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9 特急なは

※ この物語は一部事実を入れてますが、完全にフィクションです。人物、企業は実際のものと関係がないと思ってお読みください。


9 特急なは


沖縄…太平洋戦争末期に日米両軍によって行われた史上屈指の激戦地である。軍以外にも一般市民までもが戦いに参加し、故郷を守ろうと必死に戦った。市民までも戦闘に巻き込んだ軍司令官ですら、「沖縄県民斯ク戦ヘリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」(沖縄県民はこのように戦い抜いた。県民に対し、後世、特別のご配慮を頂きたくお願いする。)という決別電を本国に打電したほど献身的に故郷を守ろうとした。しかし、武運つたなく日本は敗北し戦後27年に渡るアメリカの占領下に置かれた…

戦後の疲れが癒え、平常の生活が戻りつつ本土と同様に経済成長が顕著になってきた中、若者を中心として本土に復帰できないか?と考える人が増えてきていた。その中の1人、琉球新報ではある企画が持ち上がっていた。その頃国鉄は京阪九(京都、大阪〜九州)を結ぶ特急に力を入れており、京都〜長崎、佐世保を結んでいた特急「かもめ」に西鹿児島へ行く編成を設け、それを独立させようとしていた。琉球新報はそれに目をつけた。 

「この列車にぜひ沖縄由来の愛称を付けてほしい…」

琉球新報はこの企画を国鉄に持ち込んだ。鹿児島という1番沖縄に近いところは行く列車に沖縄の愛称を付けるとなると、沖縄への観光客も誘導できるかもしれない…こうして祖国復帰を狙う琉球新報と、様々な方向から特急を定着させたかった国鉄の利害が一致し、特急の愛称を公募することになった。祖国復帰は叫ばれているが、果たしてどれだけの応募があるか…正直10票なんかでは話にならんぞ…などという不安をよそに応募は5211通も送られてきた。琉球新報は大喜びで集計に入った。その結果、国鉄には「なは」「おきなわ」「しゅり」「でいご」「ひめゆり」の5つが送られた。国鉄はその中から選び1965年10月2日、京都〜西鹿児島間にキハ82系による特急「なは」が誕生した。「なは」は好評を博し、1972年の沖縄返還後も日本と沖縄をつなぐ架け橋から沖縄の象徴へと姿を変え、いつしか京阪九特急にはなくてはならない愛称となっていた。1975年の山陽新幹線全通により京阪九の昼行特急が全廃されても夜行化されて生き残った。2004年の九州新幹線部分開業後も京都〜熊本間に短縮されて運転され続けたが、遂に2008年3月沖縄や九州の人々から愛されて親しまれた人生に幕を閉じたのである。


特急「なは」

設定時運転区間…京都〜西鹿児島

廃止時運転区間…京都〜熊本

廃止時停車駅【】は下りのみ停車、()は上りのみ停車

京都、新大阪、大阪、三ノ宮、姫路、岡山、倉敷、福山、【尾道】、【三原】、(新山口)、(宇部)、(厚狭)、下関、門司、小倉、黒崎、博多、鳥栖、久留米、大牟田、熊本

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