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5 特急南紀

第5話を投稿します。相変わらずの不定期ですが、よろしくお願いします!

5 特急南紀


紀勢本線は元来天王寺〜名古屋まで一括りにされていた。はつかり形キハ81系特急「くろしお」や急行「紀州」、またオールドファンには懐かしい太公望列車と言われた夜行普通「はやたま」などが天王寺〜名古屋を通しで走破していた。

転機が訪れたのは和歌山〜新宮が、電化されてからだ。特急「くろしお」が381系振り子電車に置き換えられ、天王寺〜新宮に短縮、L特急化された。急行「きのくに」も増発され(なぜか気動車のままだったが)。他に新宮〜名古屋を和歌山線経由で結ぶ「しらはま」などもいた。とにかく飛躍的に利便性が増した。

一方新宮〜名古屋は「南紀」が3往復、特急「南紀」を補完する急行「紀州」が2.5往復だった。本線の面目を辛うじて保っている状態だった。

特急「南紀」の愛称はなかなか数奇な運命をたどっていて、最初は天王寺〜新宮の準急(のちに急行化)、「きのくに」に吸収された後夜行普通の愛称になり、特急「くろしお」が天王寺〜新宮に短縮後の紀勢東線の特急の愛称となった。

私はキハ82系の「南紀」には一度だけ乗っている。小学生の時に名古屋で物産展があり、家族で見にいく時に津から乗った。なぜ近鉄を使わなかったのかという疑問がわくが、初めは近鉄の予定だった。しかし、窓口の係員の態度が悪く、頭にすぐ血が上る父親は国鉄で名古屋へ行くことにしたのだ。昔のことだがよく覚えている。私の頭の中では近鉄特急と速度を競うんだろうな…とワクワクしていたが、いざ乗ってみると、…うん、まあ…といった感じだった。高規格路線の伊勢線を通るので速いイメージがあるが、どこかで見た話なのだがら燃費を節約するために最高速度を85キロに抑えていたというのだ。本当に末期の国鉄はどうしようもないほど赤字で客へのサービスにすら目を向けれなかったのかもしれない。

その後、分社化民営化され、JR 東海は東海道新幹線というドル箱を抱えて在来線にも積極的に新車を投入していった。その中でも「南紀」はキハ82系が使われ続けていた。

高度経済成長期、日本の非電化区間の特急による高速化に多大に貢献し、至る所で国鉄のエースとして活躍していたキハ82系は、己の終の住処を特急「南紀」として紀勢本線に置いていた。21世紀になり、しばらく紀勢本線のエースとスケールを小さくして走り続けていたキハ82系はいつの間にか姿を消し、高性能な後継気動車キハ85系に置き換えられていった。


特急南紀


設定時 名古屋⇔紀伊勝浦

現在  名古屋⇔紀伊勝浦、新宮

停車駅 名古屋、桑名、四日市、鈴鹿、津、松阪、多気、三瀬谷、紀伊長島、尾鷲、熊野市、新宮、紀伊勝浦


昭和の国鉄の特急形気動車のエースはキハ82系だった。丸みを帯びた女王を思わせる優雅な姿、前面の特急マークが誇らしげだった。より高速を求められた21世紀になり老朽化、出力不足が顕著だった。女王の後を継いだキハ85系は女帝と呼んでもよいだろう。キハ82系より20キロも優速の最高速度、電車並みの加速、ハイデッカーによる眺望、どれを見ても女帝にふさわしい。

設定時から苦戦が続き、とうとう2両まで減らされた「南紀」。いまだに交通難所と言ってよい東紀州へと向かうので、民間や地方公共団体との連携でまだまだ巻き返しが可能な列車なのは間違いない。いつか再度長大編成の「南紀」がディーゼルエンジンを高らかに紀勢本線を爆走する姿を見ることもできるかもしれない。特急「南紀」よ、永遠なれ!

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