少し、優しく感じた。
*
八月上旬、祭り当日。
夜の街は提灯の赤に染まっていた。
浴衣姿の沖田が、境内の入り口で手を振っている。
「せんぱーい!こっちこっち!」
小走りで駆け寄ってくる姿に、息が詰まる。
いつも明るいのに、浴衣だと少しだけ落ち着いて見える。
「似合ってるな」
「わーっ、言った!今、ちゃんと褒めましたね!録音しとけばよかった!二勝目ですよ!」
「はいはい、調子に乗るな」
白と神崎も合流して、屋台を回る。
焼きそば、射的、金魚すくい――どれもが笑いで満たされていた。
「はぐれるなよ」
「……はい」
その瞬間、指先がわずかに触れた。
汗ばんだ手のひら。火照る皮膚。
ほんの数秒の接触なのに、心臓が破裂しそうだった。
*
花火が上がる。
夜空が大きく開いて、色と光が降ってくる。
沖田が見上げながら、小さく呟く。
「先輩、花火って、どうしてあんなにすぐ終わっちゃうんでしょうね」
「そうだな。でも刹那の光だからこそあそこまで人の目にやきつき、綺麗に映るとも言える。」
「……そう、かもですね」
俺はふと、隣にいる彼女の横顔を見た。
花火の光が頬に反射して、どこか儚げだ。
あの瞬間、少しだけ――彼女の手を握った。自然と、反射的に。
驚いたように俺を見るその瞳は、何かを言いかけて、けれど言わなかった。
代わりに、柔らかく笑っていた。
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