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いつものように過ごしていたらこれまたいつものようにフラッとやってきた双子が一枚の紙を渡してきた。これは何だと紙を見ようとしたら双子が何も言わずに私の額に口付けを落として姿を眩ます。
煙のように解けていく双子の身体を見て、私は幻術だと理解した。たまに彼等が忙しい時にこうして幻術で作った双子を寄越すのだ。
渡された紙に視線を落とす。
そこには、黄昏の森の奥、老樹の根元に埋まる箱を古きもの眠る地へ渡してほしいと書いてあった。黄昏の森なんて書いてあるが、それがどこか私にはわからない。おそらく双子の身動きが取れないから、私に助けを求めにきたのだろう。
それにしても、だ。
どこの森だ……?と、悩んでいると紙が突然破れて破片が蝶へと変わる。ヒラヒラと私の周りを飛ぶ蝶は順番に私の額に触れるとその姿を消していく。その度に私の頭の中に知らない景色や通り道、不思議な模様の箱の映像が流れていった。
これがきっと紙に書かれていた森への道のりと箱、箱を持っていく場所のことだろう。場所はわからないがどこに行けばいいのかわかる。
私は店の看板を『閉店』にして、戸締りをして出た。
陽はすでに傾き始めて、呑みに行く人で賑わっている。人の波を縫うように、私は記憶の道を辿った。長く伸びていく影を追いながら暫く歩いていくと町から外れてやがて森へと入る。人の通る道から外れて曲がった木々の間を抜け、同じ場所を何度か通り、記憶通りに進んでいく。
そろそろ足が疲れてきたというところで開けた場所に出た。
うねり、絡み合うように太い幹が伸びて、濃い緑の葉が空を遮るように横に広がっている。
これが老樹だ。
どれほどの歳月を掛ければこんなにも大きくなるのか。
周りの木々もそれなりの太さはあるが、目の前の大樹と比べれば細く感じる。一種の神聖さを感じ、圧倒されていた私は我に返った。
いけない、早くしなければ陽が暮れてしまう。
私は慌てて根元へと駆け寄った。紙の蝶が見せた記憶ではこの辺に埋まっているはず。
腰を屈め、よく目を凝らしていると幹と同じ色の箱が大きな根に守られるようにあった。私は膝をついて箱に手を伸ばす。木製の箱は結構大きく、片手だけでは掴めない。一度諦めて、今度は両手で箱を掴んだ。服が汚れてしまうが仕方ない。
ずりずりと引き摺りながら出した箱は幅は広いが高さは低い木箱だった。
よく貴族が使うような、アクセサリーや書類をしまう箱に似ている。塗装はされていないが手触りが良く、細かい彫りがあり複雑な模様を描いていた。
これを古きもの眠る地へ持って行かなければならない。私は服の汚れを払って立ち上がった。
行き場所はわかる。
薄暗い中、転ばないよう注意しながら走る。石を飛び越え、頭上の枝を避け、無い道をひたすら進んだ。
既に陽は落ち、星が瞬いている。
「はぁ……はぁ……」
いつの間にか腰ほどのある草地に来た。記憶だとそろそろのはずだと周りを見渡しながら歩いていると、ふわりと小さな光が下から上へと上がって行くのが見えた。
一つ、二つとその光は増えて夜空へと舞っていく。
美しい光景に見惚れて足を止めているとザァッと旋風が吹いた。飛ばされないように足腰に力を入れて箱を抱き締める。
瞑っていた目を開けるとちらちらと舞っていた光も周りの草も、全て消えてしまっていた。あるのは固い地面と先の見えない暗闇だ。
呆然としていた私はふと空気の揺れる感覚がして顔を上げた。
「おや、珍しいな」
男性の涼やかな声が背後から聞こえる。
慌てて振り返ると、そこには黒髪の見目麗しい男性がいた。幾重にも布を重ねた服は見たことがなく、履き物も私が履いているものとは全く違う。
男性と視線が合うと、一歩こちらへ寄ってきた。
「これはこれは……呼ばれて来てみれば、随分と可愛らしい客人だ」
足に根が生えたように身体が動かない。距離が近くなり見えた男性の瞳はキラキラと星のように光が瞬いていた。
人じゃない。
男性を見た瞬間、そう直感した。
きっと今の私は顔を強張らせているだろう。男性は顔を近付けたまま、目を細めて笑った。
「娘、その木箱を貰えるか」
問うてはいるが有無を言わさぬ圧がある。
男性が木箱に手を乗せる。
「うむ。確かに受け取ったぞ」
ハッと気付いた時には抱えていた重みは無く、男性の手の中にそれがあった。
「礼に一つ、其方に掛かっている呪いを解いてやろう」
男性がそう言うと木箱を脇に抱えて、空いた片手をこちらに向けてくる。ほっそりとした指先が私の額に触れそうになった時、私の背後からバッと何かが飛び出して私の腕や身体を絡め取った。
「えっ! なに!?」
「おや」
男性は伸ばしていた手を引っ込め、袖口で顔を半分覆った。私は慌てて後ろを見ると薄紫の靄の中から男性二人分の腕が私の身体に絡み付いていて、更に驚いた。
完全にホラーである。
しかし、よく見ると爪の色や指輪に見覚えがある。
「神でもコイツに手ェ出すのはダメだから」
「鍵は渡しただろ。返してもらうぞ」
低い聞き覚えのある声が靄の中から聞こえる。身動きが取れずにいると、男性がはっはっはっと笑った。
「死の淵にいてなお欲するか。良いぞ、約束だからな。どれ、目を覚ますとよい」
男性が私に向かって軽く息を吹きかける。ひんやりと涼やかな吐息は緩やかに風を起こし私と双子を撫ぜた。
「さらばだ、娘」
徐々に視界が暗転する中、男性の別れを告げる声が聞こえる。再び目を覚ますとそこに男性は居らず、見慣れた天井が広がっていた。
「ここ……」
「お、目ぇ覚めたか」
「おはよ〜リコちゃん」
にゅっと視界の両端から双子の顔が現れる。起きあがろうとすると、まだ寝とけとオーフェンが肩を押さえた。
「いや〜、リコちゃんのおかげで助かったわ〜」
「オーフェン……ヴィクトル……さっきのって……」
「異界の神さんだな」
「神様って……もう……私を変な事に巻き込まないでよ」
人ではないと感じていたが、まさか神様とは。今になって脱力感が襲ってくる。
ぶつぶつと文句を言っているとオーフェンが私の頭を優しく撫でた。
「俺達と居る時点で無理な話なんだよなー」
「そうそう。ま、だからって離すつもりねぇけど……その分、お前のことちゃんと守るし」
ヴィクトルは私の手を握って、自分の頬に寄せる。あの神様はオーフェン達に対して死の淵にいてなお欲するかと言っていた。きっと彼等は命の危機にあったから私に助けを求めたのだ。そして、生きるか死ぬかの瀬戸際でも私のことを求めていた。
「私のことはもちろんだけど……自分達のことも大事にしてよね」
これだからこの兄弟はと睨み付けると、当人達は目をぱちくりしていた。暫く目を瞬かせていた二人はふっと笑った。
「わかった」
「ありがとな」
嬉しそうに目を細める彼等は少し幼く見えて、私は頬に熱が集まるのを感じた。
「あっ、神様に会った時、私に呪いが掛かってるって言ってたんだけど」
「あーそれ、俺とヴィクトルだわ」
「は?」
「リコに危険が無いように守護の呪い掛けてるんだよ! な、にーちゃん!」
「……へぇー……オーフェン、本当?」
どこか慌てた様子のヴィクトルとニヤニヤ笑うオーフェンが怪しい。じとりと睨み付けるが二人は一切応えない。
私は溜息を吐いて、一眠りすることにした。
【終】