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3 急行紀州

第3話を投稿します。よろしくお願いします!

3 急行紀州


第3回の投稿は急行紀州です。まずは地元にあった列車から攻めていきます。


私は小さいころから三重県の関西本線沿線と紀勢本線沿線とを数回住処を変えていた。父親の体調が原因であった。引越しばかりでゲンナリしたが、様々な列車を見ることができる恩恵にも預かった。

私は急行「紀州」には2度乗車している。1度めは2歳の時に和歌山へみかん狩りに行った時。もっとも当然ながら全く記憶にはない。2度めは5歳の時。父親が旧友に会うために名古屋へ行き、私も連れて行かれた。行きは近鉄特急で優雅に名古屋へ向かい、父親の旧友とその息子、父親と私で楽しく食事をして買い物をし、さらに居酒屋で父親同士が一杯引っ掛けている横で子供は買ってもらったおもちゃで遊んでいた。

いくらか時間が過ぎたころ、父親が

「やばい!時間が過ぎてしもた!!」

と騒ぎ出した。どうやら近鉄の最終を逃したらしい。旧友とサクッと挨拶をしたあと父親は私を連れて名古屋駅へ向かった。近鉄の窓口で項垂れる父親。そしてハッとした顔で私を国鉄の窓口へ連れて行った。

「まだ津まで帰れる列車はあるやろか?」

駅員さんは

「ありますよ。11時(23時)58分発ですが。」

嬉しそうに頷き、父親は乗車券を購入した。それが「紀州5号」だった。そこそこお客さんは乗っていて、津に着く頃はだいぶ減っていた記憶がある。ただ、むやみに迎えをさせられた母親のふくれっ面だけははっきり憶えている。

急行「紀州」は元々紀勢本線が紀勢西線と紀勢東線に分かれていたころ紀勢西線に設定された準急「くまの」を前身としている。紀勢本線全通後に天王寺⇔名古屋に延長された「くまの」を急行化して「紀州」となった。当時特急「くろしお」の誕生前で、紀勢本線全線を走破する優等列車として1番格が高い列車であった。停車駅も少なく、時刻表を見ると一見特急と間違うくらいだった。その後天王寺⇔新宮が電化された後は紀伊勝浦⇔名古屋に短縮されたが他の急行を吸収して2.5往復か3.5往復になっていた。紀勢東線(あえてこのように書きます)のエース、特急「南紀」を補完する役目を担い、結構たくさんのお客さんが利用していたと思う(私が目撃した時はですが。)。特急「南紀」との線引きは「南紀」は全列車伊勢線経由、「紀州」は亀山経由だった(1往復は鈴鹿駅に停まるために伊勢線経由)ところだと思う。「志摩」や「かすが 」と併結し多層建てで10両を超す編成で走った。その姿は威風堂々、紀勢東線の代表列車だったのは間違いない。

幼かった私はよく列車名の由来を母親に聞いていた。母親は一生懸命に調べて教えてくれた。「かすが 」は春日大社から、「志摩」は志摩国から、「紀州」は紀伊国から。どれが1番デカい?という幼子独特の質問に母親は「それなら紀伊国が1番ちゃう?」と答えた。それ以来私は地元の急行の中では「紀州」が1番偉い列車だと勝手に思っていた。「紀州5号」がいち早く廃止になったのは知っていたが、それでも「紀州」は私の中でスターだった。

中学生になり、部活に勉強に本当に忙しく、鉄道から離れてしまった。ある休日、久しぶりの完全オフで仲良し5人で津へ遊びに行った。映画を見て、食事して、おやつに津駅の中にあったドーナツ屋で舌つづみを打った。そろそろ帰ろうとなり、近鉄の切符を買いに東口の改札に向かった。そこでふと愕然とした。あまりに茫然とする私に友人が心配そうに声をかけた。

「どうした?ボケっとして!早く帰るで!」

茫然としたままの私を引きずって友人は改札口を抜けた。

そのあと残されたJR の時刻表に、急行「紀州」の名前は無くなっていた。


急行紀州


設定時 天王寺⇔名古屋

廃止時 紀伊勝浦⇔名古屋

廃止時停車駅 紀伊勝浦、那智、新宮、熊野市、尾鷲、紀伊長島、三瀬谷、多気、松阪、津、亀山(伊勢線経由は鈴鹿)、四日市、富田、桑名、名古屋


※紀州5号停車駅 名古屋→紀伊勝浦の片道のみの設定

名古屋、桑名、富田、四日市、亀山、津、松阪、多気、三瀬谷、紀伊長島、尾鷲、九鬼、三木里、賀田、二木島、新鹿、大泊、熊野市、新宮、新宮〜紀伊勝浦間普通列車


紀勢東線を代表する優等列車の「紀州」。紀勢本線のエースから特急の補完として…格が下がった…とは言いたくない。三重県南部の交通難所の地域に郵便、新聞などを運ぶ。急行という敷居の低さから利用客も多かった。存在していた時代ごとの立ち位置を理解して、エースを降りても地元密着で走り続けた。道路網の整備、荷物の減少、乗車率の低下を見越し、立ち位置を理解していた「紀州」は己の最後でさえも理解していたのかもしれない。急行「紀州」よ、永遠なれ!

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