一話__桃色の少女
船が大きく縦に揺れたかと思えば、白く光る飛沫が上がった。
「すごいわ、本当に湖の向こうに着いちゃった…!」
興奮気味に呟くベアトリスを後目にユークは陸地を降りた先にある白亜の城を見つめていた。その白亜の城こそがユーク達が通う学園の校舎そのものである。この校舎は元は王領の古城だったものだそうだが、百五十年ほど前に維持が苦しくなって学舎として解放し寄付を募ったことが発端だとか。
(……しかし、湖に浮かぶ孤島の中に城を建てようなんてよく考えたものだな………いや、この王国自体島国だし、天然の堀を使うという発想はそれほど珍しいものでもないのか?)
ユーク達の祖国であるリヴァージュ王国は近隣の大陸とは海で隔てられている島国で、豊かな水源と肥沃な大地が育んだ歴史の古い大国だ。その立地から他所の国からはリヴァージュという国名よりも“水辺の国”と呼ばれることの方が多い。
(なんにせよこの城の建造を担当した労働者たちははじめにここに城を建てろと云った奴を呪ったに違いない。)
「ねぇユーク、水面がきらきらしててとっても綺麗よ!まるで宝石を散りばめたみたい」
「あまり乗り出すと危ないですよ、お姉様。」
〜〜
船が着いてからも学園までは少し距離があるので馬車に乗って移動する必要がある。
しかしながら学園から出ている馬車はお貴族様仕様、庶民の乗り合い馬車よりも圧倒的に少ない人数しか運搬できないため当然乗車待ちの長蛇の列ができるのである。
ユークとベアトリスが大人しく並んでいると、少し遠くの方から怒号が聞こえた。
ユークは癖で肩をすくめたのみであったがベアトリスは本気で怖かったらしく心配そうに前を見つめている。
「僕は伯爵家の長男だぞ?順番代われよ」
「後ろには侯爵家の方々も並んでいらっしゃるんです、あなただけ贔屓はできません。」
「じゃあ家格順に並び直せよ!」
「俺に言わないで下さい」
「だから僕は伯爵家の____」
(…そんなに待てができないのか?……列に居る方もさっさと譲ればいいのに)
ユークが眉を顰めながらも静観していると、黄金の髪が目の前で靡いた。
「…………は?」
一瞬唖然とした後に追いかけたユークは、案の定前で争っている生徒達の間に入ったベアトリスを目の当たりにした。
「他国の方もいらっしゃるのにそのような恥知らずな真似はおやめになって頂戴。」
「……は?部外者は黙って頂けるかね?大体君はどこの家を背負って____」
「聞こえなかったかしら?わたくしたちが今背負っているのは家ではなく国よ。ここでこうしてくだらない順番でいつまでも争っていると国の品位に関わるということがなぜわからないの?」
「っ、僕を馬鹿にしてるのか!?」
「あなたが馬鹿かは知らないけれど、ここで馬鹿げた真似をしているから止めてるの。」
「なんだと___!!」
ユークはベアトリスの胸ぐらを掴もうと少年の手が伸ばされる様を見て、咄嗟に動いていた。
「姉上!!!!」
ユークがベアトリスの肩を思い切り後ろに引くと少年の手は空を掻いて終わったが、代わりにベアトリスがバランスを崩す。ユークが下敷きになる形となって、ふたりは後ろへ倒れ込んだ。
「きゃあっ、」
「うぐ、」
驚いて声を上げたベアトリスと背中をしたたかに打ちつけると同時に自身より遥かに重い姉に潰されて短く呻いたユークに、にわかに周囲が騒がしくなる。
(重゛…っ、、)
「っユーク、ごめんなさい」
一拍置いて状況を認識した途端慌ててユークの上を退いたベアトリスに、ユークはその場に座り込んだまま怖い顔になって口を開く。
「お姉様。如何して態々油を以て火を救うような真似をなさるんですか」
「う、だって止めなきゃと思って…」
「人の行いを正す前にご自身のお立場を省みて下さい。お姉様は王太子妃となり、ゆくゆくは王妃となるべきお方、顔に傷でもつけられたらどうなさるおつもりなんですか。」
「うぅ…ごめんなさい。」
「……お、王太子妃!?」
冷ややかに言い放ったユークにベアトリスと先程の少年の顔色が悪くなる。ユークは今度は少年の方に歩み寄り、彼のネクタイをついと引いた。
(____一番姉上のことを苛めたいのは僕なのに)
「僕の前で姉上を傷つけようだなんて許さない」
ユークの銀の瞳が、抜き身の刃のようにぎらりと光る。
それは法と倫理の垣根を持たない獣のごとき残忍な光であった。
「ひ、」
少年は恐怖に顔を歪めて一、二歩後退った後に逃げていった。
「……顔は覚えましたからね。」
ユークはぼそりと呟いた後、ベアトリスの方を振り返る。消沈した様子で俯いている彼女にユークはなにも声をかけなかった。
(僕以外に加害されるなんて許さないからな、そのまま暫く反省して落ち込んでいればいいんだ)
ユークは非常に子供じみた仕草でそっぽを向いて踵を返したが、歩き始めたところで呼び留められて振り返る
「……あの、ありがとうございました。」
先程頑なに列を譲らなかったあの少年である。
見ればユーク程ではないにしろ細身で腕っ節は強くなさそうな少年であったが、緑色の瞳は意志の強そうな澄んだ輝きを帯びていた。
「いえ。こちらこそ姉が失礼しました。では」
ユークが今度こそと俯いているベアトリスの手を引いて列に並び直そうと歩いていると、途中で呼び止められて振り向く。そこだけ列が不自然に空いていて、ユークは目をぱちくりさせた。
「……律儀に開けておいて下さったのですか、」
「元々お二人がいらしたところですから」
「ありがとうございます」
ユークが微笑んで礼を述べると微笑みかけられた少女は頬を朱に染めたのであった。ベアトリスも小さく「ありがとう」と言って列に戻り、それきり暫くは大人しくしていたもののまた馬車に乗る頃には調子が戻ったようではしゃいでいた。
〜〜
学園に着いた後はあっという間に入学式が始まり、校長の長い話を聞いているうちに気がつけば解散となっていた。
「これからそれぞれの寮でミーティングがあるんですってね、校門までしか一緒にいけないのは寂しいわ」
「僕がいないときに面倒ごとに首を突っ込んだら怒りますからね」
「うぅ……だってほっとけなかったんだもの」
「お姉様はもう少し考えてから動く癖をつけて下さい」
そんなことを言いながら歩いていると、二人は足元にハンカチが落ちていた。小花柄のリネンでできた、清潔だがよく使い込まれた量産品。余程の好事家でない限り、大抵の貴族はこのようなものは持たない。
これまた厄介ごとに発展しそうだと思ってユークは無視しようとしたものの、運悪くベアトリスの目に留まってしまった。彼女は当然のように拾い上げ、ユークにそれを開いて見せた。
「ユーク、このハンカチ、誰のかわかる?」
「さぁ。少なくとも女物だと思いますけど。」
「イニシャルも刺繍してあって、きっと大切にされてるものだわ。……返してあげたいのだけど。」
ベアトリスがハンカチについた汚れを払いながら辺りを見回していると、後ろから可愛らしい声がした。
「……あの、」
それはおずおずという形容が似つかわしいような些か小さな声だったので、ハンカチに気を取られているベアトリスには聞こえなくても無理はない。ベアトリスの大きな体の後ろで縮こまっている少女に、少し離れたところで渋々持ち主を探していたユークも気が付かなかったのだ。
「か、返して、下さいっ!」
少女が少し声を張ったところで、ベアトリスとユークが同時に振り向く。
「あぁ、あなた、このハンカチの持ち主なの____」
「っお願いします、そのハンカチ、おばあちゃんの形見なんです、」
ベアトリスがぱっと顔を明るくしたのも束の間、ハンカチの持ち主らしき淡桃色の髪の少女が悲鳴交じりの声を上げた。先程の小声と打って変わってよく通る可憐な悲鳴は辺りの関心集め、ユーク達は注目されることとなる。
「っえ、ごめんなさい、取るつもりはなかったのよ。落ちていたから持ち主を探してたの。」
慌ててハンカチを返そうと差し出したベアトリスだが、彼女の大きな桃色の瞳には涙が溜まっている。傍から見れば完全にいじめられた哀れな少女と性悪のベアトリスという構図になってしまっていた。
「ねぇ、あの子達…」
「可哀想に、」
(あーあ。姉上、完全にわるものじゃないか)
弾き出されたユークは半目になりながら姉の手からハンカチを取り、少女に向かって微笑みかけた。
「すみません、このハンカチがこちらに落ちていたもので、姉は持ち主を探していたんですよ。顔は怖いですが優しい人なので許してやってください。」
「ふぇ、」
ベアトリスには近寄らなかった少女だが、そっと差し出したユークの手からは素直にハンカチを受け取った。そのままぺこりと小さくお辞儀をして逃げるように去って行った彼女に、ユークは厭な顔をして溜息をつく。
(どうして僕が姉上のフォローを……いくら僕以外が姉上を加害するのが癪に触ると言ったって、こんな少女が姉上を殴れるわけもないというのに。)
しかしながらユークの脳内では警鐘が鳴り響いていたのだ。この淡桃色の髪の少女が、周りの空気を一瞬で味方につけて見せたこの少女が_____
____ベアトリスにとってかなり危険な存在であると、無意識のうちに勘づいていたのである。
ついに本編開幕___________!!!
序章からキャラクター紹介まではほぼ毎日何かしら投げておりましたが、作者のリアルの都合によりもう少し更新頻度が落ちる予定です。




